第73回ベルリン国際映画祭レポート 映画の多様性を改めて問う
- Yuko Tanaka
2月16日(木)〜2月26日(日)に開催された第73回ベルリン国際映画祭は、日仏共同製作によるニコラ・フィリベール監督のドキュメンタリー『アマンダ号に乗って』が金熊賞(最高賞)を受賞して幕を閉じた。これを踏まえ、同映画祭のおけるドキュメンタリー作品のポジションを考察しながら、映画祭を振り返る。
ベルリン国際映画祭は、国際的な話題作を5月に行われるカンヌ国際映画祭に、米アカデミー賞を含む映画賞レースに絡むアメリカ映画を9月のベネチア国際映画祭に奪われるなど、三大映画祭の中では恵まれない時期である2月に開催される。そのため、以前から独自のトレードマーク作りに力を入れてきたと言えよう。
その筆頭が、映画祭の政治的姿勢である。今年はまず、審査員団に女性の人権問題が取り沙汰されているイラン出身の女優ゴルシフテ・ファラハニや、政府からの弾圧の続く香港のジョニー・トー監督らの名前が並び、記者会見で彼らは政治的ステートメントを口にした。
開幕式ではウクライナのゼレンスキー大統領がオンラインで登場し、映画界のウクライナへの連帯を訴え、映画祭が最も盛り上がる最初の週末には、イランの女性擁護のための沈黙のデモに審査員長のクリステン・スチュワートらが参加。映画祭最終日前日の24日には、レッドカーペットに審査員団やウクライナ大使、映画関係者が集まり、ウクライナ国旗やプラカードを掲げ、注目を集めた。
こうした姿勢は作品のセレクションにも反映されており、ベルリンのコンペティション部門には、政治的もしくは社会的な作品が多いとされている。北アイルランド紛争を扱った『ブラディ・サンデー』(02年)で金熊賞を受賞したポール・グリーングラスは、その後ハリウッドに進出。『彼女が消えた浜辺』(09年)で銀熊賞(監督賞)を受賞したイランのアスガー・ファルハディは、今では国際映画祭の常連である。ボスニア出身のヤスミラ・ジュバニッチ監督の『サラエボの花』(07年)やペルー出身のクラウディア・リョサ監督の『悲しみのミルク』(09年)など、若手女性監督の作品が金熊賞を受賞してきたことも特筆すべきであろう。
並行部門のパノラマ部門ではウェルメイドな商業映画やLGTBQをテーマとした作品、フォーラム部門では作家性の強い作品、ジェネレーション部門では子どもを題材に扱った作品、フォーラム・エクスパンデッド部門では実験映画と、各部門が特有のオリジナリティを前面に出してきた。さらに、2020年に芸術ディレクターに就任したカルロ・シャトリアンは、新たにエンカウンター部門を設立。「革新的な独立系映画作家による美学的および構造的に大胆な作品を育成することを目的とする」プラットフォームとその意義を掲げ、公式コンペティションでは見受けられないような野心作を選出している。
ドキュメンタリー作品がこれら全部門で多く出品されているのも、ベルリン国際映画祭の特徴と言えるかもしれない。
今年はニコラ・フィリベール監督のドキュメンタリー映画『アマンダ号に乗って』が金熊賞を受賞したが、これまでにもジャンフランコ・ロージ監督の『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島~』(16年)や、イランのジャファル・パナヒの『人生タクシー』(15年)、ルーマニアのアディナ・ピンティリエの『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』(18年)といったドキュフィクションも最高賞を獲得し、昨年はエンカウンター部門でアリス・ディオップ監督のドキュメンタリー『私たち』が作品賞を受賞している。
今年のコンペティション部門ではドキュメンタリーは1本のみだったが、映画祭全体を見ると、エンカウンター部門には5本、全部門では長編だけでも40本近いドキュメンタリー作品があった。
中でも話題を集めたのが、特別上映にあたるベルリナーレ・スペシャル部門で上映された、ショーン・ペンとアーロン・カウフマン監督による『Superpower』。ショーン・ペンが記者会見でも「プロパガンダと見られても構わない」と発言した今作は、ロシアによるウクライナ侵攻をアメリカ側の視点で捉えている。何度も現地を訪れてゼレンスキー大統領を取材しており、彼が俳優から一国の指導者として英雄となる過程や、“超人的能力”をもって状況に対峙してる様を描く。
ウクライナの戦況を捉えたドキュメンタリーは、他にもあった。エンカウンター部門のヴィタリー・マンスキー&イーヴェン・チタレンコ監督による『Shidniy front(Eastern Front)』は、ボランティア医療部隊として活動する監督らが、戦地となっている東部の状況と束の間の家族の時間を自ら撮影し、生の姿と声を伝える作品である。フォーラム部門のピョートル・パウルス&トマシュ・ウォルスキー監督による『W Ukrainie(In Ukraine)』は、ナレーションや音楽を排除し、ウクライナ西部からキーウを経て北東部のハルキウに至るまでの旅の間に出会った戦禍に生きる市民と街の姿を静かに見つめることによって、この侵攻について考える機会を観客側に与える作品となっていた。
コロナ禍の初期に多くの死者を出したイタリアのベルガモの医療関係者と感染者や遺族の声を集めた『Le mura di Bergamo(The Walls of Bergamo)』(ステファノ・サヴォーナ監督)は、後世に残しておくべきパンデミックの経験と記憶の貴重な記録作品となっていた。
イラン当局から拷問を受け現在はフランスに住むメーラン・タマドン監督と、女優のザーラ・アミール・エブラヒミがその現場を回想しながら即興する『Mon pire ennemi(My Worst Enemy)』は、観るものを震撼させるものだった。また、パリの大病院の産婦人科に通う人々に着目した『Notre corps(Our Body)』(クレール・シモン監督)は、公式コンペティションに出品されていてもおかしくない力強さを持っていた。
もちろんドキュメンタリーの他にも、映画の多様性を示すために様々なジャンルやスタイルの作品が揃っていたように思う。
コンペティションでは、新海誠監督の『すずめの戸締まり』と、中国のリウ・ジエン監督の『Art College 1994』という2本のアニメーションが上映された。また、サンダンス映画祭で話題となりベルリンでも批評家の間で高い評価を得た、米国を拠点に活動する韓国系カナダ人セリーヌ・ソンの『Past Lives』のように、すでに他の映画祭でワールドプレミアされている作品も選ばれた。映画祭の規定には、製作国での映画祭上映や劇場公開は認めると書かれており、これは不利な開催時期にできるだけ良質な作品を集めたいという映画祭側の苦肉の策であると言えよう。
開催国であるドイツ映画は3本、さらに共同製作作品が2本入ったが、そのクオリティには首を傾げるものもあり、これらの作品はカンヌやベネチア同様に、自国の映画産業の振興を意識した選出だったのだろう。
公式コンペティションを俯瞰してみると、突出した本命となる作品が無いまま最終日を迎えたが、『Past Lives』以外に評価の高かった作品としては、ミッドライフクライシス(中年の危機)に直面した男性を描く中国映画『The Shadowless Tower』(チャン・リュル監督)、末期がんを患った父親に対峙する娘の視点を追ったメキシコ映画の『Tótem』(リラ・アヴィレス監督)が挙げられる。これらの作品は今後も、世界中の映画祭や賞レースを賑わせていくであろう。
最後に、ベルリン国際映画祭は、カンヌやベネチアのようなリゾート地ではなく、大都市で行われる一般観客にも開かれている市民参加型の映画祭である。以前から上映施設はメイン会場付近以外にも市内に点在していたが、今年は郊外の映画館を含めた25施設にて上映があり、コンサートホールや文化施設の大会場は、多くの一般観客で満席となった。また、併設のヨーロピアン・フィルム・マーケット(EFM)には132カ国から1万1,500人以上の参加があり、多くのビジネスイベントも開催された。コロナ禍が落ち着き、映画の作り手側、作品を届ける映画祭側、そして発見する観客側の三者が久々に集結した今年は、映画の多様性について考え、観る喜びを再認識する映画祭であった。
以下、コンペティション部門の受賞結果。
金熊賞
『アマンダ号に乗って』
ニコラ・フィリベール監督
フランス・日本/109分/原題:Sur l’Adamant
精神障がいを抱える大人たちを受け入るデイケアセンター「アマダン」の日常を捉えたドキュメンタリー。パリのセーヌ川に浮かぶ船(デイケアセンター)に集まる患者たちは、看護師・職員らのサポートのもと、運営にも関わりながら絵画や音楽、詩など自らを表現することで癒しを見出し、カメラに向かって自身を語る。
『音のない世界で』(92年)、『すべての些細な事柄』(97年)、『ぼくの好きな先生』(02年)で知られるフランスを代表するドキュメンタリー作家ニコラ・フィリベール。普段の生活の中で身近にいる人々やコミュニティ、そして動物までにも目を向ける作品スタイルで知られているが、今作では社会的弱者を受け入れ、共存する大切さを訴える。
審査員グランプリ
『Roter Himmel』
クリスティアン・ペッツォルト監督
ドイツ/103分/英題:Afire
ベストセラーに続く新作が上手く書けずスランプに陥っているレオンは、友人フェリックスの両親が持つ海辺のセカンドハウスで原稿を完成させようとする。しかし、先に住んでいたナジャと恋人デヴィッドの存在に悩まされ、フェリックスとの関係にもヒビが入っていく。出版社の社長が原稿のチェックのために訪れるが、海岸近くの森では山火事の危険が迫っていた。
『東ベルリンから来た女』(12年)や『水を抱く女』(20年)のクリスティアン・ペッツォルト監督の最新作。これまでの作品スタイルとは違ったコメディタッチを含んだ軽妙な前半から、主人公の自我の崩壊と自然災害が同時に起き、彼らにとって決定的な転機を迎える後半への息の詰まるような流れが秀逸で、これまでのスタイルをアップデートする新境地の作品となった。
監督賞
『Le grand chariot』
フィリップ・ガレル監督
フランス・スイス/95分/英題:The Plough
父の人形劇小屋で働く息子ルイと、2人の娘マルタとレナ。ところが父が急死してしまい、ルイは夢だった舞台俳優の道に進むことを決める。マルタとレナは2人で小屋の経営を立て直そうとするが、行き詰まってしまう。家族の物語を中心に、小屋で働く画家志望の青年、そしてルイの恋愛を交えた若者たちの群像劇。
自身の恋愛経験をインスピレーション源として映画作品として昇華してきたフィリップ・ガレル監督が、『自由、夜』(83年)に続き、父モーリスの職業だった人形使いをテーマに描くドラマ。実の子どもたちが出演しているが、舞台俳優である末娘のレナは、これが初の映画出演となる。自身のスタイルを時代とともに変化させていく、熟練の技が光る作品。
主演俳優賞
ソフィア・オテロ『20.000 especies de abejas』
エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン監督
スペイン/128分/英題:20000 Species of Bees
“ココ”と呼ばれる8歳のアイトールは、夏の休暇を母の実家で過ごす。彼女を認めてくれない祖母と、結婚生活と仕事に悩んで不安定な精神状態になっている母親から逃げるように、アイトールはありのままの自分に優しく接してくれるレズビアンの叔母の蜂蜜業を手伝いながら、自身のアイデンティティと自分の名前を「ルチア」に変えたいという願いに思い悩む。
短編『Cuerdas』が2022年のカンヌ映画祭批評家週間の短編部門に選ばれ、ゴヤ賞にノミネートされたエスティバリス・ウレソラ・ソラグレン監督の初長編作。ナチュラリズム溢れる映像の中で、様々な登場人物たちを繊細に描いた作品で、主演ソフィア・オテロは女の子になりたい男の子という性同一障害の子どもという難しい役を感情豊かに演じた。
助演俳優賞
テア・エーレ『Bis ans Ende der Nacht』
クリストフ・ホーホホイスラー監督
ドイツ/123分/英題:Till the End of the Night
ドラッグ売買の罪で刑務所に入っていたレニは、仮釈放されて恋人のロバートの元に戻るが、実は彼は麻薬潜入捜査官であった。性転換手術を受ける費用を稼ぐためにドラッグの世界に入ったレニをロバートは深く愛しており、麻薬の売買金を盗み、一緒に逃避行することを提案する。
25年のキャリアを持つクリストフ・ホーホホイスラーの長編第6作目は、犯罪ラブストーリー。1999年にオーストリアで生まれたテア・エーレはトランスジェンダーの女優。これまでに舞台とテレビドラマシリーズに出演した経験はあるが、初の映画出演で映えある賞を獲得した。
脚本賞
『Music』
アンゲラ・シャーネレク監督
ドイツ・フランス・セルビア/108分
1980年代、嵐の夜に生まれたばかりのヨンが救出される。青年になった彼はある日、事故で人を殺してしまう。刑務所に服役したヨンは音楽をきっかけに女性刑務官のイロと恋に落ちる。出所後、2人に娘が産まれるが、悲劇が訪れる。残されたヨンは娘を育てながら、音楽の道に進む。
先述のペッツォルト監督と並び「新ベルリン派」と呼ばれているアンゲラ・シャーネレク監督。今作ではギリシャ神話を根底に、研ぎ澄まされた断片的な映像で物語を語り、途中で挿入されるさまざまな音楽で主人公の感情を紡ぐスタイルで、今回の映画祭のコンペティションで最も芸術的だが難解な作品として話題になった。
審査員賞
『Mal Viver』
ジョアン・カニージョ監督
ポルトガル・フランス/127分/英題:Bad Living
離婚を経験したピエダーデは家族経営の古いホテルで働き、威圧的な母との関係に悩んでいる。そこへ前夫と暮らしていた娘のサロメも一緒に住み始めることになり、ピエダーデは娘を愛せなかったという罪悪感にも直面。従業員の女性2人も加えた女性たちの関係は危うく、ピエダーデはさらに精神を病んでいく。
1957年生まれのジョアン・カニージョ監督はヴィム・ヴェンダースの助監督を務めた経験を持つ。母性と生きづらさをテーマにした本作では、ホテルという密室を舞台に、登場人物たちは人間関係の歪みのラビリンスに陥っていく。カニージョ監督は今作で宿泊客として訪れる3人の女性を主人公にした『Viver Mal(Living Bad)』も同時に完成させており、同映画祭のエンカウンター部門に出品されている。
芸術貢献賞
エレーヌ・ルヴァール(撮影監督)『Disco Boy』
ジャコモ・アブラジーズ監督
フランス・イタリア・ベルギー・ポーランド/91分
ベラルーシ出身のアレクセイはフランスに密入国しようとするが、一緒にいた親友が溺死してしまう。フランスの市民権を得るためにフランスの外人部隊に入隊したアレクセイは、ナイジェリアで武装ゲリラのジョモと闘うが、ジョモも湿地で死んでしまう。パリに戻ったアレクセイは、ジャマの妹とクラブで再会する。
アート系作品の監督を輩出することで知られるフランスのル・フレノワ(国立現代アートスタジオ)出身のジャコモ・アブラジーズ監督の初長編作品。ベテランの撮影監督エレーヌ・ルヴァールは、アリーチェ・ロルヴァケルやエリザ・ヒットマンなど女性監督との仕事で知られるが、今作では男性的な世界で繰り広げられる美しい闇の映像で、強い印象を残した。