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2023.07.07 18:00

ミシェル・ヨーがカンヌで語る、映画界における真の多様性【カンヌ国際映画祭】

  • Atsuko Tatsuta

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でアジア系俳優として初めてアカデミー賞主演女優賞に輝いたミシェル・ヨーが、第76回カンヌ国際映画祭で「ウーマン・イン・モーション・アワード」を受賞し、授賞式に先立ち開催されたトークイベントに、フランス現地時間5月21日(日)に登壇しました。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

「ウーマン・イン・モーション」は、男女平等の促進、女性人材の育成、そして女性への暴力根絶の実現を目指す、グローバル・ラグジュアリー・グループのケリングが、2015年からはカンヌ国際映画祭のオフィシャルパートナーとして、俳優から監督、脚本家、プロデューサーなど、映画界に携わる全ての女性たちの活躍に光をあてるプログラム。カンヌ映画祭の期間中、芸術の分野でインスピレーションを与えた女性を讃えるアワードの授与をはじめ、映画界のハラスメントや男女格差の是正について議論するトークイベントやパネルディスカッションを毎年実施しています。

中国系マレーシア人として生まれ、香港、そしてハリウッドで女優・プロデューサーとして数十年にわたり活躍してきたミシェル・ヨー。ハリウッドにおいて「アジア系であること」「女性であること」は大きなハンデであると長年捉えられてきましたが、そんな逆境を乗り越え、いま大きな成功を掴んだ彼女が語る映画業界が実現すべき“真の多様性”とは──。

──『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』での演技でオスカーを受賞したミシェル・ヨーをお招きしています。ミシェルはアジア人俳優として初めて、また有色人種の女性としては2人目となる主演女優賞を受賞しました。さて、カンヌ映画祭に戻ってきたご気分はいかがですか?
カンヌはとても良い雰囲気で、いつ来ても素晴らしいですね。最高の場所だし、歴史もある。映画を本当に愛する人たちが、お互いを称え合うためにここに集まっています。そして、セールスにもつながることを願いながら。これも重要なことです。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

──カンヌ映画祭に関して、特別な思い出はありますか?
もう23年前のことですが、初めてのカンヌですね。『グリーン・デスティニー』(00年)で来た時で、私にとって初めてのカンヌでの大きなプレミアでした。カンヌは素晴らしい場所ですが、時にとても残酷な場所でもあります。作品を気に入ってもらえなければ、すぐにわかりますからね。でも私たちは、最初のプレス向けの上映からとても恵まれていました。朝8時からの上映は大変でした。どんな映画でも大変ですが、字幕で観る外国語映画ですからね。でも、プロデューサーのビル・コンが興奮して私たちのところにきて、上映の真っ只中でスタンディングオベーションが起きたと教えてくれました。私が屋根の上を走る最初のアクションシーンの後だったそうです。そしてそれは滅多にないことだと。プロモーション中の私たちのために気を使って言ってくれたのかもしれませんが、観客のその反応はとても嬉しかったですね。それが、カンヌでの一番の思い出です。私の(カンヌ)デビューでしたから。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──今年は激動の1年ですね。アジア人俳優として初めてアカデミー賞で主演女優賞を受賞するという歴史的な瞬間について、もうすべてを受け止められましたか?
正直なところ、まだですね。アカデミー賞の1年前からプロモーションをしていたので、長い道のりでした。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、人々の心を掴む映画となりました。そしてあっという間に映画製作者たちも、これが映画の未来であると認識するようになりました。私たちは常にオリジナリティ、差異、包容力、多様性を求めますが、この作品はそれらをすべて実現してくれました。

思えばこの映画は、最初からとても恵まれていました。ロックダウンが始まる日にちょうど撮影を終えたのですが、もし撮影があと数日残っていたなら、映画を完成させることができない可能性もありました。私たちの業界ではお金でしか時間を買うことができず、俳優やスタッフみんなを呼び戻すのは非常に難しいことです。

特に映画会社「A24」のおかげでもあるのですが、彼らが「とにかく早く映画をリリースしろ」と言わなかったことも幸運でした。「もう撮影は済んでいるのだから、配信プラットフォームに売り込めば、コロナによるロックダウン期間中にみんなに観てもらえるよ」とは決して言わなかった。そのおかげで、監督のダニエルズの二人も編集のポール・ロジャースも、2年間、作品の完成に取り組むことができました。(2022年3月に開催された)SXSWで初めてポールの奥様に会ったとき、「私はこの2年間、ずっとあなたと暮らしている気分ですよ」と言われ、「ありがとうございます」と言ったことを覚えています(笑)。

SXSWは、この映画がリアルで上映された最初のフェスティバルだったと思います。映画を愛する私たちからすると、バーチャルの上映は多くのもの──“体験の共有”を奪ってしまいます。私たちが映画を作るのは、映画館でその体験を共有する必要があると信じているからです。一緒に笑って、一緒に泣いて、その狂気のジェットコースターに一緒に乗る。その場を共に過ごしながら魂をさらけ出すことができるのが、映画館の価値だと思います。上映中に人々の笑い声が聞こえていたのなら、「声を出して笑っても良い。泣いても良い」というメッセージが人々の心に残った証です。それが映画において最も重要なことではないでしょうか。

フランソワ=アンリ・ピノー(ケリング会長兼CEO)、イリス・ノブロック(カンヌ国際映画祭プレジデント)、ミシェル・ヨー、ティエリー・フレモー(カンヌ国際映画祭ディレクター)Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──おっしゃる通りですね。昨今、映画会社がリスクをあまりとらない姿がよく見られます。大きなフランチャイズ映画やスーパーヒーロー映画が映画館に人を集めています。同時に、パンデミック以降は多くのストリーミングサービスが台頭し、誰もがソファでくつろいで映画を観る時代へと変化しました。でもこの作品は、インディペンデント映画として予想を超える興行収入を収めました。この成功で、映画業界はどう変わっていくと思いますか?
まず、映画館が何かに取って代わられることはないと思います。生み出す価値が全く違いますから。太古の昔から私たち人間は皆、一緒になって何かを残してきました。そして映画館は、同じ作品を観ることで、それが好きでも嫌いでも、意見が一致しなくても、一緒になり一つになることができる最高の場です。一緒に楽しんだり批判したり、それは美しい言語です。でも確かに、昔と今の違いは、“選択肢がたくさんある”ということですよね。映画のプラットフォームがたくさんあることは、製作者として良いことだと思っています。インディペンデント映画は、そもそも映画館で上映される機会がとても限られていますからね。

でも『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、そういった映画界の流れを変えたり、インディペンデント映画に光を当てたのでしょうか? そうではないと思います。良いインディペンデント映画がうまくいく度に、光は当たるものです。次の優れたインディペンデント作品は常に探し求められ、生み出されています。だってクロワゼット通り(カンヌの目抜き通り)を歩けば、多くのインディペンデント映画が上映されていますから。自分たちの作品を観てもらいたいと願う本当に優れた映画製作者たちがいるからこそ、素晴らしい映画が生まれます。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

もしあなたが新人の映画監督だとして、製作費に1億ドルはおろか、1,500万ドルや1,000万ドルを出してくれる人はそうそう現れません。でもそういった状況だからこそ、我々はクリエイティブになれる。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、制作費1,500万ドル以下です。5,000万ではなく、1,500万ですよ。その中で最も簡単で、安価なコストでマルチバースの旅を作り出しました。CGIも使わず、ヘッドホンで「フシャーッ!」と鳴らしたら、もう別の宇宙に行ってしまうんです。だから我々はクリエイティブでなければならないと思います。本当に情熱的なときこそ、最高の仕事ができるのですから。

インディペンデント映画では、スタジオの重役陣が撮影を見に来ることはありません。反対に大きな予算を与えられると、“彼らが”正しいと思うものを作らなくてはいけませんから、結果、私たちがいつも闘っているクリエイティブな面が失われてしまいます。そのような状況下で、どうやって自分の正しさを保てるでしょうか。もちろん、大きな予算があれば、より多くのことを実現できます。優れたストーリーテリングの実現も可能です。でもたとえ予算が豊富にあったとしても、自分自身でやっていることに意味があるのか分からないものには、予算を割かない方が良いと思います。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

そして私が特に今の映画業界に対して思うことは、私たちは互いに励まし合い、支え合うべき、ということ。私はこの業界に長くいるので、女性たちが自分の地位のために闘い続けてきたこと、平等のために闘ってきたこと、多様性のために闘ってきたこと……そうやって皆が闘い続けてきたことを知っています。そして、トップに立つ人が率先してその姿勢を見せていかなければならないと実感してきました。上の人間がそうでなければ、下へ浸透させることは非常に困難ですから。

ここ数年、女性は自分たちのためにより一層声を上げるようになっていますよね。昔は、女性は自分に対してもとても批判的でした。男性はよく自分自身の素晴らしさについて語りますが、女性は「もっと良くできたはず……」と、自分の良いところさえも小出しにしてきたように思います。だから昨今の女性たちの力強い姿勢には、大きな変化を感じます。

──「トップの変化」という言葉も出ましたが、映画業界においてここ数年で見た最大の変化は何でしょうか?
間違いなく「多様性」でしょうね。私たちが火をつけたようなものですが、『クレイジー・リッチ!』(18年)から始まったと思います。アジア人だけのキャストは、26年前の『ジョイ・ラック・クラブ』(93年)が最後で、それ以来、一度もありませんでした。『パラサイト 半地下の家族』(19年)をはじめとする外国の作品、つまり韓国映画や日本映画、中国映画のような外国映画の話ではなく、アメリカ映画における話です。

私が理解できないのは、なぜ私たちが“マイノリティ”なのか、ということ。なぜマイノリティなのか。なぜその言葉自体が存在するのか。もし『クレイジー・リッチ!』が成功していなかったとしたら、また25年間、私たちは後退させられたのだろうかと思います。なので、大きな変化だったと思います。監督のジョン・M・チュウやプロデューサーのジョン・ペノッティ、マーケティングも素晴らしい仕事をしました。この映画は人種を「分離」ではなく「包含」させたのです。アメリカ人も、アメリカ人でない人も。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

アメリカの学校には大勢の多様な子どもたちがいます。だから、文化に対する理解を共有する必要がある。私たちには幸運にもそのチャンスが訪れました。突然扉が開いたのです。映画会社もアジア人だけのキャストを見たいと実際に思ってくれたようで、それでもっと楽な気持ちになりました。いま私が一番嬉しいと思うのは、脚本を受け取ったときに、その役柄について「中国人として」とか「アジア人のような外見をしている」などと書かれていないこと。私たちは俳優です。演技をするのが仕事で、与えられた役柄に入り込み、できる限り自分の仕事をする。ですから、その変化は私にとって最大の前進でしたね。

そして『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(21年)のような映画も公開されました。マーベル映画初の中国人スーパーヒーローが誕生し、扉はさらに大きく開かれたと思います。そして『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、ガラスの天井をカンフーで突き破った。私たちは境界線を壊したのです。「なぜそうするの?」と聞かれたら、「なぜやらないの?」と答えます。あなたがやらないなら、他の人がやるのを待つことになる。それは逃げです。もしあなたが本当に多様性を実現したいと思うなら、自分自身で前に出て闘うべきです。

──アカデミー賞のスピーチでは、「時代は変わってきていると信じています。より包括性、そして多様性が拡がっています。私自身この仕事を40年やってきて、ようやくコールシートの一番上になれたんです」と話されましたね。このスピーチはとても力強く、オスカーでも際立った瞬間でした。“一夜にして成功するには長い時間がかかる”という言葉がありますが、あなたは「40年かけてようやくその瞬間にたどり着いた」とおっしゃりました。多くの批評家やジャーナリストが、ミシェル・ヨーは以前に何度もノミネートされるべきだったと言っていました。そして多くの人が『グリーン・デスティニー』でノミネートされるべきだったと思っていました。あれは2001年のアカデミー賞のことですよね。あの時点で、映画業界はアジア人俳優を認める準備がまだできていなかったと思いますか?
答えはかなり明白だと思いますが、いかがでしょう(笑)?まさにあなたが今おっしゃった通りだと思いますよ。考えてみれば、あの時代にはアン・リー、チャン・イーモウたちによる、本当に素晴らしいアジア映画、中国映画が多数公開されていました。ジョアン・チェンなど、私より先に活躍していた数々の中国の女優たちは、本来ならノミネートされるべきでした。でも実際、アカデミーでは一度もその機会は訪れず、私がアジア人として初めてノミネートされたのです。監督賞、作品賞、その他もろもろの賞へのノミネートは受けるのに、どうして俳優だけがノミネートされないのだろうと思ってきました。「ノミネートされないのは本当に人種のせいなの?」と疑問に思う人もいるでしょうが、実際そうなんですよ。その事実は明白です。しつこく言いたくはないのですが、だからこそ「前に進もう」と伝えたい。今こそ、前進し続ける時なのですから。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──オスカーの受賞で、キャリアにおいて何か変化はありましたか?例えば給与面や交渉の面で、より良い配役を選べるようになったなど変化を感じていますか?
それは確かにあるでしょうね。でも最も重要な変化は、アジア人に誇りをもたらしてくれたことです。オスカー受賞は私だけのためではなく、他の人たちを巻き込む大きな出来事になったと思います。昔は役の数がとても限られていたので、それをめぐって競争しなければならなかった。1人がこの仕事に就いたら、他の人は就けない。私かあなたか、どちらかという状況です。でもいま私たちが目指すべきは、私が成功すればあなたも成功するという考え方です。一緒により大きな成功を収め、より多くの“当たり前”を作っていきたい。

私が何度も母親役をやる必要はありません。世界に母親が1人しかいないわけではないでしょう? 世の中には大勢の母親がいて、母親の視点から語られるべき物語がたくさんある。そしてその役は、世界中の大勢の美しい女優たちから生まれるべきだと思います。

このような考え方が必要ではないでしょうか。映画は一人では絶対になし得ません。私たちはさまざまなレベルで協力し合う必要がある。お互いのために役割を作り、居場所を作る。その空間が小さくてはいけません。肘でも膝でも、どんな手段でも使って、みんなにとって有益な空間を作りましょう。楽しくて、持続可能で……それが目指すべき未来だと思います。

──アカデミー賞のスピーチの中で、「女性の皆さん、あなたたちは決して全盛期を過ぎてはいません」ともおっしゃっていましたね。
その通りです!「30歳、40歳になったら、もう全盛期を過ぎている」などと言ったジャーナリストがいたのを思い出します。「それはGoogleの情報ですよ」と言い訳していましたが。

でもそんな風に、年齢に囚われて人生を生きる必要はないと思います。それが大事なことではないでしょうか。年を重ねると役も少なくなっていきますし、物事が縮小していくようなことは確かに起こりやすくなります。男性は60代、70代、80代でも大冒険に出かけることができるのに、女性は家で電話番をしなければならないなんて……。なぜ女性だけがそんな風に言われてしまうのか。そういった考えに「NO」と言いたいですね。

Photo by Anthony Ghnassia/Getty Images for Kering

──最後に、観客からの質問を紹介させてください。「次にやりたいことは何ですか?」
私は自分の仕事を愛していますし、ずっと働き続けてきました。この仕事は、熱い情熱がなければ成り立ちません。でも正直に言うと、次にやることは「2週間の休みを取ること」ですね。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』はとても特別で、強烈に集中した作品でした。公開前は「この作品が特別であることをどうやって人々に伝え、観てもらえるようにすればいいのか?」と考えていました。なので監督のダニエルズには、「『グリーン・デスティニー』のときは、アン・リー監督や私たちが大学に行って話をし、上映会にも参加し、注目を集めるようにした」と助言したりしました。

インディペンデント映画の場合、大きなポスターや雑誌に広告を掲載するような資金はありません。いかにして注目を集めるか。その点でもダニエルズは天才でしたね。そして幸運なことに『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、口コミで広がってくれました。だから結果としてキャンペーンはすごく上手くいったと思います。

でも、アカデミー賞のキャンペーンはとても濃密ですから、かなり忙しかったです。キャンペーンだと言われても、それが本当に意味のあるものなのか、私には分からない時もあったほどです。ロンドンで『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』(9月15日日本公開予定)を撮影していたとき、ジェイミー・ドーナンが「『ベルファスト』のときは、みんなで引っ越したよ。自分の家族をロサンゼルスに3カ月間移住させて。あらゆるパーティーに出席して、Q&Aもやったし、あれこれ手を尽くしたのにノミネートされなかったんだ」と教えてくれました。だから私は「ありがとう、ジェイミー!本当に励みになる」という感じでしたね。

正直、そういった忙しい日々を経て、いま精神的に負担がかかっているのは事実です。人から「今この瞬間を楽しんで」「自分を楽しんで」と言われると、「今、何を楽しめばいいんだっけ?」と分からなくなることもあります。大きな全体像の中で迷子になっている感じです。そして次回作の『Wicked』の撮影も始まりました。LAからロンドンに戻って、ニューヨークに行って、またロンドンに戻るということを繰り返していて、ロンドンとLAの移動を少なくとも4、5回は繰り返したのではないでしょうか。だから『Wicked』を終えて私が一番にすべきことは、2週間ほど休みを取ることです。

携帯の電源を切っていろいろなことから離れて、ただ自分のために時間を取ることを意識したいです。「着るドレスを決めなくちゃ」「これは誰がやるの?あれは誰が?」といったことは、しばらくは考えないようにしたいですね。

Photo by Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──でもその前にもう1着、ドレスを着なければなりませんね。今夜、あなたはケリングのディナーで大きな賞を受賞されます。とても楽しみにしています。もう終わりの時間になってしまいました。それでは皆さん、本当にありがとうございました!
ありがとう、誰も寝なくてよかったです(笑)!

※本記事は、トークイベントの抄訳です。