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2022.04.17 9:00

『ドライブ・マイ・カー』アカデミー賞受賞の裏舞台をLA現地記者が振り返る

  • Itsuko Hirai

LA時間3月27日(日)に開催された第94回アカデミー賞授賞式において、日本映画として13年ぶりに国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)を受賞した濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』。現地でのプロモーションの様子や評価を、LA在住映画ジャーナリストの平井伊都子さんがレポートする。

左より:濱口竜介(監督・脚本)、西島秀俊、岡田将生、霧島れいか、山本晃久(プロデューサー)、大江崇允(脚本)Photo: Mark Von Holden / A.M.P.A.S.

今年の賞レース期間を通して、下馬評や予想サイトでは、『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞を受賞する確率を100%と予想していた。それでも、日本初の冠がつく作品賞など主要4部門ノミネートは、大きなプレッシャーだっただろう。第94回アカデミー賞授賞式の前日に日本メディア向けに行われた取材で、濱口竜介監督は「はっきりと言えるのは、下馬評というのは何の意味も持たないということ。だってまだ誰も知らないんですから」と、落ち着いた口調で話していた。

授賞式当日は、ホテルやクラブが立ち並ぶウエストハリウッドのフュージョン寿司レストランKatanaを借り切って、『ドライブ・マイ・カー』の受賞の瞬間を見守るウォッチパーティーが開かれた。主催は北米劇場配給のJanus Films(ヤヌス・フィルムズ)と、『ドライブ・マイ・カー』を配信しているワーナー・メディア。招待客は9割方がアメリカ人だった。

入店時にワクチン接種証明の提示が求められただけで、ノーマスクでここまで大人数が無防備に騒ぐパーティーに参加するのは、誰もが2年ぶりだったと思う。同じテーブルにいた女性は、会員制クラブSoho Houseで映画プログラムを担当していて、濱口監督と『フェアウェル』のルル・ワン監督とのトークイベントなどを開催したという。そのほか、LAタイムズやNYタイムズの記者、12月と1月に濱口監督のイベントを主催したジャパン・ハウス ロサンゼルスのスタッフ、『ドライブ・マイ・カー』を作品賞に選んだLA映画批評家協会の会長など、昨年11月のアメリカ公開からここまで、映画と濱口監督を支えてきた100名ほどの人々が集った。

国際長編映画賞の発表時には、シャンパンと花火を手にテレビ画面を見守った。ティファニー・ハディッシュとシム・リウが封筒を開け映画タイトルを読み上げると同時に、大歓声が起きた。

第94回アカデミー賞授賞式にて Photo: Kyusung Gong / A.M.P.A.S.

午後11時半頃、濱口監督と西島秀俊、岡田将生、霧島れいか、脚本家の大江崇允らが授賞式を終えてレストランにやって来ると、待ち構えていた人々がアーチを作り、花火と大歓声で彼らを迎え入れた。濱口監督はアーチの中に宣伝会社のスタッフを見つけると、「Thank you!」と言って抱き合う。会場に用意された赤いサーブ900を模したケーキの前で満面の笑みを浮かべている濱口監督と西島秀俊を、四方八方からスマートフォンのカメラが狙う。

受賞後の日本向け会見にて

濱口監督は、監督賞候補者ディナーでスティーブン・スピルバーグ監督と会話した時のことを、「僕が敬愛するジョン・カサヴェテスのインターンをしていた時の話や、『スター・ウォーズ』の編集中に(ジョージ・)ルーカスや(フランシス・フォード・)コッポラと観て、オープニング・クレジットが上がっていくのは(ブライアン・)デ・パルマが提案した、といった映画史をご本人から伺いました」と振り返り、西島秀俊はアンソニー・ホプキンスと対面し会話したことが印象に残っていると話してくれた。授賞式後の公式パーティー(ガバナーズ・ボール)で濱口監督は、そのスピルバーグ監督から、「おめでとう、この映画にふさわしい賞だ」と声をかけられたそうだ。そして日本メディア向けの会見を終えた『ドライブ・マイ・カー』チームは、オスカーナイトで最も盛り上がると言われる、Vanity Fairのパーティに向かっていった。

ガバナーズ・ボールにて Photo: Kyusung Gong / A.M.P.A.S.

『ドライブ・マイ・カー』のアメリカ配給を行うJanus Filmsは、名画のソフト制作販売を行うCriterionの姉妹会社で主に名画座や特集上映の劇場上映権を管理している会社だ。そのJanusの新たな劇場配給レーベルSideshowは、IFC FIlmsのプログラミング担当者が、マグノリア・ピクチャーズ出身の敏腕スタッフらを集めて発足された。新作映画が劇場と配信で同時公開され、劇場用に作られた映画がスタジオ直結のストリーミング・サービスで配信されることが当たり前になってしまった現在において、意欲的な良作を埋もれさせないために作ったのだという。『ドライブ・マイ・カー』の北米でのプロモーションは、Sideshowと二人三脚でCinetic Mediaが担当している。また、『ドライブ・マイ・カー』は、ワーナー・メディアのOneFiftyというアート系作品を扱うレーベルの作品として、3月2日よりHBO Maxで配信されている。濱口監督が国際長編映画賞の受賞スピーチで感謝を述べていた相手は、この3社である。

ハリウッドの多くの映画プロデューサーは、「ヨーロッパの映画祭はコネクション、オスカーはマネー」と言うが、アカデミー賞を獲るには、大掛かりなキャンペーンや連日連夜のパーティで顔と名前を売るハリウッド流プロモーションが絶対条件とされてきた。ところが、この2年間のパンデミックや映画芸術科学アカデミー(AMPAS)が推進するインクルージョン政策は、賞レースの戦い方を変えたようだ。

アカデミー賞の候補基準に多様性と包括性が求められ、映画館を使った試写だけでなくオンライン試写も標準的に行われるようになった。投票権を持つAMPASの会員数がここ数年で3,000名以上増え、海外の多様なバックグラウンドを持つ会員を積極的に増やしている状況もある。試写も取材もほぼオンラインなので、投票者同士がランダムに雑談や噂話をすることが減り、その代わりに、オンライン版の業界誌やSNSでの投稿が業界世論を形成するようになっていった。一般向けには、若いファンが映画に関する意見を発信するSNSの「Letterboxd」が重点的に使われていたようだ。

『ドライブ・マイ・カー』は、作品賞候補10作品の中で最も控えめなキャンペーン予算で戦った映画だろう。LAにおける映画宣伝の定番のビルボード看板を目にしたこともないし、業界誌の表紙を飾ったわけでもない。パーティーやディナーも開催されなかった。その代わりに、熱狂的サポーターを増やす戦略が取られた。その結果、全米に数十ある批評家賞で多くの賞を受賞し、毎日のようにDrive My CarとRyusuke Hamaguchiの名前が業界誌のヘッドラインに並んだ。

オスカーキャンペーンが佳境に入る1月以降に、Variety、The Hollywood Reporter、 Deadline、IndieWireといったサイトを見ると、FYC(For Your Consideration=ご検討ください)広告が多く入っていることに気づく。投票を促すそれらの広告は有料だが、前哨戦での受賞結果に関する記事は無料である。決して潤沢な予算があるわけではない『ドライブ・マイ・カー』のプロモーションは、作品の出来と評価によるところが大きかったように思う。

2月にオンラインイベントを行うために打ち合わせをした際、Janus FilmsやCineticのアメリカ人スタッフの口調からも、濱口監督とこの作品を支え、なんとしてもオスカー像を持たせたいという熱意が伝わってきた。彼らは、NY批評家協会賞の授賞式でレディー・ガガと撮った写真を「House of Hamaguchi」とSNSに載せて話題になった。それほど配給会社に愛され、そして愛をもっていじられていた。濱口監督はこの受賞を「運です」としているが、運を味方につけることが最も難しいことを知った上での発言だと思う。

全てが終わった授賞式翌日、在ロサンゼルス日本総領事公邸で行われた祝賀レセプションへ監督とキャストを送り届けた宣伝スタッフは、「キャンペーンは長く大変だったけれど、私たちはみんな、この作品に関われてハッピーだった。こんなに満ち足りた気分になったのは久しぶり」と、6ヶ月間に及ぶキャンペーンを締めくくるパーティーをはしごして寝不足の顔で、満面の笑みを見せた。

受賞後の米国メディアの報道の中では、今回の受賞により日本映画が復活を遂げるのでは、という考察が目についた。外交政策や時事問題を扱うForeign Policyは、「『ドライブ・マイ・カー』は日本映画を永遠に変化させるかもしれない」と題して、1950年代、60年代に黄金時代を迎えた日本映画が数十年間国内市場だけをターゲットにした結果、海外で評価を受けるような作品が作られづらい状況を考察している。

NYタイムズも、日本の映画産業が抱える問題を明らかにし、『ドライブ・マイ・カー』のような異端作品が海外で賞を受賞したことにより、「日本映画はゆるやかに(Slow-Burn)復活を遂げるだろう」と、同じような論調でまとめている。

どちらの記事も、『ドライブ・マイ・カー』が大手映画会社ではなくインディペンデント系配給・制作会社で作られたこと、国内よりも海外で評価を得ていることに触れながら、現状の問題点をあぶり出し、このオスカー受賞によって国外へも目を向け、製作委員会の意思決定と監督の芸術的自由の乖離、邦画が興行収入の8割を占める内向きな国内映画市場に変化をもたらすことができれば、日本映画の海外での復権も可能だろうと結ぶ。海外紙が日本映画や産業が抱える問題点を可視化していることには驚かされるが、1本のインディペンデント映画と1体のオスカー像に、日本映画界の未来を背負わせるのは違うような気がする。突出した才能が天井を破ることを期待するのではなく、上記の記事が指摘する以外の要因についても業界全体が問題意識を持ち変化を促さなくては、常態的な日本映画の復権にはつながらない。

Photo: Blaine Ohigashi / A.M.P.A.S.

ところで、NYタイムズが記事のタイトルで使っている「Slow-Burn」は、『ドライブ・マイ・カー』を紹介するときに米メディアが好んで使っている表現だ。ゆるやかに燃焼するといった意味で、時間をかけてだんだんと核心に迫ってくる、濱口演出の妙を表す。西島秀俊はLAで行われた取材で、「キャラクター同士が近づくときに、俳優同士で無理に近づくとどうしても歪みが生じることがあります。濱口監督は、映画の中の関係性と同様に、撮影でも丁寧に時間をかけて僕たちがお互いに知り合い近づいていくように演出してくれました。こういうことが他の現場でも実現して欲しいと思いますし、僕自身も、これから関わっていく現場で、プロセスを大事に撮影を進めていくスタッフの一人に、できる範囲でなりたいと思います」と述べていた。

オスカー受賞後の会見で濱口監督が語っていたのは、自分の映画ファンとしての生理に従うことだった。「撮影の現場でやっていることは、自分自身が映画をずっと観てきた人間として持っている基準に合うか合わないか。言うなれば観客は自分です。その基準は多くの映画を観て得たものであり、誰か一人でも深く届く観客がいるのではないかということを信じてやっています。結果としてそれが国を超えて届き、多くの人に感想を寄せていただきありがたく思っています」。

© Michael Baker / A.M.P.A.S.

西島、濱口両氏の発言はそのまま、海外評が指摘した日本映画と産業が抱える問題点の解決策に向けたヒントになり得るのではないかと感じている。

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『ドライブ・マイ・カー』

出演/西島秀俊、三浦透子、霧島れいか、パク・ユリム、ジン・デヨン、ソニア・ユアン、ペリー・ディゾン、アン・フィテ、安部聡子、岡田将生
原作/村上春樹 「ドライブ・マイ・カー」(短編小説集「女のいない男たち」所収/文春文庫刊)
監督/濱口竜介
脚本/濱口竜介、大江崇允
音楽/石橋英子
製作/『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
製作幹事/カルチュア・エンタテインメント、ビターズ・エンド
制作プロダクション/C&Iエンタテインメント

日本公開/2021年8月20日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
配給/ビターズ・エンド
公式サイト
©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会