Column

2021.05.02 18:00

【単独インタビュー】『街の上で』録音技師・根本飛鳥の映画に”毒を盛る”仕事の真髄

  • Atsuko Tatsuta

映画における「音」は、セリフ、効果音、音楽から成り立っています。撮影現場でセリフなどの音が「録音」され、そのセリフや効果音などの音源を組み合わせて、バランスを整えること(ミキシング)によって映画の「音」は作られていきます。

『街の上で』撮影現場での根本飛鳥さん

近年では、「極音上映」や「爆音上映」といった音響にこだわった上映も人気となり、映画の「音」に関する観客の興味も高まりも見せています。

そこで、Fan’s Voiceでは、大ヒット中の『街の上で』を始め、今泉力哉監督の『愛がなんだ』『his』『あの頃。』、藤井道人監督の『ヤクザと家族 The Family』、Netflixオリジナルシリーズ『新聞記者』などの話題作を多く手がける録音技師の根本飛鳥さんにインタビュー。「録音技師」の仕事について、また日本映画における「音」の現在について、たっぷり伺いました。

──根本さんはもともとは映画監督志望で、助監督を経て、録音技師の道に進んだと聞いていますが、「録音部」との出会いは?
2008年くらいに初めて自主映画制作に参加しました。当時は映画作りを勉強したくて、多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科に通いました。子どもの頃から映画が好きだったので、評論家か作り手か、何かしら映画に関わる仕事に就きたくて。

そんな中、僕が大学2年の時に3年生に編入してきたのが奥田庸介さんでした。彼は埼玉のSKIPシティにあった専門学校(早稲田大学川口芸術学校)の卒業制作で作った『青春墓場』(07年)という20分くらいの作品を授業内で観せてくれたのですが、これがめちゃくちゃ面白かった。それで、映画仲間が見つからずフラフラしていた僕は、この人と一緒なら映画が作れるかもしれないと思いました。体重が90kgくらいあってスキンヘッドという迫力のあるルックスの人なんですけれど、勇気を出して声をかけてみたら、案外すぐ仲良くなれました。それで3年になりたてくらいの時、奥田さんに『青春墓場』の続編を撮るから一緒にやろうと言われて、自主映画を作り始めました。最初は助監督とか制作スタッフのようなことをやっていたのですが、奥田さんのチームは、多摩美の他にもいろいろなところから人が集まっていて、面白かったですね。そして『青春墓場〜問答無用〜』(08年)という作品の撮影から、僕たちは奥田さんをトップとして「映画蛮族」という団体名を名乗り、自主映画制作の世界に傾倒していきました。

根本飛鳥さん

その頃、映画蛮族で撮影を担当していた日本大学芸術学部放送学科の小林岳さんが、”録音助手募集”のような張り紙を学校で見たと教えてくれて、それが『吸血少女対少女フランケン』(09年)というスプラッターコメディ映画。僕は映画が好きで大学に入ったくらいなので、割とたくさんの作品を観ていましたが、中でも好きだったのがジャンル映画。当時、日本では井口昇監督が『片腕マシンガール』(08年)を撮ったりして、60、70年代のグラインドハウス的な雰囲気をリブートするような作品群が作られていた時期でもあって、僕は結構ハマっていました。

プロの作品に関わってみたかったのと、自主映画制作をずっとやっていたので、そろそろお金をもらって仕事として映画に関わってみたいと思っていた時期で、現場に行けばプロと繋がれるだろうから、とりあえず行ってみようと。そこで録音を担当していた中川(究矢)さんという人と繋がり、現場に連れていってもらったのが録音部として仕事をした最初ですね。それでやったみたら、面白かった。

──それで録音技師の道に進むことになったのですね。
自分の中では、学校を卒業して自主映画を撮りながら「フリーランスの映画監督です」というのと、技術者としてある程度のベースがある状態で社会に出るのだと、技術者としての知識が深い方が仕事になると思いました。当時の映像業界はデジタル移行の過渡期でした。2008年にニコンからD90という、レンズ交換式デジタル一眼レフカメラで初めてHD動画機能がついたものが発売されて、翌年の2009年にはキヤノンがEOS 7Dを発表し、大きな流れが生まれました。発売当時はプロも学生も関係なく多くの人が7Dを購入して、個人機材で撮影をし始めました。数年経つと、某ゴールデンタイムドラマも、その辺の学生の自主映画も、みんな7Dで撮っているという状態に突入して(笑)、2008年から2018年くらいまでの10年間は、個人のミニマムな体制でハイクオリティーな映像を撮れるようになった大きな変革期でしたね。

僕らが最初に自主映画を撮り始めた時は、パナソニックが2003年に出したDVXというカメラ(AG-DVX100)が主流機でした。でも当時、60万円のカメラは金のない貧乏学生にとっては超高級機だったので、サークルのみんなで資金を出し合って1台買って、アイツがDVX買ったって噂になるとすぐに伝わってみんな借りに来る、みたいな。2008年までの自主映画は個人的な感覚ではほとんどDVXで撮られていて、『青春墓場』3部作もそうだし、僕が手伝っていた様々な自主映画もほぼ全てDVXでした。そんな中登場してきた7Dは感度が高くて、照明が無くてもある程度撮れたし、今まで撮りにくかった深度の浅い映画的なルックの画も撮れて、みんな飛びついて買ったわけですね。そして2009〜10年あたりには画が統一されてきて、学生からプロまで、一見するとだいたい同じような質感で撮っているような時代に突入しました。そういう時代に、インディーズとプロの差が一番出ているなと感じたのが、「音」でした。

──その場合の「音」とは、セリフのことですか?
セリフもそうですし。インディーズ映画はポストプロダクションにかけるお金やノウハウがなく、現場で録った音がそのまま出ているような作品が多かったので、音がコントロールされていないというか。奥田さんとか、大学の同級生で俳優をやりつつ自主映画を撮っていた森岡(龍)とかが周りにいたけれど、彼らは監督として非常に才能があった。面白い脚本も書けるし。一緒に自主映画を作っていて、インディーズ映画の「音」のクオリティが低いと思ったときに、自分が録音部として勉強していったら、こうした才能ある人たちの作品を技術的な面からバックアップできるのではないかと思いました。

『his』撮影現場にて(写真:本人提供)

──録音技術は、主に現場で学んだのですか?
現場ということになりますかね。座学で学んだことはありませんから。かといって、現場で機材の使い方を細かく教授してもらったというわけでもなく。やっていく中で身についていきました。助手をやる傍らでインディーズ映画の制作も続けていたので、自分で機材を買ったりして、使い方を覚えていったという感じです。

──プロになったのは、2008年の『青春墓場〜問答無用〜』からですか?
いつからプロというのは難しいのですが、録音行為によって金銭をいただくことでプロになったのだとすれば、ギャラを貰って録音助手になったのは2008年だと思います。

2008年のニコンD90発売時、”こういう動画が撮れるカメラが出ましたよ”というニコンのWebサイトに載せるプロモーションドラマがあって、その撮影に助手として行ったのが、人生で最初に録音部としてギャラを貰った仕事ですね。その時はまだマイクの棒の延ばし方もよくわかっていなかったけれど、とりあえず来いと言われて現場に行きました。全然プロじゃないですね(笑)。よく「何歳から技師をやっているんですか?」「商業技師デビューはいつごろですか」と聞かれる事があるんですが、もう全然分からないんですね(笑)。当時は商業作品なのかインディーズ作品なのか非常に曖昧なものが多かったですし。大手のスタジオを通して制作される劇場公開作品のことを業界では「本編(ホンペン)」と呼ぶのですが、当時、先輩に「お前がやってるやつは本編じゃねーんだよ、ハンペンだハンペン!」って言われてすごい悔しかったのをよく覚えています。今思い返すとけっこう笑えるんですけど(笑)。

『あの頃。』撮影現場での録音ベース(写真:本人提供)

──今は録音技師としてご多忙ですが、お仕事は監督で選ぶのですか?
僕は脚本段階から演出面も含めて監督たちとディスカッションしていく事が多いので、一回仕事をして合わないと思われれば、次に依頼は来なくなる。基本的に僕に仕事をオファーしてくれる人は、どこかしら僕が音を仕切る上でメリットを感じてくれているはずです。技術なのか人間性なのか。僕自身も合わない人にはそれを伝えていくタイプなので、自然と同じ波長で作品に向かってくれる人が現在は周りに多いですね。とても恵まれていると思います。作品の選び方としては、様々な条件下で自分がこの作品に参加する意味、なぜ呼ばれているのかということ、色々な状況を加味した上で自分がやるべきなのかそうでないのかを判断します。

──例えば?
作品の予算感や完成までのスケジュール感は大きいと思います。僕は受けたからには、監督たちに満足してもらえる絶対的なクオリティを担保したいので、そのためには予算も時間もある程度必要です。用意しなければいけない環境だったり、人も必要。ただ、基本的には予算も時間も潤沢には取れない事が多いので、その中で監督やプロデューサーといっぱい話し合って、お互いが納得して気持ちよく仕事ができる落とし所を探します。一番大事なのはコミュニケーションを取る、ということだと思っています。プロデューサーにも監督にも、言い方は悪いですけれど、一流の詐欺師でいて欲しい。”人を幸せにする嘘つき”と言うか。特にプロデューサーは嘘が上手い人か、めちゃくちゃ正直な人でないと出来ない仕事だと思っています。日本映画は予算が潤沢にあるわけではないので、親身に話していただける人と仕事がしたいといつも思っています。

『街の上で』

──『街の上で』の音はモノラルでしたが、サウンドデザインをどのように考えたのですか。
映画の仕事をしていて、フレームサイズについてはカメラマンや監督、プロデューサーがよく話し合います。シネスコでやるのか、ヨーロピアンビスタでやるのか、など。表現に深く関わってくることだし、画角が変わると撮り方も変わる。でも、音に関してはほぼ相談されることはないんです。ベースとして、今の日本の劇場のほとんどは5.1chの音響システムで、日本の劇場公開映画の基本は5.1chという暗黙の了解があります。最近では7.1chとかドルビーアトモスなども出てきてベースフォーマットは着実に移行しつつありますが、今の国内の現状ではまだまだ5.1chベースの作品作りは続くと思います。音のフォーマットは本来、モノラル、ステレオ、5.1の”後ろ”(Ls・Rsスピーカー)とLFE(サブウーファー)を切った3ch(前3面)、5.1ch、7.1ch…などなど、それぞれのフォーマットに対して適切な表現方法があるので、本来は適したものを選べばいいと思います。すべての映画が5.1chじゃなくてもいい。最近だと『風立ちぬ』もモノラルだし、(スタンリー・)キューブリックだって2chモノラルで作品を作っていました。

『街の上で』のかなり前に、二ノ宮隆太郎という役者もやっている監督の『枝葉のこと』(17年)という作品を担当したのですが、全シーンワンカット手持ちというドキュメンタリーのような撮り方をする作品でした。全部、二ノ宮の自己予算で作った映画なので、製作費も少なく。この作品に一番有効打になる音の作り方は何か、いかに土着的なドキュメンタリーっぽいパワーのある音を出すか、脚本を読みながら考えました。普通の商業映画が洗練されたキレイな音だとしたら、荒々しい生の加工されていないような音づくりをしていったらどうかと思っていた時に、キューブリックがやっていた2chモノラルを思い出しました。

普通は、撮影現場で音の素材を録ったら、編集ソフトに入れてセリフ以外の不要な音を抜き、環境音や効果音を付けます。そのやり方をやめて、録った音をなるべく加工しないで、全部使うという方法をやってみようと。撮影した時に飛行機が飛んでいたら、その音も使う。犬が鳴いていたら、その鳴き声も残す。現場で聴こえていた音が、そのままスクリーンから聞こえてくる。なので、監督にもそこまで考えてOKを出してもらうようにしました。僕はこれを『枝葉のこと』で初めて試したのですが、めちゃくちゃ音にパンチがあるんです。ノイズを抜いていない同録の音と2chモノラルってすごい音が尖っていて、めちゃくちゃ強い。上手くいったと思いました。

その後、二ノ宮の『お嬢ちゃん』(19年)という作品では、5.1chのセンタースピーカーしか使わない純粋なモノラルを試しました。もともとはラストシーンまでモノラルで作り、最後が海のシーンなので波音とかをラストに向けてサラウンドに回していく、というのをやろうとしていて監督もそれでOKと言ってくれていたのですが、最後の最後で作品や監督の意図からズレていると私が判断してやめて、最後までモノラルのままにしました。その作品を観に来た今泉さんが、「音の雰囲気が良い」と言ってくれて、もともと僕は今泉さんの作品は室内で人が喋っているシーンがほとんどなので、基本的にサラウンド感は必要ないし、使いどころがほとんどないなと思っていて。今泉さんとは10年近く一緒にやっていて、商業作品になってからは5.1chで作ってきましたけど、雑味になるから”後ろ”はいつもほとんど使わない音作りを続けてきました。

『街の上で』

昨今の邦画の音の作り方は、個人的にはあまりピンときていなくて。作品にもよりますが、役者の動きに合わせてセリフがセンターから、LやR、リアに振られていく。画面上でセンターから外れた人の声が右側とか左側に寄るわけですが、僕からすると気が散ることが多い。セリフを”回しすぎている”と感じることが多いです。いわゆるハリウッドのアクション映画とかなら、台詞や動きの音を回しまくって臨場感を出すことは機能するのですが、基本的にはお芝居がベースの作品で同じような音作りをすると、芝居に耳がいかなくなるのではないかと危惧しています。

今泉映画に関しては、僕の中でなんとなく“今泉映画メソッド”的なものがあります。今泉映画の音は、こう作るべきという。パンニングしないとか、ベース音の厚みのコントロールとか。『愛がなんだ』の時は、相棒の(リレコーディングミキサーの)浜田(洋輔)と、映画館で絶対にポップコーンなんか食べられないような繊細な音を作ろうと、いろいろやりました。極限までベースの音を落として、観客の耳や意識を完全にスクリーン方向に集中させることで、重いトーンの芝居も長い芝居もちゃんと観せる。『街の上で』もそうですけど、どれだけ集中して芝居を観てもらうのかが、僕らにとっての命題。「見る」と「観る」、「聞く」と「聴く」は、違うんです。

意識しなくても目に入ってくるのが、見る。なので映画などは「観る」。音は、「聴く」。カメラで言えば、手前で喋っている人から奥で喋っている人にフォーカスを送るようなことを、音でも常にやっています。聴いて欲しいところに耳がいくように、音のフォーカスを常に動かしている。気づかれないようにベースのコントロールをしたり、声のキャラクターを変えていったり。カメラでしているような表現を、僕らは音でやっているわけです。なるべくバレないように。

今泉映画では、効果含め音は回さない、セリフはなるべくセンターから、スクリーン方向に集中できる音作り、が基本です。『his』は3chで、前3面からセリフを出しましたが、それはそれで良かったと思います。

『his』撮影現場にて(写真:本人提供)

──『his』ではなぜそうしたのですか?
同じことを毎回やりたくないからですね。僕が仕事をする上で決めていることの一つが、前回とは違うことをすること。ルーティンワークはしたくないし、パターンも作りたくない。こうすれば音はよくなるという方法は、自分の中でいくつもあります。でもそれをやってしまうと(前と)同じになってしまうから、なるべくやらないようにしています。

──『あの頃。』に関してはいかがですか?
『あの頃。』はノイズをほとんど抜かずに作った作品ですね。商業映画としては考えられないくらい。iZotope(アイゾトープ)のRXというノイズ除去&音声編集ソフトがあって、映画のセリフのEDITをやっている日本の録音技師の99.9%がこのソフト使っていますが、声の裏にあるノイズが魔法みたいに見事に消せるんです。『愛がなんだ』以降、僕は現場同録と録ってきた素材のEDIT担当で、相棒の浜田が最終的なミキシングを担当しています。僕が現場で録ってきた音をふたりであーだーこーだ言いながら仕上げをするのですが、『あの頃。』はRXをなるべく使わないでやろうと浜田に提案されたので、ほぼほぼセリフのEDIT時にノイズを抜いていません。EQという音のキャラクター調整はメチャメチャやっていますけどね。それまでは、RXを使わないと映画の音って絶対に作れないと思っていたけど、案外出来ました。

今泉力哉監督『あの頃。』2月19日(金)全国ロードショー ©2020『あの頃。』製作委員会

──今泉さんに先日インタビューした時に、現場で録った街の音も残すようにしているけれど、それでも時々、根本さんが消してくるので戻すようにしてもらったとおっしゃっていました。
そうですね。『街の上で』に関しては極力「下北沢の音」を残したかったので、できるところは加工せずにそのまま使っているのですが、作業工程で僕が判断して消しているものもあるので。今泉さんは、通常だったら100%いらない音もそのまま残したいということが多い方です。今泉さんだけじゃなく、インディーズ映画をやってきた監督にはその傾向がある気がします。インディーズ出身で商業作品をやるまでは自分で編集していた監督などは、整音前のオフライン編集の音を聞いている時間が圧倒的に長い。現場で同録したミックスでずっと編集して、完成させていくので、画についていた同録の音をよく覚えています。一緒に仕事をしている藤井(道人)さんとか内藤(瑛亮)さん、白石晃士監督なども、オフラインの時に聴いた音をよく覚えています。だから僕が「いらないだろうな」と思って抜いたりすると、「あの音は?」と言われることはありますね。

──その時は監督の指示通りに戻すのですか?それとも議論をしたり?
基本的には100%戻します。技師によってこの仕事に対する考え方は違うとは思いますが、僕は技師というのはサービス業だと思っています。監督やプロデューサーを100%満足させることが、僕らのクリエイティブの大前提。なので監督がやりたいことは、すべて飲むし試す。それをベースにもっと良い提案をするのが僕らの仕事。ダビングの時に録音技師が監督と上手くいかなかったという話を聞くこともあります。でも、どんな要求をされようと、まずは監督に納得してもらわないと上手くいかない。『街の上で』には車のクラクションとかも入ってますが、そういうのは(監督の)好みであり、こだわりなのだと思います。

──アルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』はドルビーアトモスを採用し、音にもこだわった作品ということでも注目されました。車の中のシーンでは”後ろ”からセリフが出たりするのですが、それは観客の集中を削ぐので絶対にやってはいけないことだと、昨年公開されたドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』の監督は大学で教えているそうで、驚いたと話していました。
あの映画、音がすごいらしいですね。観ていないのですが。「音がすごい」って言われると観たくなくなるんです(笑)。でも、キュアロンがやったことは理解できますよ。それに「間違っている」と言われていることが出来るのは表現者として強いというか、超すごくないですか。僕は出来ないので超リスペクトしますね。最高じゃないですか。僕は作品に取り掛かっている時は、それがベストだと思ってやっています。公開後に劇場で見直すと「間違えてるー」となることもしばしばですが(笑)。

──完成後も作品を観直したりするのですか?
しますね。公開されたら必ず劇場へ確認しに行きます。浜田と組むようになるまでは、自分が手掛けた作品を3ヶ月経って観たら、「酷いな」としか思わなかったですね(笑)。

──それには今泉監督はどんな反応をされるのですか?
今泉さんは後悔し続けるタイプのとてもネガティブな人なので、「いやあ、最高だったね!OK!」とか言うことが、現場から仕上げまで絶対にない(笑)。一緒に仕事をしていて、気持ちがいい人ではないんです。通常の会社の上司だったら、まったく下はついて来ないタイプですね(笑)。でも、面白いと思うのは、映画監督って人間としてダメであればダメであるほど、人が集まってくる傾向があるように思います。とってもダメ人間な今泉さんをずっと信頼して一緒に作品を作れているのは、彼が決して諦めないから。撮影前から作品の完成まで、どんなに劣勢に追い込まれてもあの人だけ諦めないんです。予算、撮影日数、脚本やキャスティングとか、どうしても打破できない問題も多く出てくる。このシーンは現場の全員がどうやっても面白くならない…となっても、今泉さんだけ全く諦めていない。だから僕は今泉さんをすごく尊敬しているし、信頼しています。ダメ人間なんですけど。

今泉力哉監督 Photo: Kisshomaru Shimamura

──映画における「良い音」とは?セリフ、音楽、効果音のバランスはどう決めているのですか?
センターから出てくる同録のセリフと、L・Rやサラウンドから出てくる効果音とベース音。その親和性は、ダビングステージにおけるバランス調整のときに、各担当者たちがいかに話し合いをできるかにかかっていると思います。僕らの場合は、効果部やミキサーの浜田とかと話し合い、音のバランス調整をします。どの音が重要とかはありませんが、作品の大きな舵をとるのは、音楽と効果だと思います。僕らは、オフライン編集と呼ばれるほぼ同録の音だけの映像を観ることがありますが(たまに仮音楽がついていたりもします)、映画が立ち上がる瞬間は、音がついた時なんです。スタジオで、プリミックスというセリフ、効果、音楽を合わせて音を初めて出す日があるのですが、その瞬間。音のバランスは調整前ですが、バキバキと音をたてながらスクリーンから映画が立ち上がってくるのがわかる。各部がこんな音を付けてきたのか!と。

──そこから磨きをかけるのですね。
そうです。みんな、他の部署がこれくらいの音で出してくるんだろうなという想定のもとで仕込み作業をしてくるのですが、音楽が僕らの想定より大きくてセリフが埋もれてしまっていたり、同録の音が効果音を邪魔してしまっていたり、みんなで音を出して初めてわかる事が山のようにあります。なので、そこから調整します。その日はめちゃめちゃ楽しいですね。ちなみに今泉さんの作品はトーンをなるべく同録に寄せていくので、立ち上がり時の音は小さめです(笑)。

根本さんとリレコーディングミキサーの浜田洋輔さん(右)/写真:本人提供

──藤井組ではどのような流れなのですか?
藤井さんは各部の技師を絶対的に信頼してくれているので、音に関してもほぼ自分に任せてくれます。僕はサウンドディレクターとして、監督から方向性や大まかなイメージを受け取って、効果部やミキサーに伝えて指示を出していきます。通常、音のMIXをする時は、20分か30分ごとに作品を区切ります。20分(1巻)やったら戻って修正箇所をチェックして、1巻終わったら次、となる。フィルム時代からの名残です。でも藤井組は、毎日頭からケツまで通しで流します。そこで通しで観た監督の意見を聞いて、僕らは修正する。全体の音楽の置き位置や、音量のバランスといったものは、通しじゃないとわからないので、ある意味合理的です。ロール分けでやると、最初の方は各部探り合いながらやっているので、後半になってくると落ち着いてきます。だから、通して見ると、最初の方の音が大きかったり、小さかったりなんてこともしばしば。

ただ、藤井さんのように最後まで通しで見て修正するやり方の場合は、初日の段階ですべて観られるように調整しておかなければならないので、仕上げチームにとっては大変な作業ではあります。宿題を残せないと言いますか(笑)。でも藤井さんはめちゃくちゃクレバーな人なので、修正などが非常に明確で、僕とやるダビングはいつもスムーズに進みますね。

『ヤクザと家族 The Family』(1月29日(金)全国公開 ) 撮影現場での根本さん(左)と藤井道人監督/写真:本人提供

日本の録音技師は、現場からダビングまでひとりでやりきる人が多い。予算があれば仕上げ助手を雇ったりしますが。僕は6、7年やった時に、そのやり方に限界を感じました。それが、相棒の浜田と一緒にやっている理由です。ダビングステージという、映画のミックスをする場所は聖域で、その専門家がいます。世界的にいえば、リレコーディングミキサーという音のミックスだけを専門にやっている凄腕たちがたくさんいて。日本の技師は年間の半分以上現場に出て、残りの時間で仕上げの作業をしています。年上の人たちは経験値があるのでやれるのかもしれませんが、僕のようなキャリアもそれほどない人間がクオリティを担保する上で、リレコーディングミキサーという音のミックスを専門に扱う技術者をダビングステージに立てることによって、作業効率も質も格段に上げられます。最近は、3〜4日でミックスをやらなければならないようなこともしばしばで、ダビングは時間との戦いになります。費用対効果を考えると、自分より能力のある技術者を立てたほうが良いと僕は思います。

言い方は間違ってると思うんですが、映画監督と技術部は宇宙人と地球人的なもので、同じ日本語をしゃべっているけれど、映画制作的には別言語を話していると僕は思っています。監督の意図しているところをしっかりと汲み取り、仕上げチームの技術者たちに言語を変換して少ない時間の中で的確にディレクションする、監督自身もまだ見えていないイメージのようなものを具体化する通訳のようなことを行うのも、僕の仕事だと思っています。

『ヤクザと家族 The Family』撮影現場での根本さん(中央左)と藤井道人監督 (中央右)/写真:本人提供

──藤井監督の『新聞記者』のNetflixドラマ版にも参加されたとのことですが、配信と映画で音を変えたりするのですか?
配信作品に関しては、配信環境(自宅のTV、スマホなど)で観ることを前提に音を調整しています。また今回はNetflix側の納品規定というものがとても細かく決まっているので、それに準拠する形で制作しています。配信と劇場の音作りで大きく変えなければいけないのはレンジ感(小さい音と大きい音の幅)ですが、Netflixなどの作品だと5.1ch納品で、厳密には違うのですが劇場と同じようなレンジ感を目指して作ったりはします。劇場作品を作っている監督がほとんどなので、表現としては映画とほぼ同じ感じですね。

──仕事以外でもよく劇場で映画をご覧になるそうですが、最近気に入った映画はなんですか?
圧倒的に『花束みたいな恋をした』(21年)ですね。作品としてもすごいし、音としてもとても良い。日本で一番セリフがきれいに聞こえている作品じゃないですかね。『花束〜』って、僕が聴いた感じでは恐らくセンターからしかセリフが出てないんですよ。洪水のようなセリフとモノローグが頑なにスクリーンの真ん中からしか出てこない。最高でした。そして声のキャラクター調整も見事で、劇場で耳が喜んでいました。めちゃくちゃ聴きやすい声だった。僕が担当した『ヤクザと家族 The Family』(21年)も同日公開だったのですが、『花束〜』の録音をやっているのは、加藤(大和)さんという、僕の師匠なんです。加藤さんがこれを読んだら、「弟子にした覚えはない」とおっしゃると思いますが(笑)、僕が音の仕事をしていく上での基本を教えてくれたのも、ピンチのときにフラッと現れて大事なアドバイスをくれたのも、助手としてポンコツすぎて悩んでいた時に「いい助手がいい技師になるわけじゃないから、違う仕事なんだよ。根本は技師になればいいじゃないか」と背中を押してくれたのも、加藤さんです。僕にとっては一番大事な技師さんの一人です。

加藤さんが関わった作品ということを抜きにしても、あの映画はめちゃめちゃよかった。テアトル新宿という音が柔らかい劇場で観たこともあるかもしれませんが。『花束〜』は、『愛がなんだ』を引き合いに出されることが多いんですが、芝居しかない映画を2時間以上ちゃんと見せられる音づくりが出来ているのがすごい。言葉がちゃんと入ってくるのを劇場で感じました。映画を観てスタッフに連絡することはあまりないのですが、観終わった後に加藤さんやカメラマンの方に「良かったです」と思わず連絡してしまいました。

『ヤクザと家族 The Family』最終MIX風景(写真:本人提供)

──音の良い映画として記憶に残っている作品はありますか?
良い音響設計がされていると思ったのは、映画版の『ゲゲゲの女房』(10年)ですね。家の居間のシーンが多いのですが、居間に柱時計がかかっていて、家のどこにいても柱時計の音が聞こえて。家の全景は映りませんが、柱時計の音の距離感で家の広さがわかるように作られていて、細かいなと思いましたね。

映画は最初の”黒み”からワンカット目にどういう音が出せるか、が勝負だと思います。『すばらしき世界』(21年)は、1カット目から作品の世界に行けるように作られていて素晴らしかった。それは録音の白取貢さんと北田雅也さんという音響効果の方の親和性の高さの象徴ですし、このお二人が担当する作品はいつも1カット目から驚かされます。個人的に僕は北田さんの大ファンで、北田さんは塚本晋也監督の作品もやっていたり、インディーズからメジャーの大作までやる”音の殺し屋”みたいな人です。北田さんの作品経歴を追うだけでも、音好きにはたまらない体験ができると思います。

──没入感というと、IMAXや3Dなどは映像に特化して語られがちですが、実は音の効果も大きいですよね。
なぜみんなが音の話をしないかというと、作り手が変に音だけを意識させないように作っているからだし、音は目に見えないからだと思います。僕は意識外から攻撃するのが音の仕事だと思っていて。(観客が)気づいたらそこに連れて行かれている、という状態を作るのが僕らの仕事。気づかれないってことが良いこと。毒を盛るようなものなのです。楽しくお喋りしていたら、毒を盛られていて動けなくなっているような。

──先ほどキューブリックは2chモノラルで作っていたとおっしゃっていましたが。
キューブリックは劇場構造やフォーマットの変化で音の伝わり方が変わってしまうことを、何十年も前に気づいていた人。すごいと思います。自分が死んだ後も作品は残る(時代に振り回されるフォーマットは使わない)ということを強く意識していたのだと思います。『フルメタル・ジャケット』(87年)がモノラルだったとは、言われるまで気が付かないですよね。

──個人的に行く映画館をいくつか教えてもらえますか?
アクション系はバルト9に行く事が多いです。音にパンチがあるので。音響が単純に良いところは、TOHOシネマズの系列ですかね。もちろん劇場によってシステムが違うので一概には言えませんが、バランスが良いと思います。劇場によっては、僕らが作っている作品のベース音より空調の音の方が大きかったりすることがあって、そうなると見に行った時にギョエーってなります。

──最近は爆音や極音上映もありますが、どのように感じていますか?
「極音」は一流の技術者の方が立川(シネマシティ)まで行って調整しているみたいなので、それは素晴らしいと思います。先日シネマシティで『ザ・ロック』(96年)の極音上映を見たのですが、最高すぎて涙が出ました。

「爆音」に関しては、僕らは爆音で聞こえた方がいい音に関しては、劇場環境で聴いた時に爆音になるように調整しているので、さらに音量を上げる必要性がないというか。前述した音響効果の北田さんがやっている塚本晋也監督作品などは、通常上映で観てもめちゃくちゃ爆音で。劇場で『斬、』(19年)とか『KOTOKO』(11年)を観たときは、心象的な演出も相まって頭がおかしくなるんじゃないかと思いました、最高の映画体験です(笑)。なので、なんでもかんでも音を大きくして観るというのは、僕らの意図からズレていきます。いちばん美味しくいただける状態で、僕たちも作っているつもりです。

問題は、劇場が”美味しい”状態で提供できる環境になっていない場合があること。昨年、『街の上で』を先行上映した際、音の調整をしに、午前中から劇場にお邪魔しました。音がちょっと変だなと思い、映画館がオープンするまで15分くらいずっと聞いていたのですが、単純に言うと女の人の声がダブっているように聞こえたのです。冒頭に入るモノローグも違って聞こえていて。でも昼過ぎの本上映で観たら、正常でした。あれは朝一で冷えた状態から立ち上げてすぐ音出したための、アンプとスピーカーの問題だったのではないかと思っています。ただこれは自分で作ったから分かる違いであって、一般の観客の方にも違和感が伝わるわけではありません。

音響機器って車のタイヤとかと同じで、温まるまで最高のパフォーマンスを出せないものがあります。某試写室は、午前中は低音があまり出ない傾向にあって、そこで試写をやる場合は、「午前中に1回”空回し”して、13時から試写にできませんか?」とプロデューサーさんに相談したりします。そうするとアンプが温まって、ちゃんと音が出るんです。

ダビングステージにて(写真:本人提供)

──映画館に行くときも、午後からが正解で?
個人的には午前中の早い回に映画を観に行く事がほぼないので考えた事がありませんでしたが、少なからずあるとは思います。機械も疲れてくるので、夜遅くはやめようとか(笑)。

──音響的にはどの辺りの座席がベストだと思いますか?
僕らが音をミックスするときのスタジオのサイズ感は、劇場で言えば100〜200席くらいだと思います。これも様々な状況で作品ごとに変わる事なので、一概には言えませんが。僕らが音を確認している場所は、スクリーンからの距離でいうとF列くらいでしょうか。劇場の形にもよりますが、G、H列くらいが真ん中だとすると、F列はちょっと前寄り。単純に僕ら意図している音圧で聴くのを良しとするならば、センターよりちょっと前目が良いのかなと思います。

劇場構造については、僕もまだ勉強中です。手掛けた作品は公開後に劇場へ観に行きますが、やはり少しニュアンスが変わってしまっている事がほとんどで、これは仕方のない事なのですが、僕ら録音技師だけじゃなく、監督もそう感じていると思います。なので、特に単館公開の時は、僕は劇場に行ってせめて音量だけでも確認するようにしています。

──ちなみに、子どもの頃から映画好きだったということですが、マイベストは何ですか?
邦画だと『蒲田行進曲』(82年)が一番好きです。未だに映画を作っている人たちに憧れているので。僕は、最後には「これは映画です」と言ってくれる作品が好きで、『蒲田行進曲』は最後に素晴らしい形でそれをやってくれる。2時間観てきたものが、「映画だったのだ」と思わせてくれるのは最高ですね。

洋画は、ポール・バーホーベンとかが好きですね。トラウマ的に焼き付いているのは、『スターシップ・トゥルーパーズ』(97年)。超好きです。小学生の時に親と一緒に入ったラーメン屋の雑誌に試写会の応募があって、送ったら当選して、親と一緒に浦和のヴェルデ(東宝)あたりに観に行きました。バーホーべンが誰なのか、当時は知りませんでしたが、「映画ってスッゲェな」と思わせてくれた。子どもの頃から何十回と観ている映画がいくつかあるのですが、その1本ですね。前述した『ザ・ロック』もオールタイムベスト級に好きな作品の一つです。

Photo by 小島悠介

根本飛鳥(ねもと・あすか)
1989年、埼玉県出身。映画好きだった父の影響で幼少期より多くの映画を観て育ち、映画監督を志す。多摩美術大学造形表現学部映像絵演劇学科に入学。在学中より、自主映画の制作を始める。19歳の時に録音に興味を持ち、録音助手として大小様々な現場でキャリアを積む一方、多くの若手監督のインディーズ映画に携わり、現在に至る。『サッドティー』(13年)以降、数多くの今泉力哉作品に参加。主な参加作品に、『ミスミソウ』(18年)、『愛がなんだ』(19年)、『こはく』(19年)など。

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『街の上で』(英題:Over the Town)

下北沢の古着屋で働いている荒川⻘(あお)。⻘は基本的にひとりで行動している。たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり。口数が多くもなく、少なくもなく。ただ生活圏は異常に狭いし、行動範囲も下北沢を出ない。事足りてしまうから。そんな⻘の日常生活に、ふと訪れる「自主映画への出演依頼」という非日常、また、いざ出演することにするまでの流れと、出てみたものの、それで何か変わったのか わからない数日間、またその過程で⻘が出会う女性たちを描いた物語。

監督/今泉力哉
脚本/今泉力哉、大橋裕之
出演/若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚、成田凌(友情出演)
音楽/入江陽
主題歌/ラッキーオールドサン「街の人」(NEW FOLK/Mastard Records)
プロデューサー/髭野純、諸田創
制作プロダクション/コギトワークス
特別協力/下北沢映画祭実行委員会、下北沢商店連合会
製作幹事/アミューズ
2019/日本/カラー/130分/ヨーロピアン・ビスタ/モノラル

日本公開/2021年4月9日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
製作・配給/「街の上で」フィルムパートナーズ
配給協力/SPOTTED PRODUCTIONS
公式サイト
©「街の上で」フィルムパートナーズ