Column

2021.04.08 17:00

【単独インタビュー】今泉力哉監督が『街の上で』で描くドラマのない日常のリアリティ

  • Atsuko Tatsuta

新世代の恋愛映画の名手・今泉力哉監督の『街の上で』は、とある古着屋で働く青年をめぐる恋と友情を描いた物語です。

下北沢の古着屋で働いている荒川青(若葉竜也)は、恋人の雪(穂志もえか)にフラれたばかりでまだ未練がある。そんな時、美大に通う町子(萩原みのり)が監督する自主制作映画への出演を依頼されるが──。

『愛がなんだ』『his』『あの頃。』など話題作を立て続けに発表している今泉力哉が、共同脚本家に漫画家の大橋裕之を迎えたオリジナル脚本による本作。小劇場やライブハウスなどが多く並ぶ、ミュージシャンや俳優にも馴染みが深い“文化の街”下北沢を舞台にした群像劇です。

主人公の荒川青を演じるのは、『愛がなんだ』や『あの頃。』などの今泉映画で注目を浴びる実力派・若葉竜也。青の元恋人・雪役には『少女邂逅』の穂志もえか、青に映画出演を依頼する美大生の町子役に『お嬢ちゃん』の萩原みのり、青が通う古書店の店員・田辺役に『十二人の死にたい子どもたち』の古川琴音、自主制作映画の衣装係・イハ役に新星・中田青渚と、フレッシュな女優たちが顔を揃えています。また、『愛がなんだ』に主演した成田凌が重要な役で友情出演しています。

コロナ禍で公開延期から約1年、”今泉映画の最高傑作”とも評される新作の劇場公開を前に、監督がインタビューに応じてくれました。

Photo: Kisshomaru Shimamura

──『街の上で』は、”下北沢で撮る”というプロジェクトから始まったとのことですが、出発点はいつ頃になるのですか?コロナ禍で公開も1年延期となってしまいましたが。
撮影していたのが2019年だったので、話をもらったのはもっと前、17年か18年ですね。毎年秋にやっている下北沢映画祭の第10回目、18年の10月にお披露目できるものを作れないかと。でもちょうど18年は『愛がなんだ』(19年)とか『アイネクライネナハトムジーク』(19年)の撮影が決まっていたので、18年10月の映画祭で製作発表を行って、翌19年秋、第11回の時にお披露目するというので作り始めたのが、この映画になります。

──監督自身は下北沢に思い入れがあったのですか?
福島県の出身で、その後は名古屋とか大阪とかに住んでいたんですけど、下北沢には、文化の街、音楽や演劇、若者の多い街という印象を持っていました。単純に名前に対する憧れもありました。また、都内から離れた地に越してから、都心での仕事の際に下北沢にほど近い(『街の上で』の)プロデューサーの髭野(純)さんの家で寝泊まりするようなことも増えて。東京に住んでいた頃よりも、下北沢で遅い時間まで飲み歩いたりすることが増えたりして、いろんなお店を知りました。劇中でも、この映画のために訪れたり探した場所というよりは、飲み屋とかは基本的に自分が頻繁に通っていて、お店の人も知っている場所をダメ元で制作部に交渉してもらったらほぼOKが出て。脚本段階でも、知っている場所などから当て書きで作っていく感じでしたね。

──本作は、漫画家の大橋裕之さんとの共同脚本によるオリジナルストーリーですね。脚本は、どのように作り上げていったのですか?
この映画は低予算で、お仕事、というような作品ではなかったので、せっかくなら自分のモチベーションをあげたくて、自分が楽しむために、大橋さんに手伝って欲しくて頼みました。大橋さんは2006、7年からの知り合いです。コメディ的な部分も含めて、彼の作品はすごく好きです。

とはいえ、脚本を一緒に書くのは難しいので、自分がほぼ書き、書いたものを定期的に読んでもらって意見をもらう、という作り方をしていきました。青のひとりでの時間の過ごし方──例えば、学生映画に出演依頼を受けた後に部屋で(練習のために)自撮りをしてみるのとかは、大橋さんのアイディアだったりします。本当に、スパイス的なものをいっぱい入れてもらいました。あとは、大勢の人が集うコミカルなシーンなどは、僕ひとりで書いていたらちょっとコントっぽかったり、やりすぎのように思えて、削っていたかもしれないのですが、そういうのを、笑いとかの部分ですごい信頼を置いている大橋さんが、「いや、ここは消さない方が良いよ」と言ってくれて、ストッパーにもなってくれたので、あのシーンが残りました。

今泉力哉(監督・脚本)、大橋裕之(脚本)

──『あの頃。』(21年)でも、劔樹人さんの自伝的コミックエッセイをもとに、映画監督でもある冨永昌敬さんが脚本を書かれていました。ご自分ひとりで脚本を書くより、誰かに入っていただいた方がやりやすいですか?
オリジナルだったら、本当はひとりで書く方が楽ですけどね。今まではひとりでしかやっていなかったし。原作がある時は、あとから手を入れさせてもらうことを許してくれる脚本家さんに書いてもらって、直していくという方法を取っています。

自分には、原作がある作品の脚本をいちから書くという能力がないんですよ。過去に何度か挑んだのですが、書けなくて。縮めたり構成し直す作業は、ある種残酷な”切り落とす”作業でもあるので、自分には出来なくて。だから誰かに入ってもらった上で、セリフとかは直させてもらいます。

──『あの頃。』の冨永昌敬さんは映画監督もされている”同業者”で、お互い個性もある中でなかなかすごい組み合わせだと思いますが、それでもお願いしようと思った理由は?
冨永さんは憧れの先輩です。他人の脚本なんてやられていないので、やるわけがないと思っていたんですよ。でも(『あの頃。』の)プロデューサーは冨永さんと一緒に仕事をしたことがあって、「アホなふりして聞いてみましょう」と言って、それで聞いたみたら、時期的なこと、内容、原作の魅力もあって、やってくださることになって。

冨永さんはすごかったですね。関係性的に何度もお願いしたりはもちろんしにくいですが、今も新しい原作の話が来た時には、「冨永さん、またやってくれないかな」と思うぐらいすごくやりやすかったし、本当に良い相互作用があったと、俺は思っています。向こうは”もう勘弁してくれ”と思っているかも知れませんが(笑)。

──よかったというのは、どの辺りが?
『あの頃。』に関しては、冨永さんの方がちゃんと下世話な部分も残せる人で、バランスが良かった。また、ワンシーンワンシーンをあまり伸ばし過ぎないで積み重ねられたのも冨永さんの手腕です。俺はどうしても一つのシーンが……『街の上で』とかで顕著ですけど、ワンシーンでずっと留まることが多い。『あの頃。』はそういうテンポ感の映画じゃないと思っていたので、そこはすごい良かったです。あと、脚本上は100分ぐらいにしてというプロデューサーの意向の通り、ちゃんと100分にするところとか。俺だったら確実に尺が延びてしまっていました。

Photo: Kisshomaru Shimamura

──『街の上で』には、監督の考え方やライフスタイルが投影されているのではという印象もありますが。
オリジナルで作品を作る時とかは、主人公がいろんなところに積極的に混ざっていったり、目的を持って生きていて、何かを達成するために頑張ったりするような人を、あまり描きたくなくて。『街の上で』も主人公は基本受け身。ただ受け身でいる。自分がそういう人間なので、そこは自分自身が投影されていますね。

でも、それって、物語の作り方としては本当に難しい方法をとっているんですよ。わかりやすく起承転結があったり、主人公が何かを手に入れるために頑張るという物語の方が作りやすいと思うんですけど、そういう作品はすでにいっぱいあるし、あまり興味がない。シナリオを書く時は、”主人公に何か目的があるべき”だと言われるくらい、そっちがセオリーなんですけど、そうじゃない映画で面白いものを作りたくて。

『街の上で』は、主人公が彼女に浮気された上にフラレて、相手の名前も教えてもらえなくて……みたいなところから始まっていますけど、普通に物語を作るとしたら、その相手が誰かを一生懸命探す話になったりする。そういう方法もあるけど、そういうことじゃないんですよね、俺が作りたいものは。

──今泉監督のキャリアの中で一つの転機となった『愛がなんだ』も、原作がありながらも、やはりそういう従来の物語作法から外れたタイプの作品だと思います。『愛がなんだ』という作品に出会ったことで、クリエイターとして影響を受けた部分や新しく見出した部分は?
それまでの作品は熱量が低いというか、倦怠期だったり、上手くいかない恋愛だったりをずっとやっていたのですが、『愛がなんだ』で、”相手をまっすぐに好き”みたいな強さのある人物を描いたのは大きかったですね。そういう話の終着点って、基本的には両思いになったり、きちんと思いを伝えてフラれても前向きに一歩進めたり、みたいなものが多い気がするんですけど、あれだけ(主人公の)思いが強いのに空回ったり、成長しなかったりというのは、あまりやってこなかった部分でした。『あの頃。』は、”推し”という言葉に代表される、熱量高く相手を思う人の話だった。『あの頃。』の前に『愛がなんだ』を作れたのは大きかったですね。

主人公が何かを手に入れて終わる物語というのは、もちろんお客さんとして観ていて元気をもらえたり、自分も頑張ったらそういう風に変われるかも、手に入れられるかもといった勇気の与え方はできるかもしれません。一方で、『愛がなんだ』は結局主人公が何かを手に入れるというよりは、別に変わらないまま突き進んで行き着くところまで行き着くみたいな話です。主人公がダメだったり上手くいっていないのにそのまま映画が終わると、自分のダメな部分とか上手くいっていない部分はそのままで良いと言われているような、肯定感が生まれる。”あっ、こんなダメな自分も主人公として存在できるんだ”じゃないけど…自分はそっちがやりたい。だから本当に、そこら辺にいる人も主人公になるというか、何もドラマがない日常でも全然映画になったりする。そこを見ている人が誰かいるというのは、すごく意味のあることだという意識がどんどん上がっていってますね、最近。

──恋愛映画が人気になった80年代、90年代あたりは、いわゆるダメ男やダメ女的な人物像が流行りましたが、そこでは上手くいかない恋愛にも失恋の美学があった。今泉さんが今おっしゃった、カタルシスのない物語だったり、一般的な評価からすればダメかもしれないけどそこを肯定しているのが、今泉さんが近年絶大な支持を得ている理由なのかなと思います。今泉さんももう40歳近くかと思いますが、今の若い世代からのフィードバックを受けて思うところとかはありますか?
今の日本映画ってあまりにも自分たちの恋愛と等身大というか、近しいものを描いた作品が少ない。映画だけでなく、ドラマにしろ。もっと自分事として観られるものが増えていいという思いはあったし、でも“それがないから作ろう”というよりは、自分が興味があって作っていたものが、たまたまそういう映画だっただけで。うまくリンクした感じですかね。だから俺がやってることは20代の頃から変わっていないというか、自主映画の時からずっと同じことをやっているので、『愛がなんだ』が広がった時も、狙って作ったりとか、”ヒット作を作るぞ”みたいなモチベーションよりは、原作はありつつも”今までのような一本”だったので、やったー、みたいな感覚よりも、”あっ、これでもちゃんと届くんだ”という安堵がありました。『愛がなんだ』のヒットを受けて一番嬉しかったことは、そのことをきっかけにして、自分の過去作を観てもらえるようになったこと。過去作で観られて恥ずかしいものを作っていない自信はあったので。

ただ、若い人のことは…わからないですかね。触れ合う機会がほぼないので。今回の映画で、イハという女の子の家で、青とイハがお互いの恋愛話をするシーンがあるんですけど、あのシーンを試写とか先行上映時に観た時に、多分他の監督には作れないだろうなという時間になっている自信があった。ただ一方で、あの若い男女のシーンを、もう40歳の俺が書いているというのはどうなんだろう、という思いも自分の中に芽生えました(笑)。「え、いい歳したオッサンがこのやり取り書いてんの、大丈夫?」みたいな(笑)。

あと、恋愛については、それこそ『his』(20年)で同性愛の話も作りましたが、基本的に恋愛をしている、していないとかは、どっちでもいいと思っているんです。好きな人が出来ない人もおそらく今はたくさんいると思うんですけど、それが何でいけないのかがわからない。結婚が絶対でもないし、でも結婚が絶対と言う人がいてもいい。こういう議論って、新しい選択が正しいのではなくて、ただ単純に選択肢が増えていけばいいだけなのにな、といつも思っています。自分は人を好きになるけど、好きな人がいない人をおかしいとは思わないですね。

──これまで今泉監督が十数本撮られた中でも本作は最高傑作だと言っても過言ではないと思います。今泉監督のオリジナルの物語をもっと観たいという期待もありますが、いかがですか。
今回もオリジナルですが、自分からこの物語を書いて下北沢映画祭に持ち込んだわけではなく、依頼されて作っている。今後制作が控えている作品には、原作ものもオリジナルものもありますが、全部受け仕事なんですよね。受け仕事でオリジナル、ってどういうことかと言うと、基本的には主演が決まっていて、その人で好きに書いてください、っていうオーダーのされ方なんですよね。例えば『パンとバスと2度目のハツコイ』(18年)はオリジナルですが、あれは深川麻衣さんで何か映画を作ってもらえないですか、という依頼でした。

今控えているものの中にも…ちゃんと動くかはまだわかりませんが、とある人が主演で、内容は好きに書いてください、というものがあります。「好きに書いて」と言いつつ、好きに書いたら、「これはちょっと…」といった反応は全然あるんですけどね。『街の上で』もそうですけど、オリジナルでやるからにはやっぱり、自分の考えや思想もめちゃくちゃ取り入れますね。次のオリジナル作品は、浮気とか不倫といったことが主題になりそうです。取り沙汰されると芸能人でも政治家でも一瞬で業界から消えていったりとか、あるじゃないですか。ああいうことに対するクエスチョンがずっとある。それは結果だけを見ているのでは、と。そこに至る過程や関係を見ると、浮気とか不倫をしていても全く楽しくない人や罪悪感、また思いの差、より今の恋人の良さを知る、などいろんな局面があると思うんです。そういうよくないこととされている恋愛についての葛藤などを描く話を準備しています。

──恋愛をテーマにした作品が多いのには何か理由があるのですか?
単純に恋愛に興味があるからです。ただ、映画を観てくれている人とか友だちから、「今泉の映画って恋愛映画というか人間関係の映画だよね」みたいなことを言われるとすごい嬉しい。やっぱり恋愛はいちばん人間が出る部分だったりするのかなと。

また、恋愛ものって世界共通だったりとか、みんなが経験していたりという意味で、入り口としてすごくわかりやすい。映画は全く知らない世界にふれる面白さもあるけど、恋愛はみんなが知っている部分でもある。だけど、共感を得るために恋愛映画を作っているのではなく、前提として自分の興味がそこにある。これが大切なことだと思っています。

──日本では今泉さんよりもうひと世代か2世代上の方たちから、学校で映画制作を学んで監督になる方が増えてきたわけですが、そうすると、勉強する中で観た映画から影響を受けることがすごく多い。今泉さんはどういう恋愛映画や監督から影響を受けたのですか?
もともとは、恋愛映画はそんなに観ていないんですよね。日本映画、外国映画に関わらず、監督名を一番最初に覚えたのはクエンティン・タランティーノ。日本人の監督で最初に意識して、監督名で次々にその人の作品を観たのは北野武ですね。家にダビングしたVHSテープがほぼ全作品ありました。

映画を作り始めるようになり、実際に監督と面識があって一番影響を受けているのは山下敦弘監督。相当影響を受けていると思います。あと犬童一心監督の『ジョゼと虎と魚たち』(03年)は、大きかったですね。大学を卒業して、一年間映画から離れた時期があったのですが、その後、映画学校に通い直すことにした時期に映画館で『ジョゼ〜』を観て、もう映画って本当にすごいと思って、やっぱり映画をやろうという意志が固まりました。

あとはジム・ジャームッシュとか、人から言われるようになってホン・サンスとか、一番最近だとエリック・ロメールを観返したりだとか。いろいろ遡って観ています(笑)。

──是枝裕和監督などの世代だとむしろロメールとかフランソワ・トリュフォーとか、フランスのヌーヴェルヴァーグの影響をまず受けていると思うんですけど、今泉さんの世代だと、むしろ60年代、70年代に今遡るというケースもあるんですね。
短編で恋愛映画を撮っていた時に、映画にすごく詳しい同世代の監督に「ロメールとか好きでしょ」と言われて、「ロメールって誰ですか?」って(笑)。ヌーヴェルヴァーグは基本的には退屈で難しくて寝ちゃってました。(ジャン=リュック・)ゴダールとかトリュフォーとかはもちろん面白い映画もあるけど、基本的には難しいしわからないようなものが多くて、全然ドハマリしてなかったですね。(クロード・)シャブロルとかは好きでしたけど。日本で言うなら増村保造監督ですよね。

うちの奥さん(今泉かおり)も監督してるんですけど、奥さんはそういった映画、ヌーヴェルヴァーグ周辺のフランス映画もよく観ているし、『ミッション・インポッシブル』とかも大好き。彼女の方が俺よりも映画の知識も教養もある。俺は今では本当にアクション映画もホラーもサスペンスも観ないし、ハリウッド大作系もことごとく観ない。めちゃくちゃ偏食ですね。

Photo: Kisshomaru Shimamura

──今泉監督の作品では女性のセリフも上手くて、かなりリサーチされているのかなと思ったのですが、奥さまの影響が大きかったり?
リサーチはまったくないですね。妻もそういう女性っぽい女性かというと、そうでもないし……。これは俺が、恋愛経験が多いわけじゃなく、むしろ少ないからこそ、これまでの彼女に言われた言葉とか、彼女との間にあった時間をほぼほぼ覚えているんですよ。それを結構使っています。昔、彼女から言われた言葉をそのまま映画に使うことはよくあります。映画『mellow』にも『愛がなんだ』にも『街の上で』にも、もちろんあります。

経験したことって、すごく大きいと思います。それを使用すると、リアリティの強度が全然違うんですよ。例えば観た人100人中100人が「女の人はこんなこと言わない」「こんな関係ありえないよ」と言っても、俺が経験していると、「いや、俺、そういう経験あるんで」ってなる。また、マスに向けて作るのではなく、たった一人の具体的な人に向けて作ると、実はすごく広がるという実感があります。

──その話は、マーケティングでヒット映画を作れると思っている方々に聞かせたいですね(笑)。
本当にそれはいつも思います。宣伝部とかプロデューサーと話す時に、例えば「ターゲットは20代女性」と言われたら、「20代女性って言っても1人ひとり違いますよ」と言います。自主映画を作っている時に一度、好きな人に出てもらったことがあったんですよ。その時は編集とかも全力を尽くして、めちゃくちゃ面白い映画にして、初めて賞をもらったりした。その話を荒井晴彦さんや斎藤久志監督の前でした時に…その人達はみんな俺の映画を認めていなくてはじめのうちはディスっていたんですけど、俺が「好きな人に出てもらって…」と言った瞬間、もう全員が「俺らの世代とやってること一緒だな」となり、みんな仲間になってくれた。結局、具体の一人に向ける、好きな人に出てもらって作る、そうすると映画が面白くなる、というのは、みんながずっとやっていることですよね。それこそ、ゴダールだってそうです。

──今は誰に向けて映画を作っているんですか?
やっぱり作品を作るときは、意外とその役者だったりもします。あと、自分自身は絶対に意識していますかね。例え、とんでもないヒット作を作っても、それが自分で面白がれない映画だったら、地獄だと思う。だから、絶対に自分が最低限納得できる映画には仕上げています。あとはその作品ごとに(観て欲しい人を)見つけようとしていますかね。

──第1の観客が自分の時もあるし、そうじゃない時もある、と。
ありますね。それで言うと、『街の上で』は”街”かな。下北沢にいる人、とか。それも漠然としちゃうけど、それこそどっちかというと、今の自分というより、昔本当に下北沢に憧れたり、初めて来た下北沢という場所に高揚感を持っていた時の自分が観て納得するものにはしたかったかも、ですね。

Photo: Kisshomaru Shimamura

──『街の上で』というタイトルはシャガールの絵画からとったのですか?
それもありました。後付なところもあるけど、本当に最初は何も固まっていなかったんですよ。だから、なんでもいけるタイトルにしようと(笑)。それでいうと、俺も忘れていたことなんですが──『街の上で』の脚本を執筆していた時期に、田中圭さんに出てもらった『mellow』(20年)もオリジナルで脚本を書いていて、『街の上で』の仮タイトルが『mellow』だった時もあるんです。『街の上で』の企画書に『mellow』と書いていた。その言葉に惹かれていたんでしょうね。「あっちはより商業的な作品だから、仮タイトルが”mellow”でも、最終的には『わかりやすい日本語に直しましょう』となって絶対”mellow”じゃなくなるだろうから、こっち(『街の上で』)が”mellow”になりますよ」とか言っていたら、あっちが『mellow』のままで決まってしまった(笑)。

でも『街の上で』というタイトルはすごく気に入っています。シャガールの絵画の英題「Over the Town」からとって、この映画の英題もそうしました。最初、翻訳家の方からは、「over」という言葉は本当にあの絵画にもある通り、空の上とか宙に浮いていることになってしまい、地に足をつけて生活している人という感じは出なくなるかも、と指摘されたんです。でも、劇中では古本屋の店主が亡くなったりしてますけど、住んでいる人だけじゃなくて、漂っている人とかの視点、変わっていくものや”いないもの”の視点もあっても良いのでは、それなら絵画と同じタイトルで良いのではと思い、この英題をつけました。

──海外の監督にインタビューすると、コロナ禍もあり、どんどん予算が厳しくなっているという話を聞きます。が、今泉さんがこんな素晴らしい作品を低予算で撮ってしまうと、今泉さんは低予算で良いという印象を持たれてしまうのでは?
(爆笑)。本当に昔からそういう課題、問題はありますよね。それこそ、『サッドティー』(13年)は『街の上で』よりも予算がなかったのですが、今まで一番数多く一緒にやっているカメラマンの岩永(洋)さんの家でカラコレ(カラーコレクション=画の色調整)や仕上げ作業をして、完成に向かっていった時に、「今泉さん、これもう世に出すのやめた方が良い」「この予算、この規模で面白いもの作ったらダメです」と言われたのを覚えています(笑)。その言葉って最大の評価だけど、でもそうだよな、とは思いました。その後は、そのぐらいの規模感で──『サッドティー』は7日くらいで撮ったので、『サッドティー』くらいの撮影日数でこの予算でお願いしたいのですが、みたいな言われ方もしました。でも”ザ・商業”っていう規模感の映画では、役者のケアとか、いろいろなことを考えたら、絶対にその予算で作るのは無理なので。

Photo: Kisshomaru Shimamura

──最近はポン・ジュノがカンヌ国際映画祭やアカデミー賞を受賞したこともあり、日本映画もアカデミー賞を獲れるのかといった質問もよく受けます。『パラサイト 半地下の家族』の製作費は15億円程と、日本映画と比べると遥かに高いわけですが、作品の質や撮影現場の環境を考えたら、日本映画の製作費ももっと増やさないといけないのでは?
本当にそうだと思いますよ。それに海外との比較だけでなく、日本のもっとお金があった時代との比較もした方がいい。例えば、相米(慎二)さんの映画『お引越し』(93年)は、ファーストカットか2カット目あたりかな、部屋で3人で食事をしている何気ないシーンなんですけど、三角形のテーブルに寄った画から引いていくカットを観た瞬間に、「わあ、カネ!」って思いましたからね。「予算があるな〜!」って。相米さんの才能とか技術云々の前に、照明とかあの構図とか、これってお金がないとこの画は作れないじゃんって思いました。本人たちに言わせれば、あの当時もお金がなかった、となるかも知れないけど、今より絶対ぜんぜんあった。だから、予算はあった方がいい。当たり前です。お金がない部分をアイデアでクリアしよう、みたいなことを言う人がいますけど、あった上でさらにアイデアを出した方が、そりゃいいものができますよ。

まあ難しいところなんですよね。俺はぶっちゃけて言うと、無茶苦茶予算があるものを作りたいわけでもないし、数億円のものとかにあまり興味はない。ただ、俺の作品みたいな映画ばかりになってしまうのもヤバいと思っていますし。あと、日本映画はド大作、エンタメ作品にこそ、もっともっとお金が必要だと思うんです。ちゃんとお金をかける映画、5億、10億かける映画とかでも──例えば『キングダム』(19年)とか、本当に倍の予算があったらなとか思っちゃいましたね、観てて。そんな金額であんな大作を作っているのは、日本だけですから。

──それで言うと、例えばマイク・リー監督は「僕の作品はすごく低予算のインディなので…」と言いながら、製作費は10億円以上と、地味に見えてもやっぱりお金がかかっている。ソフィア・コッポラとかも、日本でゲリラ的に撮った作品でも5億円近くかけている。
いや、マジで笑えない話なんですよね。今は深田(晃司)さんや濱口さんがカンヌ映画祭やベルリン映画祭などで評価されていますが、深田さんから『淵に立つ』(16年)の仕上げについて聞いた話ですが、フランスとの合作を経験して、日本側の製作体制の貧しさと、手厚い助成金できちんと技術スタッフが雇用されるフランス側の座組内格差を実感したと言っていました。また、技術スタッフに限らず、監督、スタッフ、俳優、あらゆる面でフランスの人件費は日本より高いとも言っていました。

韓国に関して言うと、国の支援も相当あるし、ある時からハリウッドのような体制を取り入れて、興収が制作会社だったり作り手側にちゃんとバックされるシステムが構築されている。まあ全ての作品がそうじゃないとは思うけど、そういう体制がベースにあるから、大きい映画が作れたりする。ロケハンとかにもポン・ジュノはすごく時間をかけると言うし、そういうことは大事な気がします。

Photo: Kisshomaru Shimamura

俺も以前は、お金の仕組みについて全く分かっておらず、制作部とか、もうちょっとロケ場所探すの、頑張ってくれよ、とか思っていたんです。ほかの映画のために見つけた場所や、すでに貸してくれることがわかっているストックから提案せずに、この映画のために撮影場所を探してくれよ、と。でも、制作部からしてみると、「いや、俺らだって1ヶ月、2ヶ月もらえたらできるよ」という状況で。結局、予算の関係で制作部の合流がギリギリになって、ロケ場所を探す時間が十分にないんですよ。自主映画ではその作品のためにロケ場所を探すのが当たり前だったのに、商業映画をやりだした途端、制作部さんが持っている、今まで使った場所とかのストックから出されると、「この映画のために一番いい場所を探してくれよ!」と悲しい気持ちになっていたんですが、それは制作部のせいじゃなかったということに気づいて。でも、そんなの最悪じゃないですか。なんで自主の方がいいロケ場所、探せるんだよっていう。

──『パラサイト』では、貧しい一家が住む半地下の家も、裕福な社長宅も建てていますからね。貧しい方の家は大きいプールの中に町ごと作っていますが、そこにお金をかけることであのビジュアルが出来ているわけで。本当に日本もそこを頑張ってほしいと思います。
川島雄三監督の『しとやかな獣』(62年)は、(舞台がほぼ)団地の一室だけですけど、セットでないとそこからは撮れないというようなカメラポジションが大量にある。”日常劇だから低予算でできる”ってわけでもないんですよね。

俺も贅沢なことはしたいけど、作り物にお金をかけるというよりは、作り物に見えない方にこだわることにお金をかけてみたいですね。例えば、おばあちゃんが映り込むとか、そういうのを全部仕込みでコントロール出来るくらい贅沢な予算があれば、やってみたいです。あと、単純に日数をかけてゆっくり撮りたい。

──黒澤明監督の完璧主義には共感しますか?
共感、、、どうでしょうね。俺の頭にあることを全部具現化したいという意識はそんなにないので。というか、俺の頭の中には、完成図はないので。偶然性とかは取り込みたいんですよね。一方で、黒澤明だったり、(ミヒャエル・)ハネケとかもそうですけど、やっぱりああいう全部をコントロールしているような映画の強度とか魅力もわかるので、もちろんいつかは、という憧れはあるにはあるのですが。

 

Photo: Kisshomaru Shimamura

──本作の録音を担当された根本飛鳥さんの話を最近たまたま聞く機会があって、とても面白かったのですが、『街の上で』の音がモノラルなのにはどんな理由があるのですか?
根本とかと話している中でそうなっていったというのもあります。二ノ宮隆太郎という監督がいて──釜山とかロカルノ(映画祭)でも作品が上映されているのですが、濱口さんとか深田さんとか、三宅(唱)さんに続いて、本当にもうすぐにでも海外で評価されてもおかしくない若い監督なのですが、彼の映画も根本が録音していて、確かモノラルなことが多いんです。ある種のミニマムさとか、近さとかも、二ノ宮の映画から魅力として感じていたので、真似た部分があります。

俺は音に関して、ステレオとモノラルと5.1chの違いとかもよくわかっていないんですけど、俺は普段から音が”回る”必要がある映画をあまり作っていないので、モノラルでやってみようかという話になりました。楽曲とか歌もあるけど、ライブの弾き語りも音楽も”ドカン!”みたいな音じゃないので、それで良いのかなと思って、相談してモノラルで作ったという感じでしたね。低予算ゆえにモノラルにしたわけでもないし、例え予算がすごくあっても今回はモノラルを選択していたと思います。

──昨年『ようこそ映画音響の世界へ』というドキュメンタリー映画が公開されて監督らにインタビューした際、映画の”没入感”という話をする時にはストーリーと映像にとらわれがちだけど、実はサウンドデザインが大事だし、モノラルでも没入感は作れるという話が印象的でした。
本当にそう。そういうことで言うと、根本は俺の作品をいっぱいやってくれているからわかっていると思うけど、たぶん他の監督と俺は音に対する感覚とかこだわりもちょっと違う。俺はセリフをなるべく立てたくないし、その事をめちゃくちゃ意識しています。なるべく自然に、普段の状況にしたいので。

『街の上で』の冒頭の方、古着屋で謎のカップルがTシャツを選んだりしているシーンで、たまたま外を通る車がクラクションを鳴らしたところがあるのですが、これはセリフがかぶっていなかったら普通は絶対に消す音なんです。静かな時間に電車を通すとか、救急車を通すとか、そういう音をあとから効果部が付けることはあるけど、実際に鳴っちゃったものは意図してないのでノイズとなるから消す。これが原則です。でも今回、編集も自分でやったんですけど、編集だと生の素材の音が入っていて、俺が編集した時はそのクラクションの音を残した。それから根本とかが仕上げて整えたものを僕がまた観るんですけど、その時には無くなっていて。根本も”さすがに…”と思って一回消してたんですよね。「あのクラクションの音、戻してほしい」と伝えたら、俺がいつもそういうのを戻すことを根本もわかっていて、「ハイハイ」という感じで戻してくれました。

根本飛鳥(録音)

『サッドティー』とか作っていた頃から、例えばペットボトルを渡す時に指が当たって「カツッ」と鳴った音が消えていたりすると、「あれ、あのカツッて音、どこに行った?」と言うぐらい、俺は、ノイズを消さない方向や、現場で撮れた音に関して、繊細に気にしながら、編集しています。効果音として付ける時も、例えば『退屈な日々にさようならを』(17年)のパンを食べるシーンで、サクッという音とかを効果部がガチガチに付けてくれたんですけど、俺は、元の音を立てて使えるなら無理に効果音をつけたくないと伝えて。元の音を使ったんですよね。外で枯れ葉が風に転がされて”カラカラカラ”ってなる音とかもキレイにせず、実際に鳴っている音で使えるのは極力活かしてもらいました。ノイズの音って、セリフとバッティングとかがあるので消したり、馴染ませたりするのが基本なんですけどね。

──というと、セリフのアフレコもあまりやりたくない?
ですね。

──となると、録音部は重要ですね。
だから根本がいて相当助かっていますし、今回の劇中でマヒトゥ(マヒトゥ・ザ・ピーポー)さんのライブや若葉が歌っているシーンとかも、基本全部同録です。ああいうシーンはキレイな音を録って貼り替えたりするのが基本なんですけど。そういうの、嫌なんですよ。それで言うと『あの頃。』はライブシーンがいくつかあるけど、あれも後で歌を録り直したりとかしていないので、録音部は相当大変だったと思う。

──アメリカでは、『TENET テネット』でもそうでしたが、クリストファー・ノーラン映画は公開された後に「セリフが聞こえない」と言われて評価が下がる傾向があるとか。日本だと字幕なのであまりそこは話題になりませんが、彼は同録にこだわるから、雑音が入ってセリフが聞こえづらくなる。効果音をあとから付けるのも嫌だから、実際に飛行機を爆発させたりとか。
アナログのこだわりが過ぎるんでしょうけどね(笑)。結局自主映画では、照明と録音がいちばんおろそかにされたりする。技術部もなかなかいないし。だから自主映画って音を整えるだけでめちゃくちゃクオリティが上がるのにと思うことはあります。俺も最初はそこまでこだわれていなかったけど、根本や、その前にずっと一緒にやっていた宋(晋瑞)さんと出会ったことは大きかったですね。

おそらく夏か秋か、その頃に発表されますが、実は今、ラジオドラマみたいな声だけの作品を作っていて。普通の芝居とラジオドラマの”撮り方”と”録り方”の意識の違いとかを俺もラジオドラマのド素人であるため、わかっておらず、無茶苦茶苦戦しながら仕上げをしています。これまでの映画も会話を中心に作っているので、声だけの作品に興味はあったのですが、やっぱり俳優の顔とかいろんなものに助けられていたんだなと思いますね。

Photo: Kisshomaru Shimamura

──ポスプロで一番時間やお金にこだわって、注力するのはどの部分ですか?
ポスプロの作業はカラコレと音周りですが、特に音周りで時間がかかりますね。いかに自然になるか、セリフも含めた細かい音の微調整。あと、音楽のつけどころを探る工程にはめちゃくちゃ時間をかけます。もういい加減に成長したらってくらい、毎作毎作セリフとか音楽をあてた後に、「やっぱりこの曲は位置が違うかも」「この曲はいらないかも」というのをギリギリまでやる。ギリギリまで迷い倒す。基本的に音楽は、予算がある現場では、音楽を作る人とは別に選曲さんという、どこにどの曲をつけるかを探り、決めて、つける人がいて、その人に頼って進めていくのですが、俺は基本的にそれを自分でやります。音楽を作ってもらったら、どこにどの曲を使うか俺が貼り付けて、スタジオに入った時に音楽を作ってくれた人とかプロデューサーとか音周りの人と相談します。それにはめっちゃ時間がかかります。

以前テレビドラマをやった時は、そこら辺の感覚が映画と全然違って無茶苦茶早くて、ちょっと怖くなりました。音楽を使う量もテレビドラマは多くて、すごい不思議な感じでしたね。お互いの良いとこ取りしたらもっと良くなりそうだよなあ、と思いました。

──音周りの仕上げにはどのくらいの時間を?
仕上げは…でもめっちゃ短いですよ。俺が入る部分は基本3日か4日程度です。でも今ほとんどの映画はそうだと思います。俺の現場は撮影も短いので。

──最後に、ちょっとくだらない質問してもいいですか?Twitterのアカウントがしょっちゅう”消える”のはなぜですか?
あ、あれね、全然くだらなくないです。あれは大事。仕事をしたいからです。消えている期間に脚本を書いたり編集をしたりしています。俺は依存症的にTwitterをしているので、見てしまったり、エゴサなどできないように、アカウントごと消して、離れて、仕事をする。でも、オオカミ少年のようにあれを繰り返して、最終的に本当に消えようかな、と思っています。もういいかな、という気もしていて。Twitter、みんなやっているし、俺はもうやらなくていいかなと。みんなやってないなら、やるんですけど。

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『街の上で』(英題:Over the Town)

下北沢の古着屋で働いている荒川⻘(あお)。⻘は基本的にひとりで行動している。たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり。口数が多くもなく、少なくもなく。ただ生活圏は異常に狭いし、行動範囲も下北沢を出ない。事足りてしまうから。そんな⻘の日常生活に、ふと訪れる「自主映画への出演依頼」という非日常、また、いざ出演することにするまでの流れと、出てみたものの、それで何か変わったのか わからない数日間、またその過程で⻘が出会う女性たちを描いた物語。

監督/今泉力哉
脚本/今泉力哉、大橋裕之
出演/若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚、成田凌(友情出演)
音楽/入江陽
主題歌/ラッキーオールドサン「街の人」(NEW FOLK/Mastard Records)
プロデューサー/髭野純、諸田創
制作プロダクション/コギトワークス
特別協力/下北沢映画祭実行委員会、下北沢商店連合会
製作幹事/アミューズ
2019/日本/カラー/130分/ヨーロピアン・ビスタ/モノラル

日本公開/2021年4月9日(金)新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
製作・配給/「街の上で」フィルムパートナーズ
配給協力/SPOTTED PRODUCTIONS
公式サイト
©「街の上で」フィルムパートナーズ