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2019.07.15 19:00

“世界は大きなカペナウム=混沌”─『存在のない子供たち』ナディーン・ラバキー監督がカンヌで語る

  • Atsuko Tatsuta

中東で今、最も重要な女性監督であるレバノン出身のナディーン・ラバキー。監督・脚本・主演を務めた監督デビュー作『キャラメル』(07年)は日本でもヒットし、2018年の第71回カンヌ国際映画祭で審査員賞とエキュメニカル審査員賞を受賞した最新作『存在のない子供たち』が、7月20日(土)に日本公開されます。

中東のスラム街。12歳の少年ゼインは、両親の育児放棄に加え、年端もいかない妹が無理やり結婚させられたことに腹を立て、家を出る。外界もまた厳しく、偶然知り合った乳飲み子ヨセフを抱えた不法移民の女性ラヒルの元に身を寄せる。やがて、とある理由から勾留されたゼインは、両親を告訴する……。

今年5月のカンヌでは「ある視点」部門の審査員長に抜擢されたラバキーは、映画産業における女性の活躍にフォーカスした「ウーマン・イン・モーション」(※)のトークイベントに登場。その様子をレポートします。

ナディーン・ラバキー監督(左)

──最新作『存在のない子供たち』(原題は『カペナウム』)でレバノン人として初めてアカデミー賞にノミネートされた映画監督ナディーン・ラバキーさんをお招きしています。今回のトークでは、ご自身の映画監督としての経験について語っていただきたいと考えています。さて、ラバキーさんの初の監督作品『キャラメル』では世界的な成功を収められました。
私は戦争が長く続くレバノンの出身です。レバノンには基本的に映画産業がありません。映画を作りたいと考え始めた時も、それはほぼ不可能なことでした。映画産業がないという地点からスタートしているので、私たちは今、みんなで一緒に(映画産業を)作り上げているところなのです。『キャラメル』を作った頃は、レバノンの情勢は数年間の平穏が続いていて、希望を抱き始めていました。私は、誰かの映画製作に携わることも、他の映画監督から教わることもなく、映画の作り方を自分自身で作り上げてきました。映画を撮ることに関しては完全に素人でした。ミュージックビデオやコマーシャルは作ったことはありましたが。当時、それ以外に何もなかったからです。今までの道のりはとても個人的な経験です。独自のやり方でここまでやってきたのです。

#MeTooと#TimesUpの動きが広まってから、多くのことが起こりました。人々の考え方に変化が生じ、人は討論し、議論を交わすようになりました。どんな問題においても解決への糸口を見つけるには、まずは問題について話し合うということです。こうしたことが現在起こっているのだと感じています。

──セレクション(カンヌの公式上映作品)についても、男女平等にすべきだと思いますか。
正直、“平等”という言葉には少し違和感を感じます。価値ある作品だからこそ選ばれるべきであり、道徳的な観点から適切であろうとすることではないと思います。素晴らしい映画を作ったのが、たまたま女性であったというだけです。“この映画は女性が作りました”というように、女性という面が強調されるのはあまり好きではありません。その映画の後ろ側に女性がいるのは観ていてわかることで、映画を通して、これは女性の観点や経験、あるいは女性の声だと想像するのでよいのではないでしょうか。

──男女比で割り当てていくことに賛成ではないのですね?
あまりいい考えだとは思いません。選ばれる価値のある映画が紹介されるのであって、それを作ったのが男性か女性かは私にとっては重要ではありません。物事は自然に生じ、自然に流れていきます。ここ数年で理想通りになるとはもちろん思いませんが、このような議論が、数年後にも存在しているかはわかりません。すべてはより良い方向に向かっていくとは思います。

Photo: Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──『キャラメル』の話に戻りますが、この作品は大胆にも、レバノンにおける女性の性をテーマにしています。抵抗を受けるようなことはなかったのでしょうか?
お話ししたように、私が女性だからという理由で仕事において困難を感じたことはありません。いずれにしても、映画を撮ることは容易な仕事ではないのは間違いありません。私の生活する地域では、資金やスタッフを調達するために常に戦い続けなければなりません。しかしこうした戦いは、私が女性だから感じるものではなく、何か新しいことを始める時には常に伴うことです。おそらく他の人にとっても同じでしょう。私に対して疑いの目を感じたことはありませんし、女性だから、という理由で何かができないと感じたことは本当にないのです。

──触れてはいけない、取り扱ってはならないテーマや話題があると感じたことはありますか?
私の育った地域では、家族の存在がとても大きく、それなりのプレッシャーがあるので、自分の話を聞いてもらうにはどう話したらいいか、考えるようになります。これがこうした人格を作り上げていくのだと思います。

──自己検閲をしてきたということでしょうか?
私の行動を妨げるものは何もありません。相手に聞いてもらうために自分の言いたいことを和らげることはあります。私は社会からの圧力がまだ強い国の出身なので、これについては常に慎重です。多くのタブーに対処し、それを表現する方法を見つけていかなければなりません。『キャラメル』では、タブーとされている主題を取り上げましたが、人が耳を貸してくれるように、表現したつもりです。妨害されることなく、議論や討論を生み出すことができました。

──あなたの映画作品にはいつもファンタジーの要素があります。詩的なメッセージが含まれていて、決して説教っぽくない、独創的な新しい方法で物語が語られています。社会に訴えるメッセージを含む映画作品について、お話ししていただけますか?
レバノンだけではなく、政治が国を率いていないような混沌とした社会に暮らしていると、“別の考え方”が必要となります。その場合、芸術がその真の、そして唯一の方法ではないでしょうか。もしかしたら唯一ではなくいくつかある中の、ひとつの方法かもしれません。アーティストとして、映画監督としての私たちの義務は、自らの作品を通じて、世界を変えることができると信じることだと思います。私たちは別の考え方を提案し、作品を見る人の心に、人間としての何かを誘発することができるのです。私自身、映画によって何度も何度も変えられてきました。

──それはどんな映画作品ですか?
クルド人監督のバフマン・ゴバディの『亀も空を飛ぶ』(04年)は、私の映画の見方を変えました。映画が高貴な使命となったのです。一度この使命を意識し始めると、もう後戻りはできません。影響力のある映画を作らなければならないという義務を感じるようになりました。それは私が、すべてにおいて考え直す必要がある国の出身だからそう思うのかもしれません。世界は大きな“カぺナウム(capharnaüm:フランス語で混沌、修羅場の意味)”なんです。選択の余地はありません。私は生きる権利を失われた子供を描いた映画を作ることを決めました。私はこれを映画ではなく、ひとつの使命として捉えました。黙っていることなどできません。口を閉ざすことは、こうした犯罪に加担し共謀すること。私はただ映画を作る、それは私のルーツです。私は映画なら作ることができる。だから私は、自分の暮らす場所に、人々の心にポジティブな変化をもたらす何かを作りたい。あるいは一種の反逆を生み出して、この作品を見ている観客に行動してみたいと思わせる何かを作りたいと考えたのです。

──あなたの気持ちを奮い立たせるものとは?そしてどんなテーマの映画を作りたいと考えていますか?
社会のシステムのすべてを見直す必要があると思っています。既存のシステムは、どのレイヤーでも破綻しています。私はいつも、現在の社会に代わる社会や政府、別の考え方について思いを巡らせていて、世界が変わる方向に、私たちも変わっていくことができると信じています。すべて、もう一度見直す必要があるのです。これが私の考え方です。

私が子供についての映画を作ることによって、基本的な権利さえ有していない子供たちが、レバノンに限らず世界のどこにおいてもたくさんいるということを伝えたいのです。こうした状況に、どうして私たちは街頭で抗議の声を上げないのでしょうか。どうしてゆっくり眠ることができるのでしょうか。子供たちが怒りを抱えていることに気づかねばなりません。私は調査をし、多くの子供たちと話しました。そして過酷な状況におかれている子供をたくさん見てきました。彼らの存在は完全におざなりにされています。毎日、叩かれ、強姦され、汚い言葉を浴びせられています。彼らの感覚は完全に麻痺して、何も感じさえしない……。彼らは空っぽの瞳であなたを見つめるんです。おもちゃを彼らの目の前においても、それで遊ぶことさえ知らないのです。彼らもいずれ大人になります。世界の悪の根源は、子供たちに対するネグレクトだと思います。彼らは一体どんな大人になるのでしょうか。

『存在のない子供たち』ではゼイン(左)の弁護士役として出演したラバキー

──本作では子供たちから引き出した演技が素晴らしかったのですが、どのように演出したのでしょうか?
私の女性としての経験が非常に助けになりました。もし本作を撮影したのが、私が母親として子供に母乳を与えている時期でなかったら、このような映画にはならなかったかもしれません。

ヨナス役のトレジャーは実は女の子なのですが、私の娘と同い年です。撮影当時、私はまだ自分の娘に母乳をあげていました。ですので、自分を鏡を見るかのように、ラヒル(ヨナスの母、家出したゼインと同居する不法移民の女性)の状況を見ていました。この子(トレジャー)について、私は何でもわかりました。この子の心を感じ、そのリズムに合わせていました。お腹がすいたとき、眠くなるとき、不機嫌になるときなど、すべてわかりました。それから、母親の胸に手を置こうとしたときも。その雰囲気で、どんな小さなことでも感じ取ることができたのは、自分がまさに同じような経験をその時していたからこそです。子供に何が起ころうとしているのか、すぐに察することができたのです。

ですので、こうした視点、女性の観点は重要です。そうした力をもっと高めて、もっと察する力を持ちたいと思います。こうした感覚が大いに役に立つのです。もちろん男性が子供の映画の監督をできないと言っているのではありません。ただ、異なった観点から行われるだろうということです。

ゼイン(奥)とヨナス

── 『存在のない子供たち』は世界各国で上映されています。中国では興行収入が4,000万ドルを超えるなど、大成功を収めました。
それにはとても驚きました。私にとっては初めてのことです。

──この作品が世界でこれほどまで受け入れられた理由は何だと思われますか?
この映画で描かれていることが、単にレバノンに限定した問題ではないからでしょう。アメリカとメキシコの国境で親と離れ離れになった子供、家族を養うために働くインド人の子供、シリアで化学兵器によって亡くなる子供……。こうした状況はどこかに限ったことではなく、共通のものがあります。誰もが感情移入をせずにはいられないでしょう。本作では、実在する戦いが描かれています。私たちが今こうして話していることは、実際に子供たちがリアルに体験していることなのです。これは演技ではありません。彼らはこうした困難の中に生きているのです。私たちはそれをカメラに収め、映画のフォーマットに収めただけです。私たちは、彼らの苦悶の一種の代弁者となっているのです。この映画を見る時、この映画についての話をする時、それはすでにあなたが知っていること。だからこそ、観客であるあなた自身には、他の映画とは異なるインパクトを与えるのです。映画を見た後動けなくて10分も椅子に座ったままだった、その後食事が喉を通らなかった、と私に言いに来た人がいます。力が抜けて何もできなかったと。この映画は、本能に響く力を持っているのです。

──連帯の意識は感じられますか?
驚くほどの支援があり、信じられないくらいです。この映画は、私たちだけで作りました。撮影に6か月、編集に2年を要し、それ以前に3年のリサーチを経ています。5年にわたるプロジェクトで、すべて自分たちだけでやってきました。家族で作り上げたような小さな作品だったので、私たちが映画に取り組んでいる時、この活動を知る人はいませんでした。今このようにこの作品が世界で上映され、多くの人に支援を受けていることが、本当に信じられないくらいです。

──この作品によって、ハリウッドへの道が開かれたと感じられますか?ハリウッドでの活動の可能性は?
もちろん、活動は広がりつつあります。今私にはアメリカのエージェントがいて、(大手エージェンシーの)CAAと契約しています。ここから多くの台本が送られてきます。

──どのような台本ですか?
いろんなタイプの台本ですね。今はまだこの映画(『存在のない子供たち』)に関してやることが多く、他の台本に集中することができませんがね。すべてが新しい体験で、この上ない栄誉ですが、今年中にできるかはわかりません。映画を作ることは、自分の個人的な戦いにならなければならず、それには膨大な時間がかかります。

映画作りは真実でなければなりません。私にはハリウッドのあの俳優と仕事をしてみたい、というような夢はありません。もちろん、尊敬している俳優はいますが、このような憧れはないのです。有名俳優と仕事をしたら興行収入が上がるだろう……というようなことにも興味はありません。こうした要素は映画作りの中に入ってくるべきではなく、大切なのはなぜ自分が映画を作るのか、自分にとって何が映画を必要とさせるのかを考えることです。映画は必要性でなければなりません。映画を通じて自分を表現するあなた自身の必要性でなければならないのです。そうでないと、映画は偽りとなり、ハリウッドで映画を作るという、うわべだけの誘惑だけにとどまってしまうのです。

Photo: Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──しかし、ハリウッド映画には政治的側面のある大作もありますよね。もし『ワンダーウーマン』のような映画を依頼されたらどうされますか?
『ワンダーウーマン』を、自分が思うようなヒロインに変える自由が与えられるのなら、やりたいですね。

──脚本を一緒に執筆したい、自身のアイディアを込めたい、ということですね。
もちろんです。私はワンダーウーマンを、このトークイベントに来てくださっているような女性が願う姿にできるのなら。観客はスーパーヒーロー作品を通じて、自分の生きる世界とは別の、実際には行くことがないであろう場所に行くことができます。自分の日常の中でスーパーヒーローになれる、というのは素晴らしいことです。『ワンダーウーマン』を手掛けるとしたら、もっと人間らしさを出すと思います。

──ということは今のところハリウッドはないということですが、可能性はあるということですね。
(ハリウッドが)ない、とは言っていません。ただその魅力だけに惑わされてやるというのは避けたいということです。もちろん、これまでにはない新しい経験として有意義になるでしょうし、学ぶこともいっぱいあるでしょう。しかし私には自由が必要です。自分の翼が折れてしまうような箱の中には入れられたくないので、その自由をスタジオが与えてくれるのであれば、考えたいと思います。今では自分の制作プロセスがわかっていて、それで私はうまくやっています。それを乱されるのは嫌ですし、乱された状態では、同じような映画作品を作ることはできないでしょう。

──ニコール・キッドマンのような女優たちが、18か月ごとに女性の映画監督と仕事をするということを約束しているそうですが、これについてどう思われますか?
私は、自分が経験していないことに関しては、話さないことにしています。実際にそれについて知らないわけですから。ハリウッドの映画産業に関わったことはないので、こんな風にしなければならない、などと言うことはできません。私は映画も産業も存在しない、別世界の出身です。映画を作るのは戦いで、毎回自分で乗り越えていかなければならない、困難な旅のようです。自分が知らないことについては話さないことにしています。私はその世界の中にいないし、いたこともないので、真実はわからないからです。

Photo: Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

──さて、それでは観客の皆さんからの質問を受け付けましょう。

Q インド映画はご覧になりますか?インドで映画を作る、あるいはインド人女優を使うなどの予定はありますか?
考えたことはなかったですね。先ほどの話と同様に、その土地の文化を良く知らない場合には、それについて話すのは難しいです。もちろん、ニュースや人から聞いたことで知っている部分もありますが、自分が実際にその中で体験して知っている、というのとは異なります。

Q 文化面では似ている部分もあると思いますが。
もちろん、同じような問題を抱えています。

Qストーリーとの親近感、という点について質問します。多くの男性の映画監督は、暴力やスーパーヒーローといったストーリーに親近感を覚えるようですが。
一般化して答えるのは難しいですね。女性でもそうしたタイプのストーリーが好きな人もいます。自分がどんな性格で、どんな環境でどのように育ったかによるかと思います。環境が人格を作ります。この質問に答えるのは難しいです。

Q 今、取り組んでいるものは?
『存在のない子供たち』のドキュメンタリーを製作中です。この作品の撮影中、様々なことが起こり、フィクションが現実となりました。出演者が撮影中に逮捕され、海外に追放されたり、亡くなった方もいます。ゼインは引っ越して現在はノルウェーに住み、学校に通っています。その他の子供たちも全員学校に行っています。私たちは何かを始め、その何かがまた別の何かになりつつあります。このプロセス全体が非常に興味深く強烈で、各登場人物のその後や、撮影中の出来事を捉えたドキュメンタリーを作ることにしました。やることはたくさんありますね。

Q あなたが撮影されたすべての素材を使ってですか?
それだけではありません。そして私たちは、この中で映画がいかに変化をもたらすことができるかを探っています。映画はすでに上映されたので、これからは真の変化が生じるべき時なのです。現場で、政府とともに取り組んでいかなければなりません。議員に働きかけ、そして法律を変えて……。新しいページをめくり、次のプロジェクトに移ることは難しく、まだやることがたくさんあります。

Q 若い女性映画監督に対して、アドバイスは?
自分が女性であるということ、人が女性をどう見ているかについては考えないことです。大切なのは、あなたが何を考えているか、内に何を感じているかです。自分の内に恐れがなく、自分を信じることができれば、到達したいと願うところまで行くことができるでしょう。自分自身の内に感じていることが、人々の心に響きます。私は人生において他の人から何か疑いを感じたことはありません。

Q あなたはカンヌ映画祭と密接な結びつきがありますね。カンヌ映画祭はあなたに何をもたらしましたか?
私はカンヌ映画祭の申し子であるかのような感じがします。自分が審査委員長を務めるとは、信じられないことです。私はひとつひとつ着実に階段を上ってきました。かつて私は、共同脚本家と妹と一緒にここに来ていました。ただ映画をこの場所で観ることを夢見たごく普通の学生のように、来ていたんです。朝5時に起きて、4時間待っても結局チケットを手に入れることができず、毎日1時間歩いて疲れ切ってしまいました。この時、カンヌの大変さを知り、これは、特にレバノン出身の私にとっては不可能な夢だと感じました。

しかしその後、私が最初の作品を作り、観客に温かく受け入れられた時は、大きな感動を覚えました。初めて、スタンディングオベーションを体験したのです。どのくらい長く続いたでしょうか。本当に私にとっては激震でした。それはプロデューサーのおかげでもあります。彼女がすべてを可能にしてくれました。私は彼女を“フェアリー・ゴッドマザー”と呼んでいるのですが、私がこうした夢を見ることさえも許されていないのではないかと自信を無くしていた時に、彼女が私の背中を押してくれました。そして私のひとつ目、そしてふたつ目の作品が上映され、次に『存在のない子供たち』がコンペティション部門に選ばれ、審査員賞を受賞するところにまでたどり着いたのです。

──楽しい時間を共有することができました。ありがとうございました。

※本記事は、トークイベントの抄訳です。

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※「ウーマン・イン・モーション」
カンヌ国際映画祭のオフィシャル・スポンサーであるラグジュアリー・グループ「ケリング」が取り組んでいるプロジェクト。映画界における女性の活躍を讃え、地位の向上や格差是正などの問題を議論する目的で、映画祭期間中にトークイベントやパネルディスカッションを開催している。

Photo: Vittorio Zunino Celotto/Getty Images for Kering

ナディーン・ラバキー

1974年、レバノン生まれ。ベイルートのサン・ジョゼフ大学を卒業。在学中に撮った短編映画『パステール通り11番地』で高い評価を受ける。ミュージックビデオやコマーシャル・フィルムで数々の賞を受賞後、2004年、カンヌ国際映画祭のレシデンス制度により『キャラメル』の脚本を執筆。2007年、『キャラメル』で長編デビュー。カンヌ国際映画祭の「監督週間」に選出され、ユース審査員賞を受賞。60カ国以上で上映された。長編第2作『Where Do We Go Now?』(11年、日本未公開)はカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で上映され、エキュメニカル審査員スペシャル・メンションを受賞。女優としても活躍し、『存在のない子供たち』では、弁護士役で出演している。

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『存在のない子供たち』(原題:Capharnaüm)

監督・脚本・出演/ナディーン・ラバキー
出演/ゼイン・アル・ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ
2018/レバノン、フランス/カラー/アラビア語/125分/シネマスコープ/5.1ch/PG12/字幕翻訳:高部義之

日本公開/2019年7月20日(土)、シネスイッチ 銀座ほか全国公開
配給/キノフィルムズ/木下グループ
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