【独占インタビュー】『きれっぱしの愛』フリーヌル・パルマソン監督が語る、「探求」としての映画作り
- Atsuko Tatsuta
第78回カンヌ国際映画祭カンヌプレミア部門で上映され、第98回アカデミー賞アイスランド代表に選出されたフリーヌル・パルマソン監督の最新作『きれっぱしの愛』が、7月3日(金)に日本公開されました。

北欧・アイスランドの自然豊かな田舎町。芸術家のアンナ(サーガ・ガルザルスドッティル)は、イダ(イダ・メッキン・フリンスドッティル)、グリムール(グリムール・フリンソン)、ソルギス(ソルギス・フリンソン)という3人の子どもたちとともに、静かな暮らしを送っている。離婚した夫マグヌス(スベリル・グドナソン)は、まだアンナに未練があるようで、何かにつけて訪ねてくる。やがて、季節の移ろいのなかで、それぞれが新たな人生へ踏み出そうとするが──。
19世紀のアイスランドを舞台に、若き牧師の布教の旅を壮大なスケールで描き、多くの映画ファンを魅了した『ゴッドランド/GODLAND』のフリーヌル・パルマソン監督。最新作『きれっぱしの愛』には、監督自身の子どもたちと愛犬パンダが出演し、離婚後もなお結びつく家族の姿を、ユーモアと哀しみを交えて描き出しました。
公開に先立ち、パルマソン監督に、家族を描く理由や映画作りのプロセスについて話を伺いました。

フリーヌル・パルマソン監督 Photo: Hildur Ýr Ómarsdóttir
──この映画の着想はどこから生まれたのですか?
正直なところ、最初のきっかけはもう思い出せません。ただ、小さな火花のような瞬間がいくつもあったことは覚えています。そのひとつがコロナ禍でした。私は子どもたちがツリーハウスを建てる様子を約2年間撮影していて、その映像から短編映画『Nest』(22年)を作りました。その間ずっと子どもたちを見続けていると、自然と考え始めるのです。「子どもたちはあそこでツリーハウスを作っている。では親たちは何をしているのだろう?」と。私は家族を描きたいと思うようになりました。ただし、大きな事件や大きな葛藤ではなく、一緒に時間を過ごすことそのものを描きたかった。日常や習慣、家族が同じ時間を共有すること。その経験を映画にできないだろうかと考えていました。

──本作では、離れて暮らしながらも強く結びついている家族が描かれています。このユニークな家族像をどのように作り上げていったのでしょうか?
早い段階でアンナをキャスティングしていました。そして彼女の元夫であるマグヌスを誰が演じるべきか探していた時に、レイキャビクでスベリルと会いました。その時すぐに「彼だ」と感じたのを覚えています。二人はまったく違う人間なのですが、不思議な親密さがありました。うまく説明できないのですが、同じ場所から出発しながら別々の方向へ成長していった人たちのように見えました。
そこで私は二人を、私たちが暮らすホルナフィヨルズゥルに招きました。子どもたちや犬も交え、週末を使ってテスト撮影を行いました。川辺に置いた車の上で家族写真のようなシーンを撮影しながら、二日間を共に過ごしました。私がシーンを書き、彼らはそれをさまざまな形で演じていきました。私にとって最も重要だったのは、観客が彼らを本物の家族だと感じられることでした。この映画は途中から少し抽象的な方向へ進み、一種のマジックリアリズムのような領域に入っていきます。だからこそ、その土台となるリアルな家族の存在が必要でした。その週末の時点で、すでにこれは上手くいくと確信しました。

──あなたの作品に度々登場するイングヴァール・シグルドソンが本作にも出演しています。彼との協業について教えてください。
私たちは2012年頃から一緒に仕事をしています。最初は、デンマークで撮った短編映画『A Painter』(13年)でした。彼は本当に優れた脚本の読み手です。脚本を非常に深いレベルで理解してくれます。だから私は、彼のために書くことを楽しんでいます。誰かのために書いているという感覚があると、自分自身をさらに高いレベルへ押し上げようと努力するようになるからです。彼が興味を持ってくれるもの、彼が時間を費やす価値があると思ってくれるものを書きたいと思っています。
また、私たちの映画作りは非常に小規模です。現場にケータリングはありませんし、椅子もありません。ビデオヴィレッジもキャンピングカーもない。ただバックパックを背負って、みんなでそこへ行くだけ。そうした環境を理解し、喜んで参加してくれる俳優が必要です。イングヴァールはまさにそういう人です。
彼は演技だけでなく、映画全体を支えてくれます。新しく参加する俳優たちを現場に馴染ませることもありますし、作品全体を前へ進めてくれる存在です。彼は感情的にも非常に豊かですが、同時に、とても身体的な俳優でもあります。だから私は、どれだけ長いシーンでも、どれだけ複雑なシーンでも、安心して書くことができます。本当に素晴らしい俳優です。

──今回は、監督ご自身のお子さんたちや愛犬のパンダも出演していますね。
はい。ある種のエネルギーを求めていました。そのエネルギーを、俳優たちだけでどう作り出せば良いのか、私には分かりませんでした。子どもたちはカメラをまったく意識しません。生まれた時から私に撮られ続けてきたので、カメラがそこにあっても何の影響も受けない。それは本当にユニークなことだと思いました。
そして子どもや動物は、常に驚きをもたらしてくれます。撮影の日に何かが起きて、自分が取り組んでいるシーンや映画そのものが、想像以上のものになっていく。私はそういう瞬間が大好きです。
彼らには、生々しさや野生味があります。もちろん、大人の俳優が驚きを与えてくれないという意味ではありませんが、子どもや動物には特別な何かがあります。さらに今回は、私がよく知っている子どもたちであり、犬でもありました。何ができるのか、どんなふうにコミュニケーションを取るのかも分かっています。それも大きな理由でした。

──監督の作品は、プロットよりも人物や感情、雰囲気に重きが置かれているように感じます。
おそらくそれは、私自身がそういう作品に心を動かされるからだと思います。映画だけでなく、音楽や本についても同じです。私は人生そのものを、あまり「プロットのあるもの」として見ていません。自分の人生を振り返っても、物語の大きな転換点のようなものをあまり感じません。
映画を作り始めた頃は、もっとプロットを重視するべきだと思っていました。しかしそれは、私にとって自然なことではありませんでした。『ホワイト、ホワイト・デイ』(19年)を作っていた時のことです。最初は探偵映画のような作品になると思っていました。何が起きたのか、その真実を突き止めようとする映画です。ところが、書き進めていくうちに、自分がその「真実」そのものにはほとんど興味を持っていないことが分かりました。私が本当に興味を持っていたのは、人物の感情の旅。だからプロットの多くは消えていきました。
私の場合、最初はシンプルなアイディアから始まりますが、制作を続けるうちに、プロットよりも感情の方へ引き寄せられていきます。ただ、それは物語に興味がないという意味ではありません。物語そのものにもとても興味があります。ただ、映画の形式やコンセプトと自然に結びつく物語を見つけたい。私はいつもそのバランスを探しています。

──本作では時間の流れや季節の移ろいが印象的です。映画において「時間」はどのような意味を持っていますか?
私はリズムと時間について、本当に深く考えています。映画を構成する時には、大きな壁に脚本を貼り出し、その前を歩き回りながら考えます。映画がどのように動き、どのように呼吸するのか。どこで人が話し、どこで沈黙するのか。どこが静かで、どこが動的なのか。そうしたことを探り続けます。映画というメディアは、本質的には時間に関するものだと思っています。観客は映画館で一定の時間を過ごし、その中で体験を共有するわけですから。
また、近年自分の映画作りにおいて大切だと感じているのは、作品と一緒に過ごす時間をできるだけ長くすること。もし映画の中で繰り返し登場するイメージやモチーフがあるなら、それを1年、あるいは2年かけて撮影することもあります。季節が変わる様子を見ながら、その映画が何なのかを理解していく。季節とともに時間を過ごし、映画とともに時間を過ごす。そのことが、作品そのものを理解するための重要なプロセスとなっています。
──子どもが矢で怪我をする場面は非常に印象的です。あのシーンはどのように生まれたのでしょうか?
おそらく恐怖から生まれたのだと思います。私たちは撮影のために人形を作っていました。私と子どもたち、それからプロダクションデザイナーのフロスティ(・フリズリクソン)が一緒になって、廃材を使いながらゼロから組み立てていたのですが、時間が経つにつれて、その人形に感情移入するようになりました。単なる小道具ではなく、家族全員が知っているキャラクターのような存在になっていきました。私たちの服を着せたり、家の中のものを身につけたりして、いつの間にか生活の一部になっていました。

一方で、少し不安も感じていました。子どもたちの誰かが本当に矢で誰かを傷つけてしまうのではないかという恐怖です。実際に事故が起きそうになったわけではありませんが、撮影中は弓矢を使っていましたし、子どもたちは興奮します。2本も3本も弓を持って走り回っていると、何が起きても不思議ではありません。
私はよく、自分の恐怖や欲望を脚本の中に書き込みます。興味のあることだけでなく、自分が不安に思っていることも探求したい。あのシーンは、まさにそうした恐怖から生まれました。
──映画の冒頭の家の解体シーンは2017年に撮影されたそうですね。
あれは港の近くにあった私の古いスタジオが取り壊される時に撮影したものです。私は取り壊しに反対していましたが、止めることはできませんでした。そこで建物の中へ入り込み、屋根が剥がされる様子を撮影しました。ただ、その時は何に使うかまったく決めておらず、完全に衝動的な撮影でした。
後になって映像を見返した時、音を消して観てみると、とても静かで美しい映像に見えました。現場は騒音に満ちていたのですが、映像だけを見ると、まるで浮遊しているようだった。その瞬間、『きれっぱしの愛』で描こうとしていた家族の亀裂というテーマに結びつきました。「これだ」と思いました。そして、その映像の周囲に物語を書き足していきました。

──今回は監督・脚本に加え、撮影監督も兼任されていますね。
これまでずっと撮影監督のマリア・フォン・ハウスヴォルフと仕事をしてきました。ただ、今回は撮影期間が非常に長く、本撮影に入る頃にはすでに何年もこの映画と付き合っていました。突然カメラから離れることが自然だとは感じられず、今回は映像に対して、自分自身が直接反応する必要があると感じていました。その間に誰も挟みたくなかった。結果として、とても自然な経験でした。マリアがいないのは寂しかったですが、小さなチームで作ったこの映画の雰囲気に合っていたと思います。
──以前、「自分の映画で何が起きるかを正確に知ることは不可能だ」と話していらっしゃいましたね。
最近の私の映画作りは、完成形を最初から知っている状態というより、「探求」に近いものです。もちろん、出発点となるアイディアやコンセプトはあります。でも、制作を続けていると、映画そのものが私を別の場所へ連れて行くことがあります。私は少しずつ映画を“発見”していく。最初からすべてを把握している状態よりも、その方が作品に対して誠実でいられる気がしています。それが今の私の映画作りです。
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『きれっぱしの愛』(英題:The Love That Remains)
脚本・監督:フリーヌル・パルマソン
出演: サーガ・ガルザルスドッティル、スベリル・グドナソン
2025年/アイスランド、デンマーク、スウェーデン、フランス/カラー/ビスタ/5.1ch/109分/字幕翻訳:松岡葉子/G
日本公開:2026年7月3日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
配給:NOROSHI、ギャガ
公式サイト
© STILL VIVID, SNOWGLOBE, HOBAB, MANEKI FILMS, FILM I VÄST, ARTE FRANCE CINEMA







