【単独インタビュー】『大統領のケーキ』ハサン・ハーディ監督の胸を突き動かした“胸の中で鳴り止まない”子ども時代の物語
- Atsuko Tatsuta
※本記事には映画『大統領のケーキ』の一部ネタバレが含まれます。
イラク映画として初めてカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)と監督週間観客賞を受賞し、第98回アカデミー賞国際長編映画部門のイラク代表に選出された『大統領のケーキ』が7月10日(金)より全国公開されます。

1990年代、サダム・フセイン独裁政権下のイラク。祖母(ワヒーダ・サーベト)と暮らす9歳の少女ラミア(バニーン・アハマド・ナーイフ)は、学校で大統領の誕生日を祝うために“名誉ある”ケーキ作りを命じられる。材料の卵や小麦粉を調達するために、父の形見の時計を持って、祖母と“友達”の雄鶏ヒンディと共に町に出かけるも、祖母には別の目的があり──。
少女ラミアの旅を通して、独裁政権下に生きる人々の日常を、ユーモアと痛切なリアリティを交えながら描いた本作は、イラク・バグダッド出身のハサン・ハーディの長編デビュー作。脚本はサンダンス・インスティテュートのライターズ・ラボに選出され、支援を受けて完成させました。
2025年のカンヌ国際映画祭で大きな反響を呼び、イラク映画界を代表する新たな才能として世界的な注目を集めるハサン・ハーディ監督が、日本公開に先駆けて来日。Fan’s Voiceのインタビューで、1990年代のイラクを再現するためのロケーションや美術へのこだわりから、ラストシーンに込めた思いまで、じっくりと語ってくれました。

──カンヌでのカメラドール(新人監督賞)と監督週間の観客賞受賞、おめでとうございます。新人監督として素晴らしいスタートを切りましたが、その時のお気持ちを聞かせてください。
本当に計り知れない栄誉だと感じています。初の長編映画でこの2つの賞をいただけるなんて信じられないことです。特にカメラドールは、アリーチェ・ロルヴァケルが審査員長を務める審査員団から授与されたもので、私にとって彼女は世界で最も優れた映画監督のひとりですから、大きな光栄であると同時に、責任も感じています。突然、誰もが私に対してより高い期待を抱くようになるわけですから。
受賞のステージで、(『シンプル・アクシデント/偶然』でパルムドールを受賞した)ジャファル・パナヒ監督と一緒にいた時のことを覚えています。彼は私にこう言いました。「気をつけなさい。私は30年前にその賞を獲ったが、その後、次の長編映画を作るのが本当に大変だった。誰もが期待を寄せるようになるからね。だから、君は君のやるべきことをやりなさい。プレッシャーなんて気にする必要はない。自分が好きなものを作り続ければ、それでいいんだ」と。
最初、その言葉を聞いた時は、「あなたはもうパルムドールを受賞しているから、そんな風に言うのは簡単ですよね」と思っていました(笑)。でも、しばらく経つうちに、彼の言葉が心に染み込んできました。確かにプレッシャーは感じますし、誰もが「次はもっと良いものを」と期待しているのが分かります。でもこればかりは、自分ではコントロールできないことです。

──長編デビュー作では自身のルーツや記憶を出発点にする監督も多いと思います。本作も、監督ご自身の記憶をベースにしていると聞きました。1990年代のサダム・フセイン政権下のイラクを舞台に選んだのはなぜですか?
通常、プロジェクトを選び形にするには、何年もの時間を費やし、闘い続けなければならないことは分かっています。ですから、自分を突き動かす唯一の原動力は、自分の中で決して鳴り止まない「この物語を語れ」という内なる声だけ。キャラクターやストーリーに対する、一種の執着のようなものが生まれること。私にとっては、まさにそれでした。
それ以外にも理由はあります。この映画で描かれている時代は、イラク映画において、これまでスクリーンで描写されたことがありませんでした。これまで一度も映画で描かれたことのない地域や場所も活写しています。
そうした要因のすべてが、このプロジェクトを前に進める決断を後押ししてくれました。ただ、最初の長編映画としては、自分がよく知っているキャラクターや世界、テーマについての映画を作りたいという思いもありました。ですから、この物語についての映画を作ることは、とても自然で自発的な行為のように感じられました。

──子どもたちが大統領の誕生日を祝うためにケーキを作り、学校の先生に届けるというシステム自体、国外の人々には奇妙に映ると思います。当時、子どもだったあなたはそれをどのように受け止めていましたか?
まるで「いたずら」や「質の悪いジョーク」のようでした。でも、それが当時の現実でもありました。独裁政権全体、特にサダム政権は、一つの大きなジョークのように感じられました。サディスティックな誰かが、私たちに悪ふざけを仕掛けているかのような。そして、それは決して面白いものではありません。なぜなら、その悪ふざけに付き合わなければ罰せられるから。当時の私たちにとっては、そういうものでした。ある意味、本当にシュールな超現実的なように感じられることもありました。彼が命じる要求や、人々に求める行動が、あまりにも奇妙で独特でしたから。
同時に、それは紛れもない現実でした。だからこそ、この映画には、戦闘で片目を失いながらもそれを笑い飛ばす方法を見つける兵士が登場します。それは、人々が現実とのつながりを保ち、困難を乗り越えようとした結果なのだと思います。
──あのケーキは、実際に先生が食べていたのでしょうか?
先生にもよりますが、基本的にはそうです。通常は先生がケーキを持ち帰り、自分の家族と分け合って食べていました。

──“大統領のケーキ”という制度はご自身の思い出から来ているとのことですが、主人公ラミアがたどる物語自体はフィクションなのでしょうか?それとも、ご自身の経験も含まれているのですか?
映画の多くの部分は、私自身の個人的なストーリーや私自身に起きたこと、あるいは家族、友人、親戚の身に起きたことです。ですから、大半は実際の出来事から着想を得ています。そのため、多くのことをゼロから作り出す必要はありませんでした。ただ、それらをいかに正しい方法で表現するかを知る必要がありました。インパクトがあり、人々の記憶に残り、かつ芸術的な方法で表現することが重要でした。
──ラミアたちが暮らす湿地帯での生活もとても印象的でした。移動はボートで、ラミアも自らボートを漕いで学校に通う。このような暮らしは、ご自身の体験に基づくものなのでしょうか?
私自身はあの地域に住んでいたわけではありません。ただ、子どもの頃に訪れた記憶があり、そこがまるで生きているかのように、あるいは現実ではないディズニーランドのような場所のように感じられたのを覚えています。水の上で暮らし、水の上に家を建て、ボートを使って移動し、ボートで学校に通い、泳いで暮らしている人々がいる。そう聞くと、少し現実離れしているように感じられますよね。それが私にあまりにも大きな衝撃を与えたため、大人になってからもずっと記憶に残っていました。
もう一つの理由は、この映画にとって、その映像美が非常に重要だったからです。この映画には寓話のようなトーンがあり、そのトーンを視覚的に伝えたかった。あの地域を映画の舞台にすることは、視覚的にディズニーランドのような、寓話的な感覚をもたらすために非常に重要だと感じました。

──子どもを主人公にすることについて伺います。イランやレバノンなど近隣の中東地域の映画では、子どもの視点を通して社会や政治を描く作品もあります。本作の場合はどうだったのでしょうか?
私の場合は、ある意味で自分の子ども時代についての映画、あの時代に子どもでいたことがどのような感覚だったのかを描く映画を作りたい、という思いがありました。
子どもの視点を通じて政治的な声明を発表しようという意図があったわけではありません。むしろ、「あの時代のイラクにおける子どもたちの生活はどのようなものだったのか」ということに尽きます。私自身もその当時子どもでしたから、そうすることはごく自然なことでした。
同時に、この映画に政治的な背景や文脈があることも自覚していました。だからこそ、私にとって重要だったのは、子どもたちは偏見を持たず、政治的ではなく、フィルターがかかっていない存在だということ。大人の視点から描くよりも、子どもの視点を通した方が、当時の国や社会の姿をより純粋に描きやすいと考えました。
──本作の脚本は、サンダンス・インスティテュートのプログラムを通じて開発されたと聞いています。そのプロセスは作品にどのような影響を与えましたか?
サンダンス・ラボは、この映画全体、そしてこの“旅”の全体にとって、非常に重要な転換点となりました。脚本に「サンダンス・ラボ」の印が押されることで、多くの扉が開かれるからです。特に私はイラクの映画監督であり、これは外国映画で、見慣れない文脈で作られた作品です。サンダンスの後押しがなければ、人々の関心を引くことは非常に難しかったでしょう。ですから、決定的な瞬間でした。
そこでは私の協力者となる人々にも出会いました。私のアドバイザーを務めてくれたエリック・ロスとマリエル・ヘラーは脚本を非常に気に入ってくれて、この映画を作る手助けをしたいと言ってくれました。そして、エグゼクティブ・プロデューサーとして映画に参加してくれました。その瞬間から私たちは対話を重ね、投資家に映画を売り込み、すべてのプロセスがはるかに現実的なものになっていきました。

脚本に関して言えば、色々なフィードバックをもらいました。中にはあまりにも耳に痛く聞きたくない意見もあります。なぜなら、真実を突いているから(笑)。また、とある意見をもらい、「それは私のやろうとしていることとは違うから、意味がないな」と思うこともあります。そうしたアプローチは助けになります。ただ、私が脚本をサンダンスに持っていった段階で十分に発展していたため、「書き直すこと」よりも、むしろ「いかに監督するか」について、話をしていました。それでも、ブラッシュアップの作業が終わることはありませんでした。
映画監督として私が受け取った素晴らしい助言の一つに、黒澤明監督がインタビューで語っていた言葉があります。彼は「ペンと紙の上で直せるものは、すべて直しておきなさい。それには大したお金はかからないのだから」と言っていました。本当に、撮影に入るその時まで、私は紙の上でできる限りの限界まで脚本を突き詰めようとしました。
──ロードムービーでは、“誰と旅をするか”が物語を大きく左右します。本作でも、学校の友人サイード、ニワトリのヒンディ、祖母の“ビビ”、そして運転手のヤシムという魅力的なキャラクターがラミアの“冒険”に加わります。この組み合わせは、どのように生まれたのでしょうか?
どうだったか(笑)。私は、物語が私をどこへ連れていくのか、そしてキャラクターが何を求めているのかに従うだけでした。私にとっては、それが最も自然な方法でした。脚本を書き始めた頃、この物語はラミアの「初恋」の話でした。恋心を抱いた少女が冒険へ出る物語。でも、最終的に道を示してくれたのは、キャラクター自身でした。彼女らが何を望んでいるのかに従っていく。
例えば初期の脚本では、ラミアは祖母のもとを離れず、一緒に残る設定でした。でも、レストランのシーンを書くたびに、ラミア自身が「ここを離れたい」と言っているように感じ、彼女に無理をさせているような気がしました。ある日、「彼女は旅立つんだ」と決めた瞬間、突然、まったく別の映画が開かれました。
私にとって、“ビビ”という存在は湿地帯そのものを象徴しています。彼女は消えゆく世界の象徴で、顔や肌の質感まで、まるで湿地帯の土地そのもののようでした。そして、次の世代に託そうとしている。私にとって、それは世代から世代へ受け継がれていくことの象徴でした。
今はこのように振り返ってすべてを説明できますが、脚本を書いている最中は、「なぜそうしたのか」と聞かれても、「ただそう感じたから」としか答えられません。理由が分かるのは、いつも後からです。

──ヒンディという“友人”のニワトリは、とても印象的な存在でした。当時のイラクでは、ニワトリをあのように飼うことは一般的だったのですか?
いいえ、全く一般的ではありませんでした(笑)。ラミアは両親がおらず、とても孤独な子どもだったので、ペットが必要だと思いました。幼い頃から一緒に育ったペットは、子どもにとって親友のような存在になりますからね。湿地帯の人々もペットを飼っていますが、私が雄鶏を選んだのは、物語にもう一つ意味の層を加えられると思ったからです。
雄鶏には宗教的な意味があり、神聖な動物として扱われることもあります。私は子どもの頃、「雄鶏は人間には見えない世界を見ることができる」と教えられました。だから雄鶏が鳴く時は、悪魔か天使のどちらかを見ているのだと。映画の中でヒンディが鳴く場面のほとんどは、何か悪いことが起きる前触れになっています。そのため撮影では、私たちが望むタイミングで雄鶏に鳴いてもらう方法まで学ばなければなりませんでした。
──私は旅の途中ずっと、「ヒンディが食べられてしまうのではないか」と心配しながら観ていました。あのサスペンスは意図的だったのでしょうか?
最初から狙っていたわけではありません(笑)。でも編集や試写の段階で、「観客はヒンディのことを本当に心配している」と気づきました。そこで、「食べられてしまうかもしれない」と思わせるような危険な場面を少し増やしました。最初から計算していたわけではありませんが、映画の面白い要素になっていることに途中で気づきました。
──この作品にはユーモアや寓話性がある一方で、非常に厳しい現実も描かれています。そうした現実を映画に組み込むことは、どれほど重要でしたか?
とても重要でした。優れた寓話というのは、現実によって突然断ち切られるものだと思っています。特に子どもたちを主人公にした寓話ではそうです。子どもたちはおとぎ話のような世界を自分たちの周りに作って、自分を守ろうとします。しかし戦争は容赦なくその世界を打ち砕き、現実へ引き戻してしまいます。“ビビ”が亡くなることも、最後に学校で起きることも、多くのイラク人にとっては現実でした。医薬品不足、経済制裁、そして長く続いた空爆。それが私たちの日常でした。もちろん、もっと幸福な結末にすることもできました。全員が無事に家へ帰るようなラストにすることも。
でも、それではキャラクターを裏切ることになります。自分自身の記憶も、そして私と同じ時代を生きた人々の経験も、裏切ることになる。だから、たとえ重い結末になったとしても、自分にとって真実であるラストを選ぶ必要がありました。

──あのラストはある程度観客に委ねられたオープンエンディングなのでしょうか?
完全に何でもありという意味ではありませんが、ある程度は観客の解釈に委ねています。
私自身は、あれは希望のあるラストだと思っています。そうは見えないかもしれませんが(笑)、私にとっては、確かに希望があります。
──その希望とは何でしょうか?
厳しい現実がある一方で、この二人の子どもたちが築いた「つながり」こそが、これから先の人生を生き抜く力になります。それで十分なのかどうかは、観客それぞれに委ねられています。私にとって一番大切なのは、映画が終わってスクリーンが暗くなったあとも、観客が彼らのことを考え続けること。映画館を出た後も、「あの子たちはどうなったのだろう」「これからどう生きていくのだろう」と想像してもらえたなら、私は自分の仕事を果たせたと思います。そうでなければ、結末が悲劇であろうとハッピーエンドであろうと、意味がありません。
──1990年代のイラクを再現するにあたり、美術やロケーションではどのような苦労がありましたか?
予算が潤沢にあったわけではなく、しかもロケーションの数も多かったので、本当に大変でした。私たちが考えたのは、「できるだけ少ない美術セットで1990年代に見える場所をどう見つけるか」ということ。そのため、条件に合う建物や通りを探して、本当に膨大なロケハンを行いました。
撮影はバグダッドで行いましたが、実際の道路を封鎖し、人々の通行も制限しなければなりませんでした。時には怒っている人たちの声も聞こえてきましたが(笑)、撮影を続けるために聞こえないふりをしていました。

ただ、ロケーションは単なる背景ではありません。私にとっては、物語にもう一つのレイヤーを加える重要な要素です。私は、画面の手前で語られていることと、背景が語っていることが異なる構図が好きです。そのコントラストが映像をより豊かにしてくれると思っています。例えば、子どもたちが街へ向かう途中の検問所では、背景に「預言者イブラヒムが火から救われた場所」とされる歴史的建造物があります。一方、手前では人々が墓地へ運ばれていく。「生」と「死」が同じ画面に存在する。その対比が私にはとても重要でした。
また、レストランのシーンは、実際にサダム・フセインが若い頃によく食事をしていた場所で撮影しています。ロケーションそのものが持つ歴史や空気が、俳優たちを自然とその世界へ導いてくれます。俳優とのワークショップでは、身体の記憶を呼び起こすために、「嫌な臭いがした場所を思い出してください」といったエクササイズも行いました。ロケーションにもそれと同じ効果があると思っています。
──撮影監督はどのように決められたのでしょうか?
撮影監督を探すために、本当にたくさんの映画を観ました。私はルーマニア映画が大好きで、ラドゥ・ジューデ監督の作品を観ていた時、新しい撮影監督が参加していることに気づきました。その撮影がとても素晴らしかったので、彼(トゥードル・ヴラディミール・パンドゥル)に脚本を送り、一度話をしてみようと思いました。この物語について10分か15分ほど話しただけで、「この人しかいない」と確信しました。彼は私が実現したい映像を、本当に感情豊かに、しかも映像的な言葉で語ってくれました。私が目指していることを理解してくれていると感じました。それに、私は一緒にいて楽しい人と映画を作りたく、彼とはきっと楽しく仕事ができると思いました。

──ラミアとサイードを演じた二人が本当に自然でした。子役たちにはどのようなことを求めましたか?
一番大切だったのは、「リアル」であることです。だからワークショップでは二つだけルールを決めました。一つ目は、「『カット』と言われるまでは絶対に役から抜けないこと」。カットがかかるまでは、その世界に生き続けるということです。
もう一つは、「正解も間違いもない」ということ。子どもたちは学校生活の中で、「間違えたら直さなければいけない」と考える習慣があります。でも私は、「相手の俳優が脚本にないことをしても、それを訂正する必要はない。ただ、その場で起きたことに反応すればいい」と伝えました。そうすることで、「正しく演じなければならない」というプレッシャーから解放することができました。
その結果、彼らはただその場に存在し、その瞬間を生きることができました。私はそこに、本物らしさが生まれたと思っています。例えば、ラミアがケーキの材料リストを読んでいる場面で、ヒンディが紙をつつくシーンがあります。あれは脚本にはなく、ヒンディが勝手にやったことです。その時、彼女は「あっ、何するの!」というように自然に紙を引っ込めました。普通ならカメラの方を見て「NGかな」と思ってしまうかもしれません。でも彼女は完全に物語の中にいたので、ただ自然に反応した。それによって、私たちは本当に奇跡のような瞬間を撮ることができました。

──プロダクションデザイナーのアナマリア・テクはルーマニアの方ですね?彼女を選んだ理由は?
美術の監修にはイラク人スタッフが入り、時代考証などを細かく確認しましたが、プロダクションデザイナーは国外から招きました。外部の視点と、現地のイラク人スタッフの知識を組み合わせることで、私たちが目指していたビジュアルを実現することができました。アナマリアはルーマニア人ですが、現地チームとのコラボレーションはとても素晴らしいものでした。
──あなたは現在どこを拠点に活動されているのでしょうか?
主にバグダッドを拠点にしています。私はイラクの映画監督ですから。ただ、ここしばらくはバグダッドとニューヨークを行き来して活動しています。これからは、そこにパリも加わる予定です。
──パリではレジデンシープログラムに参加されるそうですね。
自分で応募したわけではなく、プライベートなプログラムです。おそらく、彼らはカンヌに出品された映画を見て選んでいるのだと思います。完全な招待制ですね。「こういうレジデンシーの枠があるので、もしよろしければ参加しませんか」というオファーをいただきました。私にとっては、断る理由のない、簡単な決断でした。パリに滞在し、次のプロジェクトのためのリサーチや模索に時間を充てられるというのは、まさに私が求めていたことでしたから。

──次のプロジェクトはどのくらい進んでいるのでしょうか?
全く進んでいません(笑)。ご覧の通り、私はまだ最初の作品である本作のプロモーションの真っ最中ですからね。ただ、次に何をしたいかというアイディアはいくつかあります。いつもノートのメモや観察から始まるのですが、近いうちに、次のプロジェクトで何が必要か、より具体的なアイディアがまとまることを願っています。
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『大統領のケーキ』(英題:The President’s Cake)
監督・脚本:ハサン・ハーディ
出演:バニーン・アハマド・ナーイフ、サッジャード・モハンマド・カーセム、ワヒーダ・サーベト、ラヒーム・アルハジ
プロデューサー:リア・チェン・ベイカー
エグゼクティブ・プロデューサー:エリック・ロス、マリエル・ヘラー
撮影監督:トゥードル・ヴラディミール・パンドゥル
編集:アンドゥ・ラドゥ
音響:タマーシュ・ザーニ
美術:アナマリエ・テク
2025年/イラク、アメリカ、カタール/105分/アラビア語/シネスコ/カラー/5.1ch/日本語字幕:星加久実/字幕監修:中町信孝/PG12
日本公開:2026年7月10日(金)より、新宿ピカデリーほか全国公開
配給:松竹
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