【単独インタビュー】『左利きの少女』ツォウ・シーチン監督
- Fan's Voice Staff
昨年のカンヌ国際映画祭で上映され、アカデミー賞台湾代表として国際長編映画部門のショートリスト入りを果たした『左利きの少女』が8月14日(金)に日本公開されました。

台北、夜市の麺屋台。5歳のイージン(ニーナ・イエ)は、借金を背負ったシングルマザーのシューフェン(ジャネル・ツァイ)とハイティーンの姉イーアン(マー・シーユエン)と暮らしている。ある日、昔気質の祖父に利き手である左手を“悪魔の手”とそしられ、罪悪感を抱きはじめたイージン。その悪魔の手は図らずも、家族それぞれがひた隠しにする“罪”をあぶり出していく──。
第77回カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝き、アカデミー賞作品賞など5部門を受賞した『ANORA アノーラ』(24年)でインディーズ映画界を熱狂させたショーン・ベイカーが共同脚本・編集・製作を手掛けたことでも注目を浴びた本作。監督は、ベイカーと学生時代に出会い、『テイクアウト』(04年)で共同監督デビュー、以降はプロデューサーとして『タンジェリン』(15年)、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(17年)、『レッド・ロケット』(21年)などで彼を支え、本作で満を持して単独監督デビューを飾った台湾出身のツォウ・シーチン。
もともと左利きだったツォウ監督の、祖父に右手を使うように助言を受けた実体験が基になっており、パーソナルな物語に文化的・社会的背景を織り交ぜながらも自分らしさを肯定する、温もりの感じられる作品に昇華させています。
撮影は、ツォウ監督の出身地である台湾・台北に実在する「通化街夜市(臨江街観光夜市)」で行われ、iPhoneを駆使して街の奥へと自在に入り込み、そこで生きる人々の日常を立ち上がらせました。
日本公開に先立ち、第26回東京フィルメックスでの上映に際し来日したツォウ・シーチン監督が、Fan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。
──お祖父様から「左手は悪魔の手だ」と言われたという実体験からこの作品が始まったそうですが、そのことについてもう少し詳しく教えていただけますか?
高校生の頃、左手でナイフを使っているのを祖父に見られて、とても厳しく叱られました。「左手は悪魔の手だ。左手を使ってはならない」と。幼稚園の頃にすでに修正されていたので、当時の私は、完全な左利きというわけではありませんでした。だから、自分が何を間違えたのか実はよく理解できませんでした。それは恥というか、とても奇妙な感情で、今でも覚えています。その感情は、私が大学院でショーン(・ベイカー)に話すまで、本当に長い間私の中に残り続けていました。
──この映画における「左利き」は、「他の人とは違う」ことのメタファーだともいえると思います。あなたは台湾で大学を卒業し、アメリカに渡り暮らす中で、「他人とは違う」ことの意味をどのように捉えられるようになったのでしょうか?
台北で暮らしていた頃は、人生を通じて「他の人と同じでなければならない」と言われ続けてきました。例えば、私は生まれつき肌が黒いのですが、台湾だけでなく多くのアジア文化における美の基準では、女性の肌は白いことが美しさだとされています。そのため、台湾に住んでいた頃は、自分がどこにも属していないような、他とは違う人間であるかのような感覚をずっと抱いていました。
ですが、ニューヨークへ渡って勉強や生活をするようになって初めて、自分の居場所を見つけたような気がしました。別の形で受け入れられたと感じました。もちろん、私は今でも部外者(アウトサイダー)です。でも、ニューヨークにいる人々は、違いに対してより敬意を払い、人々の多様性を評価してくれると感じます。「違い」というもののポジティブな側面を見出して、認めてくれる。ですからまさにあなたの言う通り、「左利き」というのは単に左手を使うことだけではなく、「大多数の人々と異なっているために見下される」ということを表しています。

──25年ほど前からこの企画が始まったとのことですが、その頃から「子どもの目線で描く」というビジョンはあったのですか?あなたにとって少女の目線から世界を見る物語を語ることはどのような意味がありますか?
2001年にシナリオを書くために台湾へリサーチに行き、最初のパイロット版を作りましたが、その段階では、まだ物語をどう語るかということにまで到達していませんでした。2010年に再び台湾へ戻り、英語で脚本の最初の稿を書いた時に初めて、物語の起点、中盤、結末についてより明確なアイディアが掴めました。そして、画像や映像を試しに作ってみた時に、幼い少女と一緒に夜市に入り込み、彼女の視点から物語を語りたいと明確に思いました。
少女の視点で物語を語ることはとても自然な方法でしたし、大切だと思いました。なぜなら、幼い少女はとても無垢で、社会の型や規範にまだ染まっていません。幼い子どもの目を通して、大人の世界や、周囲の大人たちや社会によって順応させられてしまった世界を見ることは、とても公平で純粋な世界の捉え方だと思います。
──あなたにとって台北の夜市(ナイトマーケット)はどのような存在ですか?一番魅力に感じているところはどこですか?
台北の夜市はとても特別な場所です。なぜなら、そこには大きなコミュニティが存在するから。多くの人々が毎晩のように夕食を食べたり、交流したり、友人と過ごすために通います。外国人もたくさん訪れます。とても温かいコミュニティで、足を踏み入れれば、知っている人がいて「やあ!」と声をかけてくれる。私も毎年通っていた頃は現地に知り合いがいて、戻る度にとてもフレンドリーに迎えてくれました。特に幼い少女にとっても、とても安全な環境だと感じられます。
2010年に夜市に行った時、お母さんと一緒に夜市で暮らしているひとりの少女に出会いました。彼女は自由に走り回っていて、そこにいる誰もが彼女を知っていました。まるで大きな家族のような、巨大なコミュニティでした。台湾、特に台北において、夜市はとても特別な文化の象徴であり、真に特別な場所だと思います。

──あなたやショーン・ベイカーの作品は、アウトサイダーや社会の中で埋もれて見えづらい存在に焦点を当てた作品が多いと思います。そうした存在への興味が、お二人の絆になっているのでしょうか?
間違いなくそうです。一緒に映画を作りたいと思い始めた最初の頃、私たちは「ドグマ95」(※ラース・フォン・トリアーやトマス・ヴィンターベアらデンマークの映画作家が1995年に始めた、映画制作に厳格なルールを課す実験的な映画運動)の映画をたくさん一緒に観ました。あの映画的な運動は、派手な演出や効果、観客の感情を煽るような音楽を排除し、純粋に「ストーリー」そのものに焦点を当てるものでした。
そうした精神を胸に、私たちは『テイクアウト』、『スターレット』(12年)、『フロリダ・プロジェクト』『タンジェリン』『レッド・ロケット』といった映画を作ってきました。すべてはそこから始まっています。特に『テイクアウト』を作った時は、不法就労の中国人移民と出会い、彼らのストーリーがとても似通っていることを知りました。借金を返すために金を稼ごうとしているのに、当時は多くの人がその実情を知りませんでした。だからこそ「これは人々がもっと知るべき重要な物語だ」と思いました。『テイクアウト』での経験は、私たちに「まだ語られていない、語られるべきストーリーを伝える」という強い責任感を与えてくれました。
今回の『左利きの少女』に至るまで、私たちが作ってきたすべての映画でその精神はずっと生き続けています。まだ語られていない多くのことがあると感じていますし、語られなければ人々は知り得ません。台湾に住んでいる人でさえ、文化の裏に隠された男尊女卑の風潮が今なお残っていることや、人々がそれをただ盲目的に受け入れていることに気づいていなかったりします。もう誰もそれについて話さなくなり、それが当たり前だと思っているからです。だからこそ、もっと議論されるべき事柄だと思っています。
──映画で描かれる苦境に立たされたシングルマザーについて、リサーチのようなものはされたのでしょうか?それとも身近にある話としてよく知っていたのでしょうか?
この映画で起きたことはすべて、私の身近な人々からインスピレーションを受けたものです。2010年に脚本を書いた後、私は毎年台湾に戻り、2010年に夜市で出会った母娘を訪ねて、二人の物語を追っていました。
そのシングルマザーには二人の子どもがいて、彼女の生活はとても大変でした。彼女の家族は夜市で50年も屋台を営み、ビジネスとしては成功していたのですが、彼女の母親が屋台の事業をすべて息子たちに譲ってしまったのです。彼女は非常に厳しい生活を送っていて、生活費にも苦労しているのに、兄弟の屋台で時給制の労働者として働き続けていました。本当に厳しい生活でした。
毎年彼女を訪ねる度に、彼女は自分や周りの人々について聞かせてくれました。誰もがとても似たようなストーリーを持っていました。娘(女性)であるが故に家業を相続できず、事業は息子にしか与えられない。そうした理由だけで、シングルマザーであろうとなかろうと、多くの女性が厳しい生活を強いられていました。女性は結婚すると「他家へ出た」とみなされてしまうから、実家からのサポートが一切得られなくなってしまうこともあります。
なので、この作品に登場するエピソードは、実話や身近な人々から聞いた話がベースになっています。様々なストーリーを集め、夜市でのリサーチや、自分の母の家族・母の友人たちから聞いた話を織り込んでいきました。社会の中で本当に苦闘している女性たちの物語です。
もちろん、これが全員に当てはまる一般的な話だと言いたいわけではありません。あくまで私が聞いたり知ったりした人々の物語です。現代的で伝統に縛られない家族もたくさんありますが、同時に、今なお同じような環境に置かれている家族も多く存在しているのです。

──ご友人のショーン・ベイカーも、今回は製作だけでなく、脚本と編集にも関わっています。なぜ彼に入ってもらおうと思ったのですか?お二人のコラボレーションについて教えていただけますか?
この作品のアイディアは、私とショーンが初めて出会った時に彼に話した、まさに一番最初のアイディアでした。当時の私は、映画学校に通っていたわけでもなかったので、自分が映画を作れるようになるとは思ってもいませんでした。
私たちは編集の授業で出会いました。ショーンがNYU(ニューヨーク大学)のティッシュ校(映画学校)卒業後に最初の長編映画をデジタル編集するためにコースを受けていた時で、たまたま同じクラスになりました。その時から私たちは映画に対して強い情熱を持っていて、「ドグマ95」の作品を一緒に観て、誠実な映画制作スタイルに魅了されました。物語に対するそうした純粋な愛が私たちを強く結びつけ、「人の心に触れるような映画を作りたい」という思いを共有しました。
『左利きの少女』のアイディアを彼に話した時、当時はプロジェクトが大きすぎて実現できませんでした。そこでニューヨークに戻って作ったのが『テイクアウト』です。あの作品は私たちにとって映画作りの基盤となりました。リアルな映画をどう作るか、リアリズムの手法を教えてくれました。たった3,000ドルの制作費で二人で作ったのですが、路上でのキャスティング、実在するロケーションでの撮影、リサーチ、コミュニティとのつながり方を学びました。私たち二人にとってのリアリズム映画制作の教育課程のようなものでした。
彼に出会うまで、私自身が映画監督になれるとは思っていなかったので、これは運命だったと信じています。そして彼にとっても、私と出会ったことで、学校で学んだこととは異なる「新しい映画の作り方」を発見することになりました。映画に対する本当の情熱が、私たち二人の間にとても特別な結びつきを築いてくれました。

──ショーン・ベイカーは子どもの描き方を是枝裕和監督の作品から学んだとおっしゃっていましたが、あなたが今回監督する上で、参考にした作品やインスピレーションを受けた作品はありますか?
子どもたちとの仕事に関しては、私自身のアプローチです。私はとても“のんびりした”人間なんです(笑)。というのも、私は非常に管理された厳格な環境で育ちました。台湾の教育システムや母親からは、「これ一つだけをやりなさい」と強い圧迫を受け、自由がありませんでした。だからこそ、自分の俳優たちにはどんなプレッシャーもかけたくない。自分が演じる役にふさわしいと感じることを、自由にやってもらいたいと思っています。
特に幼い子どもに関しては、演技の仕方を教えることなど絶対にできないと強く感じています。子どもはすでに自分の中にそれを持っているので、教えようとすれば、急に不自然で「いかにも演技をしている」という風になってしまいます。
今回、ニーナ(イージン役)を見つけられたのは本当に幸運でした。彼女は内に秘めたものを持っており、自身を自由に自然に表現する能力がありました。私は現場でいつも「ごっこ遊び」のようなことをしていました。「今、お母さんとお姉ちゃんが横で激しく喧嘩しているフリをしてね。二人の声を聞きながら、同時に自分のことをするんだよ」という風に、現場でそういうアプローチをたくさん行いました。
また、シーユエン(イーアン役)は今回が初めての演技で、経験がありませんでした。そのため、彼女自身の人生経験を役に持ち込んでもらうよう頼みました。
キャスト全員が台湾出身で、台湾で育った似たようなバックグラウンドを持っています。だからこそ、それぞれが自身の体験を撮影現場や役に持ち込めるはずだと信じていました。そのため、事前のリハーサルは意図的に一切行いませんでした。それぞれの創造性を持ち寄り、キャスト全員でその場で作っていってほしかった。誰もが家で準備をし、現場に来て初めて互いに演技を交わしました。
──全編iPhoneで撮影したとお聞きしましたが、どのようなアダプターやシステムで撮影されたのでしょうか?
「Beastgrip(ビーストグリップ)」という会社の機材を使用しました。彼らはiPhone専用に作られた金属製の頑丈なケージを開発していて、さらに独自のアナモフィックレンズも提供しています。とても重いですが、そのおかげで非常に安定するので、手でしっかり持って撮影できます。「Zhiyun」というブランドのスタビライザー(ジンバル)も使用しました。iPhone用やカメラ用のスタビライザーをたくさん作っているブランドで、現場には3台用意して、撮影監督が使いたいものを選択できるようにしていました。

──手軽さや機動性以外で、iPhoneで撮影することのメリットや効果はありましたか?
メリットは、「カメラを隠すことができる」という点。夜市では大きなカメラを構えると、人々から取り囲まれてしまって撮影ができなくなります。主目的は、カメラの存在を消すことでした。最近は誰でもiPhoneで撮影しているので、iPhoneを見て映画を撮っていると思う人はまずいません。それから、機動性に加えて、俳優たちにとってもやりやすいというメリットがあります。特に若い俳優や経験のない俳優にとって、大きなカメラは非常に圧迫感があり、不快に感じさせます。iPhoneなら自分が演技していることすら忘れてしまう時があり、より自然に演技しやすくなります。
視覚的にも、非常に没入感のある映像になります。人物にものすごく近づくことができますし、今作は子どもの視点ですから、彼女の目線の高さまで下がる必要があります。人混みの中に入り込み、キャストと一緒に移動するのも、この小さなスマホとスタビライザーを使えば非常に簡単です。
映画の最初の部分で、トラックの狭い車内に座っているシーンがありますが、カメラマンが一緒に入るスペースはありません。そのため、車の窓ガラスやフロントガラスに直接スマホをテープで貼り付けて、特別なアングルを捉えることができました。また、彼女が壁に向かって横たわっているシーンでも、壁にスマホをテープで貼ることで、通常とは違うアングルを撮影することができました。
この作品では私たちが求めていた「臨場感」や「没入感」を捉える必要があったので、iPhone撮影は完璧に適切な選択だったと思います。
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『左利きの少女』(英題:Left-Handed Girl)
監督:ツォウ・シーチン
脚本:ツォウ・シーチン、ショーン・ベイカー
製作・編集:ショーン・ベイカー
出演:ニーナ・イエ、マー・シーユエン、ジャネル・ツァイ
2025年/台・仏・米・英/中国語/5.1ch/スコープ/108分/日本語字幕:神部明世/G
日本公開:2026年8月14日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
提供:スターキャット
配給:スターキャットアルバトロス・フィルム
公式サイト
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