Column

2021.09.18 20:00

【単独インタビュー】枝優花監督が『息をするように』で問いかけるアイデンティティのゆらぎ

  • Atsuko Tatsuta

伊藤万理華を主演に迎えた枝優花監督の短編映画『息をするように』は、シンガーソングライター・Karin.の楽曲にインスパイアされた青春映画です。

両親の離婚をきっかけに祖母と一緒に暮らすため転校してきた少年アキ(伊藤万理華)は、東京にいた頃と同様に自分に自信が持てず、息をひそめるように生活していた。人気者のクラスメイト、キイタ(小野寺晃良)が声をかけてくれたことをきっかけに、親しくなっていくが、“何者でもない”自分とはつり合わないと距離を置こうとする──。

監督の枝優花は、映画、テレビ、MVをはじめ、写真家としても活躍し、長編映画『少女邂逅』で注目を浴びた気鋭。主題歌「過去と未来の間」や劇中音楽を担当しているKarin.の音楽に通じる「孤独」や「普遍」というテーマを軸に、美しい映像で独自の世界観を築き上げました。「上手く生きていくこと」を強いられる時代、本当の自分と向き合うこととは何なのか。短編とは思えない深味と余韻を残す珠玉の青春映画です。

音楽から発想した短編映画という新しい形式にチャレンジした枝優花監督に、本作に込めた思いをお聞きしました。

──『息をするように』製作の動機は何だったのですか?
この作品の音楽を担当してくださっているKarin.さんから、彼女の曲を使った短編を作って欲しいという依頼をいただいたことがきっかけです。主演の伊藤万理華さんも決まっていました。そういった中で最後に(監督の)私がアサインされたのですが、このような流れは初めてでした。なので、楽曲ありきで伊藤さんとどんなことができるのか、というところから始めました。

──このプロジェクトに感じた魅力とは?
伊藤万理華さんに以前から興味を持っていたことが、やってみたいと思ったきっかけですね。乃木坂46というアイドルから、その後女優になったという漠然としたイメージはあったのですが、たまたまこのお話をいただく半年くらい前に彼女のInstagramを見たら、自分の想像していたイメージと違っていました。自分をカテゴライズして見られたくないという意志を感じ、どんな人なのだろうと興味を持ち始めました。

──実際にお会いしてみていかがでしたか?
良い意味で、そのイメージ通りでした。自分の言葉を持っていて、誰かからどう見られるかというより、自分がどう考えているかに関して、丁寧に向き合っていられる方だと思いました。

──本作では、その伊藤さん演じる男子高校生のアキとキイタの曖昧で親密な関係を描いていますが、脚本を書く際はどのようなところから発想されたのですか?
最初に楽曲ありきのプロジェクトでしたが、曲のイメージをそのまま映像化することには面白さを感じられませんでした。なので、Karin.さんがどうこの曲を作ったのかをお聞きして、そこから自分が思うテーマだとか、伊藤さんの持っているカテゴライズできないような雰囲気を、どうハイブリッドさせようと思いました。Karin.さんとは顔合わせのような形で、脚本を書く前にお会いしました。普段どういう感じで曲を書いているのか、今回の曲に込められた思いとかについてお聞きしましたね。

──男性を演じてもらうことについて、伊藤さんにはどのように伝えたのですか?
伊藤さんには、そのままでいてくださいと。伊藤さんの中にも、女性に近い感覚と男性に近い感覚があるような気がします。伊藤さんが役に向き合ってどう感じるかを撮りたかったので、声を低くしたり、男っぽい仕草とかは一切しないで欲しいと話しました。

──枝監督自身として、この作品でやりたいことは明確にあったのですか?
私は(作品の中で)女の子を描くことが多く、男性を撮ってみたいという気持ちはずっとあったのですが、なかなか機会がありませんでした。

以前、男友達が、「共感してもらえないだろうから他人には言い辛いのだけど」といってこんな話しをしてくれたんです──彼は異性愛者なのですが、自分の中に少女の部分があって、その感覚で女性と接している時がある。その時は、女の子のような気持ちで女の子として向き合っていて、男として接していない、と。男女間の友情は成立しないという話がよくあるけど、男と女の関係でも、もっと別軸のなにかがあると思う、と。

その話がとても腑に落ちました。私の中にも男のような視点があり、ときどき男友達とも男のような感覚で対等に接している感覚があるんです。この感覚をどうやったら映像に落とし込めるのか。そういうことを漠然と3ヶ月くらい考えていたときに、この話をいただいたんです。「アイデンティティのゆらぎ」というテーマは、Karin.さんの歌の中にあるので、そこに合わせて何かを作ってみたいと思いました。

──ジェンダーエキスプレッション(性表現)の多様性についても多く語られるようになってきていますね。少し前に、アレクサンドル・ヴェテールというフランスの男性俳優をインタビューしたのですが、彼は、女性のファッションショーにもモデルとして出演していて、普段でも、いわゆる女性のファッションをすることも多い。でもセクシャリティとしては、トランスジェンダーではなく男性だそうで、彼曰く、「女性的な服装やメイクをするのは、自分の中のフェミニニティを拡大させている自分らしい自己表現」だと。最近ではファッションブランドも、メンズでもパールのネックレスやフリルのシャツなど、従来でいうフェミニンなスタイルのイメージを積極的に打ち出したりもしています。
その感覚はわかります。私が小さい頃、母親は可愛い服を着せたがる傾向があったんです。スカートやフリルの靴下とか。自分の中で、世間一般に言われるような可愛い女の子じゃないという認識があって、そうした服を着ている自分がすごく苦手でした。なぜかはわからないのですが。七五三のときもフリルの靴下を履くことを拒否して、靴下を履かないで写真を撮りました。いわゆる女性らしさに自分が当てはまらない気もしたし、時々、女性性とはなんだろうと、わからなくなったりしましたから。

ファッションにおいても、私の周りの男友達もネイルをしていたり、パールのネックレスをしていたりもします。それを積極的に肯定をしなくても、ただ似合うとか、似合わないとか、そういうところで話したりしています。グッチのようなハイブランドが、世界の顔となっているような人たちを使って発信していたりするし、若い子たちはそれがカッコいいと思っていて。そういった世代が、従来の価値観を壊していってくれているのは良いなと思っています。

──「世代」という言葉がでましたが、価値観はどうしても世代によってどうしても変わってきます。グザヴィエ・ドランが興味深いことを言っていたのですが、彼は10代からカミングアウトしているクィア監督で、今は30歳くらいなのですが、彼は10代の頃には同性愛に対する周囲の偏見もあったし自分の中でも葛藤もあったのに、今の10代にその葛藤はないし、最初から自由で、そこに年齢的な差を感じる、と。枝監督もまだ27歳ですが、この映画で描いている今の10代に関してはどのように感じていますか?
SNSなどで実際に高校生からメッセージをもらったりしますが、LGBTQの認知が上がった分、その上で自分をどう表現していったらいいのか悩んでいる人たちが結構いるなという印象です。そういった部分が私たちの世代とは違う部分も多いです。

それから、その下の小学生はさらに違います。小学生の演技レッスンをした時、恋愛での告白シーンが描かれた台本もあって、もともと男同士の設定だったのですが、生徒たちから「先生、これって男女で組んでやるんですよね」と聞かれたんです。私は「男同士でもいいし、男女でもいいし、女同士でもいいし、自由に好きに演じてみて」と言いました。8歳か9歳でゲイという言葉はなかなか知らないけれど、中には、同性同士が告白するのは“気持ち悪い”という感覚を持っている子はいました。実際そのとき生徒から「先生、男同士っておかしい、気持ち悪いよ」って言われて、私はどうしようと思ったんですね。それで、授業を中断して、男同士がなぜ気持ち悪いと思うのかについて話したんです。聞いてみると理由はなく、テレビを見ていて、なんとなく恋愛は男女でするものなんだという刷り込みによるものでした。だから説明をしていくと、「ああ、そうだね」とすぐに理解できます。自分は男で女の子が好きだけど、男の子で男の子が好きな子もいるんだね、人それぞれなんだねと、10分くらいでわかってくれました。ある意味、積み上げてきた時間も少ないので、スポンジのように吸収していました。世代によって違いもありますが、そういう刷り込みの元となっているメディアの在り方も大きいと感じました。

──「10代は別の生き物」とおっしゃいましたが、今回の高校生の物語を描く上で、10代のリサーチはしましたか?
特別なリサーチはしませんでしたが、私たちが高校生だった頃よりも、いろんなことが複雑になっている気がします。誰かといつもSNSで繋がっていて、逆にそのせいで感じる孤独もあって。でもその反面、根本の悩みは一緒な部分があります。毎日のように送られてくる悩みを見ると、「本当の自分がわかりません」と書かれていて、自分にとって一番しっくりくる自分がわからなかったりするところで葛藤しているのかな、私も10代の頃はそういうことで悩んでいたなと思いました。大人になれば、本当の自分なんてないんだとわかってくるんですけどね。なので、今回は自分が大人になって手放した部分の感覚を、呼び起こして脚本を書いた感じですね。

──「いつも誰かと繋がっている」という感覚は、SNSが出てきてからの感覚ですよね。
私が高校生の頃に、iPhoneが出たんです。それまではガラケーで、iモードの時代でしたから。ちょうど高校2年生の時にLINEが出てきたんですけど、「既読」とか、自分の居場所が誰かに把握されている感覚とかがなかったし、Twitterも走り出したところで、Instagramもなかったので、ネットで何かを書き込んで人と繋がっていくのは、「2ちゃんねる」とかもっとアングラ的にこっそりやっているもの、という感じでした。今はSNSがメインストリーム。とにかくみんなSNSに疲れていますよね。私たちの世代も含めて。「何者かにならなければならない」という圧力を勝手に感じてしまっています。「自分の生活はこんなに地味なのに、あの子はすごく華やかに見える」とか。先日、20歳ぐらいの大学生に会う機会があったのですが、Zenly(ゼンリー)というアプリが流行っていると言っていました。そこに登録すると仲間内でみんなそれぞれの居場所が把握できるんです。リアルタイムで誰がどこにいるのかわかる。

──怖いですね。
そうなんです。衝撃的でした。私が「そんなの絶対に嫌なんだけど」と言ったら、「渋谷とかに行って、今友達がいるってわかったら、そこで会えるじゃないですか」と。そこで、「Zenlyをやって一番良いことは何?」と聞いたら、「SNSでみんなキラキラした生活をしていると思って落ち込んでいたんだけれど、Zenlyを始めたら、みんな家にいることがわかって案外地味な生活をしているんだってホッとした」と。私たちとは感覚が違いますね。

──SNSによる「リア充」疲れってことですね。
自己プロデュースをしないといけないという時代なのかな、と。内部に向けて自分を問わなければいけない時期なのに、他者に向けてどう自分を見せていくことばかりに興味がある。

──『息をするように』はそういう世代に向けての作品でもありますよね。
そういう世代の「自分自身がわからない」という思いを肯定したかったんですね。わからなくても良いんだ、と。今は情報がありすぎる。LGBTという言葉も出てきたけれど、正直、そこに当てはまらない、もっと細かい「違い」がある。LGBTに当てはまらない自分は何なんだっていう思いがあってもいい。“どこにも当てはまらないことを肯定してくれる”作品がまだなかったような気がします。はみ出てしまった人たちが、それでも良いんだと思える作品になったらいいなと思います。でもこれは、10代だけではなく、自分に向けても作っています。私は今のところは異性愛者ですが、たまに自分の中に感じる“この感じ”を、わからないながらも肯定したいんです。

──「どこにも居場所がない」「何者でもない」という不安は年齢を問わずありますよね。
そうですね。この映画を観たら、(映画の中に登場する)伊藤さんは、男なんですか?とか、同性愛の話なんですか?とか聞いてくる人はたくさんいると思うんですが、私としてはそこはポイントじゃないんです。それよりも、むしろ「なんで、そこが気になっちゃったんだろう?」と思って欲しいですね。そこが気になってしまったということは、「どこか他人をカテゴライズしてほっとしたい」自分がいるということだから。それに気づくことは、これから先に必要な理解や対話を生む最初の一歩だと思っています。

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『息をするように』

出演/伊藤万理華、小野寺晃良
脚本・監督/枝優花
音楽/Karin.
主題歌/「過去と未来の間」作詞・作曲 Karin.(ユニバーサル シグマ)
製作/田村克也、東小薗光宏
プロデューサー/久保田恵、天野恵子

日本公開/2021年9月18日(土)よりユーロスペースにてレイトショー公開
配給/ブリッジヘッド
©2021 FAITH MUSIC ENTERTAINMENT INC. UNIVERSAL MUSIC LLC