Column

2021.01.22 12:00

【単独インタビュー】『どん底作家の人生に幸あれ!』アーマンド・イアヌッチ監督監督がディケンズの名作を映画化した理由

  • Mitsuo

イギリスの文豪ディケンズの自伝的傑作小説を映画化した『どん底作家の人生に幸あれ!』は、主人公デイヴィッドの波乱万丈の半生をブラックな笑いで包みながら、ウィットにとんだセリフとファンタジックな映像で紡いだ、笑って泣ける人間ドラマです。

原作の「デイヴィッド・コパフィールド」は、2020年に没後150年を迎えた文豪チャールズ・ディケンズの自伝的要素の強い代表作。ディケンズが自らの著作の中で一番好きだと公言していたことでも有名ですが、現代でも世代を問わず世界中で愛され続けている大ベストセラーです。

メガホンをとったアーマンド・イアヌッチは、辛口政治コメディを描く手腕で高く評価されるスコットランド出身の監督・脚本家。イギリスの無能な大臣の失言から始まる大混乱を追った『In the Loop』(09年)でアカデミー脚色賞と英国アカデミー賞にノミネートされ、アメリカの女性副大統領を主人公としたTVシリーズ『Veep/ヴィープ』(12年〜19年)ではエミー賞を受賞。映画『スターリンの葬送狂騒曲』(17年)では、スターリンの葬式をめぐる政治家たちのドタバタ権力闘争をシニカルな笑いたっぷりに描き、英国アカデミー賞脚色賞にノミネートされました。

ディケンズの長年のファンだというイアヌッチ監督は、「ディケンズの第8作目である『デイヴィッド・コパフィールド』を読み返したとき、これは現代に通じる物語だと感じた」と映画化を決意。人間の不屈の精神を讃える名作をコミカルによみがえらせました。

キャストには世界中の演劇界や映画界から多彩なメンバー集結。主人公デイヴィッドには『LION/ライオン~25年目のただいま~』『ホテル・ムンバイ』のデヴ・パテル、裕福ながらも気性が激しい伯母のベッツィ・トロットウッド役に『サスぺリア』のティルダ・スウィントン、デイヴィッドに付きまとう奇妙な世話係に『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のベン・ウィショーを起用。ほか、『トゥモローランド』のヒュー・ローリー、『パディントン』のピーター・キャパルディ、『ダンケルク』のアナイリン・バーナード、『ドクター・ストレンジ』のベネディクト・ウォンらが集結し、めまぐるしく変転する主人公の半生を彩っています。

『どん底作家の人生に幸あれ!』は2019年トロント国際映画祭でのプレミア上映、ロンドン映画祭でのオープニング上映などで注目され、イギリスでは大ヒット。Times紙は「困難をポジティブに変える魔法のような映画!」と絶賛し、米映画批評サイトRotten Tomatoesでは92%フレッシュと、高い評価(1月20日現在)を受けています。

日本公開に先立ち、イアヌッチ監督がFan’s Voiceの単独オンラインインタビューに応じてくれました。

Photo: Matt Crockett

──監督はチャールズ・ディケンズの大ファンとのことですが、彼の小説の魅力とは?また、彼の小説はシリアスな印象が強いにも関わらず、映画化にあたってコメディ的な作風にした意図は何ですか?
私はいつもディケンズの作家としての面白さに驚かされていました。彼の後期の本は比較的ダークでシリアスで、貧困や悲惨なテーマを書いた作家というイメージが広く定着しているのかもしれませんが、初期の頃の作品は本当に面白くて、私が10代の頃に初めて読んだ時は、声に出して笑うほどでした。それから彼は、チャーリー・チャップリンなどと同じく25歳までに世界的に有名になったイギリス人で、その野心的なところも好きです。エンターテイナーとして商業的である事を恐れず、むしろ人々に様々な問題を喚起するために、そのプラットフォームを活用していたと思います。

──「デイヴィッド・コパフィールド」をいま映画化することの意味や、現代の観客に訴えかける要素とは?
様々な点があります。まず、同じ街の中に裕福な人々と貧困にあえぐ人々やホームレスが隣り合わせに存在しているというのは、残念ながらも現代的なテーマです。それから、アイデンティティの探求。デイヴィッドは自分が何者であるかを模索する一方で、いろいろな名前で呼ばれます。でも彼は徐々に自分を理解し、”書く”という行いこそが、自分を定義するものだとわかるようになります。また、精神的な病という意味では、ミスター・ディックは一種の統合失調症を抱えているし、デイヴィッドも幼い頃は人前で音読が出来なかったという点で、ディスレクシア(失読症)だったわけです。ディケンズはこうした点を自然と観察し、英語で書かれた小説では初めて真面目に描写したのだと思います。

こうした様々な要素から、私にはこの物語が限りなく現代的なものに感じられて、映画もそのようにアプローチするのが大事だと思いました。その時代を舞台としながらも、遠い昔の過去ではなく現在のような感覚を与えるように。

──デイヴィッドは子どもの頃に母親とも引き離され、経済的にも困窮し、どん底に突き落とされますが、彼は不幸な人生だったと感じていると思いますか?
彼は苦労続きの生涯でしたが、幸福を見出すことはできたと思います。調子の良い時と悪い時、その波があるのも彼の一部であり、彼はそんな自分を祝福したいのです。はじめの頃は、自分から逃げようとしたり、自分のことを理解していなかったと思いますが、最後にはそんな自分という人間を受け入れて、それを称えることにします。でも彼自身は、人生のポジティブな面とネガティブな面、その両方で構成されているのです。

──小説から脚本を作り上げる中で最も困難だった点は?
なにせ800ページの大長編ですからね。本当に大勢の登場人物がいるし、映画はこの本のあらすじを追うものにはしないと、早い段階で考えました。小説とは想像の言語であり、空想の旅であり、そこに書かれたあらすじが小説なわけではありません。ですので、物語に冒頭、中盤、終わりがあり、そこへの展開やキャラクターの成長が映し出されるように、初めの頃から躊躇することなく手を加えたりカットしたりしました。ディケンズを強く尊敬する一方で、これは私の映画であるわけで、なぜ私がこの小説にこれほどインスピレーションを受けたのかを示すには、私なりの物語を語らなければならないと思いました。

撮影風景

──ベン・ウィショーが演じたユライアは、原作ではいわゆる悪役だったわけですが、映画ではちょっと異なる描かれ方をしていますね。
その通りです。ベンと私は共に、ユライアをデイヴィッドとちょっと似たキャラクターにするのが良いと考えました。年齢も近く似たような境遇に生まれながらも、二人は異なる道を選んだというね。デイヴィッドは他人の前でユライアを馬鹿にしたりと、ひどい接し方をした面もあり、観客にはユライアへの同情も感じて欲しかった。同時に、デイヴィッドのいわば対極にいる存在としても見てもらうことで、人生の複雑性や脆さというのを示したく思いました。

──あなた自身の人生経験も映画に大きな影響を与えたと思いますが、もっと若い頃、例えば10年前、20年前に本作を撮っていたとしたら、どのような作品になっていたと思いますか?
それは面白い視点ですね。もっとコメディ色が強くなっていたかもしれません。でも歳を重ねるに連れ、その”バランス”というのがわかってくるものです。ダークな面と明るい面。面白い面と悲劇的な面。そのバランスをとることですね。そしてこの映画は希望のある映画にしたく思っていました。前作の『スターリンの葬送狂騒曲』とは違う感じのね。でもその前作がなかったら、本作が作れていたかわかりませんね。その経験があったことで、本作を作る自信を持つことができました。いつもは現代を舞台にした完全なるフィクションを作っていて、『スターリンの葬送狂騒曲』は私にとってはじめての史劇で、歴史を再現しようとしたものでしたからね。前作を作る過程で、デザインやメイク、音楽や撮影を担うクルーと出会い、それがあったから、今度は「デイヴィッド・コパフィールド」も作れるという実感が持てたわけです。

BFIロンドン映画祭にて Photo by Tim P. Whitby/Getty Images for BFI

──過去の「デイヴィッド・コパフィールド」映像化作品は、本作に向けてご覧になったのですか?
影響を受けないよう、ほとんど観ませんでした。でもちょっとだけ観た中で覚えているのは、どれも小説のあらすじを伝えることに力を入れたものばかりだったことですね。それから過去の映像化作品では、原作から描かれなかった場面もいくつもありました。デイヴィッドが初めて酔っ払うシーンなど、楽しくて素晴らしい場面がたくさんあるのに、これまでの作品にはありませんでした。”映画化”作品というのは、文字通り原作っぽく映画化されがちなのですが、私が大事にしたかったのは登場人物の旅や成長で、文学的なものではない、もっと演劇的なものを作りたく思っていました。

──ほかに映画化を考えたディケンズの作品はあったのですか?
「デイヴィッド・コパフィールド」の要素もある、「リトル・ドリット」は大好きです。非常に貧しい境遇にあった人が富を得てまたそれを失うという物語です。でも最終的に「デイヴィッド・コパフィールド」にしたのは、自伝的な要素があったのと、社会的、それから心理的な洞察があったからですね。

──ヴィクトリア朝が舞台の本作で、デイヴィッド役にデヴ・パテルを起用した理由は?
デイヴィッド役にはデヴしか考えられませんでした。彼はデイヴィッドの心を体現している気がして。楽観的で好印象で、同時に力強さもあり、思いやりもあって。デヴは素晴らしいコメディアンでもある一方、演技の幅も本当に広く、悲劇、喜劇、ロマンス、ドタバタ劇まで、様々な役柄を演じることができます。純粋にデヴよりも良い役者が思い浮かばなかったし、彼もイエスと言ってくれました。そして他のキャストもそうやって選ぶのが良いと思いました。出身や背景は気にせず、そのキャラクターを纏ったような俳優をね。この物語はコミュニティがテーマで、多彩な人々や地位の違いを描き出したもので、そう考えると非常に解放感を覚えました。

BFIロンドン映画祭にて Photo by Tim P. Whitby/Getty Images for BFI

──映画界では多様性が特に重視されていますが、キャスティングではその点も意識したのでしょうか?
そういう視点ではあまり考えず、今話したようにキャスティングするのがとにかく良いと思っていました。演劇界ではここ20年ぐらいそのようになっている気がします。特にこれほど多くの史劇が作られているイギリスで、俳優コミュニティ全体の中からキャスティングできない理由なんてあるのか。素晴らしい俳優たちは若手でも本当に大勢いて、今回のような映画のメインキャストの候補から彼らの一部を拒んでしまうのは、犯罪のように思えました。それに、なぜ原作を基にした映画を作るのか。なぜ過去を舞台とした物語を撮るのか。それはその物語が現代に関連があったり、現代について語りかけることがあるからです。物語の世界に入り登場人物と出会う観客に、アットホームで自然に感じてもらうのも重要ですからね。

──あなたは過去作のキャストを再び起用することも多いですね。本作ではピーター・キャパルディや、ヒュー・ローリーらが出演しています。
はい、私の好みですね。前に仕事をしたことがあると色々と話も早いし、彼らがいることで、新しく来たキャストには、今こうしてやっていて上手くいくんだと思ってもらえます。それに、一緒に仕事をして上手くいくと、もっと一緒にやりたいと思うものです。過去に一緒に仕事した人たちを再び集められそうな物語を、私はいつも探し求めていますね。

ヒュー・ローリー、イアヌッチ監督、デヴ・パテル(BFIロンドン映画祭にて)Photo: Darren Brade

──ピーター・キャパルディは『官僚天国!~今日もツジツマ合わせマス~』『In the Loop』では非常に”口撃的”でアグレッシブな役でしたが、本作では温かみのある人物を演じていましたね。彼の俳優としての魅力とは?
ピーターは本当に魅力的な人で、普通に会うと非常に誠実で落ち着いた話し方をするのですが、演じるときは、素晴らしい活力と獰猛さを召喚することが出来て、その点をいつも尊敬しています。同時に彼は知性にも溢れていて、いつも色々と質問をしてくれるのですが、どれも正しい質問なのです。いつもキャラクターを深く掘り下げて、その核となるものを見出そうとしています。それから彼はとても面白くて、いつも驚かされます。この映画の終盤で、デイヴィッドからお金をもらった彼が「本の執筆で?」と言うところ。あれはピーターが考えたセリフです(笑)。 最後の方に撮ったテイクだったのですが、使うことにしました。 彼はとにかく誠実で、現場でも温かい存在です。

──過去に仕事をしたことがないキャストを選ぶときは、どのような点を大事にしているのですか?
まずチームプレーヤーでなければなりませんね。解けないパズルの1ピースとなるのですから。 上手くいきそうかどうか、面談で話しながら判断するわけですが、チームの一員になりたいかや、あまりにも事細かな要求があったりしないかといった点を考えますね。 ギリギリのタイミングで脚本やセリフが変わったり、新しいアイディアが出てきても動じないというだけの自信があることも大事です。ある程度の即興や演劇の経験があると、良いですね。

──ティルダ・スウィントンやベン・ウィショーは今回が初めてだったのですよね?
そうです。ティルダはかなり早い段階で決めたと思います。直接会った事はありませんでしたが、本当に多彩で非常に面白くて、一緒に仕事をしたいとずっと前から思っていました。最初はSkype越しで会ったのですがとても馬があって、 ベッツィ伯母さんという人物を、”北の魔女”のような鬼にしないことに、強く同感してくれました。映画の始めではわずかしか登場しませんが、後になって彼女の優しさがだんだんと輝いてくると思いますし、それを上手く映し出せたと思っています。

ベンも本当に数多くの役で様々な演技を見せていたので、彼が演じるユライアがどのようになるのか、とても興味がありました。

──あなたは毎作で見事なアンサンブルキャストを作り上げていますが、その秘訣は?
うーん、忍耐力ですかね。お互いのバランスが肝なので、同時に15人の役を作り上げるのではなく、1つずつ作っていくことが多いです。今回ではもちろんデイヴィッドから始めて、じゃあベッツィは誰がやるのか。ベッツィが決まったら、ミスター・ディックは誰がやるのか。次はユライア、その次はアグネス…といった具合に、1役ずつ順番に決めていって、チームとして機能するものが出来上がります。サッカー監督も同じこと言うと思いますよ。単に最高のストライカーを獲得するのではなく、互いを高め合うのに最も優れた人々を集めるわけですね。

──本作の衣装デザインや美術はとてもカラフルで、生き生きとしたものになっていますが、そうした”見た目”ではどのようなところを目指したのですか?
フレッシュでモダンな印象を与えたく思っていました。どんな壁紙だったか、ドレスはどんな模様だったか、髪はどんなふうに整えていたかと、1840年当時のディテールを探求しながらも、新しい感じにしたかった。なぜなら、本作は史劇ではないから。観客にはこれは全て過去の出来事だと思って欲しくはなく、私たちの目の前で今現在起きている話だと思って欲しかった。それが全てです。埃っぽくてくすんだものではなく、明るい感じがするように。それから記憶をたどる部分が多いので、どこか摩訶不思議な感じも与えたく思っていました。場面の切り替えに現代的なCGは使わず、キャンバスが降りてきたりといった、実写的な効果を使うようにしました。そうした効果の方が、現代の観客にとってはリアルなCGよりも魔法のように感じてもらえるのではと思いました。「過去を舞台にしたドラマは一切なく、作り方のルールなど存在しなかったらどうだろう」と想像して、とにかくモダンなものを作るようにしました。

──本作の観客にはどのようなことを感じてもらいたいですか?
もしこの映画を楽しんで、ディケンズの原作を読みたいと思ってもらえるのなら、それは素晴らしいことです。特にこの映画の楽観的なメッセージを感じ取ってもらいたいし、家族や友人、コミュニティを称えた物語であることも、今の時代においては特に大事だと思います。そして終わりには、自分たちの事をちょっとだけでも好きになってもらえたらと思います。

──あなたはこれまで数多くのコメディに携わっていますが、喜劇が持つ力とは?
驚かせることができる点だと思います。コメディは、物事に思いもよらなかった角度からアプローチ出来ます。対象とするテーマを軽んじたり、貶すことではありません。そのテーマに驚くような形でアプローチすることで、想像もしなかったような角度から新たな光を当てること。常に私にとってのコメディとは驚きを与えることで、”そう来るだろう”と予想されるのとは異なるセリフや展開を作り続けることですね。

──新型コロナウイルスのパンデミックは続き、アメリカではトランプ氏が様々な物議を醸していますが、現実社会の混乱が進むことを、風刺コメディを多く描くあなたはどのように見ていますか?
私は常に楽観主義でしたが、今ほどこの姿勢を維持することを問われた事はありませんでした。私が心配なのは、真実の崩壊です。人々がファクトや事実を絶対的なものとして見なさなくなり、議論での一要素として扱い自分が信じていなければ無視したり、さらにはファクトを創造してそれが真実であるかのように振る舞ったりしています。「選挙が盗まれた」と言うトランプの嘘は、ソーシャルメディアを通じて多くの人々が信じ、様々なことに発展しています。こうしたことに私は強く危惧しており、パンデミックについても、これは実際には起きていないと現実を否定する人々もいます。イギリスでは、病院が空っぽだという写真をなんとかして撮ろうとする人もいました。ほんとに馬鹿げたことだと思うし、そうした誤った考えが広がってしまう状態も、恐いものだと思います。

──あなたの作品はセリフに込められた細かいユーモアも魅力的ですが、中には他言語の観客には伝わらない部分もあると思います。作品作りであなたが最も大切にしている点は?
ストーリーやキャラクターが魅力的であれば、そうしたセリフの一部が翻訳で上手く伝わらなくても、物語の与えるインパクトに大きな影響はないと思っています。物語自体に普遍的な魅力があれば良くて、私にとって大事なことです。それから私が描く物語では、物事が単純化されていたり”薄まったり”していないと感じてもらうことも大事です。私は複雑性が好きだし、人々も複雑なものが好きだと思います。新しいゲームが発売されても、その複雑なレイヤーや精巧な描写が喜ばれたりしますよね。複雑でしっかりとしたものを求められていると思うし、私もそれに応えたいといつも思っています。

BFIロンドン映画祭にて Photo by Tim P. Whitby/Getty Images for BFI

──これまで政治ドラマに歴史ドラマを手掛け、現在アメリカで放送中の『Avenue 5』はSFドラマだそうですね。今後挑戦してみたいジャンルや設定はありますか?
SFは昔から大好きだったので、今もやりたいと思っています。ホラーは違いますね。お化けやモンスターといったものは…でもモンスターは興味深いと思います。緊張感のあるもの。『スターリンの葬送狂騒曲』は最後の最後まで出来るだけ緊張感があるように描けて、楽しかったです。映画作りでは、人々の感情や行動を語ることが出来るのが私にとっての魅力だし、もっと探求したいと思います。

──映画とTVシリーズ、それぞれの制作におけるアプローチはどのように異なりますか?
非常に異なりますね。映画で語る物語では1つのゴールしかありませんから、まず始めに頭の中で全てを完成させる必要があります。途中で登場人物全員を消して新たな人たちを登場させるなんて自由もないし、ドラマのようにパイロット版を作ることもできません。全てを事前に準備させる必要があります。テレビでは、作りながら考えることが出来るし、撮影中に新たに「きっとこれは面白いエピソードになる」といったアイディア思いついたら、3週間後とか4話先のエピソードにそれを取り込むことが出来ます。作りながら常に変化しているわけですね。それにテレビなら尺も予算も、放映される時期や場所も始めからわかっています。映画は最終的にいくらかかるかもわからないし、どの国でいつ上映されるか、そもそも上映されるかもわかりません。そうした不確定な要素が多いのは映画の怖い面でもあり、ワクワクする面でもあります。テレビは、幅が広くて長いキャンバスが与えられている感じですね。

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『どん底作家の人生に幸あれ!』(原題:The Personal History of David Copperfield)

デイヴィッドは少年の頃、周囲の“変わり者”たちのことを書き留めては、空想して遊んでいた。優しい母と家政婦の3人で幸せに暮らしていたが、暴力的な継父の登場によって人生が一変。都会の工場へ売り飛ばされ、強制労働のハメに!しかも里親は、借金まみれの老紳士だった…。歳月が過ぎ、ドン底の中で逞しく成長した彼は、母の死をきっかけに工場から脱走。たった一人の肉親である裕福な伯母の助けで、上流階級の名門校に通い始めたデイヴィッドは、今まで体験した“作り話”を同級生に披露して人気者になる。さらに、令嬢ドーラと恋に落ち、卒業後に法律事務所で働き始めた彼は、順風満帆な人生を手に入れたかに見えた。だが、彼の過去を知る者たちによって、ドン底に再び引き戻されようとして…。果たして、デイヴィッドの数奇な運命の行方は?すべてを失っても綴り続けた、愛すべき変人たちとの《物語》が完成した時、彼の人生に“奇跡”が巻き起こる──。

監督/アーマンド・イアヌッチ
原作/「デイヴィッド・コパフィールド」チャールズ・ディケンズ著(新潮文庫刊、岩波文庫刊) 
出演/デヴ・パテル、ピーター・キャパルディ、ヒュー・ローリー、ティルダ・スウィントン、ベン・ウィショー
2019年/イギリス・アメリカ/シネスコ/5.1chデジタル/120分/字幕翻訳:松浦美奈 

日本公開/2021年1月22日(金)TOHOシネマズ シャンテ、シネマカリテ 他、全国順次ロードショー!
配給/ギャガ
公式サイト
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