【ネタバレありレビュー】『劇場』恋と夢─2つのドラマが懐かしい痛みを呼び起こす
- SYO
※本記事には映画『劇場』のネタバレが含まれます。
7月17日に、ミニシアター限定の劇場公開とAmazonプライム・ビデオでの配信が開始された映画『劇場』。新型コロナウイルスの影響で公開延期を余儀なくされてしまった本作は、配給会社が変わり、一時はAmazonプライム・ビデオでの独占配信になるというアイデアも出たという。ただ、メガホンをとった行定勲監督からの要望で、「劇場公開と配信が同時スタート」という極めて異例の形をとることになった。
結果的には、より多くの人々が自宅に居ながらにして、気軽に楽しめることにもなり、人の目に触れる機会が増えたのは喜ばしいことだ。もちろん、劇場の大きなスクリーンと良質な音響、外界から遮断された空間で観るからこそ心に深く染み入る要素も多々あり、どちらの形式を選んだとしても、作品の“味”を感じ取れることだろう。間口が広くなる配信か、贅沢な環境で楽しむ劇場か。今後、観客が自由に選択できるシステムが構築されるかもしれない。
従来のイメージを覆す、山﨑賢人の変貌
本作は、芥川賞作家でもあるお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹が、初めて挑んだという恋愛小説が原作。代表作である「火花」より先に執筆を行っていたといい、夢を追って上京してきた劇作家/演出家の青年・永田と、彼の恋人・沙希の約10年間の日々を淡々と、だが哀切な“痛み”を込めて描いていく。「火花」もそうだが、又吉の実体験が文章に血肉を与えており、ある種の生活感がにおい立つよう。
原作を読んだ行定監督は「映画化したい」とプロデューサーに直訴したそうで、彼もまた主人公の永田に、自分自身の青春を重ねたという。いまでこそ『世界の中心で愛を叫ぶ』や『ナラタージュ』などの恋愛映画の巨匠のイメージがあるが、キャリア初期の『ロックンロールミシン』や『贅沢な骨』では、生活臭漂う若者の姿を生々しく描いており、まさに適任だ。
永田の恋人・沙希役にキャスティングされたのは、若手実力派の松岡茉優。『万引き家族』や『桐島、部活やめるってよ』、『蜜蜂と遠雷』など、「他者を気遣うあまり自分の意思を伝えられない」演技のバランス感覚が絶妙で、本作でも傍若無人にふるまう永田に振り回され、愛情はあれど疲弊もしてしまう沙希の苦悩を、的確に演じている。
少々意外だったのは、主演の山﨑賢人だ。彼のパブリックイメージは、漫画の実写化作品に多数出演する好青年。いってしまえば“陽キャ”の代表格である山崎が、どう見ても“陰キャ”な表現者・永田を演じるというののが非常に興味深い。
しかも、本人のたっての希望によるものだそうで、劇中ではぼさぼさのヘアスタイルに無精ひげ、目をぎょろりと動かすやせこけた出で立ちで永田の風貌を表現し、これまでのイメージをかなぐり捨てている。この山崎の豹変ぶりに、まず大きな“つかみ”をかまされるだろう。
2人の間にあったのは愛か、依存か、支配か
映画『劇場』は、永田が原宿や渋谷をとぼとぼと歩き、「どこまでもつだろうか」という意味深なモノローグが重なるシーンから始まる。後からわかることだが、独善的で誤解されやすい彼は、主宰する劇団の団員から反感を買っており、実質解散状態になっていた。金もなく、仕事もなく、唯一すがった夢でも浮上できないまま、相変わらずやってくる日常に押しつぶされそうになっていた彼は、とあるギャラリーの前で沙希を見かける。
その後、彼は彼女をつけて声をかけ、「スニーカーが同じ」というよくわからない話題を振り、彼を不憫に感じた沙希の優しさで、喫茶店に行くことに。そうして「メールの文面を邪推して暴走する」などの失敗を繰り返しながら、少しずつ心の距離を縮めていく。
2人の出会いのシーンは原作でも書かれているものだが、恋愛映画において重要な「初対面」のシーンが、このような設定・温度で描かれるのは実に特異だ。沙希にとっては永田の第一印象は不審者であり、「不器用なラブストーリー」と呼ぶには少々突飛すぎる。
ただ、本作においてはこのシーンに象徴される2人の立ち位置が、後々重要な意味を成していく。つまり、「恋愛と依存、或いは支配の境界」だ。永田は、屈託なく笑う沙希と出会い、心が浄化されると感じて好意を抱くように。その後、彼女の家に転がり込むが、そこからの展開は完全なるヒモ男だ。光熱費を払わず、半ば沙希に寄生する形を続け、酔っ払っては大声を出し、自分の芸術論を振りかざし、横柄な物言いで傷つける。
沙希の実家から食料が送られてきた際には、沙希の母親の物言いが気に食わないと難癖をつけ、専門学校の学生である沙希が同級生からバイクを譲り受けると、嫉妬から破壊、最終的には沙希が精神を崩す原因となり、彼女は東京を後にする。永田にとっては愛や好意なのだが、それらがすべて独りよがりなものであり、支配欲が浮き彫りになっていくのだ。沙希と出会って創作欲に火がつき、新作舞台の上演に際して沙希をキャスティングするシーンでは、出演した沙希が人気になるや、嫉妬から彼女を遠ざけようとしてしまう。
こうやって文字にしていくと、本当に救いようのない主人公なのだが、沙希を不憫に思う気持ちこそあれど、永田を糾弾できない感情になるのが実に趣深い。同時に、沙希が純然たる被害者にも思えないのではないか。沙希は沙希で、「遠慮しすぎ」なところがあるし(後半になるとそこがはがれ、優しかった彼女が毒を吐くところが心痛だ)、2人の間に幸せな時間も確かにあったのだから。
褒められたものではないが、多かれ少なかれ、観客個々人の中に、「思いやりを持てなかった若き日の失恋に対する後悔」はあるのではないか。『劇場』はそれぞれの心に残る“傷”を呼び起こし、懐かしい痛みを思い出させる。「あのとき、もっとこうしていれば」と考えても、もう遅い。傷つけてしまったこと、傷つけられてしまったこと、すべてが蓄積されて、やがて生涯を添い遂げる人に出会うための布石となっていくのだろう。
表現者の業と悲哀を克明に描写
しかし、『劇場』は単なる失恋ものに終わらない。本作を統べるもう一つの重要な要素は、「作り手の業」だ。行定監督が本作の映画化を熱望したことにも通じるが、本作はラブストーリーに、どうしようもない表現者のドラマが絶妙に絡んでいる。
上に紹介したような永田の所業の数々は擁護できるものではないのだが、彼の心の中には常に「ものを作らなくてはならない」「表現者でなければならない」という強迫観念が付きまとい、同時に「自分が凡庸だと認めたら終わり」という危機感も在る。彼は恋愛下手かもしれないし沙希を利用してしまったかもしれないが、一貫して純粋な表現者ではあるのだ。何年もの間もがき苦しみ、成功したいと願い続ける。そんな彼の内面に触れていくうち、作り手という生き物の厄介さ(それは自分・他者双方に対して)に気づかされていくことだろう。
表現者は半ば呪いのように、自分や他者の人生を犠牲にしても創作に打ち込んでしまう(打ち込まなければならない)ときがある。しかし、自分や大切な人の人生をすべてつぎ込んだとしても、成功できる者は一握りだ。
寛一郎演じる永田の相棒・野原が「お前さ、自分のこと才能があるって思う?」と鋭く問いかけるシーンや、永田が圧倒的な才能を持つ同世代の演劇人・小峰(井口理(King Gnu))に出会い、耐えがたいほどの焦燥と恥辱にまみれてしまうシーン、「才能があるってわかってる」と言う沙希に永田が「そんなわけねえだろ!」と当たり散らすシーンなど、恋愛要素だけではない「表現者の苦悩のドラマ」を、本作は生々しく、残酷に描いていく。
また、劇中では永田のモノローグも印象的に挿入されており、自制できない衝動や焦燥によって、彼が沙希に対して「間違う」ことが示される。沙希を喜ばせたい、だが夢も追いかけたい、その相克の中で、永田も沙希も両立を目指すが、現実は厳しく──。沙希は地元で人生をやり直し、永田は1人で創作に邁進していく。
2人の最後の会話がそのまま演劇公演へとスライドしていき、永田の隣にいたはずの沙希が舞台女優に代わり、その光景を客席から沙希は眺める──クライマックスのこのシーンは、映画ならではのドラマティックな仕掛けだが、現実ではかなえられなかった“2人で生きる夢”を演劇だけがかなえてくれるという展開は実にほろ苦く、観る者の涙を誘う。
恋愛の痛みだけでなく、作り手の痛みをも見事に描き切った『劇場』。きっとこの先も、観る者の思い出と結びつき、忘れられない作品になっていくことだろう。
==
『劇場』
高校からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で脚本家兼演出家を担う永田(山﨑)。しかし、前衛的な作風は上演ごとに酷評され、客足も伸びず、劇団員も永田を見放してしまう。解散状態の劇団という現実と、演劇に対する理想。そのはざまで悩む永田は、言いようのない孤独を感じていた。そんなある日、永田は街で、自分と同じスニーカーを履いている沙希(松岡)を見かけ声をかける。女優になる夢を抱き上京し、服飾の学校に通っている学生・沙希と永田の恋はこうして始まった。お金のない永田は沙希の部屋に転がり込み、ふたりは一緒に住み始める。沙希は自分の夢を重ねるように永田を応援し続け、永田もまた自分を理解し支えてくれる沙希を大切に思いつつも、理想と現実と間を埋めるようにますます演劇に没頭していき―。
出演/山﨑賢人、松岡茉優/寛 一 郎、伊藤沙莉、上川周作、大友 律/井口 理(King Gnu)、三浦誠己、浅香航大
原作/「劇場」又吉直樹 著(新潮文庫)
監督/行定勲
脚本/蓬莱竜太
音楽/曽我部恵一
日本公開/2020年7月17日全国公開/配信
配給/吉本興業
公式サイト
Amazon Prime Video作品ページ
©2020「劇場」製作委員会