Column

2019.10.19 15:00

【単独インタビュー】『ガリーボーイ』ゾーヤー・アクタル監督

  • Mitsuo

階級社会が根強いインドで貧困に苦しむ青年がラップと出会いフリースタイルラップの大会で優勝を目指す、実話にインスパイアされたサクセスストーリー『ガリーボーイ』。

ムンバイのスラム街ダラヴィで生まれ育ったムラド(ランヴィール・シン)は、真っ当な職に就いてほしいと願う両親に大学に通わせてもらいながらも、自身で変えることも抜け出すこともできない貧しい生活に、怒りと諦めを抱えて生きていました。そんな中、ラップと新たな友人との出会いが、彼の心を震わせます。周囲からは笑われ、親に反対される一方、かけがえない友情や恋も経験し、ムラドは”ガリーボーイ(路地裏の少年)”として突っ走ることを決意します──。

本音をラップにのせて、スラムを飛び出し世界に発信していく“ガリーボーイ”。物語の背景にはインドが抱える貧富の格差、宗教的差別、抑圧された社会から解放されたいと願ういまを生きる若者の姿が描かれ、どうしようもない現実に真っ向から立ち向かう姿に、胸を打たれます。

北インド界の実力派女性監督ゾーヤー・アクタルが、インドで活躍するアーティストNaezy(ネィズィー)とDevine(ディヴァイン)にインスパイアされて描く『ガリーボーイ』。主演はインド映画界の大スター、ランヴィール・シン。プロデューサーにはUSヒップホップ史に燦然と輝くラッパーNAS(ナズ)が名を連ねています。

1972年、ムンバイ生まれのゾーヤー・アクタルは、父は有名な詩人・作詞家で『炎(Sholay)』(75年)などヒット作の脚本家としても知られるジャーヴェード・アクタル、母は脚本家のハニー・イーラーニーという芸術家の両親の間に生まれました。インドの大学を卒業後、ニューヨーク大学の映画学校で映画製作を学び、『Bombay Boys』(98年)の助監督として映画界入り。『チャンスをつかめ!』(09年)で監督デビューし、続く『人生は一度だけ』(11年)はヒットし、舞台となったスペインにインド人観光客が押し寄せるほどの現象に。以後、アヌラーグ・カシャプ、カラン・ジョーハル、ディバーカル・バネルジーという個性的な大物監督と組んで2本のオムニバス作品『ボンベイ・トーキーズ』(13年)と『慕情のアンソロジー』(18年)を発表。2019年には米映画芸術科学アカデミーより新規会員に招待されました。

リーマー・カーグティー(脚本)、ゾーヤー・アクタル監督

『ガリーボーイ』の日本公開に先立ち、子どもの頃に旅行で来た以来2度目の来日を果たしたアクタル監督が、Fan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。

なおインタビューには、本作の脚本を手掛け、初来日を果たしたリーマー・カーグティーも同席してくれました。アクタル監督とカーグティーは、『Honeymoon Travels Pvt. Ltd.』(07年)で知り合い、以降お互いの監督作で脚本を提供し合ったりと協力関係が続いています。

──2014年頃にNaezy(ネィズィー)とDivine(ディヴァイン)と出会ったそうですが、その経緯と二人の印象について教えてください。
監督 前作のエディターはミュージシャンだったのですが、編集している時にとある動画を見せてくれました。それが21歳のNaezyのミュージックビデオでした。見るからにiPadかiPhoneで撮影してネットに載せた動画だったのですが、ムンバイ出身のアーティストでは見たことにない、ホンモノのヒップホップでした。ほかのアーティストはどれもラップのように聞こえるだけの商業的なもので、私は興味はありませんでしたからね。でもその動画は何度も何度も繰り返し見て、夢中になってしまいました。

知り合いのミュージシャンに連絡をして、Naezyと会う機会を作ってもらい、リーマーには、絶対に面白いストーリーがあるから会った方が良いと言って、結局一緒に友人の家で彼と会いました。30分のミーティングのはずが、3時間になってしまいましたよ。ひたすら彼の人生についてを話していたのですが、彼には偽りのないリアルさ、本物さがあって、とにかくその若さと、自身で(歌詞を)書いていたことに、驚かされました。彼には深い哲学とヒップホップに対する深い理解があって、ヒップホップとはどんなものであるべきか、本物のヒップホップに必要なものは何かといったことを、よくわかっていました。彼の曲は自身の人生や家族、社会経済をテーマにしていて、メインストリームのポップカルチャーでは誰も触れないことを、歌詞にしていました。とても興味を惹かれました。それから彼は私たちをライブに招待してくれたのですが、そこで前座を務めていたのがDivineで、私たちと話すきっかけになりました。

──二人にインスパイアされた映画を作りたいと伝えた時は、どのような反応でしたか?

監督 とても前向きでした。飛び上がって喜んだりする感じではありませんが、嬉しそうな様子で。

リーマー 二人はとてもオープンで、家に招待してくれたり、家族や友人を紹介してくれて、いろいろと助けてくれました。

──そしてNAS(ナズ)もプロジェクトに加わるわけですが、それが決まった時のあなたたちの反応は?曲以外でNASが関わったのはどのあたりですか?
監督 曲を作ったのと、彼なりに映画をプッシュしてくれました。もともと最後の曲をアーティストに作ってもらいたいと思っていたので、私たちからNASに連絡をとったのですが、そしたら彼はストーリーをとても気に入ってくれて。NaezyとDivineにとってNASは”神”のひとりですから、これは大変な出来事でした。まさかNASと一緒に曲を手掛けることになるなんてね。それからNASはエグゼクティブ・プロデューサーになれるかと申し出てくれてました。みんな「もちろん!」言ったわけですが、私にとっては”承認の証”をもらったような感じでしたよ。

──現在のインド社会において、この映画はどのような意味を持つのでしょうか?あなたにとって、今のタイミングでこの映画を作ることは、何かしらの重要性があったのでしょうか?
監督 物語の語り手、フィルムメイカーは常にアイディアを探していて、アイディアの蓄えもたくさんあるわけですが、何かワクワクすることが起きたりするのがきっかけで、一つのアイディアが頭から離れなくなってしまうことがあります。それが脚本を書いて映画を撮るには、人生の2、3年を捧げることになりますが、それほど強く訴えかけるものを感じることがあります。計算した上で今このタイミングでこの映画を撮ろうということではなく、「今はこの映画のことしか考えられない」という状況になってしまう。自分の心を動かしワクワクさせてくれるものに、反応するわけですね。

『ガリーボーイ』はヒップホップとひとりの青年の映画ですが、その奥には社会格差やインドの階級システムというテーマがあります。社会の1セクションがどのように扱われているか、私たちと一緒に仕事をしたり、私たちのために働いてくれる人たちは、どんなに近くにいる存在でも、そこには非常に大きな溝があります。それは彼らにとって大変な足かせになることがあって、そうした面をこの映画では一番大きく描きました。さらには、アートはその壁を壊すことができるということもね。この映画がなければ、今こうして私があなた(筆者)と話していることもないでしょうから。

ムラド(ランヴィール・シン)

──階級と芸術の話が出ましたが、スカイというキャラクターは上級階級の出身で、アメリカ東海岸に留学していて、社会問題に対して意識的なわけで、まさにあなた自身のようですが…(二人とも、大笑い)、このキャラクターはあなた自身のメッセージを伝えるために登場させたのですか?
監督 そうです、私と似ていますね。スカイは恵まれた出身で、同情深いし、身分に逆らって立ち上がろうとする人に興奮するタイプです。でも彼女の心配事はムラドとはまったく異なり、夜にグラフィティを描きに出るシーンにあるように、環境問題や醜形恐怖、肌の色や人種差別です。ムラドはこうしたことが関心のネタになっていることは理解していますが、彼自身の心配事といえば、衣食住とネット環境という、基本的ながらも自分が困っていることです。スカイとムラドは似ているようでもあり、この点ではまったく異なっているわけです。

スカイという人物を登場させたのは、この映画でたくさんのことに触れるためですね。アートが壁を壊すと言う時に、スカイはこれを体現する役目を負っています。彼女はムラドの音楽にとても興奮されたから、手を差し伸べて2つの階級をブリッジするわけです。ムラドがあの曲を歌っていなかったら、スカイが彼と関わることはないでしょう。もちろんその後、ムラドの女性関係の面で脚本上の”道具”になるわけですが、こうしたことは物語を書いていると起きてしまいますからね。でも彼女が登場したメインの目的は、アートは壁を壊すということを伝えるカタリストとしてです。

スカイ(カルキ・ケクラン)とムラド

──スカイのような、階級を超えてアーティストに手を差し伸べる人は実際にインドにいるのですか?
監督 はい、もちろんです。

──ラップは比較的男性が多い世界で、本作でもほとんどのラッパーが男性ですが、女性のあなたがそうした題材を扱うことで気にしたことはありますか?
監督 おっしゃる通り男性ばかりで、女性でも2、3人は良いアーティーストがいるのですが、それだけしかいないのが悲しいところです。(映画のための)ワークショップの時には45人くらいの男性が集まっていて、「女性はどこにいるの?女性がもっと要る」と言うと、クルーから「うーん、でも彼女たち、あまり良くないから…」と言われたのを覚えています。

私は前に男3人の映画を作ったことがありますし、「”男映画”を作るんだね」とよく言われたりもするのですが、私としてはそういった見方はしていなくて、自分を興奮させてくれるストーリーなら、男なのか女なのかは、気にしていません。

──あなたの両親は作詞家、脚本家、詩人といった仕事をしていて、あなたにとって”言葉”は小さい頃から大きな意味があったと思いますが、これはラップやヒップホップに興味を持つ上でどのような影響があったのでしょうか?
監督 その通りだと思います。音楽には歌詞の面で昔から興味がありました。私の父は7世代に渡る詩人の家系なので、詩は昔から身近にあったし、弟も私も、詩を書くことを勧められました。私は主に英語で書きますが、確実に私の人生や教養の一部分を占めていて、仕事をする中で詩をモチーフにすることが多くあります。詩は好きだし、アイディアの方向性を正してくれます。ラップはその延長のような、非常に力強いものです。

──本作でお父様に歌詞を書いてもらった曲もあるとか?
監督
 はい、父とDivineが一緒に書いた曲があります。基本的にムラドがこの映画の”詩人”なわけですが、詩はすべて父が書いたものです。特にこの曲は、ムラドが車の中で口走る詩が後に変わったものですが、ヒップホップの言葉遣い、特にムンバイのヒップホップでのストリート言葉には特有のスラングがあって、70代の父が慣れているものではありませんからね。そのため、父が詩を書いて、曲のようなものも付けたのですが、それをDivineに渡して、言葉遣いを含め編集してもらいました。まったく違った2人の協力によってできた曲なのですよ。

──この映画ではムラドをはじめとしたキャラクターの自己発見と変化のプロセスを描いているとも言えますが、あなた自身にはそういった体験がありますか?
監督 何度もあると思います。一度では無く、今でも起きている気がするし、これからも起き続けて欲しいと思っています。新しい自分を発見し、自分を再定義し続けていくことですね。”私はこんな人”と思っていても、5年後にはそうでなくなっていると感じることは何度もあります。変化を追い求めるのではなく、今の自分を追求していくことによって、これまでとは違うものが突然出てくるという。それが素晴らしいのです。

──そのプロセスを繰り返していく上で、大切に思っていることはありますか?
監督
 不変なものは何もない、ということですね。私たちには自分が描く人物像が頭の中にあって、それを大事に守ろうとします。時にそれが役立つことがあって、例えば”私はタフだ、私はタフだ、私はタフだ”と自分に言い聞かせることで、助けられることもあります。でも3年くらい経って、もうそのタフさというのは要らなくなってしまうことだってあります。状況が変わって、もっとソフトな人物にならなければならなかったり。ですので、そうした自分に対する考えというのは、うまく役立つ時もあるけど、時には手放さなければならないこともあると知っておくのが大切だと思います。

──登場人物と俳優についてもう少し詳しく話したいと思います。ムラドは、物語のはじめでは内向的とも言えるほど穏やかですが、ラップを通じてドラマチックな面が見えてきます。この役にランヴィールをキャスティングする上で、鍵になったのはどういったところですか?彼の演技を引き出す上で、気にかけたことなどは?
監督 あまり公では見せませんが、ランヴィールにはそうした繊細な面が確実にあります。彼は非常に敏感で、人を鋭く観察する目を持っているし、場の雰囲気をよく感じ取ります。彼はラップもするし、熱烈なファンで界隈とも深くつながっています。前にも一緒に映画を作ったので、彼とは何年も前から仲が良く、彼がラップをしたがっていたことも知っていました。彼がそうした役に全力を注ぐこともね。彼はムンバイ出身なので、ストリートスラングにも慣れていて。彼は努力家でこの役を希望したので、パーフェクトでした。

──ところで”ガリーボーイ”という名前の由来は?
監督
 Divineの影響ですね。彼のクルーは”ガリーギャング”という名前でした。この映画はムンバイが舞台で、ムンバイといえばガリー(=路地裏)ですし、私たちは「”ガリー”っていいね」「”ガリーボーイ”っていいね」と言っていました。ずっとこれが仮題で、それがそのまま残りました。

──MCシェール役のシッダーント・チャトゥルヴェーディーは本作が映画デビュー作だったということで、驚きました。
監督 前に配信用の番組に出演したことはあるそうで、まだ観ていないのですが、聞くところによると本作とはまったく違った役だそうです。

撮影まであと3週間と迫る中、気にいる人が見つからずこの役の俳優がまだ決まっていなかったところ、とあるパーティーで踊っている彼を見かけました。「体が大きくて、フレンドリーな人を探しているの」と話しました。彼の笑顔は最高で、リズム感もあって。それに彼は俳優だと言うのです。ぜひオーディションに来てもらったら、彼は完璧でした。本当に素晴らしい運のめぐり合わせでした。

MCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)とムラド

──アーリアー・バットが演じたサフィナは、始めの頃のムラドとは正反対の、力強い女性ですね。これは今のインドの女性像を反映したものですか?
監督
 一部の女性、ですね。

リーマー 典型的な女性というわけではありませんね。

監督 サフィナはもともとは、リーマーが別の映画に向けて書いた脚本のキャラクターです。その映画が実現しなかったので、この映画に合うように変えて、使わせてもらいました。

リーマー この映画にうまくフィットするキャラクターだと思います。このキャラクターの難しいところは、強く印象に残るキャラクターになることはわかっていましたが、単にムラドの彼女だけで終わらせたくもなければ、彼女を使ってステートメントを発信するようなこともしたくありませんでした。日本にもあるかと思いますが、女性の方がちょっぴりタフだというジェンダーバイアスがインドにもあるのでね。彼女はこういったことが嫌いです。彼女は必ずしも善人ではなく、ネガティブな面や暴力的な面、怒りっぽい面もあります。これは彼女のなにかしらの経験から来るものでしょうが、私は彼女をとても珍しいキャラクターと捉えていて、このような人物を、インド映画で描くことができたのは良かったと思います。

ムラドとサフィナ(アーリアー・バット)

──本作はベルリン国際映画祭をはじめ、各国で好評を得ましたが、インドの観客、特に社会的地位によってその反応に違いはありましたか?
監督 いいえ、特にありませんでしたね。まったくこの映画を観なかった地域もありました。都市のヒップホップを扱う非常にアーバンな物語ですから、単に興味が惹かれなかったのだと思います。

リーマー 一部の地方に比べて、あまり映画がヒットしなかった都市もあります。とある牧場に行く途中、ガソリンスタンドで5分ほど車を停めている間に、「ガリーボーイ」と書かれたTシャツや、”Apna Time Aayega”といった映画に登場するセリフ・歌詞が書かれたTシャツを着た人を10人も見かけました。

監督 その人たちは別に映画を観ていないんじゃない?

リーマー いえ、観ていたと思います。みんな若いヒップスター風だったので。きっとそのTシャツはフランスの高級ブランド品ではないでしょうから……このような海賊版のグッズが出回るのは、私にとっては最高の賛辞ですよ(笑)。

──NaezyとDivineの反応はいかがでしたか?
監督
 少々圧倒された様子でしたが、とても気に入ったと言ってくれました。二人とも社交辞令的にただ褒め言葉を発するタイプではなく、そういった意味で正直な人なので、良い反応だったと思います。

──先日『ロケットマン』のデクスター・フレッチャー監督と話していた時、”良いミュージカルとはストーリーと音楽が融合し、共感を生むもの”といった趣旨の話をしていました。本作はいわゆるミュージカル映画ではないかも知れませんが、音楽を使いキャラクターの心情を効果的に訴えかけています。音楽の部分とそうでない部分のバランスとる上で心がけたことはありますか?
監督
 私がいるヒンディ映画業界では、どの映画もある意味ミュージカルのようなものですからね(笑)。キャラクターの内面を音楽を使って外に出していくというのはすでに行われていて、今ではマーケティング目的でさらに曲を挿入していっている状況ですね。私たちが映画を作る時は、ストーリーの構造がぶれないように心がけています。『ガリーボーイ』は主人公がミュージシャンなので比較的容易でしたが、他のどの映画でも、”売る”ために曲を挿し込んでいかなければなりません。ストーリーの構成をベースに、キャラクターの延長として曲を付けていくのが、どの映画でも挑戦となります。本作でもそれがうまくできていると良いなと思いますし、私は本作をミュージカルとして捉えていますよ。

──数多く登場した音楽の中で、あなたにとって特に大切な曲はありますか?
監督 もちろんどの曲も大切ですが、私にとってとても大事だった曲が2つあります。1曲目は、ムラドが最初にレコーディングする「Doori」。2つの階級の格差と距離を歌ったものですね。ムラドのような立場の人には、自分たちのことを真っ当に認めてもらっていないと感じてもらう一方で、反対の立場にいる人には、「なぜこの状況を許してしまっているのか」と感じてもらうのが狙いでした。2曲目は、映画の終盤でムラドが歌う「Apna Time Aayega」。この曲こそが、映画の物語やスピリットをまとめていますからね。

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『ガリーボーイ』(原題:Gully Boy)

インドのムンバイにあるスラム出身のムラド(ランヴィール・シン)は、雇われ運転手の父を持つ貧しい家の青年。両親はムラドが今の暮らしから抜け出し成功できるよう、 彼を大学に通わせる為に一生懸命に働いていた。しかしムラドは、親の想いを知る由も無く、地元の悪友とつるみ、親に内緒で身分の違う裕福な家庭の恋人と交際していた。俺の人生はこの先も変わらない……そう思っていたムラドだが、ある日大学構内でフリースタイルラップのパフォーマンスをしていたMCシェール(シッダーント・チャトゥルヴェーディー)と出会い、ラップの世界にのめり込んでいく。親からの反対、友情、恋、様々な経験をし、フリースタイルラップの大会で優勝を目指す。

主演/ランヴィール・シン
監督/ゾーヤー・アクタル
出演/アーリアー・バット、シッダーント・チャトゥルヴェーディー、カルキ・ケクラン
2018年/インド/154分/日本語字幕:藤井 美佳/字幕監修:いとうせいこう/5.1ch/シネスコ

日本公開/2019年10月18日(金)より 新宿ピカデリー他“本音開放ロードショー”
配給/ツイン
公式サイト