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2019.09.01 9:35

【会見全文】『ジョーカー』ベネチア公式会見に主演ホアキン・フェニックス、トッド・フィリップス監督らが登壇

  • Mitsuo

ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』が、開催中の第76回ヴェネチア映画祭にてイタリア現地時間8月31日(土)にワールドプレミアされ、主演のホアキン・フェニックス、共演のザジー・ビーツ、トッド・フィリップス監督、プロデューサーのエマ・ティリンジャー・コスコフらが公式会見に登壇しました。

左より)エマ・ティリンジャー・コスコフ(製作)、ホアキン・フェニックス、トッド・フィリップス監督、ザジー・ビーツ

会見に先立って行われたプレス向けのスクリーニングはたいへんな盛り上がりを見せ、さらに会見会場に監督やキャストが入場すると、盛大な拍手と歓声で迎えられました。

DCコミックにおいてスーパーヒーロー、バットマンの宿敵として登場する人気のスーパーヴィラン(悪役)のジョーカー。本作では、アーサー・フレックというひとりの孤独な男が、ジョーカーになるまでのオリジンストーリーが描かれます。これまでのアメコミ映画の枠にはまらない、新タイプの作風でアメコミの人気キャラクターをどう描くのか、期待が高まっていた注目作です。

© Niko Tavernise

監督は、ブラッドリー・クーパーの出世作であるコメディ『ハングオーバー!』シリーズでブレイクしたトッド・フィリップス。

主役は、3度のアカデミー賞ノミネートを誇るホアキン・フェニックス。同じ建物に住むシングルマザーのソフィーを『デッドプール2』のザジー・ビーツ、また、アーサーに影響を与えるテレビ司会者のマレー・フランクリンを名優ロバート・デ・ニーロが演じています。

──(監督へ)この映画はこれまでのあなたとは違った作風ながらも、ジョーカーだけでなく、あなた自身のオリジンストーリーのようなところもありますね。ニューヨークが舞台で、時代も70年代頃ですし。
フィリップス監督 そうですね。でも私自身にとっては、いままでとそんなにかけ離れたようなものとは思っていません。これまでの私の映画とは異なったトーンではありますが、究極的には、映画とはストーリーを語るもので、始まりから中盤を経て、エンディングにたどり着くものです。子ども時代に観た映画からは確実に影響を受けましたし、70年代の映画にあった素晴らしい人物の掘り下げ方をコミックをベースにしたジャンル映画でやってみれないのか、と思っていました。ジョーカーのようなキャラクターを本当の意味で深堀りし、素晴らしい役者とクルーを揃えられたら、特別なものが作れるんじゃないかと。

トッド・フィリップス監督

──これまでのスーパーヒーロー映画、特にDC映画と比べても、この映画はとても異なっています。きっと大成功を収めるでしょうが、この映画が成功したら、今後のDC映画の未来にとってどのような意味があると思いますか?またこうした監督主導の映画が、マーベルとの競争において価値のあるものになっていくと思いますか?
フィリップス監督 マーベルとの競争についてはよくわかりませんし、私はコミックの世界にいたわけでもありませんが、最初にこの映画のアイディアを思いついたとき、このジャンルに対して非常に異なったアプローチをとることを考えました。他のフィルムメイカーにどのような影響を与えるかはわかりませんけれど。コミックが原作の映画は非常に成功していますし、必ずしも変化を必要としているわけではないと思います。このジャンルにおいて今回のアプローチをとることは、とても面白いものになると考えただけで、それがDCやマーベルにどんな意味を持つのか、また彼らの今後のやり方に影響を与えるかについても、私にはわかりません。今回の映画は、DCや映画スタジオを説得するのが難しいものだと初めからわかっていましたが、本当に特別なものになるような気がしたので、プッシュし続け、最終的にはスタジオ側も腹をくくってくれて、我々がやりたいようにやらせてくれました。そのことについては感謝しています。

──コミックにはないオリジンストーリーを自由に描けるのは、特に魅力的なことだったと思いますが。
フィリップス監督 高い自由度がありましたが、それはコミックにおいても、ジョーカーというキャラクターには決まりきったオリジンストーリーがなかったからです。これはコミックの中でも彼自身が面白がっていて、(「バットマン:キリングジョーク」では)“自身の過去には選択肢がある方が良い”と言っているくらいです。ルールや限度が存在しないことから、とても自由を感じました。一緒に脚本を書いたスコット・シルバーと私は、完全に狂ったものが出来るまで、毎日切磋琢磨しました。

──ジョーカーは様々な役者がそれぞれの解釈で演じ、製作された時代によっても変化する、アメリカにおけるハムレットのような存在になった気がします。これまでのジョーカー、それから今我々が生きる時代に、どのくらい影響を受けたのでしょうか?
フェニックス 私にとってのこの映画、このキャラクターの魅力というのは、我々なりのアプローチで向き合えることでした。そのため、過去になされたこのキャラクターの解釈というのは参考にしませんでした。ある意味、自分たちなりのクリエイションだと感じられることが、私にとって大事なことで、鍵でした。

ホアキン・フェニックス(左)

フィリップス監督 映画は社会の鏡になることがよくありますが、その社会の型になるわけではありません。なので、この映画は70年代後期、80年代初期が舞台となっていますが、脚本を書いた2017年のトピックが必然的に物語に組み込まれているところもあります。それに気がつく人もいれば、ジョーカーのオリジンストーリーに対するただの新しい解釈だと思う人もいるかもしれません。観客に向けて明確な定義を提示することは嫌ですが、これが政治的な映画でないことは確かです。どのような視点でこの映画を観るか次第ですね。

──ジェリー・ロビンソンのジョーカーから引用したところ、「キリングジョーク」を参考にしたところはありますか?とあるシーンで「Ace in the Hole」と書かれた看板がありましたが、これはビリー・ワイルダーの映画(『Ace in the Hole』51年、邦題『地獄の英雄』)と関係があるのでしょうか?
フィリップス監督 (ビリー・ワイルダーに関して)いいえ、関係ありません。コミック原作の映画を作ると、たくさんの観客がこちらが意図しなかったことに意味を見出したり、深読みして特定の解釈がなされたりしますが、その部分は特に関係ありません。

過去のコミックからは、いろいろな要素を取捨選択できたのが、面白かったですね。ちょっとずつ取ってきて、ここに使ったり、あそこに入れてみたり。失敗したスタンドアップ・コメディアンというアイディアには、確かに「キリングジョーク」の要素が入っていますね。でも、もう一つ、この映画が大きく影響を受けたものがあって、『笑う男』(28年)というサイレント映画があります。これはジョーカーというキャラクターを生み出した元々の原作者のインスピレーションとなった、つまり、すべての出発点のようなものです。

ちょうど今朝、共同脚本のスコットが、「おめでとう。エキサイティングだね」と書いてメールしてきたのですが、そこには我々の最初のメールのやりとりが付けられていました。そこでは『笑う男』の話ばかりしていて、その後の映画作りの中で、これが大きなインスピレーションになっていたことをもはや忘れかけていました。

© Niko Tavernise

──(フェニックスへ)脚本を書くのにルールも限界もなかったというのが魅力だったという話が出ましたが、このキャラクターに対するアプローチでも同様でしたか?
フェニックス はい。このキャラクターの魅力というのは、定義することの難しさにあります。彼を定義づけることはしたくないのです。彼の性格やモチベーションの一部に対して、個人的な共感を覚え始める時もありましたが、その時は距離を置くようにしました。このキャラクターに対するミステリアスな部分を残したかったので。でも撮影の最中は、このキャラクターの新しい人格や側面を毎日発見している感じがして、本当に最終日までそれは続きました。もちろんこれは、私にとって魅力的なことでしたよ。

フィリップス監督 そうですね、今回の映画では、物事が明確になればなるほど、ホアキンの反応は薄くなっていきましたね。

──監督と俳優の緊密なコラボレーションがあったからこそ今回のようなキャラクターが生まれたのだと思いますが、どのようにこのキャラクターを開発したのですか?
フィリップス監督 ホアキンと一緒に本当に多くの時間をかけました。撮影が始まる前、6ヶ月ほど前だと思いますが、キャラクターについて、脚本について、彼の笑い方や声について、服装や髪型について、一緒に相談しました。どんな映画作りでもこうしたことは行いますが、この映画ではより深く掘り下げたと思います。はじめの頃はホアキンの家に行っていましたが、撮影が始まったあともそうした話が止まることはなく、先ほども彼が言ったように、撮影最終日まで常に新たな発見があって、「あと三週間撮影を続けて、あれとこれは撮り直した方がいい」と話していたくらいです。アーサー、そしてジョーカーという人物を探求していくのが、とにかく楽しかったです。

──(ビーツへ)あなたの演じたキャラクターは実在しているのかどうかわかりませんが、どのように役作りし、ホアキンやトッドとはどのようなやり取りをしたのですか?
ビーツ 現実かどうかというのは解釈次第だと思いますが、トッドとホアキンは本当に緊密にコラボレートしていて、その関係の中に私もしっかりと加えてもらえた気がします。これまで私が関わった多くの映画よりもね。とても光栄なことで、感謝しています。撮影しながら探求していったのは私の役でも同じで、アーサーというキャラクターを展開させていくにはどのようなきっかけが必要なのか、私のキャラクターが彼のような人物に対して示す自然な反応とはどんなものなのか、アーサーのような人物と関係を持つのは冷静に考えてどんなことなのか、といったことを考えていました。

ザジー・ビーツ

フィリップス監督 ザジーについて一言付け加えるなら、出演が決まったところから実際の撮影までにおいて、最も脚本に手を加えられたのが彼女のキャラクターです。彼女は素晴らしいコラボレーターで、現場では撮影が始まる前、朝のうちに私とホアキンのいるトレーラーにやってきて、我々が新しいアイディアを彼女に話して、その後2時間かけてそのアイディアを脚本に起こしたりしました。現場のクルーを待たせたままね。彼女は本当に素晴らしくて、自分のシーンはしっかり予習してくるし、我々が「もうそれはやらない。代わりにこうする」と言っても、そうした”即興”に対して彼女はとても前向きでした。私はよく人から「コメディから今回のような映画にどうやって移行したんですか…」と聞かれますが、こうしたこと(即興)は私にとっては特に新しいことではなく、コメディではよくあることです。撮影当日に脚本を変更し、試してみるのです。こうしたことにザジーは困った様子を見せることもなく、変化に対して意欲的でした。彼女は自身のキャラクターが関わるセリフに対してもアイディアをくれたし、素晴らしいコラボレーションになりました。

ビーツ とてもクリエイティブな時間でした。

──バイオレンス描写をどのくらい使うか、どのシーンに入れるかというのは、どのように決めたのでしょうか?
フィリップス監督 すべては(映画の)トーン次第です。監督が担う最も重要な仕事の一つは、その映画のトーンを実際に反映させることです。この映画は、次第に怒りがこみ上げていくように意図的に脚本を書きました。バイオレンスはその一部として、非常に注意して扱いました。多くの人がこの映画は過激なバイオレンスものになると思いがちですが、実際に主人公の相手になる人数を考えると、『ジョン・ウィック:パラベラム』といった映画の方が、バイオレンスの量としては断然多く描かれています。そうした意味でこの映画では、できるだけ現実的な描写になるようにしたことで、異なった印象を与えたと思います。そして実際にこうしたシーンを迎えると、腹にパンチを食らったような感じがすると思います。ですので、全体のトーンのバランスを保つようにしました。

会見前に行われたフォトコールにて

──身体的にも精神的にも非常に難しい役ですが、役作りはどのようにされたのですか?
フェニックス まず最初は、体重を落とすところから始めたのですが、やり始めたら心理的にも影響があることがわかりました。あれだけの体重を一気に落とすと、本当に気が狂い始めたような感じがしました。その次は、トッドと話しながら脚本に取り掛かりました。それから、政治暗殺者や暗殺者志望の人物について書かれた本を読みました。こうしたことをする様々な人物像が分析されていて、とても興味深いと思ったので。私はアーサーがこういう人間だと、彼の人格やタイプを特定してしまっていましたが、特定できない人物を自由に作り出したくも思っていました。これはフィクションのキャラクターなのですから。精神科医が、どんな人物か判別できないようなものにしたかったのです。薬を処方する時はどんな症状があるかという話になるわけですが、そうした話からは距離を置き、我々が本当に作りたいキャラクターを作り出せるだけの余白を残そうとしました。そうした意味で、バランスをとるようにしました。これが出発点ですね。

ちょうどここへ来るボートで話していたことですが、本当に初期のリハーサルで日記帳をもらったのですが、これが非常に役立ちました。映画の中で、アーサーが持っているジョーク日記(ネタ帳)ですね。その時は、数週間が経ったのにどのように演じ始めるかまだはっきりしていなくて、そうした中でトッドがこのノートを……

フィリップス監督 空白のノートですね。「ここに書いて」と。

フェニックス そうなんです。「何を書けばいいのかわからない」とトッドに言ったら、私がとにかく書き始められるようにといくつか案を送ってくれたのですが、数日が経って、彼の案を無視して突如書くようになりました。(書くことが)どんどん出てきて、これは私が予期しなかったことでした。当時の私にとって、このキャラクターに関するとても大事な発見になりましたよ。

──ゴッサムという街も、この映画の重要なキャラクターの一つだと思います。この映画ではマーティン・スコセッシと繋がりが深いエマ(・ティリンジャー・コスコフ)をプロデューサーに起用したわけですが、今回の舞台について話してもらえますか。
コスコフ トッドが、ニューヨークで撮影して80年代初期の雰囲気を出したい、当時のタイムズ・スクエアをゴッサムのタイムズ・スクエアのようにしたいと言うので、美術監督にはマーク・フリードバーグを起用しました。トッドのビジョンを具体化するのに、非常に緊密に仕事をしました。それにニューヨークには素晴らしい場所がたくさんありますから。

フィリップス監督 エマは控えめな回答をしていますが、彼女はマーティン・スコセッシとの関係により、ニューヨークにいる最高のクルーと繋がっています。それだけでなく、彼女はニューヨークの地下鉄を運営するMTAと折衝し、実際に車内で撮影できるようにしてくれたりと、ニューヨークでスムーズに撮影できるようにするために、本当にたくさんのことをしてくれました。それから、今回の素晴らしいクルーは、彼女の人脈なくして揃えることはできなかったでしょう。

アーサーが住んでいたシーンのほとんどはブロンクス地区で撮影したのと、ニュージャージー州のニューアークには良い雰囲気が残っているので、そこでも少し撮りました。

© Niko Tavernise

──ジョーカーの笑い方は非常に特徴的で、映画の中では何度も登場しますが、コーチをつけて訓練したりしたのですか?
フェニックス 脚本を読む前にトッドがやって来て、彼がこのキャラクターに期待することを話してくれました。動画もいくつか見せてくれて、笑い方は痛々しいまでの笑い方で、と説明されました。究極的にはそれこそがジョーカーで、表に出てこようとしている彼の側面なのだと思い、彼の”笑い”というものに対する面白い見方だと思いました。ジョーカーの笑いというのはなんとなく想像がつくものがあると思いますが、(トッドのは)新鮮な見方だなと。本当にワクワクしましたが、正直言って、実際に自分ができるとは思っていませんでした。一人で練習して、私の”笑い”をオーディションして欲しいと、トッドに来てもらいました。いつでも人前でできるようにならないとと思ったのでね。見せかけではなく、本当の意味でその笑いを見出したかったのでとても時間がかかってしまい、気まずくてトッドは「お願いだから、もう止めて」と(笑)。

フィリップス監督 本当に気まずくて、「もうこの役に決まっているんだよ?そんなことはしなくても…」と言いました。でもホアキンなりの過程を経て、その笑い、さらには変化をつけたものが見つかったと思います。映画の中では3つか4つの笑い方があって、苦悩による笑い、周囲に混ざろうとする笑い、それから私が思うに、純粋な歓びによる笑いもあります。

© Niko Tavernise

──サウンドトラックも素晴らしかったですが、音楽についても話していただけますか。特に踊っているシーン。
フィリップス監督 音楽を担当したヒルドゥル・グーナドッティルは素晴らしくて、私は彼女に音楽を付けてもらいたく、脚本を送って曲を書き始めてもらいました。通常の映画作りでは撮影した映像を送って”これに音楽を付けてみて”と頼むので、今回は普通とは違ったわけですが、彼女は脚本を元に曲を書くことに対してとても興奮してくれて、時々曲を送ってくれました。

アーサーがトイレで踊っているシーンがありますが、脚本ではアーサーはトイレに駆け込んで、銃を隠し、メイクを落とすことになっていました。先ほど話したように撮影を進める中で毎日大きく修正を加えていったのですが、このシーンもその一つで、ホアキンと私が現場のトイレで話していて、銃を隠すことについて「なぜアーサーは映画みたいに銃を隠そうとするんだ。証拠の隠蔽なんて、彼が気にするようなことじゃない」「うーん、それはやめよう。なにか代わりに考えよう」と言っていました。ところが他にこの場所でやることが思いつかず、45分くらい経ったところで私が、「そういえば昨日の夜ヒルドゥルからおもしろい音楽が届いたよ」と言ってその曲を再生したら、ホアキンが体を動かし始めて。それがあのシーンになりました。私は映画の音楽が大好きで、自分の映画でも音楽はとても大事なものですが、今回ほど音楽が影響を与えてくれたことはなく、その大部分が、ヒルドゥルの優雅なチェロ演奏と、シンプルながらも力強いスコアによる音楽によるものでした。彼女の音楽は、本当にあのシーンを決定づけたもので、先へ進むきっかけとなりました。

フェニックス あれは本当に鍵となる転換点でした。我々にとってあのシーンは、彼がジョーカーになり始める瞬間だったので、それを表現するものが欲しくて、動きかなにかを探していました。そしてヒルドゥルの音楽とトッドとの会話を通じて、独特な形で彼の変化を表現するあの動きにたどり着くことができたのです。鍵となる瞬間でしたね。

フィリップス監督 そうですね。撮影が始まって2週間くらい経った時のことで、それから先に向けて、本当に役に立ちました。音楽に関する質問をしてくれて、ありがとうございます。

ビーツ 撮影したシーンを音楽と一緒に現場で確認できるのも良かったですね。

フィリップス監督 そうですね、現場ではいつもヒルドゥルの音楽をかけていました。

ビーツ 普通はそういうことはありませんからね。”聴覚的に”良いモチベーションになりました。

──ジョーカーの笑いはドラマチックで涙が混じる物哀しいものですが、人生においてそうした笑いをすることはありますか?
フェニックス
 答えは簡単で、ノー。(場内笑い)

──この映画を作る上で、『タクシードライバー』を参考にしましたか?他にインスパイアされたものが具体的にあれば、教えてください。
フィリップス監督 インスピレーションを受けたものはたくさんあります。『タクシードライバー』は私が大好きな映画の一つですが、直接的なインスピレーションになったわけではありません。それよりも、その時代の映画が参考になったと思います。今ではあまり行われませんが、当時はキャラクターに対して深い人物探求がされていて、70年代頃といえば、『カッコーの巣の上で』、『タクシードライバー』、『セルピコ』、『レイジング・ブル』、『キング・オブ・コメディ』など。当時のマーティ(マーティン・スコセッシ)の作品で多くありましたね。それから、先ほど話した『笑う男』もありますし、脚本を書いていた時、スコットとはたくさんのミュージカルを観ました。音楽の話も先ほど出ましたが、我々はいつも、アーサーの中には音楽があると感じていました。そしてジョーカーに変わっていく中で、その音楽も変わっていく。このように、フィルムメイカーとして様々なものからインスピレーションを得ました。

© Niko Tavernise

──(フェニックスへ)これまでオスカーに何度もノミネートされ、様々な役の選択肢があるであろう中で、今回の苦難を抱えたキャラクターのどこに魅力を感じたのでしょうか?
フェニックス
 他に良い表現が思いつかないのですが、アーサーの明るい部分に興味を持ちました。苦悩だけでなく喜びもあり、幸せや人との繋がり、温かさや愛を求めて苦闘する。アーサーのこうした面に興味を持ち、深く探ってみたいと思いました。彼が単に苦痛を抱えたキャラクターだとは思っていませんし、私はキャラクターをそういう風に決めつけることは、絶対にしません。プレスに質問された時だけ……。普段はそういう考え方はしないので。私は8ヶ月かけてこの人物を探求したわけで、この経験をサウンドバイツに要約したり、そもそも彼を定義付けるのは非常に困難なことです。初めの数週間に感じた彼と終わりの頃の彼は完全に異なっていて、常に変化してきたわけです。今回のような経験はこれまでしたことがない気がします。私は役を演じている間は、様々な可能性にオープンであり続けるようにしています。キャラクターについて何かを決めつけてしまうことはしないようにしていて、特にこの役ではそんなことをするのは不可能でした。逆にそうしてしまっていたら、がっかりでしょう?

フィリップス監督 そうですね。

フェニックス ですので我々は、毎回なにかを決めつけてしまった時には、お互いの顔を見て「うわ、なにか間違っているね」と言っていました。我々にとっては、予期しないことであればあるほど、より興奮するインスピレーションが湧くことだったので、常に新しい何かを探そうとしました。ですので、あなたの質問に対して”答えなかった”自分に、感謝したいと思います。

──これまでコミックや映画で描かれたジョーカーには、ゴッサムを焼き尽くすという目標がありましたが、この映画でのジョーカーは、これを達成し”勝った”と言えるのでしょうか?これまでとは違った展開ですよね。
フィリップス監督 いいえ、世界が燃える様子を眺めるのが今回のジョーカーのゴールではありません。今回のジョーカーが心に持つゴールは、まったく違ったものです。映画の冒頭で、彼は座ってこうしてますが(指で口の端を持ち上げ笑顔を作る様子)、彼は自身のアイデンティティを模索する男です。間違った形で象徴となってしまいましたが、本当に彼が探し求めていたのは、称賛を受けることでした。世界を燃やすことを求めていたことはありません。これは今回のジョーカーについての話で、過去のジョーカーはまた違った話です。今回のジョーカーは、純粋に人々を笑わせることが目標で、人々に笑顔と喜びを与えることを目的にこの世に生を受けたのに、途中でいくつかの間違った選択をしてしまうわけです。そうして誤った形のリーダー、あるいは象徴となってしまうのですから。デ・ニーロ演じるマーレイですら、「いや、私は政治的ではない」とジョーカーに言ってしまうくらい、自分自身が何を作り出しているのがわかっていなかったのです。

© Niko Tavernise

──共感、あるいはそうした共感の欠如というのは、この映画のテーマの一つなのでしょうか?
フィリップス監督 そうですね、この映画の大きなテーマだと思います。脚本を書いた当時の世界に我々が感じた、”共感のなさ”というものですね。今でも状況は変わっていないと思いますが、確実にこの映画の大きなテーマです。

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『ジョーカー』(原題:Joker)

監督・製作・共同脚本/トッド・フィリップス
共同脚本/スコット・シルバー
製作/トッド・フィリップス、ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンジャー・コスコフ
キャスト/ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ほか

日本公開/日米同日 2019年10月4日(金)全国ロードショー
配給/ワーナー・ブラザース映画
© 2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. TM & © DC Comics.

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© Lorenzo Mattotti per La Biennale di Venezia

第76回ヴェネチア国際映画祭

会期/2019年8月28日(水)〜9月7日(土)
開催地/イタリア・ヴェネチア
フェスティバル・ディレクター/アルベルト・バルベーラ
© La Biennale di Venezia – Foto ASAC.