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2019.08.26 13:34

【全文掲載】レオナルド・ディカプリオ&タランティーノ監督来日記者会見『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

  • Fan's Voice Staff

8月30日(金)に日本公開される『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のクエンティン・タランティーノ監督、主演を務めたレオナルド・ディカプリオ、製作のシャノン・マッキントッシュが来日し、8月26日(月)、都内で記者会見に登壇しました。

タランティーノ監督は2013年2月の『ジャンゴ 繋がれざる者』以来6年半ぶり、ディカプリオは『レヴェナント: 蘇えりし者』の2016年3月以来3年5か月ぶり11度目の来日となります。今回は監督たっての希望で、ツアー最後の地となる日本でのプロモーションが実現しました。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、タランティーノ監督が執筆に5年の歳月を費やし、レオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットという二大スターを初共演させ、二人の友情と絆を軸に1969年のハリウッド黄金時代の光と闇に迫る話題作。全米では7月26日に公開され、過去タランティーノ作品最大のオープニング成績を飾りました。

250人のプレスが押し寄せ超満員となった会見会場に、レオナルド・ディカプリオ、タランティーノ監督、シャノン・マッキントッシュが登場。

タランティーノ監督は「こんにちは、みなさん!戻って来られて本当に嬉しいです」と元気いっぱいに挨拶。MCから、妻のダニエラさんが妊娠したという報道に触れられると、タランティーノ監督は「そうなんです、妻が妊娠しました。家中に小さなタラちゃんがいる日もやって来るでしょうね」と非常に嬉しそう。

レオナルド・ディカプリオは「東京に戻ってこれて、本当に嬉しく思います。皆さん、私の作品をいつも温かく受け入れてくれて感謝しています。『ギルバート・グレイプ』以来、本当に何度も来ています。本日はありがとうございます」と挨拶しました。

シャノン・マッキントッシュは「私は初来日になります。ここにいるクエンティン・タランティーノとレオナルド・ディカプリオと一緒にこの映画を携えて来られたことを非常に嬉しく思います。東京を2日間探検していましたけれども、とても美しい街だと思います。もっともっと見たいと思いますし、皆さんにはこの映画を楽しんでもらいたいと思います」とコメント。

ここからは質疑応答です。

──「シャロン・テート事件」という史実に基づきながらも、リックとクリフという架空の人物を加えるアイディアはどこから生まれたのでしょうか?
タランティーノ 良い質問ですね。すごくおもしろいなと思ったのは、今回描いているハリウッドは、カウンターカルチャーの変化が見られた時代です。ここでのハリウッドとは、街と映画産業の両方を意味します。そのため、時期をシャロン・テート事件に至るまでの時間軸にすれば、歴史的な部分も掘り下げられて面白いのではと思いました。

自分が読むには変わった本だったのですが、1970年代に出版されたE・L・ドクトロウの小説「ラグタイム」を13、14歳の時に読んで、この本は、当時を背景に、フィクションのキャラクターとその時代に有名だったイヴリン・ネズビット、ハリー・フーディーニ、J.P.モルガンといった人物を組み合わせた物語だったのですが、ずっとこれが興味深いアイディアだと思っていました。自分が実際にこの時代のハリウッドを描く時、自分なりの架空のキャラクターと、LAカウンティ(=ロサンゼルス郡)に住んでいた人を組み合わせたら面白いんじゃないかと思いました。なので、もしあなたが当時のLAカウンティに住んでいたら、私の物語の一部になることもできるわけです。

──(ディカプリオに向けて)タランティーノ監督作品への出演は『ジャンゴ 繋がれざる者』以来ですが、出演の話を持ちかけられた時の気持ちは?
ディカプリオ 今回の役が特に興味深かったのは、リック・ダルトンという人物の魂とはどんなものなのかというところを、クエンティンと一緒に作り上げられたことです。この映画で描くのはほんの数日分の物語ですが、彼は非常に大きな変化を遂げます。俳優として時代についていこうと、自分の壁に向かっていくわけです。カウボーイ役などを演じた1950年代のテレビ俳優から、アンチヒーロー的な、好かれない悪役を演じなければならない。周りでは、文化や演技自体など世界は変わっていて、監督が用意したこの二人のキャラクターの設定が素晴らしいものだと思いました。ハリウッドの縁に立つ、表裏一体の二人が、若い女の子と出会うことで、自分が思う実力を越えていく。2日間で起きるこの大きな変化をこのように自然に描き出せたのは、凄いことです。特に役立ったのは、監督がキャラクター二人の細かい歴史(バックストーリー)の資料を用意してくれていて、ブラッドにとっても私にとっても、キャラクターを作り上げるのに非常に重要なものとなりました。

ピット演じるクリフ・ブース(左)とディカプリオ演じるリック・ダルトン

──リックとクリフのバディぶりが素晴らしかったですが、ディカプリオとピットを起用した理由は?
タランティーノ 二人がこのキャラクターにピッタリだったからです。なぜこの二人を選んだのかとよく聞かれますが、どちらかと言えば、二人が私を選んでくれたんです。あらゆる企画をオファーされる二人ですから、選択権は二人にあるんです。自分はそんな二人と過去に仕事をしたことがあり、その作品を気に入ってくれていたのがラッキーでした。私の脚本は、山積みの脚本の中の上の方にいったのでしょうね。ありがたいことに、二人は脚本を読んでくれて、キャラクターにも響くものを感じてくれて。驚愕のキャスティングだと思うので、非常にラッキーでした。(起用できたのは)二人が脚本に反応してくれたからです。

それから、一人が主演格で、もうひとりがスタントダブルを演じるわけなので、ランダムな俳優二人をキャスティングするわけにはいきません。どんなに優れた俳優でも、有名な俳優でも。二人は一緒に仕事をするので、二人が同じ服装をした時に、外見が似ていないといけません。そのため、一人はスタントダブルだという説得力のある俳優の組み合わせが必要でした。今回の二人は上手くいったので、非常に幸運でした。

──リックとクリフは親友だということで、どのように役作りをしたのでしょうか?
ディカプリオ 私はどのキャラクターを演じるときも徹底的にリサーチするんですが、今回のクエンティンのアプローチがレアなケースだったのは、リックもクリフも、この業界に属していて、でもど真ん中ではなく外側で、ハリウッドが変革していく中で取り残されているわけですね。そして仕事に困っているわけです。ブラッドも私も成功したキャリアがありますが、そうした経験もありますし、LAがどんなところかもわかるし、こうした環境で本当に長い間過ごしてきたいので、この二人が置かれた気持ち、さらにはそうした業界で生き残るために互いに依存し、必要とし合っている状況は、自然と理解できました。クエンティンがくれた資料の中には、二人の歴史、一緒に作った映画、それまでのパートナーシップなど、すべて用意してありました。なのでリサーチ作業の多くは既に済んでいたようなもので、撮影現場に来た時から、お互いのキャラクターの気持ちをよく知っていました。もちろん撮影を通じてさらなる発見はありましたが、我々自身もこの業界に身を置いていたことから、彼らがどういった人物だということは、わかっていたんです。

──(ディカプリオに向けて)リックの涙が印象的でしたが、これまでに悔し涙を流したことがあれば教えてください。
ディカプリオ
 (そんな経験は)すべての人にあるのでは?いま特に具体的なエピソードは思い出せませんが、何度もあると思います。

──リックというキャラクターを想像するにあたって、監督が一番インスピレーションを受けた映画やドラマのキャラクターはありますか?(ディカプリオに向けて)それから、このキャラクターを演じるにあたって一番大切にしたことは?
タランティーノ 良い質問ですね。背景には、アメリカでは50年代にテレビが大衆化し、それまで存在しなかった形のスターを作り出した。それまでは映画、舞台、ラジオスターはいましたが、テレビが登場したことで、テレビで1番組の1エピソードが放映されるだけで、どのクラーク・ゲーブル(出演の)映画よりも多くの観客が、テレビに映るそのスターを目にすることになりました。テレビは、全く新しいスターを生み出したのです。そしてこうしたスターがどうなっていくのかというのは、50年代、60年代という過渡期はまだわからないことだったのです。そして当時のテレビスターの中で、スティーブ・マックイーン、クリント・イーストウッド、ジェームズ・ガーナーの三人は、次の時代に見事に移行し映画スターになったわけです。

一方で、テレビから映画への移行が上手くいかなかった俳優も多くいました。映画の質がよくなかったり、あまり運に恵まれなかったり。そうした俳優の数人を、リックのモデルとしました。1人だけをモデルにはせず、何人かの俳優の経歴をちょっとずつ組み合わせました。『ルート66』のジョージ・マハリス、『サンセット77』のエド・バーンズ、『ブロンコ』のタイ・ハーディン、『ベン・ケーシー』のヴィンス・エドワーズ。リックは彼らの人生を組み合わせたようなキャラクターです。

ディカプリオ 映画作りに携われることの素晴らしいことの一つが、未知の世界へ入り込めるということですが、クエンティンは驚くほどのシネフィルで、自分が全く知らなかった、見たことのなかった大勢の俳優たちのことを紹介してくれました。このリサーチを通じてだけでも、この映画は、映画産業、それから我々が愛する映画というものに貢献しながらも、忘れられてしまった人たちを祝ったようなものだという感じがしました。素晴らしいリサーチの旅でしたし、最終的にどのようにリックというキャラクターに影響したかといえば、自身の終わりと戦うリックが、時代が彼を忘れてしまった、文化がシフトしてしまったかもしれないと思う中で、彼はまだまだ仕事ができているわけだし、ハリウッドという魔法のような世界に存在出来ていることに感謝するべきなのでは、と。リックを演じることがきっかけで、こうした自分が関わることのなかった俳優を見つめるのは素晴らしかったですし、本当に心を動かされました。

──(マッキントッシュに向けて)シネフィルのタランティーノ監督だからこその、独特の撮影現場の進め方はありますか?
マッキントッシュ クエンティンと一緒に映画を作るのは魔法のように魅惑的で、撮影現場は本当に素晴らしい場所でした。家族と一緒にいるようなものですからね。クエンティンの1作目『レザボア・ドッグス』以来一緒に仕事をしてきたクルーもたくさんいるので、再びクエンティンの現場に戻れることに興奮していましたし、一緒に仕事をするのが大好きな人たちが、彼のビジョンを具現化するのに、毎日現場に来ていました。クエンティンは本当にインスピレーションを与えてくれるし、撮影の合間には、”歴史の授業”をしてくれましたからね。わかりやすいところでは、観るべき映画やテレビ番組を学ぶことが出来ました。彼は他の誰よりも知識がありますから。クルーは、クエンティンが脚本を書き始めたと聞くと、いつ頃出来上がるのかと私に聞いてくるのです。クエンティンの現場に参加するためなら、他のどの映画をも断るのですから。特にこの映画では、クエンティンがレオとブラッド、マーゴ(マーゴット・ロビー)とコラボレートして作り上げていったので、その仕事ぶりを見ることができて、喜びと素晴らしさを感じました。

現場で決まり文句があって、テイクを撮った後クエンティンが「今のはOKだけど、もう一回やろう」と言い、クルーは「なぜ?」と聞きます。そしてみんなで「だって僕たちは映画作りが大好きだから」と言うんです。これが私たちのモットーです。

──作品の中ではものすごい奇跡が起きますが、身の回りでとんでもない奇跡があれば教えてください。
タランティーノ (質問を聞いた途端、吹き出して笑う監督)自分がこの業界で映画のキャリアを持てていることが、ミラクルだと思っています。映画を9本も作って、日本に行くことができて、しかもみんなが僕のことを知っているんですから。1986年に最低賃金でビデオストアで働いていたことと比べると、ミラクルです。

私がプロとして仕事ができていること自体ミラクルですが、素晴らしい機会を与えられ、アーティストとして生きていく困難な業界で、ただ仕事だから、あるいは金儲けのためではなく、自分の次のステップとして物語を綴ることが出来ているのが、ミラクルだと思います。非常に幸運なことですし、これを忘れないようにするのが、僕にとっては大切なことです。

ディカプリオ クエンティンに完全に同意するのと、私はこの”小さな街”ハリウッドで生まれ、LAで育ちました。
この業界では、この”メッカ”、夢の国に世界中から人がやってきますが、多くの人はその夢を叶えることができません。私は近くに住んでいたから、学校の後にオーディションに行くことができましたが、そうでなかったら、今この場にはいないでしょう。ただ俳優を続けていられるだけでなく、自分に決定権があり、自分の運命に対する選択肢があるというのが、俳優としては奇跡だと思うし、それに対する感謝は絶えません。私は、この業界で働いていて、成功した俳優でいる事自体がミラクルであると理解できている人と、一緒に仕事をしたいと思います。99%の人はこうした奇跡に恵まれないのが現状ですから。

シャノン クエンティンとレオが言ったことに付け加えで、私もこの大好きな業界でプロとして仕事し、キャリアを持てていることをとてもありがたく思っています。そして、大好きな人たちと仕事ができるということも。またそんな私を支えてくれる家族がいること。こんな私の仕事に耐えてくれる夫がいて、そして息子2人が健やかに育っていることは、ミラクルだと思います。

──1969年の古き良きハリウッドを映したセットや衣装も見どころの一つだと思いますが、監督自身、この時代を作り上げる上でいちばん楽しかったことは?
タランティーノ 楽しいことが満載だったので、たくさんありますが、素晴らしいキャストがいて、いろいろな俳優と一緒に、シーンやキャラクターを息を吹き込むこと自体が非常に楽しく、満足感がありました。

でもいちばん満足したことといえば、自分にとって初めてのことだったからというのがありますが、ロサンゼルスのような、今生きている街の時間を40年間戻して、CGを使わず、スタジオやバックロットで(セットを組んで)撮影せずに、ビジネスも普通に行われていて、車や人通りのある”生きた”街で、繰り返しになりますが、CGを使わず、美術や小道具、様々な映画のトリックを駆使して再現できたこと。上手くできたと思っていますが、自分が最高の満足感を感じるのはこの点です。

マーゴット・ロビー演じるシャロン・テート

ところで1969年といえば、最近見つけたばかりの日本人監督がいて、「Kurahara」と言うんですが、彼が最初に作った映画を観ました。58年か59年の『I’m Still Watiing』で、完全に驚かされました。素晴らしかったです(※1957年の※蔵原惟繕監督『俺は待ってるぜ』)。この監督は凄いと思ったので、他の作品を調べだしたのですが、彼は1969年に日本でその年最大のヒット作となったカーレース映画『Safari 500』(正しい英題は『Safari 5000』、邦題『栄光への5000キロ』)を撮ったようで、もし英語字幕付きDVDをお持ちでしたら……、欲しいです。私はあと2日います。もし私になにかプレゼントしたい方がいたら……、これが欲しいです(会場内爆笑)。

──あなたにとって、ハリウッドとはどういう意味がありますか?
タランティーノ レオとよく話していたことなのですが、ハリウッドには2つの意味があります。映画業界と街。この映画では、その両方を扱っています。住んでいる街が舞台であり、同時に業界の中では、大きな成功、中ぐらいの成功、中ぐらいの失敗、大きな失敗、すべてが隣合わせにある街でもあります。そして時が経つに連れ、それぞれの立場は変わっていく。私にとってこれは興味深いことでした。

ある意味、ハリウッドで20年、30年で仕事ができるというのは、高校に20年、30年通うような感覚です。なぜなら、多くの面子が同じままで、例えば10年前は友だちだった人は、今でも好意的には思っていても、毎日、毎週一緒に遊んだりはしなくなっていたり。会うと嬉しいのだけれど。普通だったら4年間の高校生活が、25年くらいずっと続いている感じ。(ディカプリオに向かって)そう思わない?

ディカプリオ そう思います。私はLA出身なので非常にバイアスがかかっていますが、特にハリウッドという街には表面的で嫌な人がいるのも確かで、悪評もあります。でも私自身は、LAで育つ中で家族や友だちと生涯の関係を築くことができたし、彼らは私の一部になっています。繰り返しになりますが、LAは夢の工場であり、多くの成功にも失敗にも繋がります。でも私はここで、人生を通じて知る地元民や家族がいることが誇りに思います。それに、私の知る多くの魅力的な人は、LAで出会いました。世界中から集まった人々と知り合うことができ……、ほとんどは政治的な意見が合う人ですがね。どんな時でも、そこに戻ることで幸せな気持ちにさせてくれるところです。

シャノン レオやクエンティンと違い、私はLAで生まれ育ったわけではありませんが、もう20年間住んでいます。ここで仕事し、子どもを育てられることを光栄に思いますし、今は自分の故郷で、心から愛する場所です。

 

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(原題:Once Upon a Time in Hollywood)

リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は人気のピークを過ぎたTV俳優。映画スター転身を目指し焦る日々が続いていた。そんなリックを支えるクリフ・ブース(ブラッド・ピット)はスタントマンかつ親友でもある。目まぐるしく変化するハリウッドで生き抜くことに精神をすり減らしているリックとは対照的に、いつも自分らしさを失わないクリフ。パーフェクトな友情で結ばれた二人だったが、時代は大きな転換期を迎えようとしていた。そんなある日、リックの隣にロマン・ポランスキー監督と女優シャロン・テート夫妻が越してくる──。

監督・脚本/クエンティン・タランティーノ
キャスト/レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、ジェームズ・マースデン、ほか

日本公開/2019年8月30日(金)全国ロードショー
配給/ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント