【単独インタビュー】『しあわせな選択』パク・チャヌク監督が人間の愚かさに向ける哀れみと冷徹さ
- Atsuko Tatsuta
※本記事には映画『しあわせな選択』のネタバレが含まれます。
韓国の巨匠パク・チャヌク監督の最新作『しあわせな選択』が3月6日(金)に全国公開されます。

製紙会社で25年間、真面目に働き続けてきたマンス(イ・ビョンホン)は、妻ミリ(ソン・イェジン)と2人の子ども、2匹の犬に囲まれ、郊外の一軒家で“理想的な生活”を送っていた。だがある日、突然の解雇によってその日常は崩れ去る。再就職もうまくいかず追い詰められたマンスは、やがて一つの極端な結論にたどり着く。ライバルがいなくなれば、仕事は手に入る──。
『オールド・ボーイ』で第57回カンヌ国際映画祭グランプリ、『別れる決心』で同映画祭の監督賞を受賞したパク・チャヌク監督の最新作は、突然の解雇によって人生の基盤を失った男の暴走を、ブラックユーモアと鋭い社会風刺を交えて描いたヒューマンドラマ。原作は、アメリカの作家ドナルド・E・ウェストレイクの小説「斧」。舞台を現代の韓国に移し、家族の物語として大胆に再構築しました。
第82回ベネチア国際映画祭でワールドプレミアされ、第50回トロント国際映画祭で国際観客賞を受賞、第83回ゴールデングローブ賞で3部門にノミネート入りを果たすなど国際的にも高い評価を得ています。
日本公開を前に来日したパク・チャヌク監督に、本作の着想やテーマ、そして登場人物たちに向けたまなざしについて話を伺いました。

──原作となっているドナルド・E・ウェストレイクの小説を読んですぐに、「この作品を映画化したい」とお考えになっていたとのことですが、舞台を1990年代の米国から現代の韓国に変更することのポイントはどこだったのでしょうか?
小説は2005年か2006年頃に読んだのですが、それが韓国で出版されてからどれくらい経っていた時期だったのかは、よく覚えていません。読んですぐに映画にしたかったのですが、アメリカの小説の版権は非常に高いだろうと思い、調べる前から怖気づいてしまい、5年ほど勇気を出せずにいました。その後、韓国の映画産業の規模も大きくなったことで、ようやく着手することができました。
何を変えたかと言えば、むしろコンセプトが残っていると言えるかもしれません。「解雇された人間が、ある作戦を立て、計画を実行に移す」というコンセプト。それが実は非常に核心的な部分です。それは当然そのまま残っていますが、それ以外はすべて新しく書き直しました。ディテールの面はほぼすべて新しくしたというか、完全に異なっていて、一つも残っていないと言っても過言ではありません。
特に家族の問題をより重要視しました。また、家族がマンスの犯行に気づくという設定も新しく作りました。そういった点が重要な変化です。


──本作はブラックユーモアと社会批評が同時に存在する作品ですが、そのバランスやトーンをどのように考えていましたか?
「バランス」という言葉は、二つの異なる要素があることを前提にしています。しかし、この映画を作った私の感覚では、それらは最初から一つの存在でした。社会批評という側面から見ることもできますが、私はまず、主人公のマンスという一人の人間の心理的な旅路を追うことに集中しました。俳優のイ・ビョンホンさんも私も、このキャラクターには常に共感を持っていました。彼の決断や行動を追っていくと、なぜそういう選択をするのかが理解できるようになります。そしてその哀れな努力には、思わず笑ってしまう。しかし同時に、彼への共感も手放すことができない。ですから、最後に残る苦い悲劇や社会風刺、そしてコメディは、私にとっては別々のものではなく、最初から一体のものでした。
──この作品は、マンスという中年男性の物語というだけでなく、むしろ家族の物語、あるいは夫婦の物語という印象を受けます。特に妻ミリの存在が際立っています。妻の存在を大きくした理由は何でしょうか?
マンスがこのような無理な計画を立てて実行をするのは、「家族のためである」という大義名分があったからこそ可能だったのです。もちろん、このキャラクターを深く掘り下げてみれば、それだけではないことが分かります。映画のセリフにもあるように、他の仕事をしてでも家族を養っていくことはできるわけですから。
しかし、あえて製紙業に必ず戻らなければならないというのは、マンスの非常に個人的な欲望です。とはいえ、「家族のためだ」と彼は主張しますし、自分でもそう信じ込んでいます。そうなると、その家族とは一体どんな人間なのか、どのような人々で構成された家族なのかが重要になります。それが描かれずに言葉だけで「家族のためだ」と言っても、空虚な話になってしまいます。
ですから当然、マンスの妻や子どもたちも、原作小説よりも大きな比重を置いて扱うべきだと思いましたし、どんな個性を持った人たちなのか、具体的に生き生きとした人間として描写する必要があると考えました。

──ミリは最終的に夫の罪を知っても、彼の元を去りません。これがハリウッド映画だったら、ミリが去ってマンスが罰を受けるという終わり方になっていたかもしれません。ミリをマンスの元に残すことにした理由は何でしょうか?
結末については、少し疑問の余地があります。今はとりあえず離れずにいますが、一カ月後、一年後にどうなるかは誰にも分かりません。ご覧になった通り、週末にマンスが「豚の丸焼きバーベキューをしよう」と言った際、彼女は非常に驚き、嫌悪感を露わにした表情を見せますよね。マンスに対する彼女の態度は以前とは違います。どこか無理をしていて、作り笑いを浮かべる。それはある種の「演技」なのです。
──ミリのセリフは意味深なものが多いですね。
はい。ミリはこんなことを言います。「家は売らない」と。売りに出していた家をキャンセルするというのは、ある意味では「この家で私たち仲良く暮らしましょう」という言葉のようにも聞こえます。少なくともマンスはそう理解しました。だから喜ぶのです。
しかし別の見方をすれば、庭のリンゴの木の下に死体があるのに、その状態で家を売って、誰かが掘り返して発見されたらどうしようという心配があるのです。だからミリは「リンゴの木も植えたじゃない、どうして売れるの」と答えるのです。
つまり、今はまだ子どもたちも幼いですし、現時点では自分に経済的な自立能力もありません。だから今は一緒に暮らしているのです。「テニスを再開しろ」とマンスに言われた時に、ミリは「もうあんなことしない。これからはお金を貯めるわ」と言いますね。これは今まさに、経済的な自立のための努力を始めたという意味かもしれません。
ですから、観客がどのような考えを持ってこの映画を観るか、あるいはその人自身がどのような価値観を持っているかによって、この結末の捉え方は変わってくると思います。

──マンスは最後にはまたお酒を飲み始めますね。
はい。さらに暗い想像をしてみると──マンスはかつてお酒を飲んでいた頃は、暴力的な人間でした。今また飲み始め、妻から「お酒飲んだみたいね」と言われた時には、ひどく後悔したり、「あ、バレた」と焦ったりする表情ではなく、「ああ、飲んだよ」という居直った表情です。ですから、これからも飲み続けるであろう人間のように見えます。
それに、3人目の殺人を犯す時には、かなりの冷徹さを見せましたよね。つまり、マンスの性格はもう変わってしまったのだと思います。3人も殺した末に手に入れた新しい職場からも、すぐに追い出されたらどうなるでしょうか。AIによってすぐに追い出されそうに見えますが、そうなった時、彼は一体何を糧に生きていくのでしょうか。再び求人に履歴書を出すような人間に戻るのか、それともまた別の暴力的な、恐ろしい考えを抱くのか。それは分かりません。そして、家族にどう接するのか。酒を飲み、再び解雇された人間として、そして3人を殺めた人間として、そのマンスという男がどのような姿に変貌しているのか。それは少し恐ろしい想像ですね。
──あなたはセリフ、カメラワーク、美術、音楽まで緻密に設計する完璧主義者として知られていますが、本作で技術的に特に難しかったシーンはどこでしょうか?
一見するとシンプルに見えるシーンであっても、すべて同じレベルの技術的な精密さが必要です。たとえばカメラが固定されているクロースアップでも、使うレンズによって観客が受け取る印象は大きく変わります。広角レンズなのか望遠レンズなのかによって、全く違うのです。
その中でも特に力を入れたのは、ダンスパーティーの後に起こる、ミリとマンスの対決の場面です。このシーンは、三人がもみ合う場面と対になる構造になっています。ここではマンスの嫉妬や罪悪感が爆発しますが、同時に、物語の重要な逆転が明かされる場面でもあります。そしてこの場面はマンスではなく、ミリが主導するシーンでもあります。そのため、非常に緻密な計画が必要でしたが、同時に俳優たちの演技のエネルギーを制限したくはありませんでした。精密な設計と自由な演技、その両方を成立させる必要があったのです。

──ディテールにもこだわりがありますね。前作の『別れる決心』もそうでしたが、壁紙にも大変なこだわりを持たれている気がするのですが。
そうですね(笑)。私は、映画に登場するあらゆるもの、映画に映るすべての要素は、単にいい加減に、ランダムに、たまたまそのように撮れたというような無造作なものであってはならないと考えている方です。ですから、すべてのものには理由があるべきですし、何らかの意図の下に登場させるべきだと思っています。ですから、壁紙だけでなく他のすべての要素も、たとえ茶碗一つであっても、そのように配置します。ただ、壁紙というのは撮った時の面積が非常に広いため、より目に留まりやすいというだけのことだと思っています。
──ちょうど先ほど、5月に開催される第79回カンヌ国際映画祭の審査員長にパク・チャヌク監督が就任という発表がありました。世界の最高峰の映画祭で審査員長を務めるお気持ちはいかがですか?
はい。審査結果に対して「理解できない」というような非難を浴びないよう、一生懸命しっかりと選ばなければならないという責任感を感じています。

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『しあわせな選択』(英題:No Other Choice)
監督:パク・チャヌク
出演:イ・ビョンホン、ソン・イェジン、パク・ヒスン、イ・ソンミン、ヨム・ヘラン、チャ・スンウォン
2025年/韓国/韓国語・英語/カラー/スコープサイズ/139分/日本語字幕:根本理恵/PG12
日本公開:2026年3月6日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
提供:木下グループ
配給:キノフィルムズ
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