Column

2025.12.18 12:00

【単独インタビュー】『そこにきみはいて』福地桃子と寛一郎が語る、喪失の先にたどり着いた“生きた証”

  • Atsuko Tatsuta

中川龍太郎が原案と出演を務め、竹馬靖具監督がメガホンをとった映画『そこにきみはいて』が11月28日(金)に公開となります。

恋人・健流(寛一郎)の突然の自死によるショックにより心を閉ざしてしまった香里(福地桃子)は、ある日、健流のかつての親友である作家の中野慎吾(中川龍太郎)のことを思い出し、彼のもとを訪ねる。中野と街をめぐりながら、香里は健流の過去や知らなかった一面を見出していくが──。

『わたしは光をにぎっている』『四月の永い夢』などの監督作で知られ、詩人としても活動する中川龍太郎が原案、『蜃気楼の舟』『の方へ、流れる』の竹馬靖具が脚本・監督を手がける本作。“喪失”を抱えた人々が、恋愛や友情といった既存の関係カテゴリーを越えてつながり合う姿を詩的かつ繊細に描き出すヒューマンドラマです。

主人公の香里役を演じたのは、『ラストシーン』『湖の女たち』で好演し、第38回東京国際映画祭最優秀女優賞を受賞するなど、確かな演技力で評価を高める福地桃子。健流役を、『ナミビアの砂漠』や『グランメゾン・パリ』、『爆弾』などの話題作で独自の存在感を放つ寛一郎が務め、繊細な心情の機微を表現しました。

公開に先立ち、メインキャストの福地桃子と寛一郎がFan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。

──素敵な作品をありがとうございます。竹馬監督は「このキャストがいなければ成立しなかった作品」とおっしゃっています。どのような経緯でこの作品に出演することになったのでしょうか?
福地  元々は、原案の中川さんが監督するというお話でしたが、中川さんの中から改めて違う視点で喪失をテーマにした物語を撮りたい、という思いが生まれたとき、ご自身ではなく、信頼している竹馬さんが監督を務めてくださることになったという経緯があります。

──福地さんは、その原案の段階から関わっていたのですか?
福地 竹馬さんとお会いし、自分自身のことや竹馬さんのことなど、たくさんお話しさせていただきました。竹馬さんの持つ柔らかさを、会話の中でも感じていて、「この人には伝えても大丈夫」という安心感のようなものを、感じていたことを覚えています。

──寛一郎さんは、どの段階で参加されたのですか?
寛一郎 ほとんど脚本ができた状態でオファーをいただきました。中川さんとは以前から知り合いで、僕が20歳、21歳くらいの時に「一緒にやろう」と言ってくださったことがあったのですが、結局それは実現しなかった。少し時間が経ちましたが、このような企画でオファーをいただけ嬉しかったです。縁も感じましたし、ぜひやりたいと思いました。

──この作品では、原案を担われている中川さんが監督作でも一貫して取り上げてきたテーマである「喪失」が扱われています。このテーマについて、お二人はどのように向き合いましたか?
福地 喪失から始まる物語ですが、ネガティブなことではないかなと。大切な人である健流との時間を通して築き上げてきたものが、彼の死後なお残された人の出会いにより続いていく。香里にとって、自分の止まっていた時間が動き出した大きなきっかけでもあり、その出来事から自分自身の内側と改めて向き合う。また違う人との関わりで、健流との時間で得たものに違う側面が出てくる。慎吾が自分自身と戦っている姿を見て、手を差し伸べることができたことは、香里にとっても大きな一歩だったと思います。

寛一郎 私は中川さんのように大事な親友を亡くしたりという具体的な経験はありません。でも、私も来年30歳になりますし、何かを失い、その分得ていくという実感はあります。何かを失えば何かを得る、何かを得れば何かを失うというのは、背反関係だと思っています。健流を失ったからこそ、香里や慎吾が気付けることもある。健流を失ったことによって、彼らが自分自身と向き合うきっかけにもなる。そういう意味ではネガティブでもないということだと思います。もちろん亡くした時の喪失感は大きいものですが、その分、人は何かを得ていくしかないのではないかと思いました。

──香里と健流のキャラクターの関係については、それぞれどのように解釈したのでしょうか?
福地 香里は、自分に対するコミュニケーションも他者に対するコミュニケーションも、そこに抱く感情も、大切にする人だと思っています。特に健流のような大切な人に対しては、粘り強くコミュニケーションを取ろうとしますし、自分の内側に芽生える感情を曖昧にしない。健流と香里、二人が見ているものは違うけれど、「この人となら手を取って歩いていけるかもしれない」という希望があって一緒に暮らしていたのだと思います。全て分かり合えている二人ではないけれど、そこには強く生きていこうとする前向きさがあった。この二人の近しい関係こそが、まず二人の生きた証だった。健流の死後、慎吾という人を見て、自分が過ごした時間とは違うものを見ていく。そこにまた、自分だけでは見つけられなかった健流の一部を知っていくことになると思いました。

寛一郎  関係性についてですが、(健流も香里も)自分のセクシャリティを知った前提で、一緒にいられるという安心感があった。ただ、健流はそれ以上のものを香里に求めてしまっていたのではないかと思います。

──この作品では人間関係におけるリアリティを感じました。セクシャリティを含め人間関係には、さまざまなカタチがあるのに、映画などの作品では分かりやすい関係性に当てはめて描かれがちです。が、この作品は世の中に実際に存在する多様な性的な結びつきや、結びつかない部分を描いている点に共鳴しました。
福地 私が演じた香里は「アロマンティック・アセクシャル」とカテゴライズされることにもしっくりきていないのだろうと思います。自分自身が感じていることに向き合いながら、さらにはその感情を追求しようとする香里の強さが映っているのだと思いました。

寛一郎 難しいですね。健流の香里との関係や慎吾との関係は、世の中の他の男女の間であっても成立することですよね。セクシャリティのことがあったから、彼らの関係が上手くいかなかったとされてしまうのは、悲しいなと思います。結局、人と人は、好きか嫌いか、つまり惹かれ合うかどうかじゃないですか。セクシャリティが介在することによって複雑になることはあると思うのですが、少なからずそれは美しいことでもあると思います。

──この作品の大きな魅力の一つは、ラベリングを拒否し、言葉で説明できない感情を捉えているところだと思います。お二人はこの作品に関わり、演じて、また鑑賞して、この作品の魅力はどこにあると感じますか?
福地 当たり前かもしれませんが、その時にしかできなかった表現、できなかった言葉がちゃんとスクリーンに映っていることです。竹馬さんとの丁寧なやりとりをちゃんとやりきった実感がありますし、大きなチームではなかったけれど、そこにいる人たちの影響を受けて交わされたやりとりが映っている。その素敵な時間を過ごせたことが、素晴らしい体験だったな、と思います。ただ、出来上がったものと、その素晴らしかった体験の乖離、つまり観たものとの印象の違いが私の中にはあって。それはどういうことなんだろうか、という作り手側の気持ちにより近い感覚を持って初号を観ることができた作品でした。そこへの探求心のようなものもありましたし、それを伝えてみようと思える竹馬さんの柔らかさや環境があることに感謝しています。

寛一郎 大切な人の死、喪失の話でもあるのですが、何よりも残された人たちがどう生きるか、どうその死んだ人に対して思いを寄せるかがテーマではあると思います。ただ、残された人たちが思う健流と、健流が死に向かう時に思っていたことは多分違うのではないか。残された人たちは、自分が死に間接的に関与していたのかなど、色々と思うところがあると思いますが、おそらく健流自身は幸せだったのではないか。そこが直接的には書かれてないのですが、映像と詩的な文を含め、フィクションではあるけれど、写実ではないけれど、リアリティがあるし、ファンタジックなところもあります。

──この作品を経て得たものは何ですか?
福地 この映画のタイトルにもなっている『そこにきみはいて』というのは、自分の「今」を大事にすることと繋がっています。お芝居をする上で、自分の生活は密接にやっている作品と繋がってくるものだと思っていて、そこにいる人たちの影響を受けて、そのときにしか出てこない自分の一部や、言葉というものがあると思います。それは自分がどう意識していても、どうなりたいと思っていても、やはり滲み出てきてしまうものなんだなと、この仕事をしているから敏感に感じることなのかもしれません。いま目の前にいる人の影響を受けて自分がここにいるんだ、という感覚。誰かを救うことは、結局自分が救われている。誰かを認めてあげることで、自分のことも認めてあげられるということを、この作品からもらったと思っています。今の自分の何かを支えている作品になっているのかなと思います。

寛一郎 わかりやすいことでいえば、人との出会い。実際にこの作品の後に、中川さんの監督作で福地さんと夫婦役を演じていますから。また、竹馬監督のような方には初めてお会いしました。すごい柔らかくて、現場では「クマさん」と言われていたのですが、可愛い方でした。でも、すごい芯があるんですよね。クランクイン初日に「毎回傑作を作ろうと思って作品作りに臨んでいる」とおっしゃっていた。それを聞いた時に、当たり前のことかもしれないけれど、良い言葉だなとすごく思いました。得たものはたくさんあります。

Photography by Takahiro Idenoshita

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『そこにきみはいて』

出演:福地桃子、寛一郎、中川龍太郎、兒玉遥、遊屋慎太郎、緒形敦、長友郁真、川島鈴遥、諫早幸作、田中奈月、拾木健太、久藤今日子、朝倉あき、筒井真理子
脚本・監督:竹馬靖具
エグゼクティブ・プロデューサー:本間憲、河野正人
企画・プロデュース:菊地陽介
ラインプロデューサー:本田七海
原案:中川龍太郎
音楽:冥丁
制作プロダクション:レプロエンタテインメント
2025/97 分/ビスタ/⽇本/5.1ch

日本公開:2025年11月28日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか 全国順次公開
配給:日活
公式サイト
©「そこにきみはいて」製作委員会