News

2025.08.01 8:00

『パルテノペ ナポリの宝石』岡本太郎登壇!試写会トークレポート

  • Fan's Voice Staff

※本記事には映画『パルテノペ ナポリの宝石』のネタバレが含まれます。

第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映され、イタリア国内でパオロ・ソレンティーノ監督史上最大のヒットを記録した『パルテノペ ナポリの宝石』のFanʼs Voice独占最速試写会が7月29日(火)に渋谷・ユーロライブで開催され、字幕翻訳を手掛けたライター・イタリア語翻訳家の岡本太郎が上映後に登壇しました。

1950年、南イタリア・ナポリで生まれた赤ん坊は、人魚の名でナポリの街を意味する“パルテノペ”と名付けられた。美しく聡明で誰からも愛されるパルテノペ(セレステ・ダッラ・ポルタ)は、兄・ライモンドと深い絆で結ばれていた。年齢と出会いを重ねるにつれ、美しく変貌していくパルテノペ。ところが、彼女の輝きが増すほど、対照的に兄の孤独は暴かれていく。そしてあの夏、兄は自ら死を選んだ。彼女に幸せをもたらしていた「美」が、愛する人々に悲劇を招く刃と変わる。それでも人生を歩み続けるパルテノペが果てなき愛と自由の探求の先に辿り着いたのは──。

上映後トークに登壇した岡本は、まず映画のタイトルにもなっている“パルテノペ”という名前について、「タイトルのつづりが“PARTHENOPEと”H“が入っているところが、ギリシャ由来であるということ。イタリア語だと“H”が入らない」と、ギリシャ神話に由来する名前であると言及。「ただ、イタリア人にしてみれば“パルテノペ”というのは普通、人の名前に使う名詞ではない。ナポリの街を指すのがメジャーなので、女性の名前としてはめずらしい。こういうところがさすがソレンティーノ監督ですよね」

本作のパルテノペの女性像について、進行を務める映画ジャーナリストの立田敦子は「パルテノペに付随する美しさや若さは、従来だと、男性目線の女性讃美の映画のようにも観られやすい。しかし本作は、美しい美貌を備えたがゆえに、見られる存在として搾取されたり失われたりしていく人生の痛みと向き合うことを描いた物語だと私は感じました。例えば、ナポリから離れて長年教職を務め、退職とともにナポリに戻ってくるラストは、パルテノペが出自や容姿関係なしに、ナポリで生まれた自分を受け入れられた場面になっています。女性監督がこういった自分をありのまま受け入れるストーリーを描く場合もっとストレートに伝わるけれど、ベテランのソレンティーノ監督が描くことによって誤解されやすい部分もあるのかなとも感じるのですが…」とコメント。

パオロ・ソレンティーノ監督(左)

岡本は「今までソレンティーノ監督の作品で女性の主人公はいなかったですし、登場する女性の人物像もパルテノペと全く違うタイプでした。それこそ男性目線的な、男性が主体の物語に、男性を魅了したり誘惑する立ち位置として美しくてゴージャスな女性が多く登場してきました。本作でも、パルテノぺが海から上がってくるシーンでは、ギリシャ神話をオマージュしたようで人魚やヴィーナスの誕生を想起させる美しさがありますが、パルテノぺ自身はその美しさに無頓着でつかみどころのないミステリアスな人物として描かれます。パルテノペの若いころを演じたセレステ・ダッラ・ポルタも、老年を演じたイタリアの往年の名女優ステファニア・サンドレッリも、美しくありつつ無邪気な一面があるところが似ていますよね。一方でソレンティーノ監督の描く主人公像には共通点もあります。それは、今までの作品でローマ教皇や首相などすべてを兼ね備えた権力者を主人公に据えてきましたが、本作のパルテノペもまた美しさと優秀な知性を兼ね備えたトップの人物として描かれていることです」と、過去の作品と比べつつ、パルテノペの美しさを重視した物語ではないと共感。

ゲイリー・オールドマンが演じる実在のアメリカ人作家ジョン・チーヴァーの登場について、岡本は「昨年公開されたイタリア映画『チネチッタで会いましょう』にもジョン・チーヴァーが出てきて、その理由をナンニ・モレッティ監督に聞いてみたのですが、イタリア人にとって特別思い入れがあるわけではなく、J・D・サリンジャーの方が有名だそうです(笑)。ジョン・チーヴァーの登場は、実際に彼がイタリアに居たからというだけではなく、ソレンティーノ監督の、男性である自分から見た女性観が込められているのではと思います。彼のセリフには、自身の男性的な“醜い”一面からくる美しいものに対するコンプレックスが含まれています。後半に登場する枢機卿のテゾローネ神父にも同じようなことが言えますね。二人ともパルテノペに対して似たようなことを言うんです。もちろんみんながそういうわけではないですよ」とソレンティーノ監督が自身を重ね合わせているのではないかと考察。

パルテノぺの生涯の師となるマロッタ教授について、岡本は「本作がソレンティーノ監督の他の作品と大きく違うところは、女性が主人公であるというだけでなく、マロッタ教授の存在です。ほとんどの作品は美女と野獣のようなコントラストで描かれているのに対し、パルテノペとマロッタ教授の関係性はすごく温かく人間的で、今までのソレンティーノ監督作では見かけない関係でした」

ギャングのボスとパルテノペが出会うシーンについて、「ナポリではギャングのことを“カモッラ”と呼びます。“マフィア“はシチリアの呼び方で、カラブリアでは“ンドランゲタ”と呼び、イタリアで強いギャングはその3つですね。本作では、ダンディで魅力的なカモッラが登場しますが、あれもナポリならではのイメージとして、全く不思議ではないのです。シチリアのマフィアは人里離れたところでひっそりと暮らしており、一般的なギャングも表沙汰にならないよう潜伏しているイメージがありますが、ナポリのカモッラはダンディな恰好をしていたり、街の人と写真を撮ってそれがSNSに載せられていたりするんです(笑)。イタリアのギャングにはそれぞれ得意分野があり、カモッラはアパレルに強いです」と説明。

ソレンティーノ監督にとってのナポリについて聞かれた、岡本は「ソレンティーノ監督はパルテノペと同じようにナポリで生まれ育ちましたが、馴染めずにいたと話しています。本作で描かれるナポリは、自然と街の美しさや人間の醜さが描かれており両極端のコントラストが印象的です。グレタ・クールによるナポリをこき下ろす演説やサン・ジェンナーロ教会の騒ぎのシーンなどは、イタリア映画の中でもナポリならではの出来事だと思います。貧しい育ちのグレタ・クールがナポリに戻ってきたり、パルテノペが最後にナポリに帰ってきて自身とナポリを重ねていますよね。ナポリ人はイタリアの中でも、ナポリに対して愛憎に近い強いしがらみや感情を持っているのです」

「ナポリへのトラウマと対峙した作品だったのかはわかりませんが、自伝的な思いはあると思います。ソレンティーノ監督の作品にはトラウマにあたる出来事が必ずあります。本作ではパルテノペの兄の死がそれです。また何より彼は高い美意識を持っていますよね。ナポリの海を力強く美しく映像に収める一方で、ギャングのボスと街を歩く場面でも、貧しい地区にも関わらず美しく撮られている。どうしても審美的な撮り方をしてしまうところと、物語の中にあるトラウマがコントラストになっているのが魅力のひとつだと感じます」

==

『パルテノペ ナポリの宝石』(原題:Parthenope)

監督:パオロ・ソレンティーノ
出演:セレステ・ダッラ・ポルタ、ステファニア・サンドレッリ、ゲイリー・オールドマン、シルヴィオ・オルランド、ルイーザ・ラニエリ、ペッペ・ランツェッタ、イザベラ・フェラーリ
2024/イタリア、フランス/137分/カラー/ドルビーデジタル/シネスコ/字幕翻訳:岡本太郎/R15+

日本公開:2025年8月22日(金)新宿ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下他全国順次ロードショー
配給:ギャガ
後援:イタリア文化会館
©2024 The Apartment Srl – Numero 10 Srl – Pathé Films – Piperfilm Srl