【単独インタビュー】『国宝』主演・吉沢亮と李相日監督がカンヌで語った、“役者人生と人間の業”
- Atsuko Tatsuta
吉沢亮を主演に迎えた李相日監督最新作『国宝』が6月6日(金)に公開されました。
戦後、日本。任侠の家に生まれた少年・喜久雄は、ある事件を機に、上方歌舞伎の名門の花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界へと足を踏み入れる。半二郎の実の息子・俊介(横浜流星)とは義兄弟のような絆で結ばれ、激動の芸道を共に歩んでいくが──。
吉田修一による同名の小説を原作とする『国宝』は、戦後から現代まで、歌舞伎役者・喜久雄の内面と軌跡を、舞台と現実の境界が溶け合う独自の語り口で描き出す野心作です。主演の吉沢亮は、女形として舞う身体の繊細さと、役者としての宿命を背負った一人の男の苦悩と葛藤を、渾身の演技で体現しました。
第78回カンヌ国際映画祭の併設部門である監督週間に選出され、話題を集めたカンヌの地で、李相日監督と主演・吉沢亮がFan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。
──カンヌ国際映画祭に初参加された感想をお聞かせいただけますでしょうか。
李監督 僕も吉沢君も初めてのカンヌ国際映画祭ですし、まず、選出されたことが嬉しいですね。映画祭でお披露目することは、目標の一つではありましたけれど、そう簡単にいくものではないし。『国宝』はどちらかというとエンターテインメント性も重視して作った作品ですから、このような作品がカンヌ映画祭に果たして選ばれるのか、期待と不安が入り混じった中で、ようやく入り口にたどり着いた感じです。
──監督週間のアーティスティックディレクターのジュリアン・レジ氏とはお会いになりましたか?
李監督 少し立ち話をしました。作品の質が良ければエンターテインメント作品でも良い、クオリティ重視で選んでいると言ってくれました。

ジュリアン・レジ(左)
──レジ氏は『国宝』について“クラシック”という単語を用い、日本映画を継承している作品と紹介されていましたが、お二人とも“伝統”に関しては意識していたのでしょうか?
李監督 歌舞伎自体が古典芸能ですし、人間の業を炙り出すような、ドロドロとした内容の演目も多くあります。そういった普遍的な歌舞伎と、メロドラマ──この映画の基本のスタイルはメロドラマだと思いますが、その二つは極めて親和性が高い。なので、新しい映画表現に敢えてトライするよりも、連綿と続く映画表現と伝統ある歌舞伎との親和性を活かした映画になったのかなと思います。
吉沢 歌舞伎は伝統芸能ですので、この映画に出演させていただくにあたり、“伝統”ということに関しては意識がありました。実際に、演じる上でも撮影前からしっかりとお稽古させていただきましたし、本来の歌舞伎役者さんがいる中で、我々のような役者が演じるにあたり、失礼のないようにという思いもありました。

カンヌにて © Kazuko Wakayama
──『連獅子』、『鷺娘』、『曽根崎心中』など、歌舞伎における重要かつ人気のある演目がこの映画の中でも登場しますが、それらの物語自体が、喜久雄と俊介の人生や置かれた状況と結びついています。映画では、その関連が照応されるように構成・演出されていたように思います。
李監督 はい、それは強く意識して作っていました。同じ演目でも舞台と映画とでは表現方法が若干異なると思います。おそらく、この映画で初めて歌舞伎に触れた観客の方が、劇場で実際の歌舞伎を観るとまた異なる印象、発見をするのではないでしょうか。映画では、歌舞伎のシーンと通常の物語のシーンをいかに境界線なく繋げるかということを意識しました。なので(主人公たちが)歌舞伎の舞台に上がっていても、個人的な感情や抱えている背景、様々な葛藤を歌舞伎を演じながら表現していく。映画ならではの表現ということでいえば、そういうところが実際の歌舞伎とは大きく違います。
──劇中劇が多いこの作品では、今まさに李監督のおっしゃったことを演技で表現することこそ、吉沢さんにとっての大きな挑戦だったのではないでしょうか。俳優として喜久雄という役を演じながら、さらに舞台で演技する。その感情表現に関して、どのようにアプローチをしたのですか?
吉沢 実際、歌舞伎の稽古を重ねている時期は、撮影の時も綺麗に踊ろうと思っていました。ただ、撮影直前に監督から、「舞台で綺麗に踊ることよりも、(『曽根崎心中』の主人公の)お初を演じている時も『鷺娘』を踊っている時も喜久雄を演じて欲しい」という言葉をいただきました。正直、非常に困惑しました。舞台上でも喜久雄としているということは、学んできた歌舞伎の演技や舞とはまったく違う表現になると思ったので、そうした感情を舞台で出していって良いのだろうか、と。でも、喜久雄が舞台上で歌舞伎役者として演じながらも、彼の内面やこれまでの人生が滲み出てくるという表現を意識していくうちに、僕のような俳優が演じる意味を感じるようになりました。
──実際に歌舞伎をたくさんご覧になり、踊りのお稽古も重ねたと伺っていますが、役作りのために歌舞伎役者としてのどのようなお稽古をしたのですか?
李監督 さすがに歌舞伎のすべてを一からというと幅が広すぎるので、例えば、女形がメインとなる演目を厳選して勉強してもらいました。
吉沢 歌舞伎の演目は、劇場に足を運んだり、映像などでいろいろ観させていただきました。実践としては、(歌舞伎指導を担当した)中村鴈治郎さんにお芝居も教えていただいたり、踊りに関しては、(振付を手掛けた)舞踊家の谷口裕和さんに全般的に教えていただき、ひたすら稽古を重ねたという感じです。
李監督 最初は浴衣を着てすり足で歩くところから始めましたね。
──お稽古はどのくらいの期間されたのですか?
吉沢 最初の3~4カ月はずっとすり足だけやっていました。その後、芝居や踊りのお稽古を始め、撮影も入れたら1年半はガッツリやりました。
──李監督も、お稽古に帯同されていたのですか?
李監督 ポイントごとに見に行っていました。あまり僕が顔を出しても迷惑になりますからね。でも、上達していく段階を見ていく中で、“これができるんだったらこの辺も取り入れてみよう”とか、別の可能性が見えたり、アイディアが生まれたりもしました。
──素晴らしい俳優でも、歌舞伎の舞は誰でも練習すればできるものでもないと思います。結果的に吉沢さんは見事にこなされたわけですが、キャスティングされた段階で既に、彼には出来るという確信をお持ちだったのですか?
李監督 まあ、できなければ終わりですから(笑)。真面目な話、歌舞伎の踊りができるとかできないだけの問題ではなく、喜久雄という人間を纏えるのは彼しかいないと思ったので、もし彼が踊れなかったらしょうがないと腹をくくっていました。
──そのように吉沢さんを口説いたのですか?
李監督 そこまでプレッシャーは与えたっけ?
吉沢 最初はそこまでではなかったですけどね(笑)
──李監督はたいへんこだわりがあり、厳しい指導でも知られていますが、実際に撮影に入ったら、どんどん厳しくなっていったという感じですか?
吉沢 そうですね、妥協がない方なので(笑)。とはいえ、最初から何かしら明確な答えを与えてくれる監督でもなかったので、自分の中で正解を探しながら毎日を過ごしていました。もちろん、監督も寄り添ってくださいましたけれど。
実は、李監督は怖いよという話を聞いていたので、それなりの覚悟を持って行ったのですが、怖いというよりも、厳しさはあるけれど、むしろ愛情をとても感じました。本番前になって急に“舞台上では喜久雄でいてくれ”とか言われて混乱したこともありますが、そういうものも全て乗り越えるだろうと信頼してくださっている感じがしました。そういう意味では、苦しみながらものびのびとやらせていただきました。
──一番苦しんだこと、苦労されたのは、どの部分ですか?
吉沢 歌舞伎のシーンを一日中撮った日もあったので、まず体力的にとてもキツかったです。歌舞伎の衣装はすごく重くて、それを身につけ、重いカツラもつけて一日中踊るのは、体力的にしんどかった。あと、喜久雄というキャラクターはとても内に内に向かっていく男でした。それに僕自身も引っ張られて、あまり周りのことが見えなくなっていった時がありました。自分のやっていることが合っているのかいないのかという迷路に、ひたすら迷い込んでいた。精神的にも結構キツい3カ月ではありました。
──喜久雄は表現者であると同時に、人間の業、あるいは宿命のようなものを背負っているキャラクターでした。歌舞伎役者としての演技・舞踊の他に、どのような役作りをしたのでしょうか?
吉沢 人間性の部分で、撮影を始めた当初は、喜久雄という人間をどう表現したら良いのか、正直わからなかった。ただ、1週間が経ったあたりから、台本を読むことをやめて、とにかく現場で感じたことを表現しようと思いました。手が震えるシーンだったら、本当に手が震えてくるまでずっと力入れてじっとしている。とにかく劇中で喜久雄が体験していることを、自分も追体験するようにひたすら演じていました。
──その役作りの仕方は、李監督の指示によるものですか?
李監督 僕はいつも“出題者”だと思っているので、問いかけはしますけど、どうしろとは言わないタイプです。撮影に入って1週間は、まだお互い腑に落ちていない部分がありつつ、これで良いのかなという問いを重ねながら撮影していた時期ですね。
吉沢君は、おそらく事前にしっかり準備するタイプ。彼の中で答えがある程度見えた状態で、撮影現場に来る印象がありました。なので、そうやって準備したものをあえて捨てて、一回白紙にして、喜久雄の感覚的なところだけを取り入れるという方法を見つけたのではないかと思います。
──『国宝』は、セット、装飾、衣装といったディテールもいつも以上に作り込まれているように感じました。歌舞伎ファンの方々も楽しみにしている作品ということもあり、どのようなプレッシャーがありましたか?
李監督 歌舞伎の舞台を撮る際に、いくつかの決め事をしました。いくつかのレイヤーがあるのですが、その一つが、舞台芸術としての歌舞伎をしっかり捉える映像を撮ること。もう一つは、歌舞伎を演じている喜久雄や俊介の内面に入っていくような撮り方をするというアプローチ。この二つを、シーンによって選択しながら撮っていきました。
──最初に『国宝』を観た時、チェン・カイコー監督の『さらば、わが愛 覇王別姫』(93年)を思い出しました。第46回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した名作ですが、この作品は意識されましたか?
李監督 参考にしようと思ってもなかなかできるような作品ではありませんが、意識という意味ではありました。学生の頃に観て最も憧れた映画の一つなので。京劇が舞台だったことは、歌舞伎の、特に女形の映画を作ってみたいという思いが生まれた大きなきっかけとなりました。
──吉沢さんも『さらば、わが愛 覇王別姫』はご覧になりましたか?
吉沢 昔に一回観ていましたが、この作品の話をいただいてからもう一回観ました。脚本を読んで、『さらば、わが愛 覇王別姫』的なものを感じたので。ただ、だからと言ってお芝居などで直接参考にしたことはありません。似ているようで違う部分も多いので。
──映画に登場する演目は歌舞伎を代表するものばかりですが、個人的には吉沢さんの『鷺娘』が素晴らしかったと思いました。吉沢さんが個人的に思い入れがある演目は何ですか?
吉沢 一つを選ぶのはなかなか難しいのですが、『鷺娘』は体力的に一番大変な演目でした。映画で使用されている部分だけでなく、他の部分の振り付けももちろん覚えていますが、ワンカットで撮影するシーンで最も長いのが『鷺娘』で、集中力も最も必要でした。他の演目のシーンは多くのテイクを撮影したのですが、『鷺娘』だけは2~3回、頭から最後まで通すだけという、緊張感溢れる中での撮影でした。でもそのおかげで、普段よりも集中力を発揮できた。自分の呼吸と鼓動しか聞こえないくらいの空間の中、気づいたら終わっている。そんな経験をさせていただきました。本当に気持ち良い時間でした。
──李監督は、思い入れのある演目はありますか?
李監督 『鷺娘』は、吉沢君が演じることにより、喜久雄という人間と『鷺娘』のストーリーがよりマッチしたように思いました。セリフでも、『鷺娘』が喜久雄の代表作であることが語られますが、雪の中、白い衣装で舞い、生と死の境を往来する様が、本当に素晴らしかった。
──ちなみに、ボディダブルを使うという選択はなかったのですね?
李監督 少し頭によぎらなくはないですけど、まあないな、と。
吉沢 まあ、李監督だからないだろうなとは思っていました。
──この映画は多くの方に愛された小説が原作ですが、原作者の吉田修一さんとは、どのような話をされたのでしょう?
李監督 制作の合間に進捗状況を話したりはしていました。吉田さんからのオーダーが一つありました。歌舞伎の主要役者には必ず、見得や荒事と言われるような見せ場が必ず一つありますよね。この映画でも、それを主要キャストみんなに作ってほしい、と。このセリフを言うためにこの人がいるんだとか、この表情を見せるためにこの人は口上してるんだという、映画的に“見得を切る”シーンを作るように僕も意識しました。
──脚本を書く段階でその点を留意されたのですね?
李監督 はい。でも、そもそも群像劇には各々に核となるシーンが必要です。それにこの映画は、歌舞伎ではないシーンも含めて、少し大げさに言うと、歌舞伎の舞台を生で3時間観るような映画だと思います。どこまでが舞台で、どこまでが実人生なのか、その境があやふやなところがいくつかあります。そういった側面は、吉田さんといろいろ話していく中で深まっていた部分かもしれません。
──完成した作品を観たときの吉田さんのリアクションはどんなものでしたか?
李監督 喜んでいただけましたよね?
吉沢 はい、喜んでくださいました。
李監督 「吉沢君すごい!」と。シンプルな言葉でしたけど、関係者試写の時に、かなり興奮して。
──吉沢さんは吉田さんとお話しする機会はあったのですか?
吉沢 撮影前に初めてお会いし、一緒に食事に行かせていただきました。その時に、「喜久雄という人物はスターなんだ」と。「僕が思うスターは、周りに対して緊張感をすごい与えるけれど、その人がふっと笑うと、場が和む。そういう、笑った時の顔が魅力的な人が、僕はスターだと思う。なので僕は、喜久雄には辛い時に笑って欲しい」というような話をされていました。それを聞いて僕は、絶対にどこかで笑おうと思っていたのですが、撮影に入ったらもう全然そんなことを考えている余裕がなくなってしまった。辛いシーンが多いので。でも、完成した映画を観たら、意外と笑っているなと思いました。
李監督 そう、意外と笑っているんだよね。
吉沢 無意識にですけどね(笑)
──本作で吉沢さんは伝統芸能の役者を演じられましたが、現代の映画俳優と伝統芸能の役者の違いは何だと思いますか?
吉沢 我々は日頃から映画で、他人の人生を想像しながらお芝居させていただいていますが、歌舞伎役者さんが何百年も続いている演目を演じるのは、次元が違うことなのかもしれないと思います。いろいろな役者によって磨きに磨かれきった芸を、自分のものとして取り入れて、演じる。おそらく相当な覚悟が必要だと思います。その道のスペシャリストのような先輩が大勢いる中で、もちろん比較されることもあるだろうし、葛藤もあるだろうし、苦しみもあるだろう、と。演じながら、改めてとんでもないものに手を伸ばしてしまったと思いました。
──喜久雄は最後には「人間国宝」と呼ばれる役者になりますが、この「国宝」というタイトルをどのように解釈されたのでしょうか。
李監督 答えになるかどうか分からないですが、映画としての提示は、“喜久雄にだけ見える風景”です。他の人には見えないものを追い続けて、自分だけの風景が見えた人が、「国宝」と呼ばれる領域に行く人なのかな、という。
吉沢 難しいですね。でも、本当にその道を極めるというか、その道を進み続けて歩いていくうちに、どんどん他のものが削ぎ落とされていき、最終的にそのものになる。そういう感覚に近いかもしれないです。
李監督 器をずっと作っていたら、その人が器になっちゃうみたいな。一体化する感じだよね。
Styling for Yoshizawa by Daisuke Araki
Hair&Makeup for Yoshizawa by Masanori Kobayashi (SHIMA)
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『国宝』
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、
上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、
多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく…。
誰も見たことのない禁断の「歌舞伎」の世界。
血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切り。
もがき苦しむ壮絶な人生の先にある“感涙”と“熱狂”。
何のために芸の世界にしがみつき、激動の時代を生きながら、
世界でただ一人の存在“国宝”へと駆けあがるのか?
原作:「国宝」吉田修一著(朝日文庫/朝日新聞出版刊)
脚本:奥寺佐渡子
監督:李相日
出演:吉沢亮、横浜流星、高畑充希、寺島しのぶ、森七菜、三浦貴大、見上愛、黒川想矢、越山敬達、永瀬正敏、嶋田久作、宮澤エマ、中村鴈治郎、田中泯、渡辺謙
製作幹事:MYRIAGON STUDIO
制作プロダクション:クレデウス
日本公開:2025年6月6日(金)全国東宝系にて公開!
配給:東宝
公式サイト
©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会