Column

2025.04.25 8:00

【単独インタビュー】『けものがいる』ベルトラン・ボネロ監督が描く“感情なき未来”と“繰り返される運命”

  • Atsuko Tatsuta

第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で上映されたレア・セドゥ主演のベルトラン・ボネロ監督最新作『けものがいる』が4月25日(金)より全国順次公開されます。

2044年、孤独な女性ガブリエル(レア・セドゥ)は、重要な仕事を得るために、疑問を抱きながらも“感情の消去”を決意する。前世のトラウマを形成した1910年のパリ、2014年のLAに遡り、それぞれの時代でルイ(ジョージ・マカイ)という青年に出会う──。

『SAINT LAURENT サンローラン』『メゾン ある娼館の記憶』などで知られる鬼才ベルトラン・ボネロ監督が、イギリスの文豪ヘンリー・ジェイムズの中編小説「密林の獣」を自由かつ大胆に翻案。1910年のパリ、2014年のロサンゼルス、そして2044年の近未来という3つの時代を横断するSF的構成で、人間の感情、宿命、そしてテクノロジーとアイデンティティの問題を深く掘り下げています。

主演は、『グランド・ブダペスト・ホテル』『アデル、ブルーは熱い色』『007』シリーズなど国際的に活躍するフランスの名優レア・セドゥ。『1917 命をかけた伝令』などで知られるイギリスの若手実力派ジョージ・マカイが、各時代の“運命の相手”ルイを演じています。

独特の映像美と官能、そして観念の交錯する世界観により、ボネロの最高傑作と高い評価を得た本作の日本公開に先立ち、その創造過程を監督本人がFan’s Voiceのインタビューで語ってくれました。

──ヘンリー・ジェイムズの「密林の獣」が原作ですが、主人公の性別を変え、時代設定も大胆に脚色しています。監督は、原作における“けもの”を21世紀的な文脈でどのように捉え直し、映画というアートフォームに翻訳しようと思ったのでしょうか?
ヘンリー・ジェイムズのあの長編小説は、今だからこそ、よりモダンさが際立っていると思います。つまり、今の時代に共鳴する部分がとても多い。愛することの恐怖、身を任せることの恐怖といったものは、私たちの時代でますます増幅しています。なので、ヘンリー・ジェイムズの時代性を、我々の時代に近づけてストーリーを展開しようと思いました。

──具体的な映画化のきっかけは何だったのでしょうか?
まず、時代性についてです。私自身にとって今この映画を撮ることの意味は、三つの時代を、時空を超えることにありました。それによって、“エターナルリターン”というテーマが描けるのではないかと思いました。終わったかと思えば、また繰り返される。物事は過去から今の時代まで、何度も繰り返されているような気がしています。最初の時代を1910年に据えたのは、20世紀に入ったばかりの、第一次世界大戦が始まる前の光り輝く時代だったから。そして1910年は、パリで大洪水があった年でした。これはとても重要でした。そして次に、1994年を選んだわけですけれども、これも偶然ではなく、皆さんも覚えているかもしれませんが、ロサンゼルスで“インセル”と呼ばれる独身のミソジニストが起こした殺戮事件を、かなり忠実に映画で再現しました。そして2044年は、今から約20年後の世界です。あまり遠いSF的な時代ではなく、まだ手が届くような時代にしたく、2044年を選びました。

──この3つの時代についてもう少しお伺いしたいと思います。今おっしゃられたように、1910年はパリの大洪水がありました。ロサンゼルスのストーリーでは大地震が起こりますね。自然災害を物語に組み入れようと思った理由は何でしょうか?
自然災害は集団的に体験する大惨事です。それに、感情的な個人的な大惨事──つまり恋愛ですけれど、その二つの大惨事を衝突させたかった。

──実際に起こった大惨事であるという点も重要だったのでしょうか?つまり、この物語はSFというカテゴリに入ると思いますが、フィクションの世界と現実に起こったことを組み込むことは、主人公ガブリエルの感情の変遷や、感情の歴史を辿るにあたって、重要だったのでしょうか?
物語の中にリアリティを組み込むことによって、より想像が膨らむというのが私の考え方です。それに、この物語では、“未来”でも実は大惨事が起きています。“大惨事が起こらない”という大惨事です。

──2044年は感情が不要とされている世界という設定です。主人公のガブリエルは、前世を巡ることによって、むしろ感情を回復させようとしていると思います。このアプローチは、人間にとって感情とは何かという哲学的な問いも投げかけています。この“感情の浄化”という概念を通じて、どのような批評的な視点を問いかけたいと思ったのでしょうか?
未来にそういうジレンマが起こっている、という設定です。良い仕事に就くために感情を削除してしまうのか。それはつまり、完璧であろうとするのか、あるいは感性を残すのかというジレンマですよね。私自身はそういうジレンマに陥りたくはないと思っていますが、もし私がそういう立場になったら、もちろん仕事よりも感情の方を選びます。なぜなら人生の核心はエモーションであると私は信じているからです。

──この作品の中では、感覚的なものや生き物が、たいへん興味深い形で表現されていると思います。例えば1910年のシーンには人形工場が登場し、「人形の顔はみんなに好かれるように、感情表現しないように作られる」というようなガブリエルのセリフがあります。ロサンゼルスのシーンでは動物が死に、あちこちに鳥も登場します。こうした人形や動物、鳥といった生き物の対比がとても興味深かったのですが<それらを象徴的に登場させた意図は?
人形は、私の過去の作品にもよく登場するアイテムです。人形は映画的に非常に映えます。そして、レア・セドゥ演じるガブリエルが言っていたように、表情がない。なので、何を考えているかわからない。そういう何を考えているかわからないところは、レア・セドゥ本人にも通じます。そして私はそれをとても美しいと思っています。

鳥についていえば、これは具体的には鳩です。鳥という以上に、鳩ということに私はとてもこだわりました。3つの時代全てに鳩は登場していますが、私にとって、善と悪を同時に体現しているような鳥が鳩です。実は私は鳩がとても怖くて、鳩を見るとなぜかゾッとします。そういう不穏な存在なので、鳩を登場させました。

──鳩が怖いのは、目のせいでしょうか?そして人形工場のシーンでも目がずらっと並んでいたり、目が強調されますよね。つまり、眼球に対する何かしらの恐怖心があるのでしょうか?
私の感覚からいうと、鳩は悪魔を体現しているような鳥だと思っています。鳩はいたるところにいますよね。いたるところにいながら、どこから来ているかわからないような、住所不定のような存在感があります。今回はあえて、鳩の目をクロースアップで捉えました。遠くから見ると、“あれ、あそこに鳩がいるな、可愛い”と思うかもしれません。でも、近づいてよく見てみると、おっしゃるように鳩の目というのは本当に恐ろしい目をしていますよね。

──日本で鳩は平和の象徴なので、あなたの鳩の登場のさせ方はすごくユニークに感じられました。
ヨーロッパでも、我々の国フランスでも、基本的には鳩は平和の象徴です。でも、家に鳩が入った途端に──映画の中でも言っていますが、不潔な、死を象徴するようになるんですね。

──近未来のシーンでは、AIの研究者の言葉を引用されていましたね。映画業界でもAIはたいへん今日的です。AIと感情というテーマに関して、どのような考えを持っていらっしゃるのですか?
私はこの作品を撮った時は、AIが席巻してくる時代はもっと先、近未来のことだと思っていました。でも、1年半前にベネチア国際映画祭で上映された時にはもう、ほとんど近未来ではなく、“現在”の話になっていました。ちょうどハリウッドではAI問題も絡んで、脚本家組合や俳優組合のストが起きていました。映画にAIが多用される時代になり、それは私たちの不安を掻き立てるのです。

ただ、そういうこととは別に、やはりAIというのは道具・ツールで収まるべきだと私自身は思っています。例えば、金槌もそうですよね。金槌も道具です。絵を壁に掛ける時に金槌は便利な道具ですが、でもその金槌で人の頭をかち割ることもできる。そういう諸刃の剣みたいなところがAIにはあります。だから、それを使う我々人間は、その道具に、つまりAIに絶対に支配されてはいけない。もし支配されることになってしまったら、それは本当に危険な存在になると思います。

──テクノロジーということで言えば、冒頭のグリーンバックの前でのレア・セドゥの演技、そしてエンディングでスクリーンに登場するQRコードなど、本作にはテクノロジーを意識させるような演出が最初と最後にされています。こうした仕掛けは、どのようなインパクトを期待したものでしょうか?
グリーンバックに関しては、映画のメイキングを見ているのではと思わせたかった。この映画はバーチャルリアリティであり、「これはフィクションであり、全てがリアルではない」ということを、グリーンバックが登場することで予告しようと思いました。そしてQRコードは、今ではあらゆるところで使われています。レストランでもショップでも。それは何を意味しているかというと、人間同士の交流を失わせてしまう、非人間化するようなものだと私は思っています。なので、まさに2044年にふさわしい、非人間化された社会ということで、QRコードでラストを締めたわけです。

──『けものがいる』では、近未来のディストピア、過去のメロドラマ、そして現代の不安というようなジャンルも横断していると思います。この構成、つまりジャンルを用いてジャンル映画を超えるようなアプローチにより、観客は一つのジャンルでは叶わない感情の旅を体験しますが、これはどのような効果を狙ったのでしょうか?また、ジャンルの境界線を意図的に曖昧にした理由も教えてください。
たいへん的確なご質問だと思います。あなたの質問にほとんど答えが含まれているような気もします。今回の映画での私の欲求は、時代を超える、それからジャンルを超えるところにありました。例えば、ホラーとメロドラマはとても相性が良いですよね。スラッシャー映画とラブストーリーもとても相性が良い。愛することと恐怖は、とても相性が良いんですよね。なので、そういう風にあえてジャンルをミックスすることで複雑な感情を描き出すことは、最初からあった基本的なアイディアでした。

──構成は複雑ながらも、ストーリーは実は大変シンプルだと言えると思います。つまり、ガブリエルが恐怖を乗り越えて、愛を告白するまでの物語。ガブリエルとルイがついには対峙し、愛を告白するまでの物語でもありますね。あなたは、ラブストーリーを語ろうとこの作品を作ったのでしょうか?
とても的確な質問ですね。確かに、ストーリー自体はとてもラブストーリーで、メロドラマですね。メロドラマというのは、単なるラブストーリーではなく、失敗する愛の話です。だから構成自体はとても複雑なのですが、話自体はとてもシンプルです。愛することの恐怖、それを乗り越える。でも、それを乗り越えた時には時すでに遅し、だから愛は失敗するわけです。なぜ構成が複雑になっているかというと、時代が何度も永遠のリターンということで繰り返されますので、人物たちも自分が何をしているか、何を考えているか、やっていることさえも把握できていない。だから、見ている側は少し複雑に見えるのです。

──音楽は物語の感情の層を深める装置としてすごく機能していると思います。あなた自身も音楽に深く関わっていらっしゃいますが、どのようなコンセプトで音楽を構成したのでしょうか?
私の作品で音楽は、後から編集の時に付けるものではありません。シナリオの段階で音楽はすでに生成されているという感じです。それから、音楽の役割として、何かを補足するようなものではなく、シナリオの一部として存在しています。だから、脚本を書いている時に、こういう音楽を入れたいと思えば、そのシーンを書くのをやめて、スタジオに行って録音します。そういう形で、音楽はシナリオの時点で存在しています。では、何かロジックがあるのかといわれると、それはあまりなく、どちらかと言うと直感的な感覚で音楽を入れています。

──最後に、もともとルイ役に決定していたギャスパー・ウリエルさん(※2022年に事故死)は、この作品の中に何らかの形で存在しているのでしょうか?
ギャスパーは幽霊として、亡霊として、この映画のいたるところに存在しています。不吉な幽霊ではなく、私たちを優しく見守る幽霊として。

==

『けものがいる』(原題:La bête)

監督・脚本・音楽:ベルトラン・ボネロ(ヘンリー・ジェイムズ「密林の獣」を自由に翻案)
共同プロデューサー:グザヴィエ・ドラン
出演:レア・セドゥ、ジョージ・マカイ、ガスラジー・マランダ、 グザヴィエ・ドラン(声)
2023年/フランス・カナダ/仏語・英語/ビスタ/5.1ch/146分/英題:The Beast/字幕:手束紀子

日本公開:2025年4月25日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
配給:セテラ・インターナショナル
公式サイト
©Carole Bethuel
© FILM : 2022 – LES FILMS DU BÉLIER – MY NEW PICTURE – 9459-5154 QUÉBEC INC. – ARTE FRANCE CINÉMA – AMI PARIS – JAMAL ZEINAL-ZADE