Column

2025.03.24 8:00

【単独インタビュー】『ベイビーガール』ハリナ・ライン監督が描く女性が自らを解放するための旅路

  • Atsuko Tatsuta

※本記事には映画『ベイビーガール』の一部ネタバレが含まれます。

第81回ベネチア国際映画祭でニコール・キッドマンが女優賞を受賞するなど高い評価を得たA24製作『ベイビーガール』が3月28日(金)に日本公開されます。

ニューヨークで、舞台演出家の夫ジェイコブ(アントニオ・バンデラス)と子どもたちと暮らすテック企業CEOのロミー(ニコール・キッドマン)。ある時、路上で犬を自在に手懐けるインターンのサミュエル(ハリス・ディキンソン)を偶然見かけたことをきっかけに、二人は親密な関係に陥る。サミュエルは彼女の中に眠る秘密の欲望を見抜き、きわどい挑発を仕掛けるようになり、やがて二人のパワーバランスは逆転していき──。

監督は、ポール・ヴァーホーヴェン監督の『ブラックブック』(06年)、トム・クルーズと共演した『ワルキューレ』(08年)などで俳優として活躍した後、『Instinct』(原題・19年)で監督デビューしたオランダ出身のハリナ・ライン。同作は初監督作ながらロカルノ国際映画祭でプレミア上映され、ヨーロッパ映画賞新人賞にノミネート、アカデミー賞国際長編映画賞のオランダ代表作品に選出され、注目を浴びました。

続くA24製作の『BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』(22年)はSXSWでワールドプレミアされ、インディペンデント・スピリット賞監督賞にノミネート。A24と再タッグを組んだ監督第3作目となる本作は、第81回ベネチア国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミアされ、ニコール・キッドマンが女優賞を受賞しました。

今、最も注目される女性監督のひとりであるハリナ・ラインが、日本公開に際してFan’s Voiceのオンラインインタビューに応じてくれました。

ハリナ・ライン監督、ニコール・キッドマン

──ベネチア国際映画祭で最初にこの作品を観たとき、女性たちは楽しめると思いましたが、特に保守的な男性がどのように受け止めるか、気になりました。攻撃されているように感じてしまう男性もいるのではないかと。男性からの反応をどう受け取っていますか?
面白い質問をありがとうございます。基本的に男性の観客も好意的に受け止めてくれているようです。ただ、周りの男友達の反応だと、この作品を観て少し不安になるようですね。女性がオーガズムをフェイクしているのか、という。その点だけに執着してしまうようです。この作品は決して男性を批判しているわけではなく、女性の解放をテーマに描いていますが、そこにまで目が行かず、その点だけに不安を抱いてしまうようです。

これまでの人類の歴史において、男性視点からの作品はずっと描かれてきたので、女性がステージの中央に立って男性が背景になる作品があっても良いのでは、と思っています。今日でも男性視点の作品は多く世に出ているのですから。男性が、批判されていると感じると言うのなら、そうやって会話が始まることが私の本望と言えます。そのためにこの作品を作ったので。だから、そういう人たちに私はこう言います。「これは、女性が自分を愛するための旅路を描いている。彼女が、何が自分を動かしているのかを探す旅路を描いている」と。

アントニオ・バンデラスが演じたロミーの夫ジェイコブは、ロミーが自身の欲望や欲求について話してくれれば、喜んでそれを満たそうとしてくれたでしょう。でもロミーは、それを彼に話すのが怖かった。つまり、男性が“与えられない”のではなく、女性が求めることができないという観点で描いています。そういうことを男性にはお話しします。

──この映画が男性を「攻撃しているものではない」と感じさせるために、どのような点に配慮しましたか?
ジェイコブの見せ方ですね。彼は優しくて、彼女の成功を誇りに思っていて、妻とのセックスを楽しんでいて、彼女の話もきちんと聞いてくれる人であることを、明確に描くようにしました。この物語で描かれていることは、あくまでもロミーの問題であり、彼女の旅路です。求めていることを周囲に伝えることの大切さを学ぶのは、ロミーの方なのだと強調するよう、気をつけました。

──この最初の作品を観たときに、私は『ナインハーフ』(86年)と『危険な情事』(87年)を思い浮かべました。あなたがそういった作品をある種のモチーフに使い、ジェンダーを反転させて描いたことは大変興味深いです。あなたも、こうした90年代のエロティックスリラーを楽しんだという風にインタビューで仰っていましたが、やはり当時から、男性目線であることに違和感を感じていたのでしょうか?
おっしゃる通り、それらの作品にインスパイアされました。自分のセクシャルな妄想が決して間違ってはいないものだと、それらの作品によって肯定されました。ただ、男性の視点で描かれているところはつまらないと感じていました。浮気した女性がいつも罰せられたりするのは、あまり共感できない部分です。グロテスクで性差別的だとなんとなく感じていました。なので、『ベイビーガール』は、そうした作品へのトリビュートでもありますが、より現代的な価値観を反映させています。女性は、ただ強かったり、優しかったりするのではなく、いろいろな側面がある。それだけ複雑な生き物なのだと、この『ベイビーガール』を通して描き直したかった。

──エロスティックスリラーを新たに描き直すために、他にはどのような作品を参考にしましたか?
私にとって大切な映画といえば、『ピアニスト』(01年)、『危険な関係』(59年)、『罪と女王』(19年)などです。女性を新たな視点から描いている作品が好きです。私を映し出しているともいえるような、登場する女性たちに共感できる映画ですね。

1本だけ選べと言われれば、『ピアニスト』です。イザベル・ユペール演じる女性はダークな役柄ですが、共感することが出来、新鮮に感じました。性的欲望を露にしていながらも、当人は自分が何を求めているのか気付いていない。そこに深く感情移入でき、感動しました。

『こわれゆく女』(74年)でジーナ・ローランズが演じている役は、完璧な女性、完璧な母親を目指しすぎて、精神的に病んでいく。この作品にも大きく影響を受けたし、映画作りにおいてもいつも参考にしています。

ハリス・ディキンソン、ハリナ・ライン監督、ニコール・キッドマン(第81回ベネチア国際映画祭にて)© Foto ASAC

──「女性は色々な側面がある複雑な生き物」とおっしゃいましたが、特に強調した点は?
“恥”という概念ですね。どんな人にも、何かしら恥じていることはあるはず──アメリカ政府の一部の人やサイコパスを除いてね。恐怖、良心、罪悪感、愛、共感する力がある人は──特に女性は“共感”に左右されやすいと思いますが、恥をまったく感じないことは無理だと思います。自分に完全なる自信を持つことを、女性はまだ学んでいる途中。もちろん国によって差異はあり、自由の多い国もあれば、そうでない国もあると思いますが、でも女性は誰しも、自分らしくいることに苦しんでいる。自分が何者なのか、答えを見つけられずに悩んでいるのだと思います。

──映画の中でも、主人公ロミーは様々な葛藤を抱えています。ロミーが最終的に乗り越えたかったものは何だと思いますか?
自分を愛することですね。彼女は容姿や年齢にコンプレックスがあり、セクシュアリティや妄想に関して自己嫌悪に陥っている。だから彼女は、それを乗り越えないといけない。自分を愛して、素の自分を受け入れることを学ぶ必要があるのです。

──ロミーがCEOを務める会社をテック企業という設定にした理由は?
ロボットは私にとって支配の象徴だからです。映画全体のテーマが“野生の目覚め”であり、危険が及ぶ前に自分の動物的感覚を取り戻す大切さを描いています。ロボットはその正反対だから、ロミーをオートメーションの会社のCEOという設定にしました。

──この作品に観客がのめり込む最初のポイントとなるのが、サミュエルが犬を手懐けるシーンだと思います。ロミーのことも手懐けていくという面白いギミックがあると思いますが、犬の調教というアイディアはどこから来たのですか?
脚本をある程度書き上げたところで、サミュエルを紹介する何かが欲しいと思いました。ただのインターンとして紹介するのではなく、少しおとぎ話的な紹介の仕方をしたかった。この作品を通して、サミュエルはもしかするとファンタジー的な存在かもしれないと感じる人もいるかもしれません。実際には存在しない男性だと。というのも、若くて、でも精神的にしっかりしていて、ロミーにオーガズムを与えることで彼女を支配することができ、彼女を癒すこともできる。でも実際のところ、そういう存在はなかなかいないと思います。だから、彼はファンタジーなのではないかと感じる人も多い。

これまでの映画、例えば『ロリータ』(62年)などには、男性によって作られてきた女性像ばかりが登場します。私も俳優として、そういう役を演じてきました。なので、そういった作品への一種の報復として、この神話的な存在のサミュエルというキャラクターを描きました。

そのような彼をどのように紹介するかと考えたときに、犬というアイディアを思い浮かべました。ロミーは、彼が犬を手懐けるのを見て、あの犬になりたいと思い、実際にそうなっていく。そういう流れがアイディアとして出来てきました。

──この映画を制作するにあたり、撮影スタイルにおいて影響を受けた撮影監督、あるいは作品はありますか?撮影監督にヤスペル・ウルフを選んだ決め手は?
ヤスペルとは過去作でも組んできました。『Instinct』の時に5人の撮影監督と話して、最も通じ合えたのが彼でした。彼のカメラワークが一番好きでした。私は映画学校で学んだわけでもないので、カメラやレンズの知識がありません。もちろん俳優として現場の経験は多かったですが、技術的なことは詳しくなかったので、『Instinct』の時は彼の前で私が演じて説明すると、彼は瞬時に理解してくれました。“カメラはここで”と。私の直感的な判断を、彼は一度も否定したりしなかった。私の感覚に常に合わせてくれて、真剣に向き合ってくれたから、安心して仕事ができました。

私は母国(オランダ)で監督になる、と言ったら、誰もが「どうかしている。女優として成功しているし、今のままの方がいい」と止めました。でも、彼だけが「君にはビジョンがあるから、試してみるべきだ」と背中を押してくれました。それ以降、毎回彼と組むようにしています。

影響を受けた作品に関して、ジョン・カサヴェテスの映画は役者の演技を優先してカメラワークを決めているので、特に好きです。ヤスペルと私も同じ考え方で、ニコールもヤスペルのことをすごく気に入っていました。直感的で、カメラマンとしてのエゴを決して出さない。立ち位置がどうとか、クレーンがどうとかもね。もちろんレイヴのような特定のビジュアルを追求しているシーンもありますが、基本的に技術面ではなく、いつも役者メインで撮影を進めていましたね。

──映画の中でミルクが象徴的に使われていますが、それ他にこの映画のテーマを象徴するような小道具はありますか?
実は昨日、A24から小包が届いて笑っていたところです。「Babygirl」と書かれたピンクの犬用のリードが届きました。黒い犬は本作の中で、私たちの中に潜む野性的、動物的な側面を表しています。サミュエルのような犬を操れる人に支配されたいというマゾヒスティックな願望も。

さらに(ジョージ・マイケルの楽曲)「Father Figure」や(サミュエルが踊る)ダンスも性欲の象徴になっています。男女の役割が入れ替わること、つまり女性もたまには男性を所有できるということを伝えたいと思いました。

──この作品で描かれる世代間の価値観のコントラストも興味深い点です。サミュエルを演じているハリス・ディキンソンとは、そうした価値観の違いについてどのような話をしたのでしょうか?あるいは、実際に彼の言葉や言動から価値観のギャップを感じることはありましたか?
もちろん話し合いました。ハリスは頭が良いから、様々な視点から物事を見ることができ、こういう話題も話し合えるタイプです。ハリスとはたくさん話しましたし、彼は話したことをすぐ演技に反映することができます。

私から彼に、X世代とZ世代に対して私が抱いているイメージを説明することはとても大切でした。Z世代はフェミニズムに対してより時代に合った見方が出来ている。例えば、私は俳優として、自分を女として見せることに慣れています。かつては、(映画における)女性の役柄といえば、処女かファム・ファタルか愛人か母親しかなかったから。でもZ世代は、何事にも同意が必要です。支配する側もされる側も、あるいは平等な関係であっても、必ず相手の同意が必要となります。だから本作にもその要素を取り入れました。サミュエルは支配する側だけど、優しく、相手を思いやっていて、必ず相手の同意を求める。ハリスもそこは理解していました。

最も顕著に表れているのが、ジェイコブがサミュエルに、マゾヒズムは男性のファンタジーだと伝えるシーンですね。それに対してサミュエルは、「それは時代遅れの考えだ。間違っている」と言います。あれこそZ世代らしい。若い人が年上に向かって、“あなたは分かってない。今の時代はこうだ。時代遅れだね”と言うのですから。そしてジェイコブは心臓発作が起きそうになる。ユーモラスなシーンですよね。

──アントニオ・バンデラス演じる夫ジェイコブは、舞台演出家というリベラルな職業ですが、それでも彼は、ある種保守的な価値観を持っているように感じられます。ロミーの情事が発覚した時に、彼はロミーに家から出ていくように言います。なぜ、彼は自分が出ていくのではなく、ロミーを追い出したのでしょうか?
オープンで進歩的な人でも、結局はみんな原始的なのではないでしょうか。いくらセクシュアリティに対して自由な考え方を持っていても、浮気された瞬間、“爬虫類的”な思考に戻り、本能に基づいて反応してしまう。知識がなく、文明を知らない人間のようにね。私もそのような状況を多く見たり聞いたりしてきたので、できるだけリアルに描きました。

──サミュエルは最後、東京で就職したという設定ですね。なぜ日本の、“カワサキ”という企業を選んだのでしょうか?
日本は私にとって特別な場所で、これまで多くの刺激を受けてきました。以前に演劇公演で日本を訪れた時、際どいテーマの舞台ではあったのですが、日本の皆さんは偏見を持たずに受け入れてくれました。性的な欲望に対する観点も、他の国と違うと感じていました。そこに、私自身、個人的な繋がりをずっと感じていました。

最後に、出来るだけサミュエルを遠くに送り出したいけれど、やっぱり美しい場所が良いと思い、自分の中での一番美しい国である日本にしました。あと、ロボットという繋がりもありました。オートメーション化の会社でインターンをしていたから、機械やモーター関連の方向に進むのがベストだと思いました。似ている業界だけど、少し異なる業種。それが最も信憑性があると思いました。それで“カワサキ”という企業にたどり着きました。

出来れば日本のどこかで、桜の木の下で犬と戯れるサミュエルを撮りたかったのですが、予算の都合で叶いませんでした。

──監督ご自身の経験や感情が映画に反映されているとのことですが、どのシーンやキャラクターに特に反映されているのですか?
一番わかりやすく、私の友達からもよく指摘されるのは、ロミーの二面性ですね。彼女はパワフルで頭がよく、目指しているものが明確で、それを巧みに言葉に出来る。でも恋に落ちると繊細な少女が顔を見せ、どのように振る舞って良いのか分からなくなる。破滅的かつ衝動的になり、相手に夢中になってしまう。友人には、そういう点が私と似ていると言われます。

──この映画は「女性が自分を愛するための旅路」を描いているとのことですが、監督自身が自分を愛するために実践していることはありますか?
セラピーを受けて、ジムに通っています。ジムは体づくりのためというより、精神的な安定のためですね。体を動かした後には、人と接するようにしています。執筆していると、家にこもって、外に出るチャンスを逃しますからね。なるべく、友人に連絡するようにしています。

あとはデートですね!7年間、誰ともデートをしてこなかったので、この5週間は再び出かけるようにしています。まだ怖いですけどね。

他にも、日記を書いたり瞑想をしたりして、自分の行動や自分の内なる声に耳を傾けるようにしています。自分は醜いとか、歳をとりすぎているとか、太りすぎとか、監督として実力不足とか、なぜオスカーを受賞しないのか、人に愛情をもっと注げないのか、人の世話ができないのか、子どもがいないのか、普通じゃないのか、恋人がいないのか、とか。すべてに意識を向けて、自分を大切にして、優しい言葉をかけるようにしています。

ハリナ・ライン監督(2024年12月、アカデミー・ウィメンズ・ランチョンにて)Photo: Al Seib / The Academy ©A.M.P.A.S.

──タイトルの『ベイビーガール』はどこから来たアイディアですか?もし別のタイトルをつけるとしたら、どのようなものにしますか?
タイトルをもう一つ考えろと言うの?今のタイトルを決めるだけでも大変だったのに(笑)!もう思いつかないですね。頭の中にストーリーがずっとあって、タイトルは後から決めたのですが、皮肉っぽいところが気に入って、『ベイビーガール』にしました。だってロミーは強いし、決して“ベイビーガール”(女の子の赤ちゃん)ではない。それと最近では、一部の男性を“ベイビーガール”と呼ぶ場合もありますね。ティモシー・シャラメ、ジェイコブ・エロルディ、ハリス・ディキンソンなど。ロミーとサミュエルの両方を、“ベイビーガール”かつ“ダディ”と呼べたら最高だと思いました。

ベイビーガールは“生まれ変わり”も象徴しています。危機と直面しているロミーは、最後には生まれ変わるので、その意味合いもあります。成功を収めていて、サミュエルよりも年上だけど、彼女はまだベイビーガールです。

また、誰かに世話をしてもらい、精神的に頼って、ピンクの服を着て、髪にピンクのリボンをつけて、部屋の壁もピンク色にするというのは、私のファンタジーでもあります。だからこれ以上のタイトルは思い浮かびませんが……最高の質問ですね!

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『ベイビーガール』(原題:Babygirl)

NYで女性CEOとして、大成功を収めるロミー。舞台演出家の優しい夫ジェイコブと子供たちと、誰もが憧れる暮らしを送っていた。ある時、ロミーは一人のインターンから目が離せなくなる。彼の名はサミュエル、ロミーの中に眠る秘密の欲望を見抜き、きわどい挑発を仕掛けてくるのだ。行き過ぎた駆け引きをやめさせるためにサミュエルに会いに行くが、逆に主導権を握られ2人のパワーバランスが逆転していく──。

監督・脚本:ハリナ・ライン
キャスト:ニコール・キッドマン、ハリス・ディキンソン、アントニオ・バンデラス、ソフィー・ワイルド
2024年/アメリカ/ビスタ/5.1ch/114分/PG12/字幕翻訳:松浦美奈

2025年3月28日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか 全国ロードショー
配給:ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト
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