アカデミー賞ノミネート『Instruments of a Beating Heart』山崎エマ監督とHIKARIがLAで対談
- Itsuko Hirai
第97回アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされた山崎エマ監督の『Instruments of a Beating Heart』。本作は山崎監督の長編ドキュメンタリー映画『小学校〜それは小さな社会〜』からの抜粋で、日本の公立小学校で1年間にわたり撮影された作品です。日本の教育システムの本質を映し出し、世界的な注目を集めました。2024年に『ニューヨーク・タイムズ』に山崎監督の紹介記事が掲載、『小学校〜それは小さな社会〜』の短編版がOp-Docs(ニューヨーク・タイムズ紙運営の動画配信サイト)に選出され、2024年11月よりYouTubeで配信されています。
アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門に、日本をテーマに日本の監督が作った作品がノミネートされたのは史上初。ノミネートを記念し、ロサンゼルスにある日本文化発信拠点「ジャパン・ハウス・ロサンゼルス」で映画上映とQ&Aが、現地時間2月10日(月)に開催され、日本映画や日本の教育システム、ドキュメンタリーに関心を寄せる約120名の観客が参加しました。
モデレーターを務めたのは、『37セカンズ』(20年)、『BEEF/ビーフ』(23年)などで知られ、現在は新作『Rental Family』を準備中の映画監督・HIKARI。2010年に南カリフォルニア大学の卒業制作映画『TSUYAKO』の準備をしていた頃、当時ニューヨーク大学で映画を学んでいた山崎監督と出会い、友情を育んできた二人。大阪出身の二人はお互いを“Touch Cookie(タフで気丈)”、“Go-Getter(積極的)”と紹介し、カンヌ映画祭中には山崎監督の21歳の誕生日を一緒に祝った思い出があるそう。
アカデミー賞の結果が待たれる中、日本から世界に向けて発信される映画の可能性が広がっています。映画監督として日米の垣根を超えて活躍する旧友同士の対談をお届けします。

HIKARI(映画監督)、山崎エマ監督 © JAPAN HOUSE Los Angeles
日本の教育システムを世界に伝える
HIKARI きっと皆さんも私と同じように感じたと思います。あの子どもたちがとてもかわいくて、涙が止まりませんでした。そして、先生たちはとても厳しい。私が1年生だった頃の先生を思い出しました。まず、山崎監督のバックグラウンドについて少し話していただけますか?なぜこの映画を作ろうと思ったのでしょう?
山崎 私は日本の公立小学校に通っていました。映画に出てくるような学校です。その後、カナディアン・アカデミーというインターナショナルスクールに転校し、中学高校時代は英語で教育を受けました。その後、ニューヨーク大学で映画を学び、約10年間ニューヨークで暮らしました。
ニューヨークで編集アシスタントとして働き始めた頃、私の「普通」の仕事ぶりが非常に評価されました。「あなたはとても勤勉で、責任感があって、他人への思いやりがあり、素晴らしいチームプレイヤーで、決して遅刻しない」と言われて。「ああ、私はただ日本人なだけなのに」と思いました。そこで、なぜ自分がこのようになったのか、考え始めました。
アメリカの友人たちに小学校の経験を話すと、「教室を掃除するの?ランチの準備をした?自分たちで学校を運営していたの?」と驚かれました。私が経験したことは、世界的に普通ではないと気づきました。

山崎エマ監督、エリック ニアリ(プロデューサー) 第97回アカデミー賞ノミニーズディナーにて Photo by: Trae Patton / The Academy ©A.M.P.A.S.
私はその後、日本に戻りました。東京に住み始めたのは、海外で見る日本のイメージが限定されていると感じたからです。日本は海外の人々にとても人気がありますが、寿司や食べ物、侍、忍者、アニメといった特定のジャンルのものだけが知られています。それらはすべて、私たちの文化の素晴らしい部分です。でも、私たちがなぜこのようになったのかを本当に理解したいのなら、もっと他の分野も探索できるのではと思いました。それを理解する鍵は、小学校の教育システムにあると思い、この映画を作ることにしました。
文化の違いから生まれる教育観
HIKARI この中で、日本で育った人はいますか?(数人が挙手)私たちは学校を掃除しますよね。アメリカの学校について初めて聞いた時、「学校を掃除しなくていいの?ランチの準備をしなくていいの?」と驚きました。
日本では入学式や卒業式があり、その日やその年のために準備をします。それが私にとっては常にワクワクすることでした。一方、アメリカでは1日目から「さあ!」という感じでいきなり授業が始まってしまう。私が初めてアメリカに交換留学生として来た時、「え?」と思ったものです。
山崎 その通りです。インターナショナルスクールに入った時、まず気づいたのは、いろいろな種類の鉛筆を使っていいと許可されていることでした。そして教室を掃除する時間を待っていたのに、一日が終わっても掃除をしませんでした。用務員さんが現れた時、インターナショナルスクールの友人たちにはない、用務員への感謝の気持ちを持っていることに気づきました。もちろん、掃除は彼らの仕事ですが、自分の物を自分で片付ける必要があることを学び、仕事に対する感謝の気持ちを持つことができたことを覚えています。
150日間、700時間の撮影から生まれた作品
HIKARI この短編映画では、一人の女の子に焦点を当てていますね。なぜ彼女を選んだのですか?
山崎 学校で1年間、150日にわたって撮影し、約700時間の素材を編集しました。『小学校〜それは小さな社会〜』という長編映画を作っていた際に、(この作品に登場する)あやめちゃんには特別な何かがありました。6歳の子どもが「過酷な楽器」という表現をするなんて(笑)。彼女にはお兄ちゃんがいるので、言語感覚が進んでいたのでしょう。あやめちゃんは感情豊かで、幸せな時はとても幸せに、悲しい時はとても悲しく、感情をあからさまに表現していました。
彼女は何事にも少し遅れるのんびりタイプでしたが、勇気がありました。音楽のオーディションが発表された時、彼女の顔が輝きました。でもその時点では、まだ他の10人くらいの子どもたちも同じように撮影していました。彼女はオーディションで失敗した翌日、決意を持って戻ってきました。それは12カ月中の10カ月目くらいのことでしたが、ドキュメンタリーの神様に祝福されたように感じました。毎日、全てを記録する準備ができていたことへの祝福です。
HIKARI クルーは何人で撮影していたのですか?
山崎 基本的に私とカメラマン、音声担当者の3人です。私たちは“環境の一部”になっていました。始業式からずっといたので、子どもたちは撮影されることが学校生活の一部だと思っていたようです。「ここが机で、ここが椅子で、あそこにカメラがあって、あそこに先生がいて、音声マイクの近くにエマがいる」という具合でした。この短編映画では、日本の教育に関するテーマのすべてを捉えたストーリーを探していました。個性と集団性のバランス、自由と制約のバランス、集団のために自己を犠牲にすることと貢献のバランスなど。それらすべてを一つのドラマチックなストーリーに詰め込み、「歓喜の歌」で終わらせたかった。彼らが「歓喜の歌」を選んだ時、またもやドキュメンタリーの神様に祝福されたように感じました。
HIKARI 映画に登場する先生についても教えてください。私の先生を思い出させました。最初は厳しいけれど、最終的にはとても愛情を示します。敬意を込めて言いますが、映画の始めの方で彼の教え方には、「ああ、トラウマが蘇る」と思いました(笑)。でも彼は“報酬”を与えてくれます。「これをやりたい?辞めたいなら辞めてもいいよ。大丈夫だよ」と言って、子どもたちに「はい」か「いいえ」を言う機会を与えます。素晴らしいことです。一方通行だけの先生をたくさん知っているので、とても安心しました。
山崎 厳しい先生も優しい先生も連携しながら、いわば「飴と鞭」を使い分けているのです。彼らはそれぞれの役割を理解し、とても計画的です。
大人になって初めて、厳しい先生たちへの感謝の気持ちが理解できました。彼らのおかげで、自分には無理だと思っていたことを乗り越え、自信を得ることができました。日本の学校で6〜10歳の頃に学んだ「一生懸命働けば、こんな景色が見える」という達成感は、私の人生に大きな影響を与えました。ニューヨークで仕事を始めた時、私が基本だと思っていたレベルは、アメリカでは平均以上だったのかもしれません。だから褒められたのです。
日本の公共性については多くの議論があります。仲間からのプレッシャーが強すぎるとか、個性が育たないという批判もあります。しかしその反面、皆が同じであるという感覚は共感を学び、互いに協力し、思いやる方法を学ぶ基盤にもなります。
アメリカでは、「あなたは誰?個人として何が強み?何が特徴?」から始め、自分のアイデンティティを構築します。その後二次的に、互いに協力する方法を見つけます。日本ではそれが逆で、「どのように帰属するか?どのように適合するか?このグループ内であなたの役割は何?」から始まります。どちらにも長所と短所があります。
HIKARI 親御さんからの撮影許可など、何か問題はありましたか?
山崎 1,000人の子どもがいる学校でしたが、とてもシンプルでした。「映っても構わないけど特集はしないで」という人、協力的な人、そして「いいえ」という人の3つのカテゴリーです。「いいえ」はさほど多くなく、数十人程度でした。
撮影の途中で私は妊娠しました。お腹が大きくなるに連れて、子どもたちから「エマ、太ってきたね」と言われ、妊娠しているとわかってからは皆が赤ちゃんの名前を提案してくれるようになりました。親たちとは、もちろん以前からコミュニケーションを取っていましたが、まるで私が彼らの仲間になったかのような感覚がありました。それは大きな贈り物でした。(妊娠して)疲れやすくなりましたが、私が子どもの頃の日本では、妊婦が働いている姿を見たことがなく、「もしも小学生の子どもたちの何人かが、カメラを持って走り回っていた女性のことを覚えていたら、何らかの形で彼らの考え方に影響を与えるかもしれない」と思いました。
シネマ・ヴェリテの追求
会場の質問者 この映画のヴェリテ(真実)の性質が素晴らしいです。今日、真のヴェリテドキュメンタリーを作る人はほとんどいません。インタビューではなく、ただ見るまま、聞くままにストーリーを追っている点が爽やかでした。このスタイルを選んだ理由を教えてください。

© JAPAN HOUSE Los Angeles
山崎 実は先生や年長の子どもたちのインタビューはたくさん撮りました。でも最終的に、この短編では学校内だけ、インタビューなしというスタイルを選びました。クルーと学校との関係性が深まり、まるでフィクション映画のセットのように、本当の瞬間をキャプチャーできるようになっていました。
公演のシーンは、クルーと100回ぐらいリハーサルしました。ストーリーボードも描いて、いつ何を撮るか入念に準備をしました。純粋なヴェリテのスタイルで撮影できる機会があり、それが機能すれば素晴らしいと思いました。少なくともこの短編映画では、私は息をのむ瞬間がありました。そのような評価をいただき本当に感謝しています。
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『Instruments of a Beating Heart』
監督:⼭崎エマ
国際共同制作:Cineric Creative/ NYT Op-Docs / NHK