Column

2024.09.21 9:00

【単独インタビュー】『ナミビアの砂漠』河合優実と山中瑶子監督が共鳴した“今を生きることの混沌”

  • Atsuko Tatsuta

第77回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した河合優実主演、山中瑶子監督の映画『ナミビアの砂漠』が9月6日(金)に公開されました。

脱毛エステサロンに勤めるカナ(河合優実)は、恋人である不動産関係のサラリーマン・ホンダ(寛一郎)と同居しているにもかかわらず、クリエーターのハヤシ(金子大地)と浮気をしている。ほどなくホンダと別れ、ハヤシと暮らし始めるが、時折、行き場のない憤りに突き動かされ、ハヤシと喧嘩を繰り返す。ぞんざいな言動がもとで職場をクビになったカナは、カウンセリングを受けるが──。

19歳で初監督した『あみこ』(17年)が第68回ベルリン国際映画祭フォーラム部門に史上最年少で選出されるなど、鮮烈のデビューを飾った山中瑶子。それから7年、長編第2作目となる『ナミビアの砂漠』では、『由宇子の天秤』、『サマーフィルムにのって』で数々の新人賞を総なめにし、話題作への出演が続く河合優実を主演に抜擢。

河合優実は俳優デビュー前から山中監督のファンだったといい、そんな“相思相愛”の二人が、Fan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。

──河合さんが学生時代に『あみこ』を観て、山中監督にお手紙を渡したことがお二人の出会いのきっかけと聞いています。
河合 はい。『あみこ』を観てファンになり、お手紙を渡しました。6年くらい前ですね。

──それがきっかけで今回は河合さんにオファーをしたのですか?
山中
 経緯はちょっと複雑で。お手紙をいただいた2年後くらいから、実際に映画館で河合さんを見るようになって、「あのときの子だ!」と気づいて。その後、人づてで「河合さんが山中さんとやりたいと言っているよ」ということを耳にして、あの手紙のことを覚えていてくれたんだと嬉しくなり、3年くらい前に原作モノを映画化する別の企画の主役を河合さんにオファーしました。
でも昨年の5月に、その企画の脚本が自分の中で行き詰まってしまい、私が降りたいと申し出たところ、「河合さんもスタッフも待っていたから、せっかくだったらオリジナルで好きにやりませんか?」とプロデューサーが言ってくれて。そこから急遽シフトチェンジし、新たに脚本を書くことにしました。だから、カナは河合さんを主演に想定した当て書きになっています。

──脚本を読んだ時の感想はどのようなものでしたか?
河合 前の企画から変わっていましたが、今を生きる若い女の子が思っていることや、それを取り巻く空気を描くという要素は共通していました。実際に感じていることとかやりたいことを形にするのは難しいし、山中さんが脚本を書いていた時の“生みの苦しみ”もわかるので、まず脚本をこんな風に書いていただけたことが嬉しかったです。

──カナという人物に河合さん自身が投影されているという実感はありましたか?
河合 何度もお会いしていたので私の性格もご存知だと思うし、映画とはあまり関係のないお互いの家族の話とかもしていたので、そういうところから感じる何かが反映されているとは思いますが、“私のような人”を主人公にはしていないことはわかりました。

山中 河合さん自身とはむしろ全く違う人にしよう、という意図の当て書きです(笑)。

──素の河合さんとは違うキャラクターを、河合さんの要素を使って作り上げようと思ったということですか?
山中
 というよりはまず、それまで河合さんが演じてきた役とは全然違うキャラクターにしたかったというのがあります。そして、ベスト河合優実さんが撮りたかった。

──カナのキャラクターについてもう少し掘り下げてお伺いできればと思います。恋人にも暴力を振るうようなカナの行動は、ある種の自傷行為かなと思ったのですが、お二人の解釈はいかがでしょうか?
山中 カナは意識できてはいないと思いますが、あのように暴力を振るう行為は、結果的に自分にも刃が向く行為ではあると思います。自覚して自分を傷つけようと思ってやっているのかどうかはわかりませんが。

河合 そうとも取れるのですかね。確かに、目の前の人を傷つけることを目的でやっているのではないとは思います。カナは、二人の関係のために喧嘩していると思いますが、でも、全然良い方向に行かない手段を選んでしまっているのではないかと思います。それが結果的に自傷というか、自分を含めた二人の関係を傷つける行為ではあるなと思います。

──タイトルは『ナミビアの砂漠』ですが、ミケランジェロ・アントニオーニの『赤い砂漠』のような乾いたイメージよりも、本作では、カナという人間を通してむしろ溢れんばかりの感情というか、感情を持て余している熱を感じます。
山中 確かに、カナのことをよく“空っぽ”と評されたりもするのですが、私はそうでもないのではないかと思うんですよね。カナには、体力も情熱も思考もあります。

──何もやる気がないのではなく、溢れるエネルギーのやり場をどこに持っていっていいのかわからなくて、ああいう衝動に出る。むしろそこでもがいているような印象を受けますね。
山中 私もそう思います。

──自虐的でもあり、時に斜に構えた視線で物事を見るカナという主人公は、『あみこ』との共通点も感じられます。思春期におけるアイデンティティの模索というテーマは、監督自身が最も興味を抱いている主題なのでしょうか?
山中 改めて言われると、私自身、アイデンティティの模索みたいなことは未だによくわかっていないし、この世界のことをよくわかっていない。だからこそ、そういう話を書きやすいというのはありますよね。この世の中とは一体何なんだみたいなことは、自分自身よく考えたりしたし、急に瞑想とかに走りそうになったり、かなり混沌としていたこともありましたから。例えば、自分とはまったく遠い世界のスティーヴ・ジョブズの伝記とかをやるより、全然書きやすかっただけです(笑)。

──そういうカナというキャラクターに、河合さんは共感できたのでしょうか?
河合 私も年齢的に思春期と呼ばれる時期を終えたばかりだったので、似た記憶もあり、かなり共感できました。参考の映画として監督から勧められた『パリ13区』(21年)は、かなり年齢が上の男性監督(ジャック・オディアール)が撮っているのに、そういう視線を感じない。むしろ年齢が何回りも上だからこそ、若い世代をフラットに見られるのかもしれないですが。撮る人の年齢とか演じ手が共感することとかは、作品としての映画と実はあまり関係ないのかもしれないですけどね。でも私の場合は、自分が通ってきた道についての話や身近にある物語と共感を感じます。演じる役との距離感は作品ごとに違いますが、キャラクターは違ってもカナという役はとても近い存在に感じました。

──『パリ13区』は脚本家が女性ということもあったかもしれませんね。河合さんはスクリーンの内外でも基本的にとても落ち着いた雰囲気がありますが、カナのような衝動的な部分は思春期に経験したことはあったのですか?
河合 おそらく外側への出方が違うだけで、カナの気持ちはとても理解できます。こうした取材をしていく中で話すことによって気持ちが整理されてきて、自分と近いなとさらに感じることも多くなりました。

──ハヤシとの会話の中で、「あなたは帰るところがあっていいよね」というセリフもありました。また、後半にカナがお母さんとテレビ電話で話すシーンがありますね。カナがミックスのルーツであるという設定は、中国人の母親を持つ山中さんがご自身の経験を反映しているのでしょうか?
山中 最初はカナがミックスルーツという設定は当初は想定していなかったのですが、どのように映画を終わらせようかと考えている時に、海外にいる親戚から電話がかかってくることによって、(ハヤシとカナの)二人の置かれている地平がほとんど同じになるというアイディアを思いつきました。それまで二人が同じ日本語という言語を使っていながらもコミュニケーションがうまくいかず、身体を使って喧嘩するようになる。だから、分からない言葉があるということ自体が、ある種の救いになるようなラストが良いなと考えました。そこで、カナが中国ルーツであるという設定が生まれた。そもそも私自身が、ミックスルーツにおける所在の無さみたいなことをいつも感じていたし、そのことと『ナミビアの砂漠』の中に転がっている何かにとても呼応するものがあるな、と。それで脚本を書いていくうちに、点と点が繋がったように感じています。

河合 そういう“通じなさ”は、ミックスルーツでなくとも多分みんなに経験がありますよね。バックグラウンドや考え方によって、これは言葉で言っても伝わらないだろうなと感じることがあると思います。そういう時の他人との線の引き方もすごい絶妙だと思ったし、“わかるな”と思った。いろいろな理由で自分が属する場所がないと思っている人はたくさんいるだろうから、そういう人にとってはリアリティがある感覚なのではないかと思います。

──カナは、基本的に愛情があるはずのホンダにもハヤシにも反抗的な態度をとるのに、唐田えりかさん演じる隣人の遠山とか渋谷采郁さん演じるカウンセラーには、素直に心を開いているように見えます。そして、母親の存在はあるけれど、父親の影はない。この男性にはコネクトできない感覚は意識されていたのでしょうか?
山中 脚本を書いている時はあまり意識していなかったのですが、同じことをプロデューサーにも指摘されました。でも一応、中島歩さん演じるカウンセラーの話も聞いてはいるのですがね。だから、どちらかと言えば、カナは身近な人を蔑ろにするけれど、ちょっと距離のある関係の遠い他者に対しての方が素直になれる人であるのだと認識していました。

──では性別に関しては無意識だったのですね。
山中 無意識というか、唐田さんのキャラクター(遠山)は、どこかカナの未来像というか、“こうにもなれるよ”みたいな希望的な存在でもあります。「英語とか勉強したら」と言ってくれる人なんて、実際はなかなかいない。それに、同じことを身近な人にアドバイスされても響かないのではないか。そういう意味では、“未来のカナが助けに来た”みたいな感覚です。これは私の個人的な空想ですけど(笑)。そういう意味で、遠山が同性である必要はあったと思います。今がどん詰まりでも、ずっとそういうわけじゃないよ、可能性があるよという明るい兆しの象徴というか。

河合 カナが誰かの声に耳を傾けるとき、私もカナと一緒に考えていましたが、その言葉が男性のものであるか女性のものであるかは考えていませんでしたね。ただ、ピンクの抽象空間のところを撮影しているときに、「“なぜピンク色なんですか”と聞かれたらどうしよう」と監督と話したのを覚えています。

山中 「やっぱりカナの女性性の象徴ですか?」みたいに言われたらどうしようって(笑)。

河合 これまでその質問されたことないですけどね(笑)。

山中 ないですね。

──そうだったんですね(笑)。では、なぜあの部屋の色をピンクにしたのですか?
山中
 なんでだろう?『バービー』を観たからかな?

──そうなんですか?
河合
 でも確かに、その時期でしたよね。

──日本での『バービー』の公開は、(2023年)8月ですね。
山中
 7月から8月に脚本を書いていたので、その時に観たものなどから影響を受けている可能性があるので、半分くらい本当です。

──先ほど、「カナはやる気がないというよりもエネルギーに溢れている」と申し上げたのは、まさにここのシーンで感じたことでした。カナは、日常での自分でのやりきれなさを、ハヤシとのプロレスのような喧嘩で発散しているように見える。二人の喧嘩はある種のプレイのようなところがあるように見えます。カナは、溜まったエネルギーをある程度発散しないといけない状況なのではないかと思いました。ピンクの部屋でカナがランニングマシンで走るシーンでは、走り込んでエネルギーが切れると「あ、本日分のセッションは終了」みたいに終わりますよね。
山中 すごい、確かに!初めて言われました。全然そんなことは考えていなかったのですが、そう見えますね。

河合 確かにそうなっていますね。

山中 そういう解釈も、良いんじゃないかと思います。

──カナは走りながらお菓子も持っていますが、なぜお菓子を持っているのですか?
山中 あれは「かっぱえびせん」です。「やめられない、とまらない」という。

──もしかすると、ダジャレですか?
山中 そうですね、今日のファイト、やめられない。いや、でもあのシーンで考えていたことは、私的にはあれは資本主義を象徴した抽象空間です。資本主義や消費社会というものが、現代人を無駄に疲れさせる要因だということを表した部屋。カナが働いている脱毛サロンもそうですが、本来やらなくてもいいのにまんまとやらないといけないと思わされていることが、現代には多すぎる。あのピンクの部屋のシーンは、そんな話を美術の小林蘭さんと考えていきました。抽象空間とはいえ何か物は置きたいということになり、「IKEAの1500円の電気スタンドをいっぱい置くのはどうですか」と提案されて、あのシーンができました。

蘭さんにとっての資本主義の象徴は、IKEAの1500円で電気スタンド。電気スタンドが1500円で買えてしまう裏にはどんな搾取構造があるんだろう、と考えてしまう世の中で、しかもあのスタンドは説明書通りに組み立ててもまっすぐには立たない。どれも僅かにあちこち曲がっていて、すごく歪な身体に見えたりもします。ランニングマシンも私のアイディアではなく、この話を聞いていたカメラマンの米倉伸さんが「ランニングマシンを置くのはどうですか」とか提案してくれました。「何でですか?」と聞いたら「直感です」と言われましたが、確かに、この現代社会に生きていて、何かに無理矢理走らされているような感覚に陥る局面が多々あるなと思って、さすが!と。そして、実は中国語ではリトルピンクと書いて「小さな共産主義者」っていう意味の単語があるんです。

河合 米倉さんは、その頃ジムに通っていたんですよね。

山中 それで思いついたのかも。私も(ジムに)入ってはみたけれど、行かずにやめました。

──『ナミビアの砂漠』はカナの内的葛藤の物語でもありますが、基本的には恋愛映画として描こうとしたのですか?前作と同様に『ゴーストワールド』(01年)を彷彿とさせる部分もありますが、一方で、女性1人に対し男性2人という構図は、ジャン=リュック・ゴダールを始め、多くの監督が使っている定石でもありますね。
山中 恋愛の要素よりは、人間関係における“権力闘争”を起点に脚本を書き始めました。『ゴーストワールド』は好きな映画だったので、『あみこ』の時は意識していました。今回はあの時より少し私も大人になったという自覚があったので、特別に意識したというわけでもないのですが、言及されることはありますね。男女の2対1の構造は、『ママと娼婦』(ジャン・ユスターシュ監督、73年)というフランス映画からの影響です。それから、『パリ13区』の主人公の中国系の女性(ルーシー・チャン)のキャラクターがとても自由で魅力的で、そこから影響を受けているところもあります。

──長い映画の歴史の中において、こういう構図ではいわゆる女性キャラクターは男たちを振り回す謎めいた“ファム・ファタール”として描かれてしまいがち。そこに陶酔を感じている男性監督の視点が見受けられましたが、『ナミビアの砂漠』にはそれがなく、むしろリアリティがあった。そこが大変面白いと感じました。
山中 そうですね。男性にとって都合の良いファム・ファタールにはしたくないと明確に思っていました。私が主人公と同性だから当然引き出されたことが至る場面にあったと思います。男性にも物語にも従属しない女性の生というものを描きたかったところはあります。

──山中さんは長編デビュー作『あみこ』から『ナミビアの砂漠』を撮るまでに6年ほど間がありますが、期間を空けた理由はあるのですか?
山中 それまでは短編やテレビドラマを撮ったりしていました。『あみこ』は私にとって1本目の作品だったので、映画のイロハをわかっていない状態で撮りました。なので、とにかく場数を踏んで、練習したいというか、経験を重ねる必要があると思って、短編を撮っていました。その間にも長編の企画がいくつかあったのですが、結局上手くいかずに降りてばかりいたんです。

──長編の企画が実現しなかった理由は?
山中 まだ新人なので「オリジナルでやりませんか」というオファーはなく、原作がある企画を依頼されることしかないのですが、どうしても自分のやりたいことと原作で大事にしなければならないところの折り合いがつかなかった。いただいた仕事でも、自分がやるべきだと思える要素を探せればいいのですが…。また、一度は受けたとしても、脚本の開発に1〜2年かかっていくうちに私自身も変化して、今の自分が撮るべきなのか確信が持てず、ベストパフォーマンスが出せないなとモチベーションがズレてしまったり。

──『ナミビアの砂漠』は、去年の夏に立ち上げ、完成までとてもスピーディに進んだのですね?
山中
 そうですね。脚本が書き上がってからはかなりすんなりいきました。この作品に向かうための、6年間の試行錯誤だったのかなとも思います。

──ドラマや短編の制作から学んだものは?
山中 映画作りは映画を観て学ぶようにしているので、そういう中身のことよりは、準備段階や現場でのスタッフとのコミュニケーションの取り方みたいなものを学びました。決定権が(監督である)自分にしかなく、みんなは言われたことをやるだけというような従来の一方的な現場でのコミュニケーションに、あまり適応できないことに気づいたりもしました。私がやりたいことをスタッフにやってもらうのが映画制作ではないと思っています。

──“監督のやりたいこと”以上のものが生まれてくるのが、理想的な現場ということですか?
山中 映画は多くの人たちの意識と無意識の集合体によって出来上がる要素も多いと思います。というか、それが避けられない。現場でスタッフが私の思う通りに動いてくれたとしても、実際にカメラや照明機材を操作するのはその技術者なわけで、私が100%コントロールしようにも、本当にできるわけではない。当たり前の話ではありますが、例えば、カメラマンの気持ちがカメラを持つその手に伝わって被写体をとらえることになりますよね。私は自分の頭で考えることよりもそこをもっと信じたいし、見たいという気持ちがあります。各部署のスタッフたちもそれぞれ脚本を読み込んでいろいろと考えていると思うので、私はそれを聞いて、映画に取り込んでいきたいと思うようになりました。

──自分の手足となって働いてくれるスタッフを好む“独裁者”型の監督も多いと思いますが、山中さんはもっとオーガニックなチーム作りを目指したということですね。
山中 結局、どんなに人の意見を聞き入れたとしても、作品は最終的な取捨選択をした私の色が強くなってしまうので、ならば恐れずに、できるだけたくさんの人のアイディアや考えを聞いて取り入れたい。一人の脳内で立ち上がることより、その方が広がりのある豊かな映画になると思っています。

Photography by Takahiro Idenoshita

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『ナミビアの砂漠』(英題:Desert of Namibia)

監督・脚本:山中瑶子
出演:河合優実、金子大地、寛一郎、新谷ゆづみ、中島歩、唐田えりか、渋谷采郁、澁谷麻美、倉田萌衣、伊島空、堀部圭亮、渡辺真起子
プロデューサー:小西啓介、小川真司、山田真史、鈴木徳至
製作:『ナミビアの砂漠』製作委員会
制作プロダクション:ブリッジヘッド、コギトワークス

日本公開:2024年9月6日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
製作幹事・配給:ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト
©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会