【単独インタビュー】山形で大賞を受賞!『祝福〜オラとニコデムの家〜』の新鋭アンナ・ザメツカ監督が描く少女のリアル
- Manatee
2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭において、アカデミー賞ドキュメンタリー賞ノミネートされた『私はあなたの二グロではない』や日本の原一男監督の話題作『ニッポン国VS泉南石綿村』をおさえ、最高賞のロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)を受賞。ヨーロッパで最も権威ある賞の一つであるヨーロッパ映画賞でも最優秀ドキュメンタリー賞を受賞するなど多数の賞に輝き、昨年度の世界のドキュメンタリーのベストの1本と高く評価されている『祝福~オラとニコデムの家~』。
舞台はポーランドのワルシャワ郊外の街。主人公は、酒で問題を抱える父親と自閉症の13歳の弟ニコデムと暮らす14歳の少女オラ。母マグダは家を出て行ってしまい、家事をこなし弟の面倒を見るのはもっぱらオラの役目。現実は厳しいが、弟の初聖体式(カトリック教会で、洗礼後に初めて聖体をいただく式)が成功すれば、もう一度家族がひとつになれると信じるオラの日々を描きます。
長編デビュー作にして才能を開花させたアンナ・ザメツカ監督。作品PRのために去年の山形に続いて二度目の来日を果たした監督にインタビューを行いました。
Q 東京は初めてだそうですね。東京の印象はどうですか。
「東京は初めてです。まだあまり観光するところまでいっておらず、昨日は一日中インタビューに答えておりましたし、今日も朝からインタビューに答えておりまして、明日午後ようやく自由な時間ができますから、今の所東京の中心部を夜に歩くだけだったのですが、少し離れたところまで観光できるんじゃないかと思っています。その後は、北海道に行って、6月17日まで日本に滞在するつもりです」
Q 山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞されたわけですが、山形は大変素晴らしいドキュメンタリー監督を今まで輩出しています。山形に出品するきっかけ、そして受賞したことについてはどう思われますか。
「山形映画祭が2年毎に行われる映画祭だと知っていました。ポーランド映画がそれほど多く出品されてきたわけではありませんけど。私はもともと日本の映画にも興味があったのですが、私の作品のセールスを担当している女性と話をした時に、彼女は彼女なりにどこに出品するか計画は持っていたのですが、私の方から“ぜひ山形には出したい”とお願いしたんです」
Q 山形での、観客の反応はどのように受け止めましたか?
「大変感動したことがあります。上映後、カワサキの社員だと名乗る方が私のところにやってきました。ポーランドの映画に非常に詳しい方で、なかなか日本人には発音しにくいカヴァレロヴィチだとか、ムンクだとかといった映画監督のことも大変よくご存知でした。山形の映画祭というのは、本当の映画通のためのフェスティバルだということがよくわかりました」
Q 大島渚監督作品などにも影響を受けたと伺いましたが、本作を撮影するにあたって、日本映画からの影響はありますか。
「私の映画に間接的にインスピレーションを与えてくれた映画は2本あります。大島渚監督の『少年』、それから是枝裕和監督の『誰も知らない』です。どちらも子どもの孤独、それから、“実際の年齢以上に早く成長しなくてはいけない子ども”という問題を取り上げています。それに加えて、是枝監督の作品の母親は社会的な見地から言えば、その振る舞いは肯定されるべきものではありませんが、しかしこの監督は、この女性を裁こうとはしないで、観ている人にその評価を任せようとしています。結果としてこの女性に対するある種の親近感が生まれてきます。これはドキュメンタリーを作る作家にとって非常に重要なことです。つまり、実際にいる人物を描くわけですから、その人に対して責任を取らないといけません。そういう点で、彼の母親の描き方というのは私にとってとても近いものです」
Q そもそも本作を撮ろうと思ったきっかけ・動機を教えてください。
「このアイディアは、私自身の幼年時代の経験と関係があります。私もこの映画の主人公のオラと同じく、実際の年齢より早く成長してしまった子どもでした。私はオラの家族とは全く違い、経済的には恵まれていたのですが。つまり、足りなかったのは両親だけだったのです。私の両親は仕事がとても忙しくて、子ども達の面倒を十分にみることができませんでした。私には4歳年下の弟がいたのですが、5歳にして私は、1歳の弟の世話をしていました。最初はこのことを元にして短編の劇映画を作ろうと考えていたのですが、その後、この実際に存在する家族に知り合って、この人たちをテーマにして記録映画を撮ろうと決めて、最初にあった劇映画の制作は諦めました」
Q あなたのご両親はどのようなお仕事をされていたのですか。共働きの家庭で育つ方はごく普通にいると思いますが、実際的に家事も背負うオラほどまでに責任を負わされるというのは、なかなかないと思います。あなたは共働きのご両親の下で、どういう状況で5歳でそこまで背負っていたのでしょうか。
「父は物理学をやっていて、母は国語の先生です。私はベビーシッターの役割を果たしていたわけです。こういう出来事がありました。映画の中でも間接的に引用したのですけれども、ベビーベッドが倒れてしまって弟の唇を切れてものすごく大量に出血してしまい、ひょっとしたら弟が死んでしまうんじゃないかと恐怖心を持ったことがあります。明らかにそういった子どものベビーシッター役を5歳の子どもが務めるというのは、5歳の子どもの能力を超えているわけです。それが一種の記憶として残りました。ただ、この映画で描かれたそれ以外の出来事が、私の子供時代に起きたわけではありません。いちばん描きたかったのは、子どもの世話をする子どものある種の感情です」
Q この作品を観たときに、ドキュメンタリーとは思えないほどの完璧な構図で驚きました。それはどのような意図から生まれて、現場ではどのような演出というか、撮影をされていたのでしょうか。
「撮影には30日予定していましたが、5日増えて、実際には35日間の撮影でした。日数が非常に少なかったので、それぞれの日のテーマを決めて撮影しました。一応脚本もありましたが、もちろん中には偶然を受け入れる余地も作っておきました。なにかが起きたときにそれが映画の中で使えるんじゃないか、という期待を持って、そういう要素も作っておいたのです。が、基本的にはその日に撮るテーマが決まっていたので、カメラ担当と完璧な準備をしました。私は、カメラマンに、ここで何を撮りたいかを正確に指示して、どのレンズを使用するかもすべて指示しました。もちろん、偶然というものは常に用意しておきましたし、また登場人物たちが話しているセリフは、それぞれが自分の内面から話しているセリフです。そこまでがシナリオに書いてあるわけではありません。例えば、聖体拝領(※)の試験を受ける場面ではテーブルの手前側には神父さんが座りいろいろ質問しますが、神父さんは絶対に画面に撮らず、オラとニコデムを画面に映して、ニコデムよりもむしろオラの方に焦点を当てよう、といった設計をした上で撮影していきました。
映画というのはセリフよりも映像が大事。撮影するときも、それを念頭においています。セリフが無くても画で見せられるような映画でなくてはいけないと思います。この映画を撮るにあたって、カメラマンの方と決めたことが2つあります。1つは、カメラは、状況の展開、つまり俳優のアクションを追いかけるのではなく、登場人物の感情を追いかけること。例えば、裁判所から派遣されてくる生活保護の担当者がいて、3回その人が登場する場面があるのですが、必ず画面の中央にオラがいて、そして彼女の顔を写して、彼女がどういう感情をその時に経験しているかということを顔に集中して撮ることよって、見せるということです。裁判所からの担当者は画面に映しません。つまり、主人公の感情に全てを集中させ、またその主人公を守るべき国のシステム−学校であるとか、教会であるとか、裁判所の生活保護の担当者であるとか−そういう社会保障のシステムがいかに無力であるかということを示したかったわけです。そのために、こういった機関の代表者はカメラの外に追い出して、外から声が聞こえてくるとか、時々神父さんの指が画面の端に映るようにし、家族の外からやってくる人たちは画面に映さない、という方法を決めました」
(※初聖体式 :文字通り初めて聖体を拝領する儀式のこと。聖体とは、キリスト教カトリックにおけるミサや東方正教会における聖体礼儀においてイエス・キリストの血肉に変化したと信じられる特別なパンのことで、そのパンをいただく儀式を聖体拝領という。初聖体式は、幼児で洗礼を受けている場合には、大体の場合、7歳、8歳くらいになり、聖体を理解して信仰できる年齢になったと思われる時期に行うので、映画のニコデムの13歳はかなり遅い方である。 聖体は意味を理解していない者には与えられないので、規定の勉強を終了しなければならず、準備に1年ほどかける場合もある。英語ではcommunionと言い、女の子なら白いドレス、男の子ならスーツを用意して式に参加することは多くのカトリック国でとても重要な行事とされている)
Q この映画におけるあなたの手法は通常の実録型のドキュメンタリーとは全く違うと思いますが、この手法のアイディアはどこから生まれたのですか?
「もしかしたら、私は劇映画の方にそういった表現のモデルを探したのかもしれません。記録映画は言葉でもって重要な事が語られる傾向がありますが、それに対して劇映画はより表現が繊細ですよね。それに習ったと言えるかもしれません」
Q もともと劇映画で撮ろうと思ったのをドキュメンタリーで撮ることになったとのことでしたが、ということは現在するオラやニコデムのほうが、俳優が演技するよりも力強く、スクリーンの中で機能すると考えたのでしょうか?
「正直なところ、いきなり長編映画を撮る力は自分にはないと思っていました。短編の劇映画を一種のエチュードとして撮ろうと思っていました。ですから、ある意味で、モデルを知った時に、モデルを追いかけるドキュメンタリーになったことが唯一の解決方法だったかもしれません。初めてこの家族の家に入ったときの印象を忘れることができません。映画のセットのような感じでした。照明が独特でしたし、家の中にある家具がほとんど壊れかけていたり、椅子も倒れそうでしたし、水道の流しも一瞬のうちに全部落ちそうでしたし、全てが砂上の楼閣じゃありませんけど、紙でできた家のような感じがして、一瞬のうちに全部が壊れてしまうような感じがしました。これをなんとかして撮りたいという気持ちになったのは確かです。初めてオラに会った時に“弟の世話をしているようですが、お母さんはどうしたのですか?”と質問したら、“お母さんは別のところに住んでるのだけれども、お父さんが風呂場の修理を終えたら必ず帰ってくる事になっている”と言うわけです。彼女の“夢”ですね。それを聞いて、この家族の物語を描きたいと思ったんです。もちろん映画として物語るためにはストーリーが必要なわけで、それをその後組み立てていきました」
Q 具体的に演出した部分はあるのでしょうか?
「スクリプトを書く前に1年間、書いている途中もですが、カメラを持たずにこの家族を観察していました。それをやっているうちに、こういう風に私がアイディアを出したら、相手はこういう風に反応してくるだろうとだいたい予想できるようになりました。ここで、演出とはいったいなんなのかという問題です。非常に難しい問題です。ただ間違いなく言えることは、主人公たちがしたくないと思っていることは絶対にさせませんでした。私が指示を出すにせよ、快く受け入れてくれることしかやってもらっていない、ということです。
存在しないはずの葛藤を作り上げる、そこに生み出す、考え出すということは、倫理的でないという理由で絶対にやりません。そうではなく、私が監督してやらなければならないのは、既に存在している葛藤をなるべく絵画的に、映像的に美しく描くということです。別の言い方をすれば、主人公たちの意思に背く形では、仮に葛藤があっても描かないということです。
一つの例として挙げたいのは、バナナが出てくるシーン。聖体拝領時に、子どもたちが祭壇へ行って神父さんから聖餅と言われるものを口に入れてもらうという場面で、オラはそこで何かニコデムが失敗するんじゃないかと非常に恐れていました。前に出なければいけないのに出遅れるとか、口の中にうまく入らないとか、そういうことが起こると、式典そのものを乱してしまうことになりますし、ニコデムが笑い者になりかねません。ですから、なんとかニコデムにきちっと聖体拝領を受けさせるためにどういうことを考えたかというと、スクリプトの段階で私が考えついたのですが、ニコデムに自分の家で聖餅の代わりにスライスした野菜を作って、それを口に入れることで聖餅を受け取る練習をしようと思ったわけです。ニコデムは野菜が嫌いなので、そこでお姉さんと弟の間である種の葛藤を、野菜でできた聖餅を食べさせることで表現できるんじゃないかと考えました。オラも良いアイディアと言ってくれたのですが、実際にやってみると、ニコデムは野菜が大嫌いなため、撮影現場から逃げ出してしまいました。そこでオラは、野菜ではなくバナナにしようと考えつきました。バナナをスライスして聖餅の代わりにしてあげたらどうかといってやってみたら、大変うまくいきました。ニコデムはバナナが大好きなのです。最初狙っていたのは野菜を巡る対立だったわけですが、今度はバナナを巡って姉弟の間で温かい感情が流れるという場面に変わりました。ただその一番根底にあるのは、オラがニコデムになんとかその聖体拝領の仕方を正しく教えたいという感情なのです。これがないと、今言ったようなことは全部なかったはずです」
Q 途中に登場する1988年の日付が入ったビデオの映像はマグダのお父さんからもらったものとのことですが、これはどういう意図で映画に入れたのでしょうか?
「決して素材があったから使ったというわけではなく、自分なりの考えがありました。もちろん画質も違うので若干全体の流れから離れている場面でしたが、あの映像を観た時に感情的に私に働きかけてくるものがありました。あの場面で私たちは初めてオラのお母さんを映像として観ます。子どもの時のお母さんですね。私にとってはオラのお母さんは、いまだに子どもに見える時もありますが。それからもう一つ、この映画の中に繰り返しリフレインのように出てくるのが、服を着るという場面です。映画のいちばん最初のところで服を着ようとした場面、それからこのビデオの中に映されていたのもオラのお母さんが服を着ようとするところ、それからマグダが服を着るところもあります。いつも着る時にみんな苦労するわけです。それがなぜかと言えば、側に大人がいてきちっと着せてくれないから。それを一人でやらなきゃならないということ。あの映像にたまたま映っていたのが服を着る場面だったわけですが、そういうことが全部あわさって、引用することにしました」
Q ワイダ・スクールでDok Proドキュメンタリープログラムを修了されているそうですが、アンジェイ・ワイダ監督から実際に教えを受けたことがあるのでしょうか?またこれはどういったプログラムなのでしょうか?
「これは、実際になにか映画のプロジェクトを提出して、それを改良していってこれは映画になりうるというものにお金が出るプログラムです。その結果として、普通はごく短い3分くらいの映画をこのプログラムで作ります。私はあえてその3分の映画は作らずに、将来できあがる本作の資料集めに使いました。なので、本作の実際の撮影はワイダ・スクールの外で行ったわけです。ワイダ監督と知り合いになり、本作も観てくださっていますが、同監督の授業に出たことはありません」
Q ワイダ監督があなたに与えた影響はありますか?
「特にないですね。ただ、ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』の撮影をしたイエジー・ヴォイチックというカメラマンの撮影方法にはいつも刺激を受けていますよ」
Q プロフィールには、生年月日がありませんが、差し支えなければ生年月日を教えていただけますでしょうか。
「どこへ行っても誰に対しても絶対に言いません。私の経歴よりも、映画の方が重要ですからね。出身地はワルシャワです」
Q 次の作品にはもう取り掛かっているのですか?
「今もうシナリオを書き始めているのですが、劇映画とドキュメンタリーのちょうど中間ぐらいで、誰が観てもどっちとも区別がつかないような映画を撮りたいです」
Q あなたにとってのドキュメンタリーとはなんですか?
「私は映画大学は卒業していませんので、定義はわかりません。映画大学に行くとそういう定義を教えてくれるのかも知れませんがね。私にとって映画は映画です。つまり人の感情に働きかけるものであれば、どのようなツールを使うかということは重要ではありません。ただ一つ恐れているのは、ドキュメンタリーとも劇映画ともつかないものを撮ってしまうと、山形から次は却下されてしまうのでは、ということです(笑)」
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Anna Zamecka(アンナ・ザメツカ)
ポーランドの映画監督、脚本家、プロデューサー。ワルシャワとコペンハーゲンでジャーナリズム、人類学、写真学を学んだ。ワイダ・スクールでDok Proドキュメンタリープログラムを修了。本作が長編デビュー作となる。
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『祝福~オラとニコデムの家~』(原題:Komunia)
舞台はポーランドのワルシャワ郊外の街。主人公は、酒で問題を抱える父親と自閉症の13歳の弟ニコデムと暮らす14歳の少女オラ。母は家を出て行ってしまい、家事をこなし、弟の面倒を見るのはもっぱらオラの役目。現実は厳しいが、弟の初聖体式(カトリック教会で、洗礼後に初めて聖体をいただく式)が成功すれば、もう一度家族がひとつになれると信じるオラの日々を描いている。
監督&脚本/アンナ・ザメツカ
2016/ポーランド/75分/英題:Communion
日本公開/2018年6月23日(土)ユーロスペースほか全国順次公開
配給/ムヴィオラ
公式サイト
©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o. Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone, 2016