Column

2022.12.09 9:00

【単独インタビュー】『あのこと』オードレイ・ディヴァン監督が追求した“ありのまま”の没入体験の意義

  • Atsuko Tatsuta

第78回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『あのこと』が日本公開されました。

1960年代のフランスの地方都市。大学生のアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、予定外の妊娠に衝撃を受ける。労働者階級出身の彼女は、学位をとり教師になって自活することを夢見ていたが、出産して子供を持つことは学業をあきらめることを意味していた。未来を掴み取るため、中絶を決心するアンヌだが、妊娠中絶が合法化されていなかったフランスでは、それは簡単なことではなかった。周囲の理解や協力を得られないまま、アンヌは孤独な闘いを続ける──。

本年度のノーベル文学賞を受賞した現代フランス文学を代表する作家アニー・エルノーが自らの体験を綴った短編小説「事件」を映画化した『あのこと』。監督と脚本を手掛けた1980年生まれのフランスの新鋭オードレイ・ディヴァンは、2008年から脚本家として活躍し、2019年に長編『Mais vous êtes fous』で映画監督デビュー。第2作となる本作でベネチア国際映画祭金獅子賞(最高作品賞)を受賞し、一躍国際的な注目を浴びました。レア・セドゥ主演で新作を準備中というまさに今最も勢いのあるオードレイ・ディヴァン監督に、制作の裏側を伺いました。

──私がこの作品を拝観したのは去年のベネチア映画祭でしたが、この力強い主人公の姿を描いた作品が金獅子賞を受賞したことを大変嬉しく思いました。審査員長は韓国のポン・ジュノ監督でしたが、受賞後、ポン・ジュノ監督とはどういうお話をされたのですか?
ポン・ジュノさんから審査の中身は秘密だと言われているので、全貌をお話することはできませんが、満場一致だったとはおっしゃっていました。ポン・ジュノが1票ずつ開けていき、この人も『あのこと』、この人も『あのこと』……という風にして、最終的に全員が私の作品を選んでくださったということでした。審査員にはクロエ・ジャオもいたんです。私にとっては奇跡的なことです。

──その奇跡的な現実をどのように受け止めましたか?
この作品を作りながら、観客はアンヌの体験をどこまで自分のことのように感じ、彼女の身体の中に入り込んで体験してくれるだろうかと、いつも自問自答していました。でも、蓋を開けてみたら、審査員団の方々は彼女と同じ体験をしてくれたのだと知り、嬉しかったです。年齢も性別も文化的背景も違う、いろいろ考え方や立場の審査員の方々が、皆そのように『あのこと』を観てくれたことは、私にとって本当に驚くべきことです。

第78回ベネチア国際映画祭 授賞式にて Photo: Andrea Avezz / ASAC

──アニー・エルノーは90年代に自身の体験を基にした「シンプルな情熱」がベストセラーになって以来、女性をエンパワーメントする作家としても知られる存在ですが、あなたは今回の原作の短編「事件」とはどのように出会ったのでしょうか?
「事件」が刊行されたのは2000年ですが、私が読んだのはずいぶん後になってからです。もともとアニー・エルノーの小説はよく読んでいたのですが、この「事件」はメディアであまり取り上げられていなかったこともあって、私も見過ごしていました。おそらく当時は、この本が扱っているテーマ(中絶)について皆があまり話したがらない傾向があったのだと思います。でも、私が中絶を経験した時に、自分を慰めてくれるような、自分に寄り添ってくれるような本を探していました。なかなか見つからなかったので、中絶を体験した女性にインタビューして、自分で本を一冊書いてみようかと思ったこともありました。そんな時に知人から、中絶を扱っている本ということで「事件」を勧められました。その頃は映画化することはまったく考えていませんでしたけどね。

──映画化しようと思った理由は?
「事件」を読んで、とても衝撃を受けました。私自身はすでに中絶が合法化された後に医学的な中絶を受けたので、アンヌが体験した違法な中絶とは大きな違いがありました。私自身、それを発見して本当に驚きました。アニー・エルノーの描き方は、何かを誤魔化したり隠したりすることなく、真正面からあの時代の中絶体験をストレートに描いていました。そのありのままの体験を、映画にすべきだと思いました。映画なら身体的な体験を視覚化することができる、つまり観客にそれ自体を体験してもらえると思いましたから。

──まさにあなたが今おっしゃったことが、この作品のスタイルになっていますね。その描き方も成功し、私たち観客は映画に没入し、アンヌの体験を追体験することになりました。このスタイルを決める経緯は、どんなものでしたか?
映像スタイルには、意義がないといけないと思います。アニー・エルノーの小説は、記憶を辿り、それを正確に描き出しています。けれど、私はその瞬間瞬間の真実を描き出したかった。だから長回しもあり、画面の構図はかなり狭い。アンヌの主観で描かれた映像にしたかったので、今回のスタイルになりました。

──最初に拝観した時に、ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』を思い起こしました。参考にした作品はありますか?
参照した映画はたくさんあります。まず、主役を演じてくれたアナマリア・ヴァルトロメイと共通言語のようなものを築くために、いろいろな映画を一緒に観るというアプローチから始めました。ガス・ヴァン・サントの『エレファント』、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』、ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』など。今年のカンヌ国際映画祭で上映された『クロース』のルーカス・ドンの前作(『ガール』)も観ました。これらの中の一つの作品を私たちの共通の言語にしたというわけではなく、こういった作品を観る中で、私たちの言語を見つけていこうという意図でした。

──映画化にあたって、アニー・エルノーさんとも長いお話をされたそうですね。原作ものの場合、監督は原作者と距離を置く場合もありますが、あなたが原作者と積極的に話し合いたいと思った理由は?
私は今回、彼女の小説を映画化しているだけではなく、彼女の人生の一部を映画化しているという意識を持っていました。しかもアニーは、私が息苦しくなるようなプレッシャーはなにひとつ与えず、脚本を読んでも、原作との違いをあげつらうのではなく、時代考証という意味でこれは的確であるとか、登場人物の話し方は昔はこうだったとか、そうしたとてもとても有機的で有効な指摘をしてくれました。

──アニー・エルノーさんと直接お会いしたことで、発見したものはありましたか?
ありました。最初に話し合った時には、「本には書いてないけれど、実はこういうことがあった」と小説にはないエピソードを語ってくれました。そこには政治的文脈もありました。小説では、登場人物たちがそれぞれ抱えていた恐怖についてはそれほど掘り下げていないのですが、そういった部分も説明してくれました。

──アンヌを演じたアナマリア・ヴァルトロメイがとても素晴らしかったですね。今作の主人公は恐怖や憤りを感じているわけですが、それを爆発させるような表現はしていません。ある意味、抑えた演技で表現しています。どのように演出したのですか?
それは、私の個人的な好みというか趣味と言えるかもしれませんね。そういう風に感情を爆発させない人物、あるいは、そういう表現を私は好みます。登場人物が感じている感情をすべて露呈させる必要はまったくないと思っているので。例えばアンドレイ・ズビャギンツェフの『ラブレス』のような作品に、すごく感動します。

アナマリアとは、私と同じようなことを彼女も頭の中で考えて、それを私に説明することもなく、いつのまにかちゃんと意思疎通が出来ていて……というようなコミュニケーションを私は望んでいました。

──“阿吽の呼吸”というものですね。日本では、あなたのそうした感性に共感する人も多いと思いますよ。
そうですか、それは嬉しいですね。是枝(裕和)監督は私の大好きな監督の一人です。黒沢清監督のカンヌ(映画祭)で見た『トウキョウソナタ』は、私の“お気に入りの20本”に必ず登場する作品です。

──この映画の最後でのアンヌの表情が非常に印象的でした。辛い体験をして、法を犯していることなどに対してもさまざまな葛藤があったでしょうが、それでも最後には、自分の勝ち取ったものを誇らしく思っている顔です。
実はこの作品の中には、3つのキーになるオブジェがあります。最初は専業主婦の道具である編み針、その次が針、最後はペンです。針は本来の使い方をされていませんがね。アンヌはペンを持って、自分の体験を書いて作家になっていくんだと、高らかに宣言しているわけです。

──サンドリーヌ・ボネールについてもお聞きしたいと思います。サンドリーヌがアンヌの母親役で出演されていますが、これはやはり『冬の旅』へのオマージュなのでしょうか?
もちろんオマージュでもありますが、それは“沈黙のオマージュ”と言いますか、あまり大きく声に出さない、控えめなオマージュという意味合いでした。それ以上に、彼女は本当に素晴らしい女優だから、というのが(出演の)理由です。

──サンドリーヌ・ボネールとはどのような話をしたのですか?『冬の旅』とのつながりについても話をされましたか?(※サンドリーヌ・ボネールが主演したアニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅』は1985年の第42回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞)
はい、話しました。(『あのこと』の)パリでのプレミア上映にサンドリーヌが来てくれた時には、「今日はベネチア金獅子賞の女性が二人がいますね」と言ってくださり、アニエス・ヴァルダについての話もしました。ヴァルダの映画は常に真実を求めるという撮り方だった、そして彼女は今まで映画で描かれていないことを描くことに挑み続けた勇気のある人だったと話していました。

──少し前までの映画界では、女性監督が女性の物語の脚本を通すのも大変でした。フランスではアニエス・ヴァルダという素晴らしい先駆者がいますから、女性監督にとっては他国と比べると開かれた世界であったとは思いますけども。近年では、世界的に女性監督たちが女性の物語を語り、さらに映画祭でも高い評価を得ているように思います。この状況をどう捉えていますか?

ご存知だと思いますが、(雑誌を手にして)これは「ル・フィルム・フランセ」という業界誌です。(表紙の写真に)男性しか写っていませんね。そして「映画の未来、映画のこれからあるべきこと、それから映画の目標、それは白人の男性だ」という主張をしているわけです。SNSなどでは“信じられない”という反響もありました。もちろん、フランスには女性監督のパイオニアもいますし、女性監督がきちんと制作できる機会もあります。でも、「40代、50代の男性監督がフランス映画の未来を作っていく」というような意識が未だに残っているんですね。だから私たちは、甘んじていてはいけません。この闘いはシンプルなものでもなく、まだまだ続けなければなりません。なので、私たちには女性の物語を語る権利があるのだということをきちんと主張し、そういう映画を作り、人々に伝えていくべきだと思っています。

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『あのこと』(原題:L’événement)

1960年代、中絶が違法だったフランス。アンヌの毎日は輝いていた。貧しい労働者階級に生まれたが、飛びぬけた知性と努力で大学に進学し、未来を約束する学位にも手が届こうとしていた。ところが、大切な試験を前に妊娠が発覚し、狼狽する。中絶は違法の60年代フランスで、アンヌはあらゆる解決策に挑むのだが──。

監督/オードレイ・ディヴァン
出演/アナマリア・ヴァルトロメイ、サンドリーヌ・ボネール
原作/アニー・エルノー「事件」
2021/フランス映画/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/100分/翻訳:丸山垂穂/英題:Happening

日本公開/2022年12月2日(金)Bunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
配給/ギャガ
公式サイト
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