【単独インタビュー】『カモン カモン』マイク・ミルズ監督
- Mitsuo
ホアキン・フェニックス主演、A24製作による感動のヒューマンドラマ『カモン カモン』が4月22日(金)より日本公開され、マイク・ミルズ監督史上1位となる大ヒットスタートを記録しています。
NYを拠点に全米各地を取材して回るラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、LAに住む妹ヴィヴ(ギャビー・ホフマン)が留守にする数日間、9歳の甥・ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を見ることに。それぞれの孤独を抱えた二人は、ぶつかりながらも真正面から向き合うことによって、新たな絆を見出していきます──。
監督・脚本を手掛けたのは、クリエイターからも絶大な支持を得ているマルチアーティストのマイク・ミルズ。『ムーンライト』『レディ・バード』『ミッドサマー』など話題作を世に送り出し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの映画会社A24と、『20センチュリー・ウーマン』に続く2度目のタッグが実現しました。
『人生はビギナーズ』など、身近にいる大切な人をテーマに描き続けてきたミルズですが、本作では実際にインタビュー取材した全米各地の9〜14歳の子どもたちの“生の声”も挿入。「今、現実社会で起こっていること」を生々しくもパワフルに伝え、「すべての大人は子どもと彼らの未来に責任がある」という強いメッセージを発しています。
主演は『ジョーカー』でアカデミー賞主演男優賞に輝いたハリウッドの名優ホアキン・フェニックス。本作で英国アカデミー賞助演男優賞ノミネートされた新星ウディ・ノーマンとの間で見せる心を揺さぶる内省的な演技で、新境地を開拓しました。
公開に先立ち、マイク・ミルズ監督がオンラインインタビューに応じてくれました。
──まずこの映画のタイトルについてお聞きしたいと思いますが、タイトルは制作のどの段階で決まったのですか?
脚本を書いている時によく友人にも見てもらうのですが、その時にタイトルがいくつもありました。「マグネティック・フィールズ」とかね。とても良いバンドですよね。「カモン カモン」もあったし、「ジョニーとジェシー」といったシンプルなのも。それで友人が「これだ!『カモン カモン』、これがタイトルだよ!」と言って、私も「そうか」と思いました。私もとても好きなタイトルでした。 1つの意味に縛られない、自由な解釈ができるのでね。ジェシーは(映画の中で)それとなく意味を言いますが。
──そのジェシーが「カモン カモン」と言うシーンを書く前から、タイトルが決まっていたのですね?
正直に話すと、あれは再撮影で撮ったシーンです。 タイトルは決まっていたけど、最初に撮影した時はあのシーンがなかったんです。再撮影を行ったのは1年後くらいでした。子どもたちの声に対するジェシーなりの反応を入れたいと思っていたので、彼がタイトルの話をするあのシーンを入れました。この映画自体が、少々漠然とし過ぎていたかなとも思っていたので、もう少しまとまりのあるものに見せる方法を探っていました。ホアキンとはよくビートルズの話をしていたのですが、ビートルズはとても漠然と実験的ながらも、時にはヒントになるような部分も与えてくれます。ジェシーが「カモン カモン カモン」と言うシーンは、そういうものです。
──日本語字幕では、「先へ 先へ」となっていますね。
「先へ」も良いと思います。 ビートルズの話をしましたが、曲の中で「カモン」と言うと、招き入れている感じがしますよね。私はその生き生きとした感じが好きです。「先へ」も、ある意味近いのかもしれませんね。でも、オープンに自由な解釈をしてもらいたく思っています。
──ホアキン・フェニックスとは、過去の出演作を観て一緒に仕事をしたいと思っていたと伺いましたが、特にそう思わせた作品はありますか?
特にこれといった映画はなく、全部ですね。彼のことは非常に賢い人だとずっと思っていました。会ったことがなくても、非常に賢くて、特に感情をコントロールするのが上手な人ではないか、と。それから彼のパンクなところも好きです。とても反権威的で、ありきたりなものを嫌い、彼自身を含め驚かせることが好き。そんな気がしていました。
それと、ガス・ヴァン・サントの『ドント・ウォーリー』での彼の演技はあまり話題にされませんが、脆さや混乱といったものが本当に美しく表現されていました。混乱というのは、演じるのが非常に難しいのですが、彼はとても上手く演じていたと思いました。
それからホアキンは本当に面白い人で、ポール・トーマス・アンダーソンの『インヒアレント・ヴァイス』では、露骨にジョークを言うのではなく、ドライな感じの面白さで本当に良かったです。
──彼と一緒に時間を過ごす中で、どんな会話をしたのですか?
あらゆることの話をしたし、一緒にいる時間を本当に楽しみました。彼も私も笑うことが好きだし、家族にまつわることに強い関心がありました。兄弟姉妹についてや子どもについて、それらがいかに複雑なものであるか、さらにはそうした関係こそが、私たちが家の外にある世界を理解しようとする時のベースになっているということも。世界の見方というのは、自分の家族から学んでいるものです。家族の話もたくさんしたし、子育てにおけるジェンダーの違いを理解しようとする男性として、母親という意味での女性についての話も。それからレモンの話もたくさんしました。彼はレモンが大好きで。本当に、脚本の役に立つ話なら何でもしました。結局のところ、どのようにして俳優と一緒に遊び一緒に踊るのかを、会話を通して探っているわけですね。
──別のインタビューで監督は、撮影が始まるまでホアキンが今回の役を引き受けてくれるかわからなかったとおっしゃっていましたが、出演の決め手となったのはどこだったと思いますか?
私も面白いこと言ってしまいましたよね(笑)。私も聞いているインタビューで彼は、「数ヶ月間一緒に話ができる相手だと思った」と答えていました。これは本当に、彼の正直な答えだと思います。この脚本の根底にある質問やテーマにも惹かれていたと思いますが、なぜと尋ねられたら、僕も彼も「よくわからない」とか「言葉では言えない、直感的なもの」と答えるでしょうね。それと彼は、なかなか「はい」とは言わない人です。私相手に限らずね。
──それは『ジョーカー』公開前の頃ですか?
『ジョーカー』の撮影が終わり、公開に向けた準備が進んでいた頃ですね。
──ウディ・ノーマンのキャスティングでは、最初にオーディションテープを見たとのことですが、どんなところが気に入ったのですか?その後は実際に会って決めたのですか?
LAに来てもらい、ホアキンと顔を合わせました。ウディは自分をしっかりと持っていて、過度に人を喜ばせようとしたりしません。たとえ俳優であっても、常にその場その場で自分らしく振る舞うのは、本当に難しいことです。ウディには裏表がなく、良い意味で他人の機嫌をとろうともしません。それは、本当に本当に大切なことです。とにかく彼は賢くて、ユーモアもあって、理解も早い。ホアキンは冗談を言ったりからかったりするのが大好きですが、ウディも一緒になって楽しんでいて、今作ではその“遊び”が本当に役立ちました。言ってみれば、「遊べる?」「一緒に遊んでくれる?」といった遊び心こそがすべてですからね。ホアキンは楽しい冒険をしたがっているので、一緒になる相手も、想定外のことを受け止めて、何が起こるかわからない状況を楽しめる人でないとね。これもまた、鍵となることですね。
それから、現場でのシーンや映画、演技や私の演出がどうなるのかわからない状況を1人だけが楽んでいるのではなく、集まった3、4人が一緒に楽しめていると、それはスーパーパワーになります。これが、今回のキャストと私に共通する部分だったと思います。
──9歳のジェシーは、大人びた面もあれば、いわゆる子どもらしさを見せるところもありますが、このキャラクターはどのように構築していったのですか?ジョニーのキャラクターが先に出来上がっていたりしたのですか?
いいえ、二人あわせて、ですね。それから、私と私自身の子どもとの関係というのもあります。それから、私が住むLAのシルバーレイク(地区)の“バブル”の中には、彼のような大人びた子どもが大勢います。賢くて、考えを口に出すことを恐れない子どもたちです。そうした子どもたちを投影をしたいと思っていました。キャラクターの元になっているのは私の子どもですが、それをウディが彼なりの身体や表情、心、タイミングで体現したので、私から見るとジェシーはとても“ウディっぽく”感じられます。
──ジェシーの父親は精神疾患を抱えていますが、あなたは以前、うつをテーマとした映画を撮っていますよね。社会において人々が直面する困難やプレッシャーというものを、あなたはどのように捉えていますか?
私たちの心の宇宙、私たちの内面の世界、私たちの日々の感情──それらがどのように構築されて、どのようにして自分の感情を理解して、他人に表現するのか。それが私の主だった関心事で、私の映画すべてに共通するテーマといえば、他者との関係の中でどのように自分自身を理解していくか、ということだと思います。
それから、精神的に病んでいる人と病んでいない人を明確に区別できるわけでもなく、我々は皆、ヒーリング(癒し)とコーピング(対処)のスペクトラムの中にいるのだと思います。良い時もあれば、悪い時もあります。私にもうつを抱えた家族がいたし、私自身にも慢性的に、軽度から中度のうつ病のような症状があります。
それから私は、子どもたちに何を受け継ぎ、何を不本意ながら与えているのかということに特に関心があります。私たち自身は何を拾い、何を拾わなかったのか。このような“転移”は、知らないうちに起こる場合もあれば、言葉等を通して意識的に伝わる場合もあります。これも私の映画すべての中心にあるテーマですね。
──本作には録音機器や音声の収録シーンが何度も登場しますが、これは普段の映画作りでもあなたが好きな部分なのですか?
正直に話すと、苦手な部分です。音響のスタッフはいつも私からひどい扱いを受けています(笑)。カメラのことばかり気にしていて、音響のスタッフがマイクを入れたがると、音なんてどうでもいいよという感じになってしまい(笑)。でもこの物語ではラジオジャーナリストを登場させたことで、録音に関するシーンも出てきましたね。
脚本を書きながら、じっくりと考えたりアイディアを寝かせたりするわけですが、そうしているうちに、「聴く」ことこそが鍵となる行為であり、この映画で探求しようとしているテーマだと思いました。それから音というのは、時が流れる中で瞬間的に存在するものだから、儚いものでもあります。それから時間が流れるとは、消えていくこと、過ぎ去ることでもあります。そうしたことも、この映画の……「テーマ」と言うとつまらない言葉だし、何度も言っていると馬鹿らしく思えてきますが、そうしたことがこの映画で探求しようと思ったことですね。
それから、あなたがよく耳を傾けていたら……、例えばちょうど今は外で犬の鳴き声がしますが、しっかりと聴こうとすることは、しっかりと“そこ”にいることを意味します。子どもたちは、色々と求めたり無理なことを言ったりすることで、私たちを大人の世界から引き離して、“そこ”にいるようにさせてくれるのです。
──劇中に実際の子どもたちへのインタビューが登場しますが、これはどの段階で入れようと考えたのですか?
かなり初期です。始めに、どんな世界を舞台にした映画にしようかと考えるわけですが、いくつかの都会の街で大人と子どもを描きたいというのははっきりしていました。ただ、私自身の子どもを描くのではなく、自分の子どもとの間にある親密さを探求して、この世界に投げ込んでみようと思いました。それが、いくつもの街が出てくる理由の1つでもありますが、とにかく子どもたちの話を聴きたくも思っていました。自分の子どもが学校や友だちと一緒にいるのを見て、今この時代の若者でいることに対して、とても興味が湧きました。2016年以降のアメリカという、非常に特徴的な時代にね。
それから私は、映画の中で異質なものが混じっているのが好きです。映画自体の作り方や俳優、デザインなどを違わせることで、深みと活気が生まれます。フィクションの中に実際のドキュメンタリーを織り交ぜることで、もっと楽しくて力強い、良いものになるだろうと思っていました。
──この映画を作る前にも、子どもたちに取材したことがあるそうですが、本作でのインタビューを通して新たに発見したことは?
前の取材は“トランプ前”の時代でしたので……(ため息)。それにその時の子どもたちは、今回よりも年齢が低めでした。ただ今回も変わらないと思ったのは、子どもたちが本当にネガティブな話を、力強くポジティブに、ハキハキと話すところですね。ゾッとするような未来や、理解するのも難しい矛盾だらけの不可解なこの世界の話を…。そうした暗いことを明るく話していること自体が不可解だし、それがなぜなのかも上手く説明ができません。とても不安にさせられた一方で、それは成長の基にもなるし、話としては興味深いものになりますが、とても心が落ち着かないものでした。
──今のロシアとウクライナの状況は、未来の子どもたちにどのような影響があると感じていますか?
それは私が答えるには壮大すぎる質問ですね。私はただのフィルムメイカーで、政治家でもなければ、耳を傾けてもらうのに値する答えを話せるだけの知識も持ち合わせていません。私は、この状況を理解しようとしている一人、この状況をどうやって9歳の子どもに説明するかを考えている一人にしか過ぎません。本当に厄介な時代だと思いますし、歴史的にも大きな変化の節目だとは思います……私のささやかな意見ですがね。正直なところ、私は映画作家が大きな問題の話をするのが嫌いで、「その話をするのは君の仕事じゃないよ、よくわかってもいないのに」と思ったりします(笑)。
──映画にはいくつかの本が登場しますが、あなたにとってどんな意味のある本なのですか?
どれも非常に気に入っている本です。「The Bipolar Bear Family」(双極性熊の家族)は今回初めて知りましたが、その他は以前から好きだったものです。他にも最終的に登場しなかった本がいくつかあります。どれも私にとっては“連れ”のような存在で、インスピレーションになるし、本当に美しくて力強い、大切なものです。ジャクリーン・ローズの作品はとても奥が深く力強くて知的で、それを映画の中に登場させられるのは、とてもラッキーなことだと思っています。
それから、映画の中に他者の“声”を入れられることをとても気に入っています。私が一人で語っているだけではなく、観客も一緒になって楽しめる“パーティー”をキュレーションしているようで、とてもワクワクしました。この映画で私が特に気に入っているのは、そうした他者の声が出てくるシーンです。自分の声を聞かなくて済むところですからね。
──これまでに父親、母親、子どもや親戚を題材とした映画を作られてきましたが、今後もそうした家族に関する映画を作りたいとお考えですか?
私は天才的な作家なわけではなく、得意とするのは、周囲にいる人を好奇心を持ち観察し、不誠実なところも矛盾したところも、良いところも無茶苦茶なところも全部ひっくるめて愛し、心から寄り添うことだと思っています。それで生まれる作品こそ、私が皆さんのためにできる最も意味のあるものだと考えています。他にはない、嘘のないものを、“暗い部屋に集う見知らぬ人”たちに届けることこそ、私ができる最善のことだと。映画は文化的インパクトも大きく、映画を作らせてもらえるというのは、本当に特別でありがたいことです。自分のことや自分の周りの人々を題材とした映画ばかりを作るのは自己中心的なのではと感じたりもしますが、でもその方が、きっと皆さんの時間を無駄にすることがないと、私は賭けています。
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『カモン カモン』(原題:C’mon C’mon)
NYでラジオジャーナリストとして暮らすジョニーは、妹から頼まれ、9歳の甥・ジェシーの面倒を数日間みることに。LAの妹の家で突然始まったジェシーとの共同生活は、戸惑いの連続。好奇心旺盛なジェシーは、ジョニーのぎこちない兄妹関係やいまだ独身でいる理由、自分の父親の病気に関する疑問をストレートに投げかけ、ジョニーを困らせる一方で、ジョニーの仕事や録音機材に興味を示し、二人は次第に距離を縮めていく。仕事のためNYに戻ることになったジョニーは、ジェシーを連れて行くことを決めるが……。
監督・脚本/マイク・ミルズ
出演/ホアキン・フェニックス、ウディ・ノーマン、ギャビー・ホフマン、モリー・ウェブスター、ジャブーキー・ヤング=ホワイト
音楽/アーロン・デスナー、ブライス・デスナー(ザ・ナショナル)
2021年/アメリカ/108分/ビスタ/5.1ch/モノクロ/日本語字幕:松浦美奈
日本公開/2022年4月22日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
配給/ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト
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