Column

2020.10.03 9:00

【単独インタビュー】『ある画家の数奇な運命』監督がゲルハルト・リヒターから学んだこと

  • Atsuko Tatsuta

ドイツの名匠フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が、現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターの半生をヒントに描いた、若き芸術家をめぐる人間ドラマ『ある画家の数奇な運命』。

ナチス政権下のドイツ。叔母の影響で芸術に興味を持ったクルトは、終戦後、東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリーと恋に落ちて結婚します。やがて、元ナチの高官だったエリーの父と叔母の死の関係を知ることに──。

長編映画デビュー作『善き人のためのソナタ』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞した気鋭フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの最新作『ある画家の数奇な運命』は、ワールドプレミアされた第75回ベネチア国際映画祭で高い評価を得た後、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた話題作です。

日本公開に先立ち、現在はアメリカを拠点に活動しているドナースマルク監督が、Fan’s Voiceのオンラインインタビューに応じてくれました。

第75回ベネチア国際映画祭にて

──今は、アメリカからですか?
兄がいるフロリダです。

──ずっとアメリカをベースに活動しているのですか。
6歳の時から12歳までニューヨークで過ごしたのですが、ここ12年間はアメリカに住んでいますね。

──今回は、祖国ドイツの歴史に立ち返ったわけですが、この映画はもともとゲルハルト・リヒターの伝記を読んだことがきっかけだったとか。
実はかなり前から、“ひどい苦しみを昇華することで出来上がった素晴らしいアート”についての映画を撮りたい、という構想がありました。最初はオペラについての作品にしようと思っていました。天才的な作曲家だけれど、非常に貧しく、健康状態も悪く、好きな女性にも振り向いてもらえず、ひどいアパートに住んでいて──つまり、あらゆる苦しみを経験している。その苦しみすべてが美しい音楽に昇華されて、オペラとして完成する、というイメージでした。それで、このアイデアに合う良いストーリーを探していたんです。人は苦しみの中にいるとき、苦しみなんて必要ないと思うものですが、その経験が素晴らしいアートに昇華されると、その苦しみは実は必要だったとわかるんですね。でも、オペラ界隈をリサーチしても、良い話が見つからなかった。オペラはたいてい途方も無くお金がかかるので、スポンサーやパトロンに依頼されて書いたというようなバックストーリーばかり。

そんな時、インタビューのために会ったジャーナリストが、リヒターの伝記を書き終えたばかりと言って、その伝記をくれたんです。私は、それまでリヒターについてよく知りませんでしたが、彼は、人生の苦しみとリヒターのアートには繋がりがあると言っていました。叔母が殺されたこと、彼の奥さんの出自なども教えてくれました。それで、その伝記を読んでみたら、良い本だけれど、事実が並べてあるだけで、私が欲しい要素はそこにはなかった。でも、私はドキュメンタリー作家ではなく、フィクション監督。それならば、リヒターの人生の中で自分が使いたい部分だけを使ってフィクションを作ればいいと思って出来たのが、この作品です。

──リヒターに1ヶ月くらい取材したと聞いていますが、どんなものだったのでしょうか。
私が彼に連絡をとった時は、完璧なタイミングでした。本当に幸運だったと言って良いでしょう。彼は自分の世界に閉じこもってなかなか心を開かないことで知られていますが、幸運にも、私には話をしてくれた。なぜ心を開いてくれたのかはわからないけれど、もしかすると、彼はペインターズ・ブロック(スランプ)に入っていて、あまり描けない時期だったのかもしれない。あるいは、歳をとってきて、自分の人生で語られていない部分があると気がついたのか。私がドキュメンタリー作家ではなくフィクション作家なので、自分の個人的な部分が直接的に描かれることがないと思って、安心したのかもしれません。とにかく、とても素晴らしい時間を過ごしました。

リヒターは、私の父と同い年なんです。父はもう亡くなっていますが、東ドイツの出身で、リヒターよりももっとひどい経験をしました。大きな喪失やトラウマなど、当時、東ドイツに住んでいた人々が経験したあらゆる不幸をね。私はそうしたことを聞いていたので、伝記を書いたジャーナリストにリヒターが話したことが、実はすべてではないことを知っていました。なので、リヒターが体裁を取り繕った話しをしても、“いや、僕はそれを信じません。父から話を聞いているので、そうじゃないことはわかっています。本当のことを話してください”と言い返しました。彼は、驚いていましたが、結局、本当の話をしてくれました。誰にも話したことがなかったストーリーだそうです。

ある日、彼の息子さんが来て、一緒に食事をしました。20歳くらいの青年でしたが、リヒターは息子にもほとんど何も話していないと言っていました。それほど、彼にとっては話すのは辛いことだったんです。

──取材はいつ頃のことですか?
2015年の1月から2月にかけて、主にケルンで。私もケルン育ちなんです。最後の3日間は、ドレスデンに行きました。リヒターはドレスデンで子ども時代を過ごしたんです。

──そこから脚本を作るのは早かったのですね。
ジャーナリストから伝記をもらったのが、2007年だから、リヒターに会うまでに8年間ありました。つまり、8年間ストーリーを考えていたことになりますね。いつもそうなんですが、おおよそのプロットが頭の中にある段階で、ディテールを入れ込むために、いろいろとリサーチしています。実は、リヒター以外にもいろいろなアーティストに会いました。デイヴィッド・ホックニー、トーマス・デマンドとか──彼は日本でのプロジェクトもいくつもやっていますよね。尊敬する芸術家と時間を過ごし、彼等の個人的な苦しみがいったいどれだけ芸術に昇華されているのか、理解したかった。そういうことをやった上で、実際に脚本を執筆しました。脚本の執筆は、リサーチや構想を練る時間と比べると、比較的時間がかかりませんね。

撮影の様子

──映画中、叔母が車で連れ去られるシーンで、主人公の少年に“ネバー・ルック・アウェイ”とつぶやくシーンがあります。このセリフが、アーティストととしての彼に後々大きな意味を持ちますが、真実を見つめるというのは、アーティストとして重要な資質なのでしょうか。
アーティストにとって大切な姿勢のひとつは、自分自身の感覚やセンスを信じること。つまり集団的思考や同調性に陥らないことです。“目をそらしてはいけない”には、多くの意味があります。“目をそらしてはいけない”ということは、なぜ目をそらしたくなるのかを既に知っているということ。それならば、見なくていいということもできる。でももしちゃんと見れば、違うことが発見できるかもしれない。人が“もう見たくない”という時は、それがあまりにも酷くて、見るに耐えないほど辛いからかもしれません。でも、それでも見ないといけないんです。他の人には痛ましいと見えても、自分にとっては違うかもしれない。私のような映画作家や、あなたのようなジャーナリストの仕事は、まさにそこにあります。一歩踏み込んで、見たくないものを見ることが仕事です。

英語のタイトルの「Never Look Away」をドイツ語に翻訳すると、学校の先生が生徒に叱りつけるようなきつさがあります。なのでドイツ語のタイトルは「作者のいない作品」にしました。英語だとそんなにきつくないので、「Never Look Away」をタイトルにして、サブタイトルを「Work Without Author」にしています。

──善悪や信念、評価など、時代によって価値観が変わっていくという真実を突いているのも、この作品の興味深いところです。クルトも西側に行って、初めは教授に酷評されますが、最終的には成功します。アートに絶対的な価値はあるのでしょうか?
自分が経験していることの中に真実がある、というのが私の考えです。他人の知性や感性に訴えかけようとアートを作れば、時代に左右されてしまう。自分が経験したことから真実を探究していったアートには、“繋がり”が生まれると信じています。哲学の世界では、他人の存在がなければ、自分が精巧に作り上げられたロボットなのか人間なのかわからないという、SF映画にあるような考え方があります。芸術は、その答えになります。ある人の極めて個人的な表現を私が感じとることによって、繫がる。アートは、自分はひとりではない、他の人とつながっているんだと感じることができるツールなのです。

──監督にとって面白いと思ったアート映画はありますか?
ジュリアン・シュナーベル監督の『バスキア』ですね。『バスキア』を見たとき、シュナーベルは画家としてよりも映画作家として大成するんじゃないかと思いました。彼はバスキアと親しい関係にありましたが、本当に真実を語る映画を作りたいと思っていた。非常に勇気あることでした。それまで映画を撮ったことがない人が、自分で脚本も書いて撮った。できあがったのが生々しい映画で、アマチュアっぽいと言えば言えるけれど、とてもパワフルだった。それは彼が映画を作りたいという気持ちがとても純粋だったから。ありきたりな表現でなく、自分が経験した生々しい感情が現れているのです。

一方で、そのことは誰でも映画が作れるという証明になりました。興味深いことに、ソ連では労働者に詩を書かせようとしたことがありました。工場で働いている人に、労働の喜びみたいなことを詩に書かせた。その施策は上手くいきませんでしたがね。シュナーベルはもともと成功した画家ですが、自分がそれまで使ったことのない、映画というアートフォームを利用して、自分が感じたことを非常にパワフルなものにしたのです。

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『ある画家の数奇な運命』(英題:Never Look Away)

ナチ政権下のドイツ。少年クルトは叔母の影響から、芸術に親しむ日々を送っていた。ところが、精神のバランスを崩した叔母は強制入院の果て、安楽死政策によって命を奪われる。終戦後、クルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリーと恋に落ちる。元ナチ高官の彼女の父親こそが叔母を死へと追い込んだ張本人なのだが、誰もその残酷な運命に気付かぬまま二人は結婚する。やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に、エリーと西ドイツへと逃亡し、創作に没頭する。美術学校の教授から作品を全否定され、もがき苦しみながらも、魂に刻む叔母の言葉「真実はすべて美しい」を信じ続けるクルトだったが──。

キャスト/トム・シリング、セバスチャン・コッホ、 パウラ・ベーア、オリヴァー・マスッチ、ザスキア・ローゼンダール
監督・脚本・製作/フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
撮影/キャレブ・デシャネル
音楽/ マックス・リヒター
原題:Werk ohne Autor/2018年/ドイツ/ドイツ語/189分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/日本語字幕:吉川美奈子/R-15

日本公開/2020年10月2日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー
配給/キノフィルムズ・木下グループ
公式サイト
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