【単独インタビュー】『人生、ただいま修行中』ニコラ・フィリベール監督「笑ったり、泣いたり、感情の豊かさこそが人生の財産」
- Fan's Voice Staff
パリ郊外の看護学校の生徒たちの成長を見つめた『人生、ただいま修行中』。フランスのドキュメンタリーの巨匠ニコラ・フィリベールの新作は、自らが救急救命室に搬送された経験から、医療の現実に興味を抱いたことから始まりました。
誰かのために働くことに情熱をもつ看護士の卵の学びの場を通して、人間の成長、さらには医療ヒエラルキーといった社会問題にも一石を投じる、心揺さぶられる社会派ヒューマン・ドキュメンタリーです。
『ぼくの好きな先生』や『パリ・ルーヴル美術館の秘密』、『音のない世界』などで日本にも多くのファンをもつフィリベール監督が、『かつて、ノルマンディーで』以来、11年ぶりに来日。Fan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。
──『人生、ただいま修行中』は、看護の現場の真実を伝える、とても誠実なドキュメンタリーですね。看護学校をテーマにした発端は、発作で救急搬送したあなた自身の体験がきっかけとなったそうですが。
ありがとうございます。実は、入院したときは、重篤な状態だったので、自分の健康のことばかり考えていたのです。そして、健康に快復したときに、作品を撮ろうと思い始めました。自分がお世話になった看護の世界にオマージュを捧げたいと思ったのです。彼らの仕事は実に重要です。彼らなしでの医療はあり得ない。入院して患者が一番接する機会が多いのは、医師ではなく、看護士なのです。重病にかかった人は、自分があとどれくらい生きられるのか、医師ではなく、看護士に聞きます。しかも労働条件は過酷です。にもかかわらず、彼らは医者と比べて、注目度が低いというか、軽視されているからです。
──看護は大変な仕事だということは漠然と想像していましたが、この作品を観て、思ったよりずっと過酷であることに驚きました。
私も一緒ですよ。この映画を撮るまでは、私が看護に対して抱いていたイメージはとてもシンプルでした。でも、彼らと数ヶ月を一緒に過ごしたことで、とてもハードな仕事だと知りました。ひとつひとつの仕事に、精密さが要求されます。手順も正確でなければいけません。知識も必要。そしてなにより責任が伴います。職業としてもハードなのです。
──この作品の取材対象として、パリ郊外クロワ・サンシモンにある学校を選ばれたわけですが、被写体を選ぶポイントはありますか?あなたなりの法則があるのでしょうか。あるいは感覚的なものでしょうか。
今回の場合、ロケハンを始めたときは、まったく基準を持っていませんでした。いろんなところをまわる内に、少しづつその条件がわかってきました。例をあげると、最初に行った看護学校は、とても大きく1,000人ぐらいの学生がいる由緒ある有名なパリの大病院の付属学校でした。でも、大きすぎて、撮影自体が複雑になることが懸念されました。それに、大きい学校だと人々と距離感を縮めるのが難しくなります。それで、もっと小さいところがいいと思い探した結果、この学校にたどりつきました。
──約40名の人々がこの映画に登場しますが、ひとりの監督がコミュニケーションをとるには、多い人数ですよね。被写体との距離はどう考え、どのように距離をとっているのでしょうか。
どの人を撮ろうかと、私がなにか基準をもって選んでいるわけじゃないんですよ。撮影してみたいなというフィーリングみたいなものを感じるかどうか、です。存在感というかとても不思議なものをもっている人は、撮りたいという気にさせられますね。
──あなたの作品に登場する人々は、意外なほど感情や考えをとても素直に語っていますが、どのようにそうした言葉を引き出すのでしょうか。
私が撮りたいと思う人たちが、素直に表現してくれる条件や環境を整えることこそが、ドキュメンタリー作家の本質だと思っています。信頼関係が一番大切です。カメラを向けても、気まずい思いをせずにリラックスしていられる。カメラが彼らを決して人質にするようなことはなく、彼らが自由で振る舞える。そういう状況を作り出すことが大事です。信頼関係というのは、一日で作ろうとしても作れるものではありません。少しづつ出来上がっていくもので、人々と接していく中で信頼を勝ち得ることを重要だと考えています。(作品の)第三部での面接の部分は、すでに第一部、第二部を撮り終えた後で、お互いに共有した時間があったので、私がどういう人間かというのを彼らは理解している。無理強いをしないし、なにか嫌な状況があれば、断ってもいいんだということを彼らはわかっていました。つまり、信頼関係があったのです。
──生徒を指導する先生たちの姿にも、感動を覚えました。技術を教えるだけではなく、職業倫理や道徳も教え、心のケアもする。これこそ今の世の中で失われつつあるものではないでしょうか。
100%同意しますね。本当に大切なことを、次の世代と共有し、受け継ぐ。そうしたことが、今の世の中とても欠けていると思います。ただ面白いことに、この映画を見た医師から声があがったのですが、なぜ看護士の場には、ああいった面接の場があるのに、医師にはないのかということでした。あるいは、教師の卵にもあるべきではないか。この映画を撮って思ったのは、ケアする人たちは、自分ひとりで悩むのではなく、きちんと経験者と分かち合っているということですね。この映画に登場する若者は、看護ということを学生の立場で経験するわけですけれど、それは肉体的だけじゃなく、感情的にとてもきついことです。18 歳、19歳の若者が末期のガン患者に向かい合わなければならないのです。研修生たちは、患者への先入観や、病気に感染するのではないかという不安や恐怖を克服しなければなりません。また一方で、患者に感情移入しすぎないように、感情をコントロールすることも必要です。冷静に対応しようと思うあまり、冷たい態度になるのもよくないですしね。若い人にとって負担はとても大きいものです。
──あなたは5ヶ月の間、登場する約40人の生徒と向き合ったわけですが、最も心を揺さぶられたのはどういう場面ですか?
今回の撮影は、本当に多様性に富んでいました。撮影は、最初の論理を学ぶところから始まり、実習、病院での研修と進みました。(映画の)第三部である研修から戻ってきた学生が指導教官と面接するシーンはとてもエモーショナルで、映画監督としても感情を揺さぶられました。なぜなら、生徒たちの状況はさまざまで、それぞれタフだったり辛いことがあったからです。その中には、医療界が抱えている経済的な問題、たとえば、時間をかけないで効率的に動かなければならないというプレッシャーとか、そういう中で研修を終えて、不安だとか迷いだとか、笑ったり、涙をこぼしたり、そういう人間の豊かさを提示しています。それこそが財産だと思います。看護士という仕事の豊かさを見せているのが、第三部です。内容の濃い部分ですね。
──先ほど看護士は、医療ヒエラルキーの中で低い位置にいるとおっしゃいましたが、これはフランスだけでなく、日本を含め世界中で共通だと思います。なぜだと思いますか。
看護士は、もともと女性が多かったことが、看護士という仕事が軽視されている大きな理由だと思います。残念なことに、女性はまだ男性と同じように敬意をもって扱われていません。歴史的に、女性は常に男性の下に置かれてきました。幸いなことに、最近では少し代わりつつありますが。フランスでは、看護士になりたい男性も増えてきていますし、以前よりはバランスがとれてきていると思います。とはいえ医療界は旧態然としていて、保守的で昔からの慣例を引きずっています。自分たちの既得権を保持しようとする人が多いからでしょうね。街で人々に聞いたなら看護士は素晴らしい職業だとみんないいますが、そこには、パラドックスがあるのです。
──本作だけでなく、あなたは常に被写体と寄り添って、カメラを回します。ここで十分な素材が撮り終わった、とはどこで判断するのでしょうか。
資金が尽きたときですね!
──フレデリック・ワイズマンに同じ質問をしたら、あなたと同じ答えが返ってきましたよ。
そうですか(笑)。実は、私も同じ質問をワイズマンにしたんです。あなたは、これで終わりってどこで判断するのかって。一日の撮影のことでいえば、ディナーの時間になったら終わりだ、と。というのは半分冗談ですが、まあ直感ですね。もっといえば、どう撮ろうかというアイデアが尽きたときです。
──被写体に思い入れがある分、編集作業の段階で、撮った素材をカットしていくのは辛いのでは?
そうなんです。撮ったのに、使えないシーンがどうしてもかなりの量出てきますからね。協力してくれた人たちには、最初から言っておくんです。こんなにたくさん撮っているけど、映画に登場しないってこともあり得ますよ。他の人と比べて美しくないとか、ダメだとかの理由で不採用になるわけではありませんので、悪く捉えないでください、って。映画は、ひとつの構築物なので、我々は素晴らしいシーンでもカットしなければならない場合があるのだということを理解してもらっています。
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『人生、ただいま修行中』(英題:Each and Every Moment)
監督・撮影・編集/ニコラ・フィリベール
2018年/フランス/フランス語/105分/アメリカンビスタ/5.1ch/カラー/日本語字幕:丸山垂穂/字幕監修:西川瑞希
日本公開/2019年11月1日(金) 新宿武蔵野館他全国順次公開
配給/ロングライド
後援/在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
公式サイト
©️Archipel 35, France 3 Cinéma, Longride -2018