Review

2019.08.30 21:00

【レビュー】大作家のルーツに迫る『トールキン 旅のはじまり』─『ホビット』を生んだ3つの愛と1つの悪

  • SYO

世界中の老若男女に愛されているファンタジーの金字塔「指輪物語」。2001年にはピーター・ジャクソン監督によって『ロード・オブ・リング』として映画化され、3部作の完結編『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(03年)はアカデミー賞で作品賞、監督賞を含む11部門を独占した(これは『ベン・ハー』と『タイタニック』に並ぶ史上最多タイの記録だ)。12~14年には前日譚となる『ホビット』3部作が公開され、今後はアマゾン・スタジオでドラマ化も進行中だ。

それらの原作を生み出したのが、小説家であり言語学者でもあるJ.R.R.トールキンだ。「中つ国」(ミドルアース)と呼ばれる世界を作り上げ、言語や歴史に至るまでゼロから構築し、ホビットやエルフ、ドワーフ、オーク、魔法使いといった種族に息吹を与えた人物。後にも先にも、これほどの才人は現れないだろう。

しかし、彼の小説や映像化作品は鑑賞していても、その人となりやどんな人生を歩んだのかを知っている人は少ない。トールキンはどんな人物だったのか?そして、「ホビットの冒険」や「指輪物語」はどのようにして生み出されたのか?それを解き明かすのが、映画『トールキン 旅のはじまり』だ。

哀切なラブストーリーと爽快な友情ドラマ

『トールキン 旅のはじまり』は、第一次世界大戦の真っただ中、衰弱しきったトールキン(ニコラス・ホルト)が戦場で過去に思いを馳せるシーンから始まる。1892年にこの世に生を受けた彼は、教育熱心な母の影響で幼くして語学の才を開花させ、創作活動にも強く興味を抱くようになった。物語は序盤から、後の大作家のルーツを明かしていく。トールキンの作家としての基盤は、母の存在なくしては築かれなかったのだ。

しかし、12歳のときに母が亡くなり、トールキンと弟は教会の司祭を後見人に、ある婦人に孤児として引き取られる。そこで出会ったのが、運命の相手エディス(リリー・コリンズ)だ。共に孤独を抱えた2人は意気投合し、その絆は恋愛感情へと変わっていく。

さらに、トールキンは生涯を通して固い友情を育む3人の学友と出会う。画家を目指す校長の息子ロバート・ギルソン(パトリック・ギブソン)、劇作家志望のジェフリー・スミス(アンソニー・ボイル)、作曲家の卵クリストファー・ワイズマン(トム・グリン=カーニー)だ。彼らと切磋琢磨するなかで、トールキンはぐんぐんと感性を育んでゆく。

左より)ニコラス・ホルト、アンソニー・ボイル、パトリック・ギブソン、トム・グリン=カーニー

特筆すべきは、本作は紛れもない伝記映画でありながら、極めて上質な青春映画の体を成しているということ。4人の若き芸術家たちが「クラブ」を結成し、青春を謳歌するさまは『シング・ストリート 未来へのうた』(16年)にも通じる爽快感を抱くことができ、大学入試に失敗したトールキンが21歳になるまでエディスとの交際を禁じられる展開は、まるで『ロミオとジュリエット』のようだ。

エディスと食事に出かけたトールキンは、彼女から言語表現における「美しさ」を学び、感銘を受ける。さらに、舞台の観劇がかなわなかった折のエディスのある行動を目の当たりにし、「運命の人」と強く意識するようになる。2人の恋愛を彩るシーンの数々は、「伝記映画の一部」と片付けてしまうにはあまりに美しく儚い。むしろ、本作の中核として存在感を放っている。

恋愛と双璧を成すのが、友情。同窓生のギルソン、スミス、ワイズマンは単なる親友ではなく、天涯孤独だったトールキンを「家族」として支える。トールキンが自分の夢を初めて打ち明ける相手が彼らなら、エディスを初めて紹介するのもこの3人。エディスとワイズマンが談笑する様子を見て、トールキンがやきもちを抱いてしまう姿が微笑ましく、エディスとの間にある事件が起こり、自暴自棄になってしまったトールキンをいさめるのもギルソン、スミス、ワイズマンの3人だ。生涯を通してトールキンの“心友”であり続けた彼らは、最重要なピースとして物語を豊かに彩る。

『人生はシネマティック!』(16年)やNetflixオリジナルシリーズ『The OA』(16~19年)で知られるギブソンはリーダー格のロバートをエネルギッシュに演じ、『ゲーム・オブ・スローンズ』(11~19年)のボイルは、一番近くでトールキンを見守るスミスを思慮深く表現。『ダンケルク』(17年)の好演が記憶に新しいカーニーは、トールキンが息子の名前にするほど慕っていたワイズマンを気品ある演技で体現している。

トールキン自身が劇的な人生を歩んだことも大きいのだが、この「ラブストーリー」と「友情ドラマ」の2つが、どこか固いイメージのある伝記映画の枠を取り去り、文学的な美しさを保ちつつも珠玉のエンターテインメントへと作品を昇華させた。

切なくも軽やかで、深い余韻の残る本作の作風には『きっと、星のせいじゃない。』(14年)を思い出す人がいるかもしれないし、見事な映像美と切ない恋愛ドラマには『博士と彼女のセオリー』(14年)と重ねる人がいるかもしれない。荘厳で壮大な『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズとはひと味違った、未成熟の物語がそこにはある。恋や将来に悩む等身大のトールキンの姿は、自然と共感を呼び起こすだろう。

そしてもちろん、命題だった”「ホビットの冒険」や「指輪物語」はどうやって生まれたのか?”をめぐるミステリーもきっちりと描かれる。前述した母の影響然り、理知的で献身的なエディスの存在然り、欠点を指摘しあえる親友たちの友情然り、あちこちに点在している愛のパズルが、未来のトールキンを形成していくのだ。そう、「ホビットの冒険」の構成要素は、様々な色を放つ愛の結晶だったのだ。

親子の愛、恋人の愛、親友の愛。今現在の我々がこれまでの経験によって出来上がっているように、トールキンもこの3つの愛に出会い、作家としての品格を身に着けていった。そういった意味で、本作は『ホビット』や『ロード・オブ・ザ・リング』といった映画の源流に迫るエピソード・ゼロ的な作品ともいえる。

トールキン作品の暗黒面を形成した「戦争」

だが、事はそう単純ではない。先ほど「3つの愛がトールキンを作った」と述べたが、実はもう1つ、避けては通れない重要な側面がある。それは、戦争だ。

前述した「ラブストーリー」も「青春ドラマ」も、ある日突然戦争によってぶつりと切断される。才能ある芸術家たちは将来を絶たれ、恋人たちの未来には暗雲が立ち込める。この映画が決して綺麗なだけで終わらないのは、ダークでシリアスな部分を示しているから。そもそも本作は戦争のシーンから始まり、“3つの愛”の裏側で数え切れぬほど多くの死を描いている。

トールキンが戦場で見たもの、それは何だったのか。鑑賞時には、ぜひその点にも注目していただきたい。人が人を殺すさまを目の当たりにした「経験」が、彼に何をもたらしたのかを。

「ホビットの冒険」も「指輪物語」も、そしてそれらの映画化作品も、全てに「戦い」が描かれている。特に「指輪物語」においては、オークが人間の首を弾丸代わりにするという残酷な描写が見られる。善良なホビットだったスメアゴルが指輪の魔力に取りつかれて友人を殺し、醜い容姿のゴラムになるのも、正義の魔法使いだったサルマンが「闇堕ち」するのも、そもそもサウロンが欲する指輪自体が、どうしようもなく力を求めてしまう人の欲望を暗に示しているようだ。

もし愛だけでトールキンという作家ができていたのなら、「ホビットの冒険」や「指輪物語」はもう少し明るいだけの作品になったはずだ。しかしそうはならなかった。なぜトールキンは、上に挙げたようなおぞましい描写を入れ込んだのか?その答えが、ここにある。

先に述べたように、『トールキン 旅のはじまり』には様々な作品のルーツが描かれているが、暗黒面を引き受けるのが、この「戦争」という要素だ。逆に言えば、戦争がなければ「ホビットの冒険」や「指輪物語」が別の形をしていたかもしれず、複雑な心情を抱かせもする。

語り継がなければならない。人の愚かさを、奪われる哀しみを。トールキンは子どもにも読める物語にあえて残虐性を込めることで、平和への祈りを逆説的に託したともいえる。本作には、そう推察するに充分な証拠がちりばめられている。

3つの愛と1つの悪。その正邪の相克。これが、「ホビットの冒険」や「指輪物語」の正体なのかもしれない。

安定のニコラス・ホルト、新境地を開いたリリー・コリンズ

本作でトールキンに扮したのは、個性的なキャラクターから正統派二枚目まで幅広くこなす英国俳優ニコラス・ホルト。『X-MEN』シリーズ(11~19年)ではミュータント役、『ウォーム・ボディーズ』(13年)ではゾンビ役、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年)では白塗りの狂信者と強烈な役どころが続いたが、近年では実在の人物を好んで演じている。

『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』(17年)では伝説の作家J・D・サリンジャー、『The Current War(原題)』(17年)では発明家ニコラ・テスラ、『女王陛下のお気に入り』(18年)では貴族で政治家のロバート・ハーレー、本作を挟んで、今後も米国初の銀行家を描く『The Banker(原題)』、伝説の盗賊ネッド・ケリーを再び映画化する『True History of the Kelly Gang(原題)』などが控えている。サリンジャーとトールキンという全くタイプの異なる2人の作家を演じ切ることができたのは、ホルトの演技力があってこそだ。

エディス役を務めたのは、成長著しいリリー・コリンズ。『白雪姫と鏡の女王』(12年)、『ハッピーエンドが書けるまで』(12年)、『あと1センチの恋』(14年)で天真爛漫な魅力を振りまき、近年では拒食症に苦しむ女性役に挑戦した『心のカルテ』(17年)、活動家を演じた『オクジャ/okja』(17年)という2本のNetflix作品で新境地を開いた。本作では、これまでとは全く違った柔らかく包み込むような妙演で、トールキンのミューズを体現している。

余談だが、かつてコリンズはエルフ役のオーディションで落ちていたとか。今回エルフのモデルともいわれるエディス役を射止めたことで、当時の借りはしっかり返したといえるだろう。日本では公開未定だが、ザック・エフロンが連続殺人鬼テッド・バンディを演じた『Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile(原題)』(19年)にも出演しており、今後の活躍に期待が膨らむところだ。

安定のホルト、挑戦のコリンズ。この2人の豊かな演技のハーモニーが、愛と哀に彩られた作品をさらに味わい深いものにしていることも、最後に付け加えておきたい。

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『トールキン 旅のはじまり』(原題:Tolkien)

監督/ドメ・カルコスキ
キャスト/ニコラス・ホルト、リリー・コリンズ、デレク・ジャコビ、トム・グリン=カーニー
全米公開:5月10日(英公開:5月3日)

日本公開/2019年8月30日(金)、全国ロードショー!
配給/20世紀フォックス映画
© 2019 Twentieth Century Fox