Column

2019.06.25 22:00

【単独インタビュー】『アマンダと僕』主演ヴァンサン・ラコストが新たな挑戦を語る

  • Mitsuo

パリで便利屋として働く青年ダヴィッドは、突然の不幸で最愛の姉を亡くし、シングルマザーだった姉のひとり娘アマンダの面倒を見ることになる。哀しみと大きな喪失にとまどい苦しみながらも、寄り添って生きるふたりに絆が生まれてくる……。

シリアスなテーマを扱いながらも、その繊細な人間描写と美しい映像、温かい眼差しが感動を誘う『アマンダと僕』。遺された二人を演じる、フランスで主演作が立て続けに公開される大注目の若手俳優ヴァンサン・ラコストと、新鋭ミカエル・アース監督が道でスカウトして見出したという少女イゾール・ミュルトリエの演技が光ります。

「人間が立ち直る力を、静かに感動的に祝福している」(ハリウッド・リポーター)、「深く胸を打つ、まさに完璧な映画!」(フィガロ)と絶賛された本作は、第75回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門でマジックランタン賞を受賞、第31回東京国際映画祭では審査員満場一致で東京グランプリ&最優秀脚本賞のW受賞に輝きました。

日本公開に先立ち、「フランス映画祭2019 横浜」のゲストとして来日したヴァンサン・ラコストに、単独インタビューを敢行しました。

──今回のダヴィッド役に魅力を感じた理由は?
ミカエルの前作『サマーフィーリング』(15年)を観ていて、とても気に入っていました。彼の映画が大好きで、素晴らしいフィルムメイカーだと思っていたので、一緒に仕事をしたいと思ったのです。オファーをもらった時、これまでコメディの役が多かった僕にとって、今回の役はドラマ要素が多く、その点に興味を持ちました。同時に、この映画は非常に敏感で繊細で、大切な人を失うこととその癒やしを上手く描いていると感じました。元気づけられる美しい物語で、やりたいと思いました。

──そんなダヴィッド役に向けて、どのような準備をしたのですか?
正直言うと、普段とは違う役だったので、怖かった面もありました。キャラクターとどのように共感すればよいのか、どのように役に向けて準備をすれば良いのか、よくわかりませんでした。ダヴィッドはごく普通の青年で、そんな彼に突然起きるドラマティックな出来事が、この映画の興味を惹くところとなります。そのため撮影では、常にその時その時に意識を集中させ、自分を開放することが必要だと思いました。ミカエルともたくさん話をしました。自分の感情表現に自信を持たせる必要があったのでね。あのような形で大切な人を失うというのがどのようなことなのかも、理解しようとしましたが、そうした事件について、細かいところまで調べたり多く読み込んだりはしませんでした。それよりも、その時々の気持ちを、(演じている瞬間に)感じることが大事だと思いました。

──普段から子どもとふれ合う機会はありましたか?
いいえ。子どもはいないし、あの年頃の子どももまわりにはいないのでね。そういう意味で、映画と整合性がとれていたと思います。ダヴィッドは、小さい女の子に対する接し方や振る舞いをよくわかっていなかったキャラクターですからね。僕もそんな彼に似ていたことになります。映画の中の出来事で、彼女がそれぞれにどんな反応を示すのか、それからこの映画をどのように感じていたのか、僕にはわかりませんでした。でもこれは僕だけでなく、二人(ヴァンサンとイゾール)にとって、助けになったと思います。撮影を通じて、お互いに接し方を学び、お互いのことを理解し合うようになっていったので。それから、彼女は7歳ながらも素晴らしい女優で、それぞれのシーンや感情、この映画自体のことを、しっかりと理解していました。ですので、彼女との撮影はとても楽でしたよ。

──ではイゾールとは、自然に馴染めたのでしょうか?
はい、とても自然なプロセスでしたよ。私同様、彼女も最初はどのように私と接してよいのか、わからなかったと思います。ミカエルは僕たちができるだけ自然な状態でいることを望み、(状況を)繊細に感じ取り特に介入しようともせず、僕たちを安心させるようにしました。それで上手くいきました。

本編最後のシーンは、実際に最後に撮影したのですが、イゾールの演技が本当に素晴らしくて、そうなったのは、本当にあれを最後に撮影したからだと思います。それだけ感情もこもっていましたし、僕たちはもうお互いにシャイではなくなっていました。撮影開始当初は、僕は7歳の子どもへの話し方なんて知りませんでしたし、互いにとてもシャイでした。でもこれは映画でのストーリーそのままのことですし、とても自然なことだったと思います。

──撮影は時系列に沿って行われたのですか?
いいえ。その最後のシーンの撮影は最終日になりましたが、ほかは違います。フランスでは、子役の撮影は一日あたり3、4時間しか許可されていなくて、イゾールとのシーンは毎日短く終わり、その後ほかのシーンを撮っていました。でも彼女はいつも気分もよく、準備万端で、素晴らしかったです。現場では、空き時間にパズルで遊んだりもしましたよ。

──2015年のテロ事件発生時、あなたはパリにいたのですか?
はい。僕はバタクランのある11区の”あの”地区に住んでいて、友だちと近所のカフェにいたところ、銃声を聞きました。みんなで僕の部屋へ逃げ込んだんです。とても怖かったし、みんなも大きなショック受けていました。(作中のように)大切な人を失ったというわけではありませんが、襲撃されたレストランは、僕もよく行っていたお店なので、非常にショックでした。

この映画の脚本を読んだ時、僕に語りかけているような感じがしました。舞台がパリなだけではなく、(事件後の)癒やしがテーマになっています。テロや事件そのものにフォーカスしたありがちな映画ではなく、親密なドラマとして描いたのは、とても良かったと思います。作中のテロ事件自体はフィクションですが、こうした出来事を生き抜いていくのはどのようなことなのか、それが見事に描かれていると思います。

──映画を観たあなたの周りの方の反応はいかがでしたか?
みんな強く心を動かされたと思います。それからこの映画は、今日のパリを捉えています。ミカエルは11区で撮影することにこだわりましたが、これは私が今住んでいて、ミカエル自身も昔住んだ場所です。普段見慣れたパリが、いつもとちょっと違ったように感じられ、感動したと思います。

──ちなみに、作中は自転車のシーンが多く登場しますが、普段も自転車に乗るのですか?
はい、乗ります。電動スクーターのレンタルがあって、そっちの方がたくさん乗っていますけど。

──コメディと比べ、ドラマを演じる上で意識したことはありますか?
実際のところ、コメディとそれほど違いはありません。気がついたのは、コメディではリズムが大事になるということ。ドラマではそれほどでもなく、ただもっと自然であること。特に本作のようなメロドラマというか、感情的な映画ではね。先ほどの繰り返しになりますが、その瞬間に集中し、感情に意識を張り巡らすことですね。

でも、コメディもドラマも、どちらも好きですよ。コメディにも、ドラマティックなシーンが登場することはよくあるし、そんなに違いはないと思います。

──あなたの両親は映画とは関係のない職業ですが、映画の世界に入ったきっかけは?
本当に偶然だったんですよ。高校のカフェテリアで食べていたら、キャスティングのチラシを配る女性が現れて、それでキャスティングに行ってみたら、選ばれてしまいました。これが始まりです。『いかしたガキども』(09年)という映画で、これがフランスでは成功して、その後も(演技を)続けました。

──もしその女性に会えていなかったら……?
あの時はまだ15歳と若かったし、映画に出演することはなかったでしょうね。映画を観るのは大好きでしたが、まわりで映画作りに携わっている人はおらず、遠い世界過ぎたし、将来の仕事について具体的に考えてもいなかったので。あの日選ばれなかったら、俳優になっていなかったでしょう(笑)。

──今後一緒に仕事をしてみたい監督は?
フランスにはまず大勢いますね。ジュスティーヌ・トリエとか。彼女の作品にはもう出演していますけど(笑)。ほかでは、フィンランドのアキ・カウリスマキが素晴らしいと思います。ハリウッドにも好きな監督がたくさんいます。デヴィッド・O・ラッセル、コーエン兄弟とか。

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『アマンダと僕』(原題:Amanda)

監督・脚本/ミカエル・アース
共同脚本/モード・アムリーヌ
撮影監督/セバスチャン・ブシュマン
音楽/アントン・サンコ
出演/ヴァンサン・ラコスト、イゾール・ミュルトリエ、ステイシー・マーティン、オフェリア・コルブ、マリアンヌ・バスレー、ジョナタン・コーエン、グレタ・スカッキ
2018 年/フランス/107 分/ビスタ

日本公開/2019年6月22日(土)より シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー!
提供/ビターズ・エンド、朝日新聞社、ポニーキャニオン
配給/ビターズ・エンド
公式サイト
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