Column

2025.07.16 8:00

【単独インタビュー】『逆火』内田英治監督と円井わんが示す社会派映画における娯楽性

  • Atsuko Tatsuta

内田英治監督の最新作『逆火』が7月11日(金)に公開されました。

映画監督を夢見る助監督の野島(北村有起哉)の次の仕事は、貧困のヤングケアラーでありながらも成功したARISA(円井わん)の自伝小説の映画化。ところが、リサーチを進めるうちに彼女に“ある疑惑”が浮上。この女は果たして悲劇のヒロインなのか、それとも犯罪者なのか?真実を追求する野島に対し、名声を気にする監督や騒ぎを避けたいプロデューサーなど、撮影を中断したくない面々から圧力がかかる。一方、仕事に没頭するあまり家庭を顧みない野島の高校生の娘・光(中心愛)は、いつの間にか野島が手の届かないところに行ってしまった──。

映画業界を内省的な視点で解体し、社会派テーマをミステリーというエンターテインメント的枠組みで昇華させた野心作。『ミッドナイトスワン』(20年)、『マッチング』(24年)の内田英治が原案と監督を担い、オリジナル脚本を手掛けたのは、『サイレントラブ』(24年)でも内田とタッグを組んだまなべゆきこ。

待望の劇場公開を前に、内田監督とキーパーソンとなる女性を演じた円井わんが、Fan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。

──『逆火』は映画制作の過程が舞台になっていますが、創作の起点は何だったのでしょうか?
内田 僕はインディーズ映画出身ですが、最近はなかなかそういうタイプの映画が撮れないので、常々仕事をしてみたいと思っている役者たちと一緒に久々に小さい映画を作ってみようというのが起点でした。内容に関しては、映画の中で映画を扱ってみたいと以前から思っていたので、ミステリーというジャンルをベースに、“映画の真実”というテーマで脚本を書き始めたのがスタートです。

──“映画中映画”というモチーフは、フランソワ・トリュフォーの『アメリカの夜』(73年)をはじめ名作もありますが、多くの映画監督が一度は扱ってみたいモチーフではないでしょうか。『逆火』は、監督としてのご自身の体験を反映されているのでしょうか?
内田 映画制作の裏側を描いた作品は、(ロバート・)アルトマンの『ザ・プレイヤー』(92年)とか、いろいろありますね。やはり特殊な世界ですから。スターだったり俳優がいて、スタッフがワイワイいる。映画は芸術とビジネスの間でもあるし、そういう曖昧な部分もすごい面白い世界だと思います。僕はもともと映画出身者ではなく、30歳を過ぎて映画を始めているので、そういう映画の世界、現場の世界に憧れる部分が結構あります。

──監督やプロデューサーではなく、助監督を主人公に設定したのはユニークですね。
内田 僕が映画を撮る時も、助監督がすごく取材をしてくれます。まるでジャーナリストのように。こんなに深くまで取材してくれるのかと、いつも感心しています。『ミッドナイトスワン』の助監督も、分厚い取材ノートを買って、いろいろな人に取材したりしていた。それをベースに、僕らもまた取材に行ったりしました。

この映画の骨格はミステリーなので、助監督が取材者として事件を追いかけていくのは面白いのではないかと思いました。おそらく観客の方々には、助監督が取材するというイメージがあまりないと思ったので。

──本作における“映画の真実”には、二重の意味がありますね。実際の映画制作の裏舞台という真実。そして、物語の中での助監督が追っていく実話に関する“真実”。けれど、映画というものはそもそもが虚構なわけで、その二重性が大変面白いと思いました。内田監督とっての“映画の真実”とは何ですか?
内田 若い頃に僕が観た映画は娯楽性が高い作品が多く、本当にその世界に強く引き込まれた。でも、楽しく観ながらも疑問のような部分を一つか二つ持って、そこで何かを学ぶ。エンターテインメントの中で、社会とか世の中のことを少しだけ学ぶという感覚は、ちょうど良かったと思っています。“学び”が9割で娯楽が1割のような映画もありますが、個人的に、映画は娯楽でもあるわけですから、そこは守っていきたいなと思っています。その中に自分なりの真実を少しでも描ければと。

──円井さんはキーマンであるARISA役を演じましたが、最初に脚本を読んだときの感想は?
円井 最初は本当に「わー、どうしようかな」という感じでした。でも、プロデューサーから「この役は当て書きなんじゃないか」と言われて、そうなのかなと。面白いという言い方は不謹慎かもしれませんが、この世界は残酷だなと思いながら脚本を読みました。役作りの上では、野島のようにとても取材し甲斐がありました。ARISAのような人がいそうだなという場所に足を運んで、実態を知るのはとても興味深かったです。

──どのようなリサーチをしたのですか?
円井 まず本を読んだりしました。それから、“トー横”に行ったり、実際に幼少時代に親から離れていった子やヤングケアラーの人に話を聞きました。

──そうしたリサーチは監督が勧めたのですか?
内田 いや、僕は今初めて(リサーチについて)聞きました。役者は意外と、こっそりリサーチしていることがあるんですよ。

──では、円井さんは独自でリサーチされたのですね。
円井 そうですね。自分の勉強してやっていたので。あまり人を巻き込まない方が良いかも、と。

──助監督のリサーチとはまた違うやり方なのですね。
内田 助監督は公的にリサーチしますから。その資料は役者にもシェアされますが、役者のリサーチは個人的に進める人が多いです。

──ヤングケアラーの存在を知ってどのように感じましたか?
円井 私の知らない世界だったので、実際にヤングケアラーである方のお話を聞いて、疑似体験をしたような感覚になりました。貧困や福祉が行き届いていなかったりすることや、もっと言えば、資本主義や世界の仕組みにいろいろと疑問を持ちました。政治についても考えさせられるところがありました。

──監督は若者層の貧困やヤングケアラーに関して、どのようにして興味を持つようになったのですか?
内田 円井さんがこの映画をきっかけにヤングケアラーや資本主義について考えるようになったのは、本当に重要だと思います。僕自身もヤングケアラーや社会問題、日本の子どもに対する問題とか、それこそ資本主義に関してもいろいろと考えたりします。でも、それを直接伝えるのはやはり報道なわけで、映画は別のアプローチが必要かなと思います。

現実に起こっていること──例えば野島の娘・光(中心愛)のストーリーは、実際の事件やニュースに登場する人物をベースに構築しているので、かなりリアリティがあると思います。おそらく(“トー横”のある)歌舞伎町に一生行かない人も多いだろうし、自分の身近にヤングケアラーがいない人も多い。でも、信じられないようなことが世の中で実際に起きているのは、間違いない事実です。

──内田監督はそうした若者の実態をニュースなどで知るようになったのですか?
内田 そうですね。周りにはいなかったので。僕は生まれと育ちが海外だったのですが、駐在員が住む裕福な地域に家がありました。近くに貧困地区があったのですが、その子どもたちを見て、この差は何なのだろうと感じていた。高層マンションから街を眺め、「なぜ僕は電気も水もある場所に住んでいるのに、すぐそばにはそうでない地域があるのだろうか」と子どもながらに思っていました。

ただ、この映画はミステリーです。「この人は本当に犯罪を犯したのだろうか?」というミステリーの部分で引っ張って、結果的によく考えたら、国の制度に問題あるのではないかとか、疑問を持ったり考えてもらえれば良いかなと思います。

──この映画の中で野島が取り組む新作は、ARISAという女性の物語は“実話である”ということが大きなポイントです。実際、実話ベースの映画が観客を引き付けることも事実でしょう。内田監督自身は作り手として、実話ベースの物語の強度についてどのように考えているのでしょうか?
内田 実話を超えられるフィクションは存在しないと思っています。エンターテインメントとしても、フィクションよりも実話の方が遥か上を行っていますよね。我々が頭の中で考えた事件や人間心理は、現実に及ばない。普通に生きてきたら、娘を虐待するとか、そんなことをは想像もできないでしょう。ニュースで見聞きする実話の方が、映画や小説を越えている。特に今はそれがSNSで即座に発信されてしまう。と同時に、ニュースを都合よく改造することもできてしまう。なので、昔より描くべきものは複雑になっています。

かつては、虐待といったら酒を飲んだ親父が子どもや奥さん引っ叩くといった、もっとわかりやすいものが多かった気がします。今は、もっと複雑です。野島の家も、普通に生活をしているように見えるし、一見外からではわからないけれど、確実に崩壊している。新しい時代の家族の崩壊感は、むしろ映画のようだと思ったりすることもあります。

円井 そうですね。確かに、監督がおっしゃった通りだと思います。最近友だちとも話したのですが、事実は小説より奇なりなことが、世の中多すぎる。しかも「この話、映画化できるぞ」「本にできるぞ」という人もたくさんいると感じますね。

──映画のサブストーリーである野島の家庭のストーリーもリアルですね。多忙な父と娘の断絶や家族の静かな崩壊。これらの物語は、本筋のミステリーとはまた別に心に迫るものがあります。この家族の物語を円井さんはどのようにご覧になりましたか?
円井 私自身、光さんみたいな時期もあったので──私から見ると、野島は良い父親だと思います。

内田 映画の中のセリフみたい。映画の中でもそう言っていた。

円井 これは本音です。

──内田監督は、映画制作の多忙さにかまけて家庭を顧みないという野島のような人をたくさんご存知なのでは?
内田 そうですね。中学生や高校生の子どもを持つスタッフは多いし、子どもが“モンスター化”してしまう話も耳にします。夢を追う職業に就いている人の子どもたちの話はたくさん聞いて、すごく参考にさせてもらいました。

──映画業界に対する内省的というか、自己批判的な作品でもありますね。
内田 自己批判と言いますか、結局映画は別に何も解決できない。こういう映画でヤングケアラーを描いても、実際に苦しんでいる人はこの映画は多分観ないと思います。

円井 それが不思議な感じですよね。

内田 僕も中学・高校時代の友だちでヤンキーみたいなヤツがいますけど、彼らはこの映画は観ない。きっとアニメとか観に行きます。もしくはヒーローものとか。

昔からジレンマですよね。社会の底辺の世界を取り上げることが多いですが、でもそこに生きている人は、その映画を誰も観てない。僕に限らず、世界中にあふれる社会派映画の監督のほぼ全員が持っているジレンマだと思います。

でも先日、海外の監督と話している時、「当事者に観てもらえなくてもいい。いわゆる知識層だけで紡いでいけばいい」という考えを聞いて、そういう見方もあるのだなと思いました。僕はそうは思いませんけど。当事者の方々に届かなかったとすれば、娯楽性が足りなかったのかもしれない。

──まず何よりも娯楽映画であることが多くの観客に観てもらう上で重要、ということですね。
内田 例えば、『スリー・ビルボード』(17年)とかですね。映画としてとても娯楽性が高いけれど、アメリカが抱えている問題が盛り込まれていて、ちょっとだけ勉強になる。僕が10代の頃『ミシシッピー・バーニング』(88年)を観て、「差別主義者」という者たちの存在を知った。そういう出会い方が大事だと思います。

──エンターテインメントこそが力を持っている?
内田 僕はそう思います。ただ、時代はそっちに向かっていない気がします。二極化が激しい。エンターテインメント作品を配信で観るか、芸術的映画を劇場で観るかというふうに別れていて、その間が少なくなっている。

円井 私は両方とも観ますね。でも、業界人ではない人に「観てよ」と言ったら、お金を払ってまで現実を見たくないと言われたこともあります。でもこういうことは、内田さんと出会った頃からずっと話している気がします。おそらく9年ぐらい。内田さんの『獣道』(17年)が私のデビュー作だったので。

内田 (円井とは)結構付き合いが長いんですよ。今日も久しぶりに会ったのですが、久しぶりな感じがしない。当時は関西から出てきたばかりの娘さんだったのですが、今もあの頃のまんま。変わらない存在感が円井の個性ですが、疑惑を引っ張っていく存在感のある女優が必要だったので、今回はお願いしました。よく知っているからこそ、こういう風に一緒にインタビューを受けるのはちょっと恥ずかしいですね(笑)。

Photography by Takahiro Idenoshita

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『逆火』

出演:北村有起哉、円井わん、岩崎う大(かもめんたる)、大山真絵子、中心愛、片岡礼子、岡谷瞳、辻凪子、小松遼太、金野美穂、島田桃依
原案・監督:内田英治
脚本:まなべゆきこ
音楽:小林洋平
プロデューサー:藤井宏二、関口海音
製作:映画『逆火』製作委員会(Libertas/Yʼs Entertainment Factory/DASH/move)
制作プロダクション:Libertas
2025年/日本/108分/カラー/シネスコ/5.1ch/PG12 

日本公開:2025年7月11日(金)テアトル新宿ほか全国順次公開
配給:KADOKAWA
公式サイト
©2025「逆火」製作委員会