Column

2025.05.11 8:00

【単独インタビュー】『新世紀ロマンティクス』ジャ・ジャンクー監督による創造と記憶の終わらぬ旅

  • Atsuko Tatsuta

中国の名匠ジャ・ジャンクーの集大成ともいえる最新作『新世紀ロマンティクス』が5月9日(金)に日本公開されました。

2001年、北京オリンピック開催決定などで湧く中国の北部の街・大同(ダートン)。モデルのチャオ(チャオ・タオ)は、マネージャーで恋人でもあるビン(リー・チュウビン)と小さな仕事をしながら青春を謳歌していた。が、ある日、ビンは成功を求めて大同を去る。2006年、ビンを探すため三峡ダム建設のため水没する運命にある長江の古都・奉節(フォンジエ)を15時間かけて訪れるが──。

『青の稲妻』(02年)、『長江哀歌』(06年)、『山河ノスタルジア』(15年)といった名作を通して、常に“変わりゆく中国”で生きる人々の感情をフィルムに焼き付けてきたジャ・ジャンクー。『長江哀歌』では第63回ベネチア国際映画祭の金獅子賞(最高賞)を受賞するなど、国際的に高い評価を得る中国第六世代の気鋭です。

最新作『新世紀ロマンティクス』は、一人の女性の2001年から2022年までの22年間の恋人を探す旅路を通して、社会と個人、記録と記憶、フィクションと現実の境界線を見つめた意欲作です。主演を務めるのは、監督の長年のパートナーでもあるチャオ・タオ。過去作の未使用フッテージやドキュメンタリー映像を織り交ぜながら、激動する中国の風景と、変わらない心の揺らぎを丁寧に描き出しています。

第77回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも選出され、監督自身の集大成とも言える本作。その深層を探るべくジャ・ジャンクー監督に話を聞きました。

──本作では、初期の傑作『青の稲妻』『長江哀歌』やドキュメンタリーを含む2001年から撮り溜めてきた映像素材も使用されています。カンヌ国際映画祭で最初に観た時は、こういう手もあるのかと驚きました。このアイディアはどこから来たのですか?
それについては長くなるので、手短に言います。まず2001年頃。当時の中国は、とてもパワフルになりつつある時代で、みんなが新しいことを考えたり、勢いがあった時期でした。インターネットや携帯電話が普及し始め、北京オリンピックの開催が決まった頃です。人々は何か変わりたいという希望を持っていました。だから、人々が歌ったり踊ったりして楽しんでいる姿を、あちらこちらでたくさん見たような気がします。そういう風景はある意味、とても色気があると思いました。ということで、ちょうど世紀の節目の変容を撮りたいと思いました。それがすべてにおける発端です。

同時に、デジタルに移行する時代でした。この時期に私は『青の稲妻』や『世界』(04年)などを撮っていたのですが、自分自身もどこか旅行に行くような気持ちで、(その映画に使用するかどうかは別として)いろいろなものを撮影していました。つまり、今回の映画をあらかじめ想定していたわけではなく、新しい作品を作る時のロケハンや、撮影準備をしている時に、ああこれを撮ろうと言ってなんとなく撮り溜めた素材が今回の作品に使われています。

そして2022年、コロナ禍の時期、これで一つの時代が終わるのかという思いに駆られた時、今まで撮り溜めたものを一つの作品として完結しようというアイディアが浮かびました。一つの時代を終結させるという意味で。この映画における2022年からの話は、撮り溜めたものを編集した後に、脚本を書いたものです。

──『青の稲妻』『長江哀歌』『帰れない二人』などでずっとチャオ・タオを撮ってきたわけですが、それらの作品で使用しなかったフッテージだけではなく、別途、ロケハン時などで撮ったオフショットも使ったということなのですね。
はい、何でもありという感じです。今まで私が撮った作品とまったく関係なく撮影したものもありますし、映画で使用しなかったフッテージもあります。すでに作品で使用したものを再度使用しているカットもあります。

──それら膨大なフッテージの中から、どのように構成していったのでしょうか?
編集しながら、構成を考えました。

──何を拠り所に編集をしていったのですか?
フッテージを見始めて、すぐに「2021年から始めよう」と決めました。当初は、フラッシュバックで過去を語る話にしようかと考えたこともあったのですが、素材を見ていくうちに、当時、中年の女性たちが歌っている様子などが、その当時の中国人の人間関係を表しているようで、楽しかった。人と人との距離感がとても近くイキイキしていて、心を動かされました。そして、日記を書いているみたいに、少しずつ積み上げていくように映像を作ってみたら良いのではないかというアイディアにたどり着きました。人生もそういうものですし。チャオ・タオは僕の(いくつかの)映画の中で、22歳くらいから中年になるまで演じてます。

──あなたはこれまで一貫して、中国の変わりゆく現代史を映画で描いてきたわけですが、この作品に集約されているように、チャオ・タオという女優であり女性を追いかけているという側面もあると思います。なぜ女性を切り口に映画を撮り続けるのでしょうか?
最初に映画を撮り始めた頃は、恋愛においてはどちらかというと女性の方が愛情に頼りたい、反対に男性は愛情に縛られたくないという傾向が強いように感じていました。でも、私の中でも徐々に意識が変化していきました。2020年代、社会における女性の在り方も20年前とかなり違います。チャオはビンを探しに行き、彼に新しい女性がいたりするという現実を知ります。男の心の変化に対する哀しみがないわけではないけれど、ではそこから先、自分がどう生きていけば良いのかを考える。

中国では、愛情が冷めてしまっているのに、社会的な立場もあるため関係を続けていくというカップルが現実に多くいます。が、今日の女性は、そういった社会からの圧力に縛られず、自分自身で道を選択するという方向に変わってきていると思います。私だけでなく、チャオ・タオや社会も、カップルの愛情関係に対する見方や意識にかなりの変化があったと思います。映画を作りながら女性たちの話を聞くと、女性たちも変化している。そして私の意識も変わっていった。

ちなみに、この映画の中でビンは浮気をしているわけですが、チャオがその女性やビンを殺すというシーンも実は撮っていました。この作品を編集しながら私が最も感動したのは、チャオは知識人でも活動家でもなく、平凡な女性ですが、そういう過酷な現実に向き合っていくパワーを持っている人間だということです。

──この作品は音楽で時代を物語っているようにも感じます。中国の歌謡曲、エレジー、テクノポップといったその時代ごとのポピュラーな音楽を意図的に使用したのでしょうか?
音楽に関して言えば、3種類のカテゴリーがあります。一つは、リン・チャンが作曲した電子系の音楽。もう一つは、私がカメラを回している時に、そこで演奏されていた音楽。おそらく7、8曲入っていると思います。当時の記録として撮った映像にはフォーカスが合っていないものもあったのですが、その中で使えるものを選びました。

その時代の雰囲気や心情に合っていると思う曲を、私が編集時点で加えたものもあります。編集する時、まずはストーリーで繋いでいくというやり方があると思いますが、この作品では1,000時間以上のフッテージがあったので、そのやり方はすぐに諦めました。もしそれをやるのなら、20年間の記録を使う必要はないですし。むしろ、その時代がどんな様子だったのかを主軸に編集したほうが、空間的な広がりがあるように思いました。なので結局、モンタージュ的な手法を選択しました。そういう風に編集しようと決めた時に、時代の精神性を表す音楽を、私の視点で選ぼうと思いました。

──コロナ禍は、多くの映画作家たちが自らの創造や人生について向き合った時期だと思います。あなた自身はどのように映画や自らの創造の未来を考えていたのでしょうか?
私はコロナ禍が将来ずっと続くとは思っていませんでした。必ず終わりが来ると思っていた。ただ、どんな世界が来るのだろうという不安はありました。やはりコロナ禍は、ある意味で一大事件であり、分岐点だったと思います。コロナ後には、かつてと違う新しい世界が始まった。ただし、その新しい世界が私自身にとって素晴らしいかどうかはわからないですね。

私がこのコロナの頃に思っていたことは、この時期に映画という存在をなくしたくないということ。どんな形でも映画製作を続けていたいと思ったし、それがきっとこの作品だったと思います。

ただ、あの時期に私が興味を持っていたことがもう一つあります。それは、AI(人工知能)が普及した世界。あの時点ですでに中国の社会の中にもAIが生活の中にかなり入ってきていました。だから、コロナが終わったら、きっとそれがもっと顕著になるだろうと思っていました。ロボットが思考するとなると、逆説的に言うと、自分自身がロボット的ともいえるかもしれない、と。

──原題の『風流一代』に込めた意味は?
『風流一代』は、『プラットフォーム』(00年)の中で、チャオ・タオ演じるキャラクターが暗唱している抒情詩「風流歌」の詩から派生しています。80年代に流行った詩です。世界の中心はアメリカだという認識が崩れ始めてきた頃で、中国社会の様々なことが目まぐるしく変化する中、果たして自分たちは変われるのか、つまり、中国が変わることを期待した時代がありました。自分とは何かということを探求する、あるいは、個人を尊重する時代がやってきた時に流行った詩です。

──先ほど、この作品を作るにあたってモンタージュという手法を採用したとおっしゃいました。2023年にジャン=リュック・ゴダール監督が逝去しました。ゴダールは、物語を語ることよりも、思考を喚起するための映像の配置としてモンタージュという手法を使用しました。ゴダールがあなたに与えた影響は何でしょうか?
ゴダールは、私が映画の勉強をしていた学生時代から間違いなく影響を受けてきた監督です。彼は映画が断片の集合体である、あるいは欠片が散りばめられているものであることを認識させてくれた人です。普通は編集する時点で、「欠片」的なものを消し去り、物語として見せようとしますが、ゴダールの手法はまったくそうではなく、新たなる空間を創造するものです。私も『新世紀ロマンティクス』で、20年間に渡り、その時代ごとに撮った欠片をとても信じている。それは、そのままその社会に生きていた人の生活だったからです。

──ゴダールは、コロナの終焉とともに自らの意思でこの世から去っていきました。このニュースを聞いた時、どのように思われましたか?
なぜ彼がそのような逝き方を選んだのか、私にはわかりませんでした。私自身はまだこの社会、この世界がどのようになっていくのか見てみたいですからね。

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 『新世紀ロマンティクス』(英題:Caught by the Tides)

2001年、中国北部の大同。モデルのチャオと恋人のビンは怖いもの知らずに青春を謳歌していた。しかし、炭鉱産業で築かれた大同の繁栄は失われつつあった。ある日、ビンは一旗揚げるために大同を去る。2006年、チャオはビンを探して長江・奉節を訪れる。2022年コロナ禍、潮の流れはふたりを大同に連れ戻すが、街はすっかり様変わりしていた……。

監督:ジャ・ジャンクー
脚本:ジャ・ジャンクー、ワン・ジアファン
撮影:ユー・リクウァイ、エリック・ゴーティエ
音楽:リン・チャン
出演:チャオ・タオ、リー・チュウビン、パン・ジアンリン、ラン・チョウ、チョウ・ヨウ、レン・クー、マオ・タオ
2024/中国/中国語/1:1.85/111分/G

日本公開:2025年5月9日(金)より、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
配給:ビターズ・エンド
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