Column

2024.10.12 12:00

【単独インタビュー】『若き見知らぬ者たち』磯村勇斗と内山拓也監督が見つめる現代の生き辛さ

  • Atsuko Tatsuta

『佐々木、イン、マイマイン』で新人賞を総なめした内山拓也監督の商業長編デビュー作『若き見知らぬ者たち』が10月11日(金)に全国公開されました。

亡くなった父の借金を返済し、昼は工事現場、夜はバーで働く風間彩人(磯村勇斗)は、格闘技の選手である弟・壮平(福山翔大)とともに難病を患う母(霧島れいか)の介護をしながらつつましく暮らしている。恋人の日向(岸井ゆきの)との時間だけが安らぎを与えてくれるが、親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う夜、ある出来事が彼らの運命を変える──。

初監督作の長編『ヴァニタス』(16年)でPFFアワード2016の観客賞を受賞、2020年に『佐々木、イン、マイマイン』がスマッシュヒットを記録し、新藤兼人賞銀賞を受賞した内山拓也監督。初の商業作品『若き見知らぬ者たち』では、理不尽な現実に打ちのめされながらも信じることのために闘う若者たちの魂の叫びを冷酷なまでのリアリズムで描き出します。内山監督が身近に起こった事件からインスパイアされた題材をもとに描き下ろしたオリジナル脚本は、企画段階から海外配給会社の注目を集め、フランス、韓国、香港、日本の4つの国と地域で共同制作されました。

主人公・風間彩人役として白羽の矢が立ったのは、若手実力派として唯一無二の存在感を放つ磯村勇斗。2023年だけでも『最後まで行く』(藤井道人監督)、『波紋』(荻上直子監督)、『渇水』(高橋正弥監督)、『月』(石井裕也監督)、『正欲』(岸善幸監督)と5本の出演作が公開され、『月』では第47回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞しました。

日本映画界が期待する二人の才能が組んだことでも注目される『若き見知らぬ者たち』の公開に際し、磯村勇斗、内山拓也監督がFan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。

──本作は監督の身近に起こった事件から着想を得て書き上げた完全オリジナル脚本と伺っています。構想から映画化には時間がかかったようですが、どのような経緯だったのでしょうか?
内山 ほとんど何も知らずに(当時学んでいた)ファッション界から映画界に飛び込んだこともあり、(初監督作品の)『ヴァニタス』を上映した時に、自分が思っている以上に受けとってもらえるんだなという感触と、それと同時に自分の至らなさや、なにか形にしたかったものが届かなかったと感じました。そういった中で、誰かたった一人に向けて作品を作ることを大事にしている一方で、知らない遠い国や異なる文化を持つ方々も、実は同じような苦しみや喜びを感じていて、同じ感情を知っているのではないかと思い至り、深く掘り続けようと脚本を書き始めました。そう思い始めてから7、8年が経っていきました。改稿を重ねる中で、当初の書いていたものから変化していく部分もあったのですが、一方で、若者層の貧困は年々増加し、“心の貧困”を昇華させる物語を書かなければという思いが増していったという感じです。

──“心の貧困”とはどういうことでしょうか?
内山 僕も磯村さんも1992年生まれの同い年なのですが、そもそも僕たちの世代は、日本経済が崩壊したいわゆる“バブル崩壊”後に生まれています。就職氷河期も、僕たちの就活の時期にピークを迎えた。大人になる18歳あたりで東日本大震災が起きた。人生の節目節目で壁にぶち当たる瞬間が沢山ありました。世の中をどう見ていいのかも分からないし、どこか(人生を)楽しんではいけないという感覚もある。根本的な閉塞感やネガティブな感情を抱え込んでいる世代なのかもしれません。負の遺産が受け継いでいく苦しさがありますが、ただ、それを世代のせいにはしていきたくはない。僕たちも上の世代から学ばせていただくことは勿論ありますし、後の世代に何かを繋いでいく立場だという責任も実感もしていますから。そういうことは、ずっと意識しています。

──磯村さんは、内山監督がおっしゃったような、いわゆるバブル崩壊後に生まれた世代の閉塞感という感覚には共感しますか?
磯村 バブル崩壊が僕らの世代にどう影響しているのかを明確に言葉にするのは難しいところですが、自分たちの世代は明らかに難しい世代だと思っています。“挟まれている”世代だな、と。上の世代の人たちが作り上げてきたものの良さや悪さを、僕たちは育ってきた中で見てきましたから。つまり、それらから来る皺寄せのようなものが、生き辛さに繋がっているようなところもあると思います。かといって、その生き辛さを背負いながらこれからも生きるわけではない。そういったものをどう打破していくかといったことを考えなければならない歳になっているとすごく感じます。下の世代にどんな純度の高いものを渡していけるか、開拓していけるか、みたいなことを考えなければならない年齢。僕たちが立ち上がらなければいけないんだろうなという変な責任感を常に感じています。

──青春映画といえば、例えば20年前なら明るく弾けるような作品がもう少し多かったような気がします。けれど、内山監督の『佐々木、イン、マイマイン』や本作を始め、今日の20代、30代の監督が作る作品は、生き辛さというテーマを直接的にも間接的にも孕んでいるものが多い気がします。これは日本以外に限らず。内山さんの世代から見ると、今までの人たちの作ってきた青春映画は反対にのん気に感じたりしますか?
内山 いや、放っている時代性、作品の本質が全然違いますから。僕自身も、魅了されてきました。でも、僕たちがそういう時代の作品を観て、息を吸って吐くように自然に受け止め育ってきたということは確実にあると思います。1990年代から2000年代の「シネマライズ」最盛期(※いわゆるミニシアターブーム)は実体験的には知りませんが、そういう時代があったという事実は感じています。なので、そういった時代の作品をのん気に感じるというよりは、それらをどう受け止めて咀嚼できるかだと思います。かつてのそうした作品によって、僕たちのパッションや表現が生まれているのは間違いないですから。

──シネマライズの象徴的な作品のひとつに、ロングランヒットしたダニー・ボイル監督の『トレインスポッティング』(96年)があります。ヘロイン中毒の若者たちの日常が生々しく描かれていますが、ああいったエネルギーが今の世代には感じられない気がします。
内山 そうですね。ああいった作品は簡単には作れないと思います。実感として解らないですから。宇宙も日常も、どんなに壮大でもどんなに小さい世界でも、内から出てくるものや感情がインスピレーションと結びついて、初めて映画として描くことができる。例えば岩井俊二さんの『スワロウテイル』(96年)や『リリイ・シュシュのすべて』(01年)が作られた時も、おそらくパッションだけではなく、きっとその時代で何かしらあった閉塞感も影響していたはず。そういったものを昇華させることができたとき、僕たちは体感し、苦しいな、カッコいいな、と思うのだと思います。ただ感情だけを垂れ流すのではカルチャーは生まれませんから。

──磯村さんが演じた彩人というキャラクターには、インスピレーション源となっている事件があったということですが、どのように人物像を作り上げていったのですか?
内山 正直、簡単には言い切れません。というのは、映画づくりにおいては、“わからなさ”みたいなものを大事にしているところがあるので。最初は、実際の事件や関わった方に思いを馳せ、そこに潜り込み、おそらく自分の分身みたいなものと結びつけながら彩人を掘り続けました。そして、彩人という人物が固まってくると、彩人の目を通して母親の麻美のキャラクターが生まれて、さらに弟の壮平と恋人の日向の人物像も作り上げていった。なので、彩人とはどういう人物なのかを見つめることに、ものすごく時間がかかりました。脚本を書く時は、彩人が過ごした時間を僕自身が追いかけるような形で進めていきました。

──磯村さんはこの作品の脚本を読み、どこに興味を持ったのでしょうか? 
磯村 まず、脚本を読んでいて、ずっと苦しかったですね。“荒波の中に落ちちゃって、どう泳いで陸まで行けばいいんだろう”みたいな状態が続いているような気がしました。それでもなんとか生きている彩人とは何なのだろうと思う時もありました。で、物語の中盤でああいう形になりますけど、でもその後も、生きてきた意思みたいなもの──意思というとちょっとカッコつけている感じになって嫌ですが、しっかり残像が残って、彼に関わってきた人たちがさらに生きていくという構図も含めて新しいなと思いました。こういう描き方は、あまり日本映画ではなかったから、その作家性にもとても惹かれましたね。

──同い年のお二人で、脚本あるいはキャラクターについて話し合ったりしたのですか?
内山 あんまりないかな? 脚本を読んでいただいた時点でお会いしたのですが。どちらかというと、脚本や映画と関係のない時間を一緒に過ごして、どんな“空気”を吸っているんだろうとか、どんな景色を今見ているのか、どんな感情を抱いているのか、そういう話をしました。というのは、矛盾するのですが、映画は演じるために存在するのではないと信じたいから。彩人を通じて社会的現実は内包しようと考えましたが、社会的現実が出発点にあるわけではない。撮影するときも、僕の場合はあくまでもその人の肉体を出発点とするので、磯村さんを通した時に彩人がどう見えるかということの方に執着しています。彩人自身に意識を向けすぎたくない。なので、磯村さんに僕が質問を投げかける方が多かったかもしれません。

──そういう演出の仕方は、やはり磯村さんと波長が合わないとできないですよね。
内山 幸運にも、僕たちはそういう感覚が近かった。そうではなかったら当然、別の方法や対話をしたと思います。直感に近いというか、時間を共有した上で“きっと彼ならこうなるんじゃないか、こう思うんじゃないか、もしくは自分が知らない世界がきっとあるんじゃないか”と信じて託す感じでした。僕は、プライベートで仲が良いとか、この人にはすごい技術がある、といったことにはあまり興味がありません。

──いろいろな監督とお仕事されている磯村さんから見て、内山さんはどういう監督ですか?
磯村 物事に対しても人に対しても丁寧な方です。本当に細かいところまで準備して、現場に臨んでいらした。だから僕たちスタッフには不安が何もなかった。気になることがあり疑問を監督に投げかけると、とても安心できる言葉で返ってくる。上面だけではなく、きちんと自分の中で落とし込んでしっかり調べた上でこちらに言葉を投げかけてくださっていたので、現場での要らないストレスが何もなく、芝居に集中でき、そのシーンに向き合えた。そういう環境をきちんと作ってくださっていました。スタッフさんとのチームも出来上がっていたので、大事なシーンとかに対してのアプローチもプロフェッショナルで、とても良い現場を監督が作ってくださっていたと思います。

──そうした現場で、興味深かった経験はありましたか?
磯村 撮っている作品が作品なだけに、現場では、楽しいという気持ちはなかったですね。けれど、ひとつひとつの瞬間で、とても良い時間を過ごしているんだという実感はありました。とても充実していた。クリエイティブな人たちが集まっていたから、いろいろな話もできたし、撮影の仕方などもさまざまな挑戦をしていたので、常に刺激を受けていました。そういったところはすごく興味深かったと思います。

──内山監督の演出スタイルは、どのように培われたのでしょうか?
内山 基本的には、自分が嫌なことはしないということかと思います。映画制作については、僕は映画からでしか学んでいません。撮影技術を含めて、資料やインタビューをたくさん読んだりして、そこから掘って掘って、自分が思っていることと似ている人がいれば、その人のやり方を探求する。それは日本人でも国外の方でもよく、僕にとって違うなと思うものは自然に淘汰されていく。自分のスタイルを貫きながら、さらに発信している方がいれば、その人や作品を探求していくという感じですね。

──具体的に影響を受けた監督や演出法、作品は?
内山 多くの人が言っているとは思いますが、エドワード・ヤンやイ・チャンドン、ジャ・ジャンクーの名前がまず浮かびますね。そしてポール・トーマス・アンダーソン。日本では川島雄三。ただ、演出法までは、作品を観ただけでは詳細は正直わからないので、こうなのではないかと自分で仮説を立てて、ひとつひとつ自分で実証実験をする。実際にやって上手くいかなければ、また別のことを試してみる、ということの反復なのかなと思います。

──いま名前が挙がったイ・チャンドン監督の『バーニング』は、『若き見知らぬものたち』と共通する部分が多いと個人的に思います。資本主義社会の中で上手く立ち回れない若者の疎外感や生き辛さを見つめ、それぞれ独自のリアリティを持って描く。
内山 そうですね、『バーニング』は観ています。無意識に、多分に影響を受けているのだと思います。どこか社会と結びつきながらも、経済格差だったり、二項対立ではない構造だったり。そこにほとばしるキャラクターに内包しているものを表現しようとしましたが、その表現として突き抜けている監督がイ・チャンドンなのかなと思っています。単純にそこにある以上のものを、彼の作品からは感じます。

──世界的に見ても、社会的な格差や分断の問題は、映画のトピックとして頻繁に取り上げられていますが、日本に暮らしていて、格差は感じますか?
内山 感じますし、蓋をされていると思います。

磯村 格差は確実にあるけれど、隠されている気がします。

──社会に対する若者たちの鬱屈や憤懣といえば、例えば1960年代のジャン=リュック・ゴダールなどの映画監督たちは、五月革命の余波を受けてカンヌ国際映画祭を中止に追い込んだりもしました。映画と政治について考えることはありますか?
内山 考えるのを止めてはいけないことだと思います。日本ではもしかしたら正しく教育を受けないまま思考停止になっていて、そういった問題に目を背けたまま映画を作っているような気がします。目を背けながらでも、エンターテインメントはできると思っている。世界中では信念を持って映画を作り、きちんと批評する文化が残り続けている。政治的な問題を扱う作品はエンターテインメントとしては商品にならないと簡単に仕分けしてしまうのは、表現として単純に面白くないと思うんですよね。知的な視点やメッセージがある映画が全て社会的にも娯楽としても素晴らしい映画ということではありませんが、(政治的な)プロパガンダ映画がまた作られてもおかしくない危うい時代でもあると思うので、作り手たちはどんなエンターテインメント作品を制作したとしても、社会へのコミットメントを忘れてはいけないのではないかと思います。

Photography by Kishin Yokoya

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『若き見知らぬ者たち』

風間彩人(磯村勇斗)は、亡くなった父の借金を返済し、難病を患う母、麻美(霧島れいか)の介護をしながら、昼は工事現場、夜は両親が開いたカラオケバーで働いている。彩人の弟・壮平(福山翔大)も同居し、同じく、借金返済と介護を担いながら、父の背を追って始めた総合格闘技の選手として日々練習に明け暮れている。息の詰まるような生活に蝕まれながらも、彩人は恋人の日向(岸井ゆきの)との小さな幸せを掴みたいと考えている。しかし、彩人の親友の大和(染谷将太)の結婚を祝う、つつましくも幸せな宴会の夜、彼らのささやかな日常は、思いもよらない暴力によって奪われてしまう──。

出演:磯村勇斗、岸井ゆきの、福山翔大、染谷将太、伊島空、長井短、東龍之介、松田航輝、尾上寛之、カトウシンスケ、ファビオ・ハラダ、大鷹明良、滝藤賢一、豊原功補、霧島れいか
原案・脚本・監督:内山拓也
企画・プロデュース:宮前泰志
企画・制作:カラーバード

日本公開:2024年10月11日(金) 新宿ピカデリーほか全国公開
配給:クロックワークス
公式サイト
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