【単独インタビュー】『ぼくのお日さま』奥山大史監督が今撮りたかった成長期の感覚
- Atsuko Tatsuta
第77回カンヌ国際映画祭に選出され注目を集めた奥山大史監督『ぼくのお日さま』が9月13日(金)より日本公開を迎えました。
雪の降るとある町。吃音のあるアイスホッケー少年のタクヤ(越山敬達)が、フィギュアスケートを練習する少女さくら(中西希亜良)に見とれていることに気づいたさくらのコーチの荒川(池松壮亮)は、タクヤに自分が使っていたフィギュア用のスケート靴を貸し与える。やがて、荒川は二人にペアを組むことを勧めるが──。
大学在学中に制作した『僕はイエス様が嫌い』(18年)で第66回サン・セバスティアン国際映画祭の新人監督賞を受賞した奥山大史監督。米津玄師「地球儀」のMV監督、エルメスのドキュメンタリーフィルム『HUMAN ODYSSEY』総監督、是枝裕和総合演出のNetflixシリーズ『舞妓さんちのまかないさん』5、6、7話の監督・脚本・編集(5話は是枝監督と共同監督)と、幅広く活動する中で完成させた長編2作目が『ぼくのお日さま』です。
前作同様に、脚本・撮影・監督・編集を手掛けたオリジナル作品で、今年の第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に日本人として史上最年少で選出され話題となりました。
日本公開に際して、奥山大史監督がFan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。
──カンヌ映画祭ではお疲れさまでした。とても評判が良かったようですね。観客の反応やメディアの反応から改めて感じたことはありますか?
ありがとうございます。そうですね、良い反応があり嬉しい反面、日本の方には当然のように伝わることが伝わりづらかったりと、繊細である反面、危険な部分を同時に持ち合わせている映画なのだと改めて感じました。でも、そういう部分があるからこそ、人の心を動かすのだろうと信じたいです。
──文化的な違いも大きいですね。
はい。例えば主人公の少年の描き方において、入浴するシーンや、コーチとの関係性についてなど、日本でも小児性愛の事件が以前よりも注目されているところがあると思いますが、海外、なかでも欧米はもっともっとセンシティブで、その捉え方の差は肌で感じました。どこまで誤解を生まないように意識をしたかとも聞かれました。また、僕にとっては平凡な親子関係についても、海外メディアの一部の人からは、「ずいぶん冷めきった親子関係で、どうしたの」と聞かれる。こうした指摘や感想は日本の方からは言われませんが、一方で、世界的にはそれがおそらくリアルな反応であるとも思うので、勉強になります。
──カンヌ以降も海外の映画祭をまわられているのですよね?
オーストラリアのシドニー映画祭と台湾の台北映画祭に行って来ました。カンヌに俳優やプロデューサーたちと行った直後、この二つの映画祭にはひとりで行ったので寂しかったのですが、観客の方々がとても温かく迎え入れてくれました。シドニーはシネコンで開催していて、いわゆる街で開催される市民型の映画祭という感じでしたが、『僕はイエス様が嫌い』も上映してくれた映画祭だったので、「おかえり!」と歓迎してくれて、アテンドの方も前回と同じだったので思い出話をしてくれたのも嬉しかったです。
台北映画祭は同じアジアであり、台湾では日本の映画やドラマも多く観られている為か、映画の細部まで伝わっている感覚がありました。台湾に行くこと自体初めてだったので、こんなにも深く伝わるのかと驚きました。上映後のQ&Aでも、キャッチボールのシーンの荒川の「ゴメンね」という言葉に込められた意味を巡って議論になったりして、新鮮でした。上映翌日から観客賞の得票数が貼り出されるのですが、票数も多く、そういう面からも“良かった、届いているんだな”と安心したし、最終日に観客賞、審査員特別賞、台湾監督協会賞をいただけた時は嬉しかったです。
──学生時代に撮った『僕はイエス様が嫌い』がサン・セバスティアン国際映画祭で新人監督賞を受賞し、鮮烈なデビューを飾ってから少し時間が経っていますが、第2作目を作るにあたってどのように制作を進めたのでしょうか?
『僕はイエス様が嫌い』の時は、「これを作ろう」みたいな感じでポッとアイディアが出てきました。大学の卒業制作でしたから、映画館で公開されることすら決まっておらず、映画祭にも“記念応募”のつもりでエントリーしました。「応募が完了しました」という映画祭からのメールのスクリーンショットを撮って大満足していたくらいです。それで終わりのはずだったのに、むしろそこから何だかおかしな方向へ行ってしまったような感覚がありました。就職も決まっていて、さあ仕事を始めようという時に映画祭への出品が決まり、賞までいただいてしまった。それからというもの、インタビューのたびに「次回作は?」と聞かれるようになって、「あれ、また映画を作れるのかな?」みたいに思い始めました。実際に、「この原作をやってみませんか?」といったオファーも嬉しいことにいただきました。
でも、映画祭で出会った方々から「2作目ってすごく大事」と言われたことも頭にありました。カンヌの批評家週間は2作目までが対象作品であるとか。サン・セバスティアンで賞をいただいたニューディレクターズ部門も、2作目までが対象です。つまり、3作目からは名だたる巨匠監督たちと同じ土俵に立たざるをえないことになるよ、と。そんな風に考えると、2作目は原作を持ちかけられて上手に応えようとするのではなく、オリジナル作品でやりたいことをやりきるしかないと思っていたので、長い時間が経ってしまいました。
漠然と、フィギュアスケートを6歳から13歳までの7年間やっていた経験をもとにした映画を作りたいというアイディアはあったのですが、なかなか具体的に脚本に出来ずにいました。僕のフィギュアの生活は、選手を目指していたわけでもなく、すごく平和な、のほほんした日々だったので。あまりにプロットが納得する形にまとまらず、『僕はイエス様が嫌い』はビギナーズラックなのかな、と思う日も少なくありませんでした。
──『ぼくのお日さま』の制作が具体的に動き出したのはいつ頃ですか?
しばらく映画は撮れないかもとも思い、ミュージックビデオや広告を頑張ろうと思っていた時期もありました。スケートを題材にした映画をひとまずプロットにしてみてTV局に持ち込んだりしたのですが、通らず。さあどうしようと思っているうちに、4年くらいがあっという間に経ってしまいました。
そろそろ作りたいな、オリンピックも2回やっているぐらいなのにまだ1作品しか作れていないな、とちょっと焦り始めたときに、コロナ禍に入ってしまった。それによってミュージックビデオや広告の仕事も全部止まってしまった。こんな時こそ映画の企画を考えなきゃと悶々として、音楽を聴きながらだらだら掃除とかをしていたら、流れてきたのがハンバート ハンバートの「ぼくのお日さま」でした。聞いたことのある曲だったのですが、そのときの気分にすごく合って、幼少期の体験も思い出したりもして、この曲の「ぼく」を主人公に映画を撮りたいと強く思いました。それで、ずっと掘り下げていたスケートの話と合わせることによって、企画がグッと進みました。
──それが2020年ですか?
そうですね。2020年の5月あたり、外出自粛期間の真っ最中でした。
──その時はカンヌ映画祭もリアル開催が中止になりましたからね。
そうです。カンヌが中止になったけれど、深田晃司監督のカンヌのオフィシャル・セレクション(“Cannes 2020”)に選出されたというニュースを聞いて、深田さんはどんどんステップアップされていて凄いなと思ったのを覚えています。
その後、少しずつ世の中が動き出し、所属している会社の仕事として、エルメスのドキュメンタリーシリーズの話をいただき、そこで出会ったのが池松壮亮さんでした。そして、この人にどうにか出てもらいたいと考えて、構想を練っていたスケート映画に、荒川コーチという池松さんに当て書きした役を作りました。数枚プロットを池松さんに見せて「こんなものいつか作りたいと思っているんです」と言ったら、まさかのそのタイミングで「出ます」と言ってくださって。そこからは早かったですね。
──そこから脚本をガッツリ書いて?
僕は脚本を書き込まないので、ペラッペラなんです。脚本のページ数は、通常は尺×2と言われますよね。90分の映画なら180ページくらい。でも、僕の場合は90ページにも満たないので、それだけ喋っていない時間が多い。さらに、台本には書いてないシーンをアドリブで演じてもらっているところも多くあります。
──物語はタクヤとさくらという少年少女が主役ですが、それは脚本の初期段階からの設定ですか?
そうですね。もともとタクヤとさくらの他に、もう一人男の子がいました。そのキャラクターの年齢をぐっと上げて、池松さんが演じた荒川というコーチに変更しました。当初は同世代の三角関係を描こうとしていたのですが、結果、今の形になって正解だったと思います。池松さんが芝居をグッと引っ張ってくれますし、あの三人の関係が、ちょっと見たことのない雰囲気なところも良い。
──女性1人、男性2人という三角関係は恋愛映画の定石ですが、この構造は意識したのですか?
意識しました。僕は橋口亮輔監督が大好きです。『渚のシンドバッド』(95年)は2人の男性と1人の女性ですが、男と男の同性愛的な要素もありました。ただ、『ぼくのお日さま』は、池松さんが演じた荒川が同性愛者ですが、小児性愛者ではない。いろんな方向に矢印が向く三角関係を描く上で荒川がタクヤに恋愛感情を持っているようには決して見えないように、脚本を書く時も演出する時も強く意識しました。あとは、グザヴィエ・ドランの『胸騒ぎの恋人』(10年)も好きな作品ですね。
──『胸騒ぎの恋人』からはどのような影響を受けているのですか?
まずはその男2人女1人という設定ですね。そして、画作り。シンメトリーの構図や色の雰囲気。『胸騒ぎの恋人』はフィルムで撮られていますが、そういうフィルムの質感も。ちょっと想像のパートに入ると、思いっきりメタファーに振り切るところも好きです。例えば、マシュマロが降ってくるシーン。あれは本当にイマジネーションの世界。そういう主観的な映像の切り取り方にも影響を受けました。
──ドランはキャラクターもドラマティックだし、クロースアップとかも多用したり、スクリーンからの圧も強い。奥山さんのテイストとはかなり異なるので少し意外でした。
クロースアップは嫌いではないのですが、多用は出来ませんね。特に、本作では少し引いたところで3人を見守るような感じで撮れたら良いなと思っていました。観ている人に正面からアピールする撮り方よりも、お客さんと一緒に寄り添って見守っているような撮り方が出来たらいいな、と。
先日、橋口さんの『渚のシンドバッド』リバイバル上映のアフタートークに呼んでいただいたので再見したのですが、どれだけあの作品から影響を受けたのか改めて実感しました。ちょっと距離のあるところからじーっと見守るようなカット割りで、じっくり撮っていく。演劇的とも言えるような、あのみんなで見守る感じ。
でも、橋口さんやドランに限らず、いろいろな映画を観た上で、自分の中で取捨選択を重ねて、今のスタイルができあがっているのだと思います。
──終盤、さくらが荒川に関して同性愛的な何かを感じているような言葉を投げかけるシーンがあります。それにより、荒川のタクヤに対する感情を意図的に曖昧に描いたようにも見えましたが、このセリフを入れた理由は?
さくらのあのセリフは、子ども独特の暴力性のようなものを描くために入れました。(荒川に対する)失恋のショックで、相手を傷つけたくて、ああいった思ってもない言葉を口にしてしまう。お母さんから言われる一言一言で、いろんな想像をしてしまう。子どもの無知と言うべきか、純粋さと言うべきか、それ故の残酷さと言っていいかもしれません。
日本の映画やドラマだと、同性愛の人の描き方が記号的になりすぎている気がしていました。もちろん橋口さんの映画とかは違いますけれど。ある男性が同性愛者であるとなった途端、まわりの男が「自分は好かれているのかも」といった展開に急になったりする。でも、男女だとそうならない。相手の女性が異性愛者だからと言って、まわりの男は自分が好かれているなんて思わない。荒川の存在は、もっと普通に“ただそこにあるもの”というニュートラルな存在で描きたかったんです。
──その子どもの暴力性で言うと、今年のカンヌ映画祭のクィアパルム賞の審査員長をしていたルーカス・ドン監督の『CLOSE/クロース』(22年)や是枝監督の『怪物』(23年)にも通じるところがありますね。特に、『CLOSE/クロース』はその部分をもっと押し広げて描いていたわけですが、ご覧になっていますか?
ルーカス・ドンはとても好きな監督です。『CLOSE/クロース』は観たほうがいいと周囲から勧められたのですが、日本の公開が2023年(7月)だったので、結局観れたのは撮影が終わってからでした。だから、影響を受けているとは言えないのですが、その前の作品『Girl/ガール』(18年)はもちろん観ていましたし、音楽の面では正直、影響を受けています。つまり、音楽を使用している箇所が少なく、肝心なところであえて使っていなかったりする。
挙げられた2作品に限らず、いろいろな作品を観る中で、子どもをただ純粋な生き物であるように見せるのは違うなと常に思っていました。僕個人としても子ども時代を思い返すと、意外といろいろなことが分かっていました。自分がマセていたわけでもなく。実はわかっているのに、子どもっぽさを出そうと振る舞っている時もある。そういう感覚を忘れないうちに(映画として)撮っておきたいという思いがありました。
──先ほど、影響を受けたと名前を挙げられていたグザヴィエ・ドランですが、『マティアス&マキシム』(19年)は、彼が初めて同性愛というテーマを真正面から見つめた作品です。その中で、友人の妹で映画を撮っている大学生が登場しますが、彼女は同性愛に関してまるで屈託がない。ドラン自身は同性愛者ということに対して抑圧も葛藤もずっとあったけれど、今の10代にはそれがない。友人の妹はその象徴だというようなことを言っていました。LGBTQの捉え方は世代によっても違うと思いますが、奥山さんはいかがですか?
ドランの映画、例えば『マティアス&マキシム』なども、同性愛を日常的に捉え当然のものとして描いている。ただ、日本では生きづらさを抱えている人もまだまだ多いと思います。僕の親友はゲイであることを公言していますが「日本は“オネエ”には優しいけど、ゲイを無視する」という言い方をしていました。この言葉は彼の主観ですが、女性的な仕草や言葉遣いをするキャラクターとしてのオネエではなく、見かけも喋り方も一見ヘテロで恋愛対象としては男の人が好きだという人を、人々がどれくらい日常的に当たり前のように捉えているのか。もし、彼のように違和感を感じている人がいるのであれば、そこに生きづらさがあるのではないか。だからこそ、今回は話し方やルックスでは見分けがつかない、普通の暮らしをしている同性愛の男性を描きたいと思いました。
──今回、池松さん演じる荒川には、若葉竜也さん演じる同性の恋人であり同居人がいます。作り手、そして演者の“当事者”問題に関してはどのように考えていますか?
難しい問題ですよね。まずは作り手の僕自身が同性愛者ではないということ。けれどフロイトが、性自認をする前に男の子は同性を好きになる時期が無意識的にあるというようなことを言っていたと思うのですが──どこまで現時点での科学的論拠があるのか分かりませんが、それは僕自身にも覚えがあります。なので、そういう時期の感情を描けたら良いなとも思っていました。結果的に、同世代の男の子が、荒川というコーチに設定が変わることに伴い、物語も変わってきたのですが。その時の感情、感覚を思い返しながら、作っていきました。
一方で、「同性愛の役は同性愛の俳優が演じるべき。耳が聴こえない人は耳が聴こえない役者が演じるべき」という動きがありますね。僕は、その方が作品として良くなりそうならそうすれば良いし、他の俳優の方が良くなりそうなら、当事者ではない俳優で作れば良いと思います。一概に当事者であるべきとも、当事者でなくて良いとも思いません。例えば、先日NHKでドラマ『ユーミンストーリーズ』(第3週「春よ、来い」)を撮ったのですが、川上弘美さんの原作には、目の見えない少女が登場します。脚本を練っている段階で、主人公が持つ特別な力を使う対象の候補として目が見えない少女を描くのは、障がいを持った方に対して上から目線に見えてしまうのではないかという意見も出ました。原作を尊重したかったこともありそのままにしましたが、俳優は、実際に視覚障がいを持つ方に演じていただきました。その場合は、障がいを持った少女をきちんと描くことで、視聴者にもより違和感なく受け取られるのではないかと思ったからです。
それから、当事者の方が観たときに傷つく可能性がある映画ならば事前にトリガーアラートとして表示した方がいいという意見も、SNSなどでよく見かけるようになりました。これも難しい問題です。確かに予告である程度匂わせる必要はあるのかもしれないと思いつつ、それが加速していくと、ゆくゆくはテレビ放送のようにすべて「傷つく可能性があります」みたいなテロップ出していこうとなるのかな、と。それが正しいかどうか、チケットを買う人の多くが望むことなのかどうか、判断が難しい。でもだからといって、傷つく心配のある人は、映画館に来なければいいとは言えないです。
ただ、こういった流れに対してひとりの観客として思うのは、映画館ってそんなに安心安全な場所なんだっけ?と。正直、僕だってめちゃめちゃ傷ついて、一時は立ち直れなくなるような映画に出会ったこともあります。同様に、人生においても同じくらい、いやそれ以上に傷つくことがあるわけで、そこから逃げるわけにはいかない。(実生活で)思いもよらない事態に直面した時に耐えられるように、免疫をつけてくれた映画だって僕にはあります。痛みを描いているからこそ、自分が抱えている痛みに寄り添ってくれた映画もあるんです。ただ、繰り返しになりますがこれは、映画館に通ういち観客としての思いです。作り手としての意見を求められたり、「同性愛の人があのシーンをこんなふうに解釈したらどう思うと思いますか」とか問われると、確かに難しいなと思います。
──前作に続き、『ぼくのお日さま』でも脚本・撮影・編集も手掛けていますね。カメラと被写体との距離感は奥山さんの感覚を直接的に反映されているのですね?
はい、自分の感覚に近いと思います。カットを割るのは自分ですし、レンズを選ぶのも自分なので。レンズを選ぶ時に、“このくらいのミリ数がいいな”と心地良く思うのは、普段自分が物事と向き合いたくなるような距離感だという自覚はあります。
──自分で撮影することは、奥山さんの映画制作において重要なことですか?
今のところはそうなってしまいますね。テレビドラマを撮る時に他のカメラマンにお願いすることもあるので、他の人に撮影を任せる良さも十分にわかっていますが、僕にとっては、撮影をすることこそ“演出”です。お芝居をつけることももちろん演出ですが、単純にここから撮るか、もう一歩前で撮るか、カメラ位置は変えずにレンズで寄ろうかなど、そうした選択の積み重ねによってもお芝居の見え方は大きく変わります。
光も重要です。笑顔で話していても、逆光で顔の表情に陰が落ちていたら悲しんでいるように見えるかもしれない。それもやはり演出ですよね。僕の場合、そういった演出にも入り込んでいきたいという思いが強くあって、今のところ映画では──特に自分で脚本を書いたものであれば、自分で撮影を務めることが必須です。自分が撮影で様々な要素を補完することを前提に、余白の多いゆるい脚本を書いているということもありますし。
──だから脚本はあまり書き込まないのですね。
書き込めないとも言えます。書き込んでいくと、「それを撮らなきゃ」と視野が狭くなって、大事なことを見逃しかねないので。今回でいえば、例えばモナカという飼い犬をめぐる表情とかを「しんしんと降り頻る雪をどことなく寂しそうに見つめるモナカ」などと書き込んでいけば、脚本上はどんどんそれっぽくなっていくのですが、実際そのように撮れるかどうかがわからない。なので、そういうシーンは「犬小屋にいるモナカ」としか書かない。あとは撮影する時に、犬の表情がどうやったら効果的に映せるかなと探りながら撮っていく。これはもちろん犬に限らず、人に関しても同じ考え方で、なるべくシンプルな言葉で「誰が何をする」だけを書いておいて、あとは撮りながら、撮るべきものを探していきます。なので、プロの脚本家が書いた脚本を読むこともありますが、僕が書いたものとは全く違うものだなと思います。
──製本された脚本が薄いと言われて思い出したのが、ソフィア・コッポラです。『ロスト・イン・トランスレーション』(03年)という彼女の長編第2弾は、日本でゲリラ的に撮影されたものです。実際の撮影現場に行きましたが、脚本はかなり薄かった。それがアカデミー脚本賞を受賞したのはちょっと皮肉めいています。彼女は10代の頃にフォトグラファーとしても活動し、その後映画監督デビューしますが、奥山さんの画のテイストは、その頃のソフィア・コッポラに近い気がします。
たしかにソフィア・コッポラも臨機応変にいろいろ変更する監督で、「明日はカラオケを撮りたい」とか、そういう要望に応えていく現場だったと、当時協力していたスタッフさんから聞いたことがあります。僕の場合は、是枝さんとドラマで一緒に仕事をさせていただいたことも大きいと思います。是枝さんは、「明日撮るシーンはやっぱりこうしよう」といったことを絶妙にスタッフが対応できる範囲内で変更していく監督で、その柔軟性は誰も真似できないと思います。さらに、撮りながら脚本を書き変えていく。俳優、特に子どもを撮る場合は、撮りながら知った本人たちが元々持っている魅力をどんどん脚本に取り入れていく。そういう即興性は今回の撮影時にも意識しました。
──例えばどういうシーンですか?
一番わかりやすいのは、3人でカップラーメンを食べているシーンですかね。今回、物語的には時代設定を明確に表現はしていませんが、美術部には2001年の設定と話していました。荒川の恋人の五十嵐(若葉竜也)が冒頭でカップラーメンすすりますが、あのシーン用に昔のパッケージのカップラーメンをいくつも用意していました。若葉さんの演技のおかげですぐに良い画が撮れたので、カップラーメンがまだ余っているという話をロケバスでしていたら、それ聞いた池松さんが、「じゃあこのスケートリンクで食べるシーンを撮りましょうよ」と。それで、タクヤ荒川の2人で食べているシーンやさくらも含めた3人で食べているシーンを追加で撮影しました。
この映画はまず北海道で15日間撮って、そのあと岩手へ移動して、リンク内で10日間撮りました。岩手へ移った頃にはこの組のやり方をみんな掴んでいたので、助監督さんも「じゃあ追加しましょうか」とすぐに各部署と相談を進めてくれて、とても助けられました。
──撮影クルーは何人くらいだったのですか?
メインとなる冬編は30人くらいだったと思います。雪が溶けてから5日間くらいだけ映画の最初と最後の雪がないシーンを撮影しましたが、その時は10人にも満たない超少人数体制で撮影しました。
──前作からは6年空きましたが、次作はいつ頃撮れそうですか?
作りたいものを作り続けられたらいいなという気分になりつつあります。でも絶対に次の作品を考え始めなければダメだし、もう少し新しい挑戦もしたいので、「こういう映画はどう?」という新たな提案には、きちんと耳を傾けていきたいと思っています。
Photography by Kisshomaru Shimamura
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『ぼくのお日さま』
吃音をもつホッケー少年・タクヤ(越山敬達)は、「月の光」に合わせフィギュアスケートを練習する少女・さくら(中西希亜良)の姿に、心を奪われてしまう。ある日、さくらのコーチ荒川(池松壮亮)は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て何度も転ぶタクヤを見つける。タクヤの恋の応援をしたくなった荒川は、スケート靴を貸してあげ、タクヤの練習をつきあうことに。しばらくして荒川の提案から、タクヤとさくらはペアでアイスダンスの練習をはじめることになり……。
監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
出演:越山敬達、中西希亜良、池松壮亮、若葉竜也、山田真歩、潤浩 ほか
主題歌:ハンバート ハンバート
90分
日本公開:2024年9月6日(金)〜8日(日)テアトル新宿、TOHOシネマズシャンテにて3日間限定先行公開、9月13日(金)より全国公開
配給:東京テアトル
公式サイト
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