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2024.07.25 7:00

【単独インタビュー】『化け猫あんずちゃん』久野遥子&山下敦弘監督が挑んだロトスコープで描く長編アニメの可能性

  • Atsuko Tatsuta

森山未來が37歳の化け猫の声と動きを 演じる日仏合作アニメーション『化け猫あんずちゃん』が7月19日(金)に全国公開されました。

雷の鳴る豪雨のなか、お寺の和尚さんに拾われた子猫は「あんず」と名付けられ、すくすくと成長。いつしか人間の言葉を話し、人間のように暮らす「化け猫」になっていた!移動手段は原付。お仕事は按摩のアルバイト。現在37歳。そんな時、親子ゲンカの末ずっと行方知れずだった和尚さんの息子・哲也が11歳の娘「かりん」を連れて帰って来るが、また娘を置いて去ってしまう。仕方なくあんずちゃんは、かりんの面倒を見ることになり──。

いましろたかしによる同名漫画を原作に、『花とアリス殺人事件』(15年)で23歳という若さでロトスコープディレクターに抜擢され、アニメーション・漫画・イラスト各方面から注目を集める気鋭のクリエイター久野遥子と、『リンダ リンダ リンダ』(05年)や『カラオケ行こ!』(24年)などのヒット作で知られる山下敦弘が監督。

実際にキャストが演じる姿を撮影した映像をもとにアニメーション化する「ロトスコープ」を用いたことでも注目される本作は、第77回カンヌ国際映画祭の監督週間や、アニメーション映画祭の最高峰であるアヌシー国際アニメーション映画祭のコンペティション部門に選出され、高い評価を受けました。

待望の日本公開に際して、久野遥子監督と山下敦弘監督がFan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。

山下敦弘監督、久野遥子監督

──『化け猫あんずちゃん』を楽しく拝観しました。カンヌ国際映画祭の監督週間やアヌシー国際アニメーション映画祭コンペティション部門に選出されましたが、日本での劇場公開に先立ち上映された映画祭でのリアクションをどのように受け止めましたか?
山下 僕はカンヌ映画祭に参加するのが初めてだったので、まずカンヌ自体に圧倒されましたね。イメージ通りと言ったらその通りでしたけど。ただ、監督週間の中でも、『あんずちゃん』は異質だった気がします。カンヌらしいエッジの効いた攻めた作品が多い中で、ちょっと癒しのような立ち位置だったこともあり、喜んでもらえたな、という感じでしたね。観客や映画祭の方々から、『あんずちゃん』に癒されたと言っていただけたのは嬉しかったです。

──メディア取材も受けたと伺っていますが、海外ジャーナリストの反応はいかがでしたか?
久野 素直に面白がってくれているのかなと感じました。“地獄”のパートに興味を持っていただいた方も結構いました。おそらく仏教に対する感覚も日本と違うので、そういう所にも興味を持っていただけたのかなと思いました。

山下 取材する側も困ったのかもしれませんね(笑)。何を聞いていいのか、質問が難しいというか。

カンヌでの公式上映 ©Kazuko Wakayama

──日本の映画界におけるアニメーションの存在は大きいですが、海外でも日本アニメの注目度および期待値は大変高いと思います。『化け猫あんずちゃん』は、ロトスコープという手法を使ったアニメーションですが、監督週間のアーティスティックディレクターのジュリアン・レジ氏とは、この作品を選出した理由などについて話したのですか?
山下 はい、ジュリアンさんとはお話ししました。監督週間としてはアニメも積極的に選んでいきたいといったことを仰っていましたが、『あんずちゃん』も本当に気に入ってもらえているという印象を持ちました。

久野 でも、他の上映作品の監督らと一緒に大勢で食事をした時とかは、『あんずちゃん』はギャグ担当のような立ち位置で……。

山下 監督週間側としては「尖ったやつばっかりじゃないぜ、俺たちこういうのも選ぶんだぜ」という感じ(笑)。

──最初、お二人のコラボレーションを聞いた時、そのテイストの違いから異色の組み合わせという印象を持ったのですが、近藤慶一プロデューサーが仲介されたと伺いました。お互いそれぞれの仕事にどのような興味を抱き、今回のコラボレーションが実現したのでしょうか?
山下 久野さんとはこの企画をきっかけに知り合いました。それまでアニメは、自分とはまったく違うところにあるものという認識でした。だから、久野さんの作品などを見せてもらい、ロトスコープの面白さを初めて知りました。

久野 私は中学生の時に『リンダ リンダ リンダ』(05年)を観ていました。大学の後、就職してすぐくらいのお正月には『もらとりあむタマ子』(13年)を観て、ミニマムなのに映画的にすごく面白いし、可愛くて 、「なんだろうコレ、めちゃくちゃ良い」と思いました。特に、仕事を始めたばかりで疲れていたこともあり、とても癒されました。その後、『花とアリス殺人事件』(15年)にスタッフとして関わった時に、実写の助監督をしていたのが近藤さんでした。「俺、『もらとりあむタマ子』の助監督だったよ」って。

──どのような感じで打ち合わせは進んでいったのですか?
山下 最初ってどこだったんだっけね?

久野 最初の日、山下さんが遅刻した記憶があります(笑)。それ以降、一度も遅刻してないですけどね。

山下 僕は、アニメが初めてということもあり、発起人の近藤プロデューサー任せというところがあったと思います。どうやってやるか分からないけど、久野さんも僕もいましろさんの原作が好きだったので、この作品を好きな人となら話が合うという安心感がありました。

久野 私としては、山下さんは既にたくさんの作品を撮っているすごい監督という印象だったのですが、実際にお会いすると全く威圧感がなく、ほっとしました。こちらの話もよく聞いてくださって、フラットに接することを大切にしてくださっていたので、最初から楽しく 作れるのではないかなと思っておりました。

──原作のどういうところがお二人に響いたのでしょうか?
山下 僕は『化け猫あんずちゃん』以外のいましろさんの作品も全部好きです。いましろさんの作品は、すべていましろさんの世界なんです。『あんずちゃん』はコミックボンボンという子ども向けのマンガ雑誌に連載したもので、いましろ作品の中では特殊ではありますが、それでも、いましろさん自身が作品の中に滲み出ている。そこはブレない。考え方や憤り、怒り、面白さとか。『あんずちゃん』で言うと、あんずちゃん自体がいましろさん自身。なおかつ『あんずちゃん』は他にはないキャッチーさがあり、広がりがあると思いました。

久野 私もいましろさんの漫画がすごく好きです。男の人の中にある悔しい気持ちとか、負けてしまう瞬間みたいなことをつぶさに描いている。逆に言うと、しっかり描きすぎて身も蓋もなくなったりする感じとかも含めて、とても好きです。でも、『あんずちゃん』はその感じがありつつも、あんずちゃん自身が猫なので、微妙に責任感がないところが面白い。人だったら許されないことも猫だと可愛いよね、と面白がれます。

──原作の映像化はプレッシャーがかかるものですが、脚本はどのように進めたのですか?
山下 稿が進むたびに脚本家のいまおかしんじさん、プロデューサー、監督が全員集まって意見を出し合い、いまおかさんにまとめてもらってというのを、それこそ足掛け6 年くらいやっていましたね。

──6年ですか!
久野 『あんずちゃん』が具体的に始動するまでに時間かかってしまったので、切磋琢磨しながら脚本を練る以外やることがない、という部分もありました。

山下 でも、そこでお互いのやりたいことが見えてきました。途中でかりんちゃんの話にどんどん寄っていった時期もありました。「いや、あんずちゃんの話なので」と周囲から言われて戻ってきたり。

──結果的に、脚本に十分に時間をかけられたところが良かったのですね。何稿までいったのですか?
久野 15、16稿はいっているかな。一番最初の脚本は、東京に行くというくだりもなければ地獄のくだりもなかったりと、かなりシンプルな物語でした。

山下 そう。かりんちゃんがこの街に来て東京に戻るまでの話でした。

──“地獄”のパートは大変重要と言いますか、この作品をキャラクター付けている大きな要素ですよね。
山下 そうですね。何年もかけて作り上げたものです。

久野 あれは一発で出てこないアイディアだなと思いますね。

──どのような経緯で“地獄”のパートが入ることになったのですか?
山下 細かくは覚えていないのですが、フランスのMiyu Productionsという会社が共同制作として参加し、映画化が現実味を帯びてきた時、フランス側が「妖怪のエピソードをすごく気に入っている」という話が入って来ました。そんな時に、プロデューサーの近藤君が「地獄ってどうですかね」とアイディアを出してきたような気がします。

久野 そうですね。「首都高をカーチェイスするのもどうか」というのも近藤さんから出てきたアイディアでした。

山下 僕は実写畑なので、そんなお金のかかりそうな発想は全くありませんでした(笑)。ああ、アニメなら出来るんだなあ、と。だからカーチェイスとかはもう久野さんに丸投げ。仕上がりを楽しみにしていました。

久野 実写で撮影できないところは、こちらでコンテを書いて作りました。

──どのあたりが実写で撮れないパートだったのですか?
山下 首都高の部分ですね。

久野 車に乗っていたり、あんずちゃんがバイクに乗っているシーンは撮影が大変なので、アニメで作りました。それから、スケジュールの都合で撮れないからアニメでやりましょう、となった部分も少しだけあります。

──あんずちゃん役を森山未來さんが演じていますが、実際の映画ではアニメーション化されて森山さんの顔はスクリーンに映らないわけです。キャスティングの際は、どのように俳優たちを説得したのですか?
山下 もちろんみんなアニメ化されることを前提として、納得して演じてくれていたのですが、森山さんだけはわざとブーブー言っていましたね(笑)。「俺、結局、出ねえもん」って。それでも、実写の撮影中はみんな楽しんでくれている感じがありました。アニメになるという事も考慮して演技プランを考えてくれたり。人によって差はありますが、普段はやらないだろう大げさな芝居を入れ込んできた人もいます。弦巻のおじいちゃんというキャラクターを演じた、僕の映画によく出てくれる康すおんさんは、またものすごいヘンな芝居をしてきた。実写だと見たことがないような、「そこまでやる?」というやり過ぎ感のある演技でしたが、アニメになると案外普通になる。なので、康さんのプランをそのまま採用しました。

──森山さんにはどのように演出したのですか?
山下 ほとんどしていません。実は森山さんには、パイロット版を作る時にも出演してもらっていて、それがアニメになった映像も観ていたので、本編を撮るときは「またやるんですね」と、もう馴染んでいたような感じでした。たまに猫っぽい動きとか入れてもらったりはしましたけれど、森山さんは身体能力がすごく高いので、そういう無茶なことも現場でちょこちょこ相談したりしていましたね。

──あんずちゃんは、擬人化されているとはいえ、猫ですからね。
山下 そうですね。猫っぽい動きをどこかで入れたいとは予め伝えていたと思います。例えば、あんずちゃんが自転車を盗まれて暴れるシーンで、森山さんは勝手にバーって縁廊下を走ったりする。僕が具体的な演出をつけているわけではなく、「猫ってああいう動きしますよね。夜中に急に暴れ出しますよね」と、森山さんがあのような動きをしてくれました。

──森山さんにあんずちゃんをオファーした理由のひとつは、身体能力の高さだったのでしょうか?
山下 森山さんはある種、身体全体で芝居する人ですよね。だからアニメにした時に、森山さんの良さも絶対に残るだろうと思いました。そこはもう、『苦役列車』(12年)という映画で一緒にやっているので、ある種の信頼感というか。それに、こういう変わった企画に本人も絶対乗ってくれるだろうという思いもありました。

──完成したアニメ作品を観た俳優の方々の反応はどのようなものでしたか?
久野 貧乏神役の水澤紳吾さんはめちゃくちゃ嬉しそうでした。実写の映画とも違うというか、自分だけど自分じゃない感じが面白いというような。

山下 (かりんの父親・哲也役の)青木崇高さんのような人間のキャラクターを演じてくれた方の感想はまだ聞いていないのですが、キャラクターに自分の原型が残ってない人ほど喜んでいた感じがあります。でも、基本的にこの原作の面白さを理解してくれていた人も多かったので、みんな喜んでくれているように感じました。

──改めてお伺いしたいのですが、ロトスコープという手法を使ったアニメーションの利点は何でしょうか?
久野 ロトスコープは、実写をトレースしてアニメ化するという技術ですが、森山さんの演技をそのままトレースしても、あんずちゃんにはなりません。そもそも造形が違うこともありますが、そのまま猫として描いても、動きとか顔の表情とか、全て小さく見えてしまう。トレースした後にさらにコントロールするというのがテクニックで、個人的にはそこがこの手法の面白い部分です。もちろん実写での俳優のお芝居が素晴らしいものであるという前提で、その上にさらに何を加えていくのかが、それぞれのアニメーターの腕の見せ所でもあり、頑張り所。なので、この作品はとても張り合いがありました。

──一般的なアニメーションと絶対にここが違うという部分は?
久野 商業アニメ、特にテレビシリーズなどでは、毎週作品を仕上げなければいけないこともあり、動きをある程度制限、つまり無駄に動かすなと言われたりします。“止め”で美しく見せるのが、日本のアニメの美徳のひとつでもあります。実際それはそうなのですが、反対に、ロトスコープではそれができない。(実写の)役者さんが止まっていない以上、アニメーションの絵を止めること自体が難しい。なのでそういう意味では、アニメで何が嘘なのかが、ロトスコープだとわかります。アニメだと歩いているときはずっと歩き続けながら喋るか 、立ち止まったり座ったりしてから止まった状態で喋るかのどちらかが 普通なのですが、現実の人は歩きながら喋って、途中で座りながらもずっと喋っていることもありますよね 。俳優さんが首を細かく振っていたり、そういう生の人間が普通にとる行動が、絵になることで再発見できるのは、面白いところです。

──それが、実際に完成した作品の特徴になるわけですね。
久野 そうですね。ロトスコープの特徴なので、それを活かさないと。

山下 一般のアニメはロトスコープを使ったアニメよりワンカットの秒数が少ないんですよね。ある種の効率や、見せ方の流れの影響だと思いますが。僕らの『あんずちゃん』はお芝居の流れを優先して実写を撮っているので、ワンカット30秒とか40秒とかがざらにあります。ただ歩いて移動するだけのシーンも、普通だったら割ってもいいのですが、ちゃんと時間をかけて描いています。実写をトレースしてアニメ化したという点では、おそらく時間の使い方が普通のアニメと違うと思います。そこがキャラクターのリアリティの説得力になっているような気がします。

──そういう意味では観客も、アニメでありながら、実写を観る感覚で観ることができるのかもしれませんね。
久野 そう感じて欲しいとも思いつつ、アニメの向こうに実写が透けて見えないようにはしたいと思います。アニメとして楽しんでもらいたい。生っぽすぎてあんずちゃんの裏に森山さんが見えてきちゃうよね、というよりは、森山さんのエッセンスがありながら、観客にはあんずちゃんというキャラクターに没頭して欲しい。

山下 僕のようにまったくアニメを作ってこなかった人間が、いつも通りの撮り方で撮っちゃったものを、久野さんが実写の間合いなどを残しつつ、きちんとアニメにしてくれた。だから、ロトスコープではありますが、久野さんの中で一度変換して、アニメに置き換えてくれている作品になっていると思います。つまり、久野さんがもう一回演出し直している感じ。そこがすごく面白いし、おそらく他のアニメと全く異なる部分なのかなと思います。

──とても興味深いお話ですね。久野さんの作家としてのカラーがきちんと出ているということですね。それはロトスコープという手法を使ったアニメでは通常のことなのでしょうか?
久野 そうですね。ロトスコープの作品、特に長編は、これまで日本でほとんど作られてこなかったので断定はできないのですが、おそらくこれからいろいろなやり方が出てくるのではないかと思います。これまでロトスコープという手法は、踊っているシーンやアクションシーンといったアニメでは描きにくい動きを描きたい時に使われることが多かったです 。今回の面白いところは、通常のお芝居の部分も含めてほとんど全編で使っているので、俳優のお芝居の面白いニュアンスが抜けないように、俳優の表情やポーズを意識しました。

──日本でのロトスコープを使った長編は少なかったとのことですが、今後この技術を使ったアニメーションは増えていくのでしょうか?
久野 技術的にはデジタルでないとやりづらく、今はソフト的にかなりやり易いということもあるので、そういう意味では増えるかなと思います。

山下 でも、それでも久野さんがやったことは特殊だと思いますよ。手法としては、興味を持ってやる人がいるかもしれませんが、『あんずちゃん』のような作品にはならないかもしれません。

──山下監督は今回初めてアニメに関わり成果を残したわけですが、またこの手法で作品を作りたいと思いますか?
山下 なんて言ったらいいのかな。僕がやって、きちんとした手ごたえのある作品が出来ることがわかったのは嬉しいです。もちろん可能性はあると思いますが、もし次にやるとなると、余計に慎重になりますね。出来ることと同じように、何が出来ないかもわかってきたので。今回は無我夢中で、ある種実験的にみんな手探りで作ったアニメですからね。

──実写部分だけを担当したとしても、作家性は奪われないという?
山下 そうですね。でもそれが次に同じようにできるかは分かりません。

──お二人の相性も良かったということですね。
山下 お互い原作が好きだったこともあり、このバランスが良かったのだなと思います。

──先ほども話に出ましたが、フランスのMiyu Productionsが製作に関わっています。なぜフランスとの共同製作にしたのですか?
久野 初めから考えていたわけではありません。日本でいろいろなところに企画を持ち込んだりはしていたのですが、原作がすごく有名なわけでもなく、アニメ的な魔法やアクションといった見せ場があるわけでもなく、また、映画になったときのイメージがしにくいこともあり、なかなか動きませんでした。そんな時、Miyu Productionsの方々がたまたま私の卒業制作『Airy Me』(13年)を知っていて、「やりたいことない?一緒に仕事しない?」と声をかけてくれました。まだ脚本を作っている最中だったのですが、他に手持ちのものもなかったので『あんずちゃん』の話をしたところ、「面白いね、この作品一緒にやろうよ」となりました。

──フランスでは大人向けのアニメーションも多く作られていますよね。観客層はどのように考えたのですか?
山下
 子ども向けということは、実はフランス側からむしろ意識させられました。脚本の段階で、「子どもも観るからこういう表現はちょっと……」という意見もいただきました。もちろん僕たちも子どもに観て欲しいと思っていたのですが、でも、今思い返すと初稿は完全大人向けというか、結構渋い映画だったと思います。

久野 渋いですし 、日本人からすると多分、この作品は子ども向けとはあまり思わないですよね。でもフランスではこれは家族で観る映画だと最初から言われました。

山下 100人中100人の子どもが楽しめるかはわかりませんが、でもこの作品が届く子どもたちは絶対にいると思います。特にフランスはそうですね。日本よりも子ども向けとして宣伝していくだろうし、子どもたちも観ると思うので、観てほしいと思います。

久野 アヌシーやカンヌでは、観客に子どもたちもいました。特にカンヌでは、子どもたちを上映に呼んでいたのですが、大人が笑うところと子どもが笑うところが違ったりして、面白かったですね。そういう映画は豊かだなと思うので、嬉しかったです。

──今年のカンヌ国際映画祭では、スタジオジブリが名誉パルムドールを受賞しました。海外に出ると、宮﨑駿監督やジブリ作品からの影響について聞かれることが多いのではないですか?
山下 スタジオジブリが受賞する年に、『あんずちゃん』がカンヌで上映されたのは偶然ですが、確かに、特にカンヌではジブリに関する質問が多かったですね。僕もアニメはあまり観ていないと言いつつ、ジブリアニメは観て育ったので、ベースには“アニメ=ジブリ”というのが自分の中にあると思います。ジブリアニメというのはもう、日本人にとってある種の基準ですよね。

久野 『あんずちゃん』を作っている時に特に意識したことはありませんでしたが、おそらく影響を受けているという自覚もなく影響を受けているぐらい、私の成長と共にジブリの作品があったと思います。カンヌでは、何かとジブリと結びついた質問をされたので、世界の人たちにとって日本のアニメの中でジブリがどれだけ大きい存在なのかを改めて再確認しました。

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『化け猫あんずちゃん』(英題:Ghost Cat Anzu)

雷の鳴る豪雨の中。お寺の和尚さんは段ボールの中で鳴いている子猫をみつける。その子猫は「あんず」と名付けられ、それは大切に育てられた。だが、おかしなことに10年・20年経っても、死ななかった。30年たった頃、どうした加減なのかいつしか人間の言葉を話し、人間のように暮らす「化け猫」になっていた。移動手段は原付。お仕事は按摩のアルバイト。現在37歳。そんなあんずちゃんの元へ、親子ゲンカの末ずっと行方知れずだった和尚さんの息子が11歳の娘「かりん」を連れて帰ってくる。しかしまた和尚とケンカし、彼女を置いて去ってしまう。大人の前ではいつもとっても“いい子”のかりんちゃん。お世話を頼まれたあんずちゃんはしぶしぶ面倒をみるのだが、どうも一筋縄ではいかない気配が……。

監督:久野遥子、山下敦弘
原作:いましろたかし「化け猫あんずちゃん」(講談社 KCデラックス 刊)
脚本:いまおかしんじ
キャスト(声・動き):森山未來、五藤希愛、青木崇高、市川実和子、鈴木慶一、水澤紳吾、吉岡睦雄、澤部渡、宇野祥平
制作:シンエイ動画×Miyu Productions
製作:化け猫あんずちゃん製作委員会
実写制作協力:マッチポイント 

日本公開:2024年7月19日(金)全国公開
配給:TOHO NEXT
公式サイト
©いましろたかし・講談社/化け猫あんずちゃん製作委員会