【単独インタビュー】『悪は存在しない』濱口竜介監督を導いた光とゴダールの謎
- Atsuko Tatsuta
※本記事には映画『悪は存在しない』のネタバレが含まれます。
第80回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞した濱口竜介監督最新作『悪は存在しない』が4月26日(金)に日本公開されました。
長野県・水挽町。自然が豊かな高原の小さな町に、グランピング施設の建設の話が持ち上がる。政府からの助成金を目当てにプロジェクトを進めている東京の芸能事務所の社員・高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)による住民説明会に参加した人々は、町の貴重な財産である水源を汚染しかねない杜撰な計画に憤る。高橋らは、この町に代々住んでいる“なんでも屋”の巧(大美賀均)に相談を持ちかけるが──。
初の商業映画『寝ても覚めても』(18年)がいきなりカンヌ映画祭コンペティション部門に選出、2021年には長編第2作目『偶然と想像』(21年)が第71回ベルリン国際映画祭で審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞、同年の第74回カンヌ国際映画祭では『ドライブ・マイ・カー』(21年)が脚本賞を受賞し、さらに同作で第94回アカデミー賞国際長編映画賞を獲得し、国際的な評価を決定づけた濱口竜介監督。最新作『悪は存在しない』は第80回ベネチア国際映画祭で審査員グランプリ(銀獅子賞)を受賞したことにより、三大映画祭すべてで受賞を果たすという日本人監督としては黒澤明以来の快挙を成し遂げました。
『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』で音楽を担当した音楽家の石橋英子から、ライブパフォーマンス用の映像制作を依頼されたことを起点とする作品。そのユニークな製作の成り立ちや新たなる挑戦について、ベネチアでのワールドプレミア直後(授賞式前)に現地で行ったインタビューで、濱口竜介監督がFan’s Voiceに語ってくれました。
──『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』で音楽を担当された作曲家の石橋英子さんから、ライブで使用する映像を依頼されたことをきっかけに始まったプロジェクトだと伺っています。その映像がどのようにして劇場映画に発展していったのですか?
最初に映像制作の話をいただいてから、それなりに長い時間、コミュニケーションを重ねるうちに石橋さんが求めていらっしゃるものがわかってきたので、普段、映画を撮るような方法で撮ることからまず始めようとしました。それも、言ってみればいかようにも使えるような素材が撮れるような。
──“いかようにも使える素材”なんてあるのですか?
ないです(笑)。編集段階で、そんなものはなかったと気づくのですが、ひとまずはある程度自由度が高い素材を撮れるような脚本を書き、撮影をして、最終的にそのフッテージからライブパフォーマンス用の映像を作ろうとしていました。なぜそうしようと思ったかというと、ライブ用の映像といっても、脚本を書いて俳優を演出した映像でないと、画面としてペラペラなものになってしまうことは、経験上わかっていたので。俳優がきちんと存在感をもってそこに立っていないと、石橋さんの音楽と並び立てないだろう、と考えました。
なので、まず普段やっているように「物語映画」を作ることにしました。ただ、最終的に映画としても完成させようと思ったのは、撮影中です。俳優さんみんなが本当に素晴らしかったので、この声がきちんと(観客に)聴かれないのは損失だろうと思いました。俳優の演技や人々の関係が、より分かりやすいものとしてそこには存在しています。
──当初は劇場公開を想定せずに脚本を書いたということですか?
そうです。最初は自主映画みたいなものとして始めたのですが、撮っていく中で想定以上に規模が大きくなってきてしまったので、『偶然と想像』で一緒に仕事をした(プロデューサーの)高田聡さんに入っていただいて、予算を確保し、最終的には劇場公開もしたいと思うようになりました。
──オーガニックにプロジェクトが膨らんでいったという感じなのですね。
そうですね。最初、あまり細かく想定していなかったのですが、“そういうものの制作のためにはこういうものが必要だよね”ということを積み重ねていったら、このくらいのサイズになってしまいました。
──映画製作ではなかなかない作り方ですね。
そうですね。非常に自由度が高いものです。自分自身、そういう作り方を求めていた時期だったのだと思います。
──劇場公開を視野に入れた後、脚本は新たに書き直したのですか?
いいえ。特に変わってはいません。一番最初にシナハン(シナリオハンティング=脚本を書くために舞台となるような場所を訪れること)をやりました。石橋さんが住んでいる場所から近い、自然が豊かなところに行きました。
──長野ですね。
はい。どんな脚本でも撮影が可能となるような製作規模ではなかったため、その土地にあるものを撮ることからしか始まらないということが、まず頭にありました。では、一体何があるのか。撮影許可の可否の問題も含めて、どういうものを撮れるのかということをシナハンしながら検討しました。行く先々で、“こういうショット”も撮れそうだとか、“この土地にはこういう出来事があって、それはこのショットを組み合わせていくうえで核になる”というものが徐々に見つかっていったという感じです。
──その“核になるもの”とは何だったのですか?
グランピング施設の説明会の話を聞いたことです。実際に、映画の中の描いている説明会とかなり近い出来事を地元の方から聞いて、それが核になるだろうと思いました。2022年の12月にシナハンを行い、1月にもう一度シナハンに行きつつ、シナリオを書き、2月から撮影に入りました。それから内容はそれほど変更していません。ただ、(映画に登場する)“鹿の骨”については、現場で撮影中に助監督の方が見つけたもので、新たに脚本に組み込んだシーンです。
──本作では興味深い演出がいくつもありますが、その一つが車中の会話シーンです。前作『ドライブ・マイ・カー』でも、車の中で主人公がドライバーと会話する素晴らしいシーンがありました。それらはアッバス・キアロスタミ作品を彷彿とさせるものでしたが、本作ではまったく異なるアングルで車中の人々を撮っていますね。
車のシーンは、グリーンバックなどでなく実際のロケーションで撮りたいという思いがあります。そのほうが俳優さんの演じるうえでの負担が少なくする気がするからです。ただ、今回出てきたようにカメラを進行方向に向けて置く場合は、俳優さんに実際に運転していただく必要があります。これは、非常に難しい。実際に運転するのではなく、車を牽引してもらわないと、安全性の問題があるわけです。ただ今回、芸能事務所の高橋を演じた小坂竜士さんは『ドライブ・マイ・カー』でまさに車両スタッフとして関わっていただいた方で、もともと俳優でもあります。現場で話していた時に、「僕もチェーホフが好きなんですよ」と言われて、そのことが印象に残っていました。「いつか呼んでください」とおっしゃっていて、今回も参加していただきました。俳優のスキルと運転技術を持っている彼のような方と、十分にリハーサルしたうえで安全性に配慮して撮影すれば、本当にドライブしている感覚に近いような場面を撮れるのではないだろうかと考えました。結果的に車の場面はあのようなアングルで撮影することができましたし、あの場面での二人の演技も非常に素晴らしいと思っています。
──『ドライブ・マイ・カー』の車中の撮影では、後部のトランクルームに濱口さんも入ってらっしゃったとのことでしたが、今回は、後部座席に座っていらっしゃったのですか?
そうですね。大きめの車を借りて、カメラマンと録音の方と僕が乗っていました。
──高速道路を走っているシーンもそのように撮られたのですね?
そうです。山梨に向かう中央道です。前後をスタッフの車で固めつつ撮りました。
──車中の会話シーンはコメディタッチに演出されていますが、その意図は何ですか?
格別にコメディタッチを狙ったわけではないのですが、観客が興味を持って聞ける会話にしたいという思いはあったと思います。そのためには、この二人の意外な側面や関係性が出るのがいいだろう、と。全体としてこの作品は、基本的に会話の少ないもので行こうというのが基本路線としてありました。前半はまさにそのようにできているのですが、一方で、役者をよりよく演出するためにも、観客を巻き込んでいくためにも、台詞というものが今の自分にはまだ必要という感覚もあります。説明会の場面、その後のオンライン会議とか、言葉に満たされているような時間もあった上で、後半、より言葉が少ない時間に戻っていく構成がよかろうと思って、生まれてきたシーンの一つです。
──全体的にシリアスなトーンながら、“笑い”も必要だと?
この人物だったらこういうことを言いそうだな、ということの積み重ねですね。それで、自分が想定していたキャラクターたちがそういう場で出会うと、このようにすれ違うだろう、みたいな感じで書きました。説明会なんかは色んな主義主張があって難しいので、実際に参加した複数の方から聞いたその時の状況を参考にしました。
──“元ネタ”があったわけですね。
そうです。会話のシーンを乗り物でやるのはそれが好きだからですね。言葉だけではやはり十分に面白くならない。少なくとも映画としては十分に面白くならないので、そこに動きがいるだろうと思ったときに、長い会話だったら乗り物に乗せてしまう。昔からそういうことはやってきましたね。
──そのような演出についてインスパイアされた監督や作品はありますか?
乗り物に関して言えば、それはヴィム・ヴェンダースとアッバス・キアロスタミ監督になると思います。映画の移動撮影は難しく、いろいろな特殊機材を使わなければならないわけですが、我々が日常的に使える車に乗っけることで豊かな場面が撮れるということを、ヴェンダースは教えてくれたような気がします。そこはすごく参考にしたし、そこに会話が加わってくると、人生そのものみたいに見えるというのが、キアロスタミから得たアイディアだと思います。
──ロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』(54年)はどうですか?
それはもちろん。乗り物での撮影に限らず、ロッセリーニの作品は自分にとっては大切なものです。ただ、何というか、僕のロッセリーニ体験としては、“イタリアン・ネオレアリズモ”と聞いて観てみたら、“こんなにもフィクションなのか!” “こんなに演じているのか!”みたいな印象があったことを覚えています。どちらかというと、実際のロケーションの中に、ある種、演劇を持ち込んだような感じ。演技というフィクションと実際のロケーションの相互作用みたいなものが、ロッセリーニの面白いところだと感じていて、そういうものに至れたら良いなという思いは常々ありますね。
──ビジュアル的に核となったものは何でしょうか?冒頭の木の描写でしょうか?
木ですね。木はとても好きになりました。あとはやはり水、ということだと思います。木は風でも吹けば枝のそよぎがありますが、基本的には動きませんよね。一方で、自分さえ、つまりカメラが動けば、木の表情はどんどん豊かに変わっていくものでもある、と。水の方は水蒸気も含め、ある程度自動的に動いてくれる自然、ということで撮っています。
──森の中にレールを敷いてドリー撮影をされたのですか?
あれは軽トラックですね。軽トラックの荷台にカメラを乗せて、ゆっくり走らせています。
──あの森の木々のシーンは何度か登場しますが、本当に印象的です。あの木々のショットが、石橋さんの音楽とどのように呼応したのでしょうか?
20代前半くらいに、あの視点のようなものは見つけていました。上野公園とかを歩いている時に、見上げるとまさにああやって木の枯れ枝が層を成していて、移動して自分の視点が変われば、レイヤー同士の関係がダイナミックに変わっていくというのを発見しました。しかもそれはずっと見ていられるものという感覚があったのですが、そのイメージを物語映画に入れる機会がこれまでなかなかありませんでした。
──濱口さんの様々な引き出しの中からをそれを持ち出して、今回使ったということですね。
はい、実際にあの場面を撮った道を見つけたときに、ようやくあれができるな、と。
──“木と水”でいえば、氷に覆われたあの場所は湖ですか?
湖というか、実は貯水池です。実はあの周りにぐるっと道があって、行くのはそれほど難しくなく。本当に凍っています。
──氷の穴が空いている部分は、実際に鹿の水飲み場なのでしょうか?
あの季節にはたまたま氷に穴が開いていました。地元の方にも話を伺って、おそらく本当に鹿が来るところだろうということで撮影していたのですが、ここではずっと待っていても撮影期間中は来ませんでした。
──うどん屋さんのために小川のような場所で湧き水を汲むシーンがありますね。あのシーンも自然と暮らしを感じさせる重要なシーンでした。
川などは実際に風が吹けば表面の表情も変わってきますし。でも、湧き水のシーンは別の候補地があったのですが、地元の方にとって、水は本当に大事なもので、水を採って良いところといけないところがあります。それで結局、あの場所で撮影することになりました。あの湧き水はささやかな印象なのですが、結果的にはそれが良かったと思っています。
──象徴的に登場する鹿という動物については、具体的な意味や思い入れはあるのでしょうか?あの鹿の種類は?
何鹿なのかな?実際にあの地域にいた鹿です。特別な意味があったというよりは、我々も実際にちょこちょこと見かけたし、あの地域に居る馴染みのある動物という感じです。気候が変わったせいか、鹿が以前よりも頻繁に人が住むエリアまで下りてきて、時には畑のものを食べたり、そういう害を与えて、害獣駆除されたりするということが起きています。それで、鹿というのを物語に組み込むことにした時に、結果として生まれたニュアンスは、すぐ隠れてしまうもの、というものでした。現れてもスッとすぐに消えてしまう。一度カメラで鹿を撮れたこともありましたが、かなり遠いところからしか撮れず。なので、(この作品では)なかなか見つからないもの、見つからないが故に人を惹き付けて、何か探させてしまうものとして機能していると思います。(巧の娘の)花の夢に出てくる鹿が撮れたのは、演技部分の撮影が全部終わって、今日で撤収しなくてはならないという日に、撮影部と一緒に早朝から車を走らせていたときです。
──鹿の顔のアップもありますね。
ええ。我ながら大胆なものを撮ったな、と(笑)。
──ヨルゴス・ランティモス監督の『聖なる鹿殺し』(17年)という作品がありますが、鹿という動物には何かメタファーがある気がしてしまいます。
実際によく見かける動物を撮っていたので、撮っている時はメタファーという感じはしなかったのですが、映画の中の鹿というのはメタファーっぽいですよね。ランティモス監督の映画も観ていますが、実のところ実際に鹿が映っていたかも覚えていません。『もののけ姫』とか、宮﨑駿さんのイメージのほうがより大きいですが、意識していたわけではありません。ただ聞くところでは、我々がシナハンして回っていた地域は実際に、宮﨑監督が『もののけ姫』の構想を練られていた地域だそうです。そういう実際の土地を介した影響はあるのかもしれないな、と後で思いました。ただ今回は、格別メタフォリカルに鹿を撮ろうとしたわけではなく、本当にその場にあるものとして撮りました。ただ、穏やかさというか臆病さと、一方で攻撃性を感じさせる角が合わさって、人に畏怖を与えるところがあるので、結果的にそのようなニュアンスが出てきたのだと思います。
──そのように、意図していなかったけれど結果的に表象されたというものは、今回多いのですか?
とても多いと思います。いつもそうと言えばそうなのですが、今回は特に天候や自然の要素にも左右されることが大きかったので。
──長野は蕎麦処というイメージがありますが、うどん屋さんにしたのには理由があるのですか?
お借りした店がうどん屋さんだったからです。うどん屋でさすがに蕎麦を茹でるわけにはいかないということで、そのままうどん屋さんという設定にしました。調理の指導をしていただく上で、普通にうどんの方が都合が良かったですし。実際に人気のうどん屋なのですが、湧き水では作ってないです。湧き水でつくっているパン屋さんに出会って、それを合体させたイメージです。
──本作ではグランピング施設の致命的な欠陥として、施設が無配慮に流す汚水が下方で影響を与えるという問題が描かれます。ベネチア映画祭の会見では、「環境問題に特別な興味があったわけではない」とおっしゃられていましたが、この問題は人間社会のヒエラルキーにもトレースされる問題として、とても興味深いと思います。
リサーチの過程で、石橋さんのご友人である地元の自然のエキスパートの方を紹介していただいたのですが、その方は木の名前や湧き水がどこにあるとかを熟知していて、本当にすべてを教えていただきました。その方が、それに近いことをおっしゃっていました。水というのは、自分たちが責任を持って扱わなくてはいけないもの。上流に住んでいる人間が自由勝手に使って良いものではなく、責任がある、と。本当にその通りだと、自分自身も感銘を受けたところはありました。
──人間社会のヒエラルキーのメタファーという考えはありましたか?
自分としてはないです。単に地理的な、具体的な言葉と捉えています。もし抽象的に捉えるとしたら、因果関係とか必然性についての話になるだろうという気がします。ただ、台詞を書く時には、考えて書くというよりは、書いたものを自分自身で解釈しながら書いていくという感じなので、そういう風に(人間社会のヒエラルキーのメタファーとして)受け取られることもあるだろうとは思いました。
──この物語は、小さな町を舞台にした、具体的である意味小さなコミュニティの話ですが、それが普遍的な多くの物語──人間社会のヒエラルキー、権力構造などに結びついていると思います。芸能事務所の人たちがマッチングアプリの話をしますが、あの小さな話も、“現代人の生きづらさ”というテーマに繋がってきます。このように身近な何気ない物語を、現代の社会問題に繋げることは、脚本を書いている時に意識されていたのですか?
おそらくそうしたことがこの映画を観ていて感じられるのは、本当に我々の生活そのものが問題だらけだからだと思います。我々の生活上振る舞い一つ一つに、そういう社会問題と繋がった部分があるから、それを描くと、観た方にそのように読み取っていただけるのだと思います。
例えばマッチングアプリの話も、実際にあった話を人から聞いて面白いなと思って脚本に取り入れたものです。僕としては、自分が聞いて面白いと思った話が人に反応してもらえるのは、我々が、そういう生きづらいもの、生きづらくさせるものと一緒に生活せざるを得なくなったからだと思います。だから、普通に生活の中の出来事を描写するだけで、実は社会的な問題にもつながってしまう。
──環境問題が背景にありますが、都会に住むか田舎に住むか、といった方向に安易にストーリーが流れないところが、この作品の魅力のひとつですね。
今回リサーチや撮影をする中で、自然って良いものだなとは当然感じましたし、そういうところに行きたくなる気持ちもわかります。その一方で、自分自身は都市で暮らしている、簡単にはそこから抜け出せない人間なのだなとかえって自覚もしました。その感覚というのは、どちらかというと高橋とか黛というキャラクターに投影されていると思います。でも、本当に自分たちのやっている小さな行いの積み重ねによって、あらゆる社会問題が起きているというのは、常日頃思っていることですね。
──ご自身を投影させたキャラクターはいますか?
基本的には登場人物すべてです。ただ、例えば主人公の巧は、リサーチの過程で出会った“自然のエキスパート”のような方をモデルにしていて、むしろ自分とは違うタイプの人だと思って(脚本を)書いていました。一方で高橋は、本当にくだらないことをやらされているわけですが、自分にとっても他人事ではないなと思います。明らかに間違っているけど、物事を進めなければいけない状況に陥る。彼の悩みは決して自分と遠いものではないし、それはただ笑って済ませられるものではないと思いました。
──高橋のようないち会社員としてのジレンマが理解できる、と?
そうですね。
──映画監督は、どちらかというと誰かの意見に振り回されるよりも、決定権を持つ“独裁者”に近い立場という印象ですが。
実際、決定権がそこまであるわけでもないです。映画には二つの側面があります。商業的な側面と、作品としての側面。監督が管理できるとしたら、そのうちの1つだけ、作品としての側面だけです。商業的な側面でいうと、どの程度の予算をかけて、どの程度の回収が見込めるかということを考えなければいけないわけですが、そのリスクを他人(プロデューサー)に負わせている以上、監督というのはどこかでプロデューサーのキャパシティに応じて行動しなくてはいけない。
──ベネチアでプレミア上映されて以来、映画のラストの部分についての解釈がいろいろ言われています。巧と花という父娘と、鹿の親子の子を守るという親の心情を投影させたシーンと解釈しました。つまり鹿は人を攻撃しないけど、子どもたちを守るためには戦う。巧も花を守るために高橋を攻撃した、という解釈でよいでしょうか?
映画に描かれていることがすべてです。自分も、ある程度「こういうことであろう」と解釈しているのみです。ただ1回目に観た時、(観客は)驚くと思うんです。こんなことになるのか、こんな話なのか、と。でも、2回目には、“この要素がこの行為につながっているのかな”という風に観ていただけるのではないかとも思っています。自分も撮りながら「こういうことなのか」とだんだん理解していくような感覚がありました。巧というキャラクターは、自然の中においては実行能力や知識に長けてはいるけど、社会的にはむしろ人間と上手く馴染めていない人ではないかと思います。少なくとも都会では生きていけない人ですね。観客は観ながらだんだん「こういう人なのかな」と見当をつけていく。それが最後の場面でようやく彼の行動原理というか、どういうルールに従って生きているのか、少なくとも我々が思っているような人間ではなかったことが明らかになる。そういう人物像の書き換わりみたいなものを、誰より自分自身が面白く感じながらやっていたと思います。
──高橋の生死に関しては、曖昧にしていますね?
そうですね。(観客に)どう見えるかは、編集によって変わります。彼が起き上がる前に切れば彼はそのまま死んだことになったろうし、彼が起き上がって歩いているところで切れば生きている、ということになる。現行の編集点はそのどちらでもありません。
──最初から書いてあったのですか?映画のラストに関しては、いろいろ撮っておいて最終的に編集時に決める、というケースもままあります。
脚本に最初から書いていました。『ハッピーアワー』(15年)を作った時は、何度も何度も改稿したので多少は変わっているのですが、僕の場合は、シナリオのレベルでこうだろうと思った終わりをひっくり返したことは、あまりありません。シナリオ時点で決めた終わりに向かって映画を作っているようなもの。そうしないとちぐはぐになってしまうので。
──オープニングロールのゴダール作品を彷彿とさせるタイポグラフィやグラフィカルなビジュアルのアイディアはどのから来たのでしょうか?
あれは編集中に僕が決めました。石橋さんからいただいた音楽をどのように使うかな、と考えた時に生まれてきたアイディアですね。
──ベネチアでは「ゴダール風」と言われたと思いますが。
言われましたね。「はい、その通りです」とお答えしましたけれど。僕独自でああいう表現が浮かぶわけではないので、そうした先行例があり、かっこいいなと思ってあのようにしました。
──ゴダールは2022年9月に亡くなりましたが、追悼的な意味はあったのでしょうか?
追悼と言うと大げさですが、亡くなられたことでいつも以上に考えた、ということはあったかもしれません。ただそもそも、石橋さんとの共通言語というか、どのような音楽にするのか、と話していた時に、名前が挙がるのがゴダールだったんです。どの作品というより、ゴダールのフィルモグラフィすべてなのですが、例えば『軽蔑』(63年)のジョルジュ・ドルリューや『女は女である』(61年)のミシェル・ルグランなどもありますが、80年代、90年代以降の、音楽だけに限らず環境音とか台詞とか、すべての音をかなり暴力的に構築していくような作品ですね。
──初期のヌーヴェルヴァーグ時代の作品ではなく?
どちらかと言えばそうですね。フランソワ・ミュジーとの協働作業がより頭にはあったと思います。
──本作に限らず、映画監督としてヌーヴェルヴァーグおよびゴダール作品からはどのような影響を受けているのですか?
影響というか、一人の映画ファンとしてとても好きです。危険すぎてマネができないと思いながら、なんとかちょっと入れられないかなと思いながらやっています。
──ゴダールのどこに惹かれるのでしょうか?
(ゴダール作品は)アニメやCGとかを使ったものでもなく、基本的に実写なわけですよね。図像やテキストなんかも含め、その場にあるものをポンとカメラを置いて撮っている印象でますが、ゴダールが撮ったものは、もしくは撮って編集して音響と組み合わせたものは、本来ものすごくバカバカしいことなはずが、むしろ神々しささえ感じられる。そのことを、信じられないような思いでいつも見ているという感じですね。フランス語がわからないからそういうことが成立しているのかなと思うときもありますが。どうやったらああいうものすごく生々しいバカバカしい現実を撮りながら、ある種の抽象に達したあのような映像になっているのか、全く謎です。
──今でも謎で、解読不能?
そうですね、一切解読できません。試みたことはあると思います。20代の頃とかに、一体どういう原理でこういうことになっているんだろう、と何度も観ましたし。日本だと平倉圭さんが出した「ゴダール的方法」(10年)という本などを読んだり、すごく真剣に考えましたけれど、わからない。でも、ある程度突き詰めたことで、単純にわからないというか、これは本当にゴダールの生理的なものなのだろうと思うようになりました。
──でも今の話を伺うと、ますます濱口さんの映画作法は、ゴダールに準じているような気がします。
そんな風に言っていただけたら、映画を続けてきてよかったのかもしれません。が、でもまだまだというか。でも、ゴダールのやり方を研究しつつわからないと思ったときに、それならば自分は自分の生理みたいなものに忠実に作ろう、ということは思いました。自分自身の生理、ある種自分自身ではどうしようもできない欠陥のような部分が、自分の映画を作っていくのだろうとは思いました。
──そういう意味で、常にご自身を観察している部分はあるのですか?
観察というか、制作をしていると自然と自分に向き合わされます。能力の限界とか、ああいう風にやりたいけど、全然なっていないとか。そういう局面で、「自分」というものが突き付けられることが多いです。
──こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、ご自身では映画を撮り始めてから本作まで、進化されているという実感はありますか?というのは、今回の作品では脚本の完成度がさらに増して、台詞の無駄が全く無いと感動しました。
ありがとうございます。いろいろな意見があろうと思いますが、そう言っていただけるのは本当に有り難いです。試行錯誤はしていると思います。最終的に良く見えるものだけを残しているということもあると思います。『偶然と想像』とか『ドライブ・マイ・カー』、その前の『ハッピーアワー』でも台詞をずっと書いてきて、今回はすごくスッキリ書けた印象を持っています。まだそれらが無駄に見える人、話が進まないなと思う人もいるかもしれませんが、自分としては今回の台詞はすごく重要なものしか残していないという感じです。なので、そのように言っていただけるのは有り難い。
──本当に、この脚本はすごいなと思いました。でも意外に、“スッキリ書けた”のですね。
書けない期間がすごく長かったのですが、シナハンをやって、こういうショットが撮れて、こういう出来事があってというのが固まってからは、すんなり書けたという印象です。
──世界三大映画祭の中で、すでにベルリンとカンヌで受賞され、『悪は存在しない』では、残るベネチアに初選出されました。ベネチアの独特の反応は感じますか?
ものすごく温かかったですね。カンヌでは本当に地面から1メートル浮いたような世界がずっと続いている感じがしましたけど、ベネチアは熱は高いながらも、地に足がついているような印象です。自分の感覚がかわった部分もあるかもしれませんが、公式上映の際の観客の反応も、無理に拍手をしているという感じはしなかったですし。もういいよって思うくらいの拍手をしてくれるような温かさがありました。温かさというか、平熱の高さみたいなものを感じていますね。
──ヨーロッパの批評家たちの反応はどうでしょうか?
有り難いことに、好意的な反応が多いですね。面と向かって否定的なことを言うことは少ないのかもしれないですが。僕も、この映画がどのように受け取られるか、それなりに不安を持って映画祭に来たので安心しました。やっぱり今までの作品とは全然違うし、何か期待されているとしたら、その期待を外したものかもしれないな、という気はしていたので。
──『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したことで、世界的な知名度もさらに上がり、そこに対する期待の高さも感じていたわけですね。
期待なのかどうかは別として、観る側に、「こういう監督だろう」という想定は当然あると思うので、そういうものとはこの作品は違うものだろうと思っていました。でも違和感は感じられなかったようです。エンディングのことはよく聞かれますが、そんなにネガティブな感じでもなく。
──『ドライブ・マイ・カー』には、広島、村上春樹といった欧米の批評家たちが解説し易い要素もありましたが、今回は有名な俳優も使わず、低予算でインディペンデントの映画作りを選択している。となると、前作とは異質な作品づくりや方向性に驚かれた方もいたのではないでしょうか?
「もっと大きな予算で撮れたでしょうに、なんでこのような体制なんですか」とは言われましたね。でも、本当に何を撮ってよいかよくわからない時期に石橋さんから話をいただいて。自分にとっては、「これは撮りたいかも」とピンとくる、本当に導きの光のようなものを感じた企画でした。その感覚を信じてここまでやってきて良かったなと思いますし、石橋さんの提案と音楽には心から感謝しています。
──濱口さんほどの監督でも、何を撮ったら良いかわからない時期があるというのは意外です。
何を撮ったらいいかわからないのは常です。もちろん単純に、ある程度多くの観客に観てもらいたくて映画を撮っているところはあると思うのですが、「望んでいたのは果たしてこのような事態だったかな」みたいな気持ちになったところはあったので。だとすると、では一体自分にとっての本当の成功とは何だ、みたいなことはある程度考えました。そういう時に、どういう方向に進もうかと見定めるための時間が必要だったのだと思います。
──『ドライブ・マイ・カー』の成功の影響ですね。
結果的に、あまり影響を受けないように心がけました。ある種の頑なさみたいなものが、自分の「成功」に対する反応だったのとは思います。
──おそらく『ドライブ・マイ・カー』に対する濱口さんご自身の中での存在は、5年後10年後にはまた変わってくるのでしょうね。
それは必然的に変わってくると思います。どう変わるかわからないですが、ただ、『ドライブ・マイ・カー』を撮り終わった時から、5年後、10年後これよりずっと面白いものを撮りたいとずっと思っているので、そういうものを当然のように作れるようになっていたいとは思います。
──先ほど予算の話がありましたが、濱口さんにとって制作費はどういうものですか?つまり、少なくても良いのか、少なかったら少なかったなりにやるのか、潤沢にあった方が良いものなのか。かつて、ラース・フォン・トリアーたちが“ドグマ95”を提唱しました。映画学校育ちの彼らはデジタル世代であり、かつてと比べると何でも自由にできるから、何も制限がないことをむしろ不自由に感じて、あえてドグマの掟を作って制限のある中で映画を作り、クリエイティビティを試そうとした運動。反対に、映画監督たちが制作費が潤沢にある配信プラットフォームで好きなように映画を撮るというケースも増えています。
予算全体の問題に関して言いますと、題材による、というのが実際だと思います。今回は自主映画として始めました。でも自主映画の規模には収まらなくなったので、高田プロデューサーとも相談して、小さいながらも予算を広げながら撮っています。結局、題材にふさわしい予算を得るのが一番大事なこと。題材によってはものすごく大規模な予算が必要になることはあると思います。自分がどういう題材をやりたいかが一番大事なことです。
最近感じているのは、映画というのは映画館で観るのが大前提だということです。ものすごく保守的かもしれないですけど。自分が仮に配信の映画を作るとしたら、観客の集中力をどこまでアテにするかっていう基準を失うわけですよね。自分も配信(プラットフォーム)で映画を観ることはありますけど、その集中力は極端に低いとしか言いようがない。配信で映画を観ている間にスマホを1回も見なかったことはあったろうかと考えます。つまり、そういう環境で観客にとって面白いと思ってもらうものを作らなければいけない。その条件では、これまでと全く表現が変わらないことは難しいだろうとは思います。
映画館でかかる映画を撮るのに、もしもっと状況が厳しくなってきてチケット代が十分に大きくないということになったら、その十分に大きくないものでどうするかということを考えるようになるのかなと思います。
──配信プラットフォームからの仕事は受けないのですか?
自分でも不思議なのですが、そういう依頼は来ないんです。“こいつはダメだな”と思われているのかもしれないですけど。有り難いような有り難くないような。
──低予算でも、例えば濱口さんにしても、塚本晋也監督にしても、優れた監督は素晴らしい作品が撮れるという実例はあります。が、企画によっては絶対的には予算がないとクオリティが担保できない作品もあります。映像や音など技術的な部分には、絶対的にお金がかかりますから。
経験値の少なさは、僕が大規模予算の作品を撮ることをためらわせる要素なのだと思います。何ができるかということを十分に、段階的に知っているわけではないので。それに大きな予算規模で撮れるようになったとしても、その使い方が分からなくて苦労することは起こるだろうと思っています。なので、本当に仮に予算を大きくするとしたら、段階的に進めていくだろうと思います。
──ゴダールの話も出ましたが、映画祭では様々な映画監督の作品が肩を並べて上映されますね。同時代で映画を撮っていることで喜びを感じる監督はいますか?
今回のベネチアでいえば、デヴィッド・フィンチャー監督ですかね。2018年のカンヌでは、それこそゴダールと同じコンペに入っていたことで、“えっ?”と驚きましたが、自分が観てきた監督たちと同じ映画祭で上映されることは、本当に不思議な気持ちになります。
──それこそ学生時代から観てきた監督たちですね。映画監督には定年がないわけで、80歳でも90歳でも現役の方々が結構いらっしゃいます。
僕が映画を観ていて思うのは、映画は60歳から、という気もします。60歳を過ぎた監督の自由さというものが確実にあるような気がしています。2000年代くらいの、(スティーブン・)スピルバーグや(デヴィッド・)クローネンバーグ、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)らの存在は大きいものだったし、ヌーヴェルヴァーグの監督たちも80歳になっても本当に若々しい作品を撮り続けてきました。早く歳を取ってみたいものだという気持ちになります。
──ではこれからまだまだ行けるということですね。
だと思っています。今は折り返し地点くらいのつもりです。
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『悪は存在しない』(英題:Evil Does Not Exist)
キャスト:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子、長尾卓磨、宮田佳典、田村泰二郎
監督・脚本:濱口竜介
音楽:石橋英子
企画:石橋英子、濱口竜介
プロデューサー:高田聡
撮影:北川喜雄
録音・整音:松野泉
編集:濱口竜介、山崎梓
製作:NEOPA、fictive
日本公開:2024年4月26日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか公開
公式サイト
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