【単独インタビュー】『青春』中国の巨匠ワン・ビン監督が描く若者たちのエネルギー
- Atsuko Tatsuta
中国出身の世界的ドキュメンタリー監督ワン・ビンの最新作『青春』が4月20日(土)に日本公開されました。
上海を中心に広がる「長江デルタ地域」。経済規模は日本のGDPをはるかに上回るこの巨大経済地域にある、織里(しょくり)という町の衣料品工場で働く10 代後半から20代の若い世代の労働と日常を追ったドキュメンタリー。彼らの多くは農村部からやって来た出稼ぎ労働者。長江デルタの経済を支えている一員であることを認める人はほとんどいないが、彼らは確実に青春を生きている──。
2002年に『鉄西区』(5時間バージョン)がベルリン国際映画祭フォーラム部門で上映され、9時間を超えるドキュメンタリーに再編集し、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、リスボン、マルセイユの国際ドキュメンタリー映画祭、ナント三大陸映画祭などで最高賞を獲得したワン・ビン監督。「反右派闘争」の時代を生き抜いた女性の証言を記録した『鳳鳴─中国の記憶』(07年)、初の長編劇映画となった『無言歌』(10年)、雲南省に暮らす幼い姉妹の生活に密着したドキュメンタリー『三姉妹〜雲南の子』(12年)などで知られる、中国第6世代を代表する監督のひとりです。
自分がやるべき仕事は「世界から見えない人たちの生を記録すること」と語るワン・ビン監督が、Fan’s Voiceの単独インタビューで、“青春映画”という新しい挑戦について語ってくれました。
──『青春』は監督自身も馴染みのない織里(しょくり)という街へ出向き、そこで働く若者たち、あるいは出稼ぎの若者たちの生活を映し出しています。個人的には、今までの作風とはちょっと違ったように感じましたが、この作品を撮るにあたって、大きな心境の変化はあったのですか?
印象が違うのは、おそらく私の心境の変化というより、撮影している地域が違うことが大きいように思います。『鉄西区』を撮影した東北地方の工場地帯は、中国の共産主義による計画経済の時代には重要な場所でしたが、今ではある種、時代に取り残された場所になってしまいました。『鉄西区』の後、私はもう一つのテーマにも取り組みました。それは中国の近現代史。1950年代から80年代にかけての歴史について、中国の西北地方で撮影しました。
『青春』の舞台となったのは、中国の南東部です。上海からほど近く、長江デルタ地帯と言われる地域です。東北、西北地方、そして南東部の長江デルタ地帯。これら3つの地域は、文化がまったく違います。そして人の生活も違います。
長江デルタ地帯は、今日の中国において最も経済が発展していて、かなり裕福な地域といえます。なので、長江の上流域の、もう少し田舎の方からたくさんの人が出稼ぎに来ます。『青春』を撮った長江デルタ地帯や南方の珠江デルタ地帯という二つ地域は、多くの出稼ぎの人を受け入れ、経済が発達している地域です。今日の中国経済にとって重要な二つの地域といえます。
──長江デルタ地域にはこれまで馴染みがなかったけれど、実際に行き、街を見て、興味を持たれたと伺いました。このエリアのどこに魅力を感じたのでしょうか?
2014年からこの映画の準備していましたが、当初は、具体的に何を撮ればいいのかはっきりと分かりませんでした。何かを撮りたいけれど、何なのか。それを探るために視察に行きましたが、最初は自由にカメラをまわせるところは見つかりませんでした。たくさんの企業がある地域ですが、大企業はだいたいとても閉鎖的です。私のようなインディペンデントの映画作家のプロジェクトを応援してくれるようなところはありませんでした。
そして偶然、この織里という場所を知ることになりました。雲南で映画を撮ったときに出会った子どもたちが出稼ぎに出る聞いて、それなら見に行ってみようという軽い気持ちで、浙江省へ一緒について行きました。その時は具体的にどこに行くのかも知らずに、旅行気分で一緒について行きました。その時に、織里という街を知りました。さらに、自由に撮影できることがわかったので、すぐに織里で映画を撮ることを決めました。しかも、ここで撮るなら長い時間をかけて撮る必要がある。そういうプロジェクトになるだろうと思いました。
──長いプロジェクトになると思われた理由は何ですか?
インディペンデントでドキュメンタリー映画を撮るのは、とても難しいことです。しかも、ある程度の規模感の作品を作るとなると、尚更です。それは貴重な機会でもあるので、自由にカメラをまわせるこの場所とチャンスを大事にしなくてはならないということで、大作にするという決断をしました。中国では今、映像制作に対する政治的な取り締まりがかなり厳しくなっています。個人でインディペンデントドキュメンタリーを撮ることが、本当に難しくなっています。
──この作品をカンヌで最初に拝観した時に感動したことが、大きく二つあります。一つは、青春群像劇としてのみずみずしさ。相米慎二監督の作品を彷彿とさせるような青春が切り取られていて、ドキュメンタリーでどんな風にしたらここまで出来たのだろうと、大変感銘を受けました。彼らの生活の中にカメラが深く入り込んでいることも、その理由のひとつでしょう。2014年から2019年まで、5年間ほどかけてこの作品を撮ったそうですが、彼らの生活にどのように密着されていたのでしょうか?
多くのドキュメンタリーの作家は、ナラティブをコントロールしようとします。つまり、テーマ性がすごく強いわけです。私はむしろ、テーマ性や物語を放棄しても良いと思っています。テーマや叙述の在り方が、理性によってコントロールされるのを避けたい。撮影にしろ物語の語り方にしろ、それがもっと自由である状態に持っていきたいと思っています。その作品に登場する人たちはみんな自由で、そこに真実がある。そういう映画を撮りたいと思いました。
──彼らはカメラの前でも、自然に振る舞ってくれたのでしょうか。カメラの存在は相手に警戒心を与えるものですが、彼らが自由でいられるような、あなたなりの撮影方法のコツはあるのですか?
まずは、彼らの生活に干渉しないことです。もう一つは、カメラはできるだけ彼らの隣に配置し、ゆっくりと撮ることです。ドキュメンタリーというのはすごく偶然性に左右される、というか偶然性が大きな要素になっている形式ですが、“偶然性”を活かすには、十分な時間、十分な継続性、そして十分な忍耐力が必要なわけです。なので、撮影にかかる時間的なコストはとても大きくなります。
──『青春』というタイトルおよび青春という主題は、撮り始めてから見つけたものですか?
そうですね。最初からそういう思いはありましたが、行ってみて実感したのは、(映画に登場する)この工場には若い人がとても多いことでした。若い人たちが主体になって動いている。18歳、19歳…たいてい20代、上でも30歳とか。この工場は出来高払いで賃金が支払われるシステムなのですが、年齢が高くなると体力が衰えて効率が悪くなりますからね。なので、最初に視察した時に、若者たちにカメラを向けて、青春とか若いエネルギーというものをテーマにしようと決めました。
──中国の労働システムもこの作品は映し出しています。労働力搾取、特に欧米の企業による中国をはじめとするアジアの安い賃金による労働搾取は世界的に大きな問題です。この作品でも、若者たちが合宿生活をしながら低賃金で働いている現状を収めています。これはある意味、内部告発ともいえると思いますが、意識されたのでしょうか?
確かに、このグローバル化した今日の社会で、労働搾取というのは国を超えたレベルで問題になっていることです。ただしこの映画に関しては、搾取という角度から見るのはあまり適していないかと思います。というのも、このビジネスのシステムの中で、利益を得ている人が誰なのか、つまり誰のところにお金が行っているのかはわかりませんからね。
この作品で明確にわかるのは、ここに映っている人々はみんな一生懸命に仕事をしていることです。労働者だけではなく経営者も一生懸命仕事をしていて、にもかかわらず利益は少ない。
私たち撮影隊は、経営者とも良好な関係を築いていました。薄利にも関わらず彼らが懸命に何とかやっていることが分かります。なので、この社会の富の循環の中で、その利益がどこに行ってしまっているのかは見えない、つまり簡単には言及できません。20世紀型の資本社会の中では、経営者と労働者はある種、搾取と被搾取の関係にあったわけですけども、今は一概にはそうとは言えないと思います。全盛期の共産主義の論理、マルクス主義のロジックは、21世紀においては成立しないと思います。
──この映画に収められている人々の働き方は、中国ではスタンダードな出稼ぎのスタイルなのでしょうか?
農村から出稼ぎに出る人たちは、ここ20~30年くらいの間とても多くなっています。つまり、中国では普遍的な働き方になっています。彼らは何年も故郷を離れて稼ぎに出ています。ところが実際のところ、彼らの稼いでいるお金は、本当にいくらでもないわけですね。彼らが生活を支えられる最低限のお金を稼いでいるだけ。だから本当は、“金を稼ぐ”なんて言葉では表せないようなものです。
──その現状について、あなたはどのように思っていますか?
私個人として何か意見を言うことは難しいですね。というのも、私の仕事は映画監督です。なので、いかにして彼らの生活に入って、彼らの生活の真実をしっかりと撮るか。彼らがどう生きているのか、彼らの生の真実を、映画の中でしっかりと表すことが私の仕事です。私にできることは、それだけです。なので、なにか政治的な観点、あるいは社会学的な観点に立って判断するのは、私ができることではありません。その責任から逃れたいわけではありません。映画監督として、そこから逃げたいというわけではなくて、ただ私に判断をする能力は無いのです。
──先ほど意図的に物語を作ることはしないとおっしゃいましたが、5年分のフッテージ(映像素材)をどのように編集したのですか?そこにはどのような意図が働くのですか?
登場人物の行動が理性によって制限されているなと思うようなところは、排除しています。映画全体を感性の描写にしたいと思っているので、叙述のスタイルは比較的自由で、そして軽妙になっていると思います。
私は理性というものに懐疑的です。恣意的すぎるのです。伝統的な中国の映画は、社会的な目的を強調するきらいがあり、とても説教臭くなります。この100年間、中国は波乱に富んだ歴史を経験してきましたが、中国の文化にとって、(映画の)こういった傾向は大きな間違いだったと思います。
──今の話を伺って、ますます編集スタイルに興味を持ちました。今回はどのくらいの素材があり、それをどのように編集したのでしょうか?
だいたい2,600時間の素材を撮りました。私の編集の仕方は、ずっとフッテージを見続けているというわけではありません。むしろまず、頭で考えます。どんな映画にしたいか、その考えが固まってから編集に取り掛かります。いち映像作家としての想像力を大切にしているからです。
なので、フッテージを見ながら、“こことここをつないで…”というように、編集していくことはないですね。どういう映画にするのか想像が固まっていない段階でフッテージを見ても、何の意味もないように見えることが多い。想像を固めてから素材を見ると、一気に美しく見えたりすることがあります。厳粛なかしこまったものではなく、本当に自由に想像力をはばたかせているわけです。
──編集にはどのくらい時間をかけたのですか?
すごく長い時間がかかりました。2018年か2019年くらいから素材の整理を始めました。私はパリの学校で教えたりもしているので、それと並行しながら編集を進めていったのですが、コロナ禍が来てしまい、編集を一度中断して、パンデミックが終わりかけた頃から再開しました。足掛け2~3年はかかったことになります。また、この作品は全体の第1部です。今後、第2部・第3部をまとめ、全体が完成します。第3部は編集が終わりましたが、第2部は2024年の前半には終わるかなと思います。
──第3部のほうが先に終わっているのですね。
第3部は2時間半とちょっと短いので、先に終えました。第2部は尺も長くて大変なので、最後に回しました。
──長編の編集をする時は、メモなどは取るのですか?
そうですね。メモを取ったりもします。素材をもう1回見返して、それから編集に取り掛かるわけですが、そのためにまた素材を見ているので、それが第2部が遅れている理由でもあります。
──2,600時間あれば、見返すだけで大変な時間と労力がかかりますね。
デジタル化されているので、フィルムの時代とは全然違いますがね。映画製作では、特に編集のプロセスに一番変化があったと思います。デジタル化により、私の映画に限らずあらゆる映画の撮影量が、フィルム時代よりもずっと多くなりました。編集の仕事量も増えているわけです。
──映画制作はしやすくなりましたか?
いえ、難しくなっていると思います。フィルム時代は量も少ないので、みんな一つ一つすごく真剣に丁寧に素材を見ましたが、デジタル時代にそんなやり方は通用しませんからね。撮るだけ撮るので、フッテージの量がものすごく増えて、撮影の時の整理がより大事になります。撮影の時に監督が、“今日はこれを撮った”というものをきちんと頭で整理していくことが重要です。
──コミュニティの中に入り込んで長尺のドキュメンタリーを撮るスタイルは、フレディック・ワイズマン監督にも共通しますね。この巨匠に共感するところはありますか?
ワイズマンとはパリでもよく会い、交流があります。ワイズマンの特色は、編集を重視するところですね。編集の過程で作品をコントロールしていく傾向があります。そういう意味で、より文学に近いと思います。一方で私の映画は、より撮影に重きを置いています。なので、より映像派の監督だと言えると思います。
──ワイズマン監督に、どこで「ここで撮影が終わりだ、編集に移ろう」となるのかと聞いたときに、「資金が尽きたとき」とおっしゃっていました。あなたが「ここで撮影を終わりにしよう」と思うポイントは、どこなのでしょうか?
もちろん資金の問題もありますが、私の頭の中には作ろうとしている映画があって、頭の中でその映画が形成された、形作られたと思った時に、撮影を終えるようにしています。
==
『青春』(英題:Youth (Spring))
監督:ワン・ビン
2023年/フランス=ルクセンブルク=オランダ/215分/字幕:磯尚太郎/原題:青春 春
日本公開:2024年4月20日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給:ムヴィオラ
公式サイト
© 2023 Gladys Glover – House on Fire – CS Production – ARTE France Cinéma – Les Films Fauves – Volya Films – WANG bing