Column

2023.11.30 9:00

【単独インタビュー】『ほかげ』森山未來が塚本晋也ワールドに見る執念

  • Atsuko Tatsuta

第80回ベネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に選出された塚本晋也監督最新作『ほかげ』が11月25日(土)日本公開されました。

終戦直後、夫と子どもを亡くした女(趣里)が営む、半焼けになった小さな居酒屋に、戦争孤児の少年(塚尾桜雅)が入り浸る。元教師の若い復員兵(河野宏紀)と3人で暮らし始めるが、つかの間の穏やかな生活は長くは続かなかった──。

劇場用長編デビュー作『鉄男』(89年)でセンセーションを起こして以来、世界的に熱烈なファンを抱える塚本晋也。戦争孤児の視点から、戦争を生き延びた人々が背負った疵を生々しくも力強く描き出す『ほかげ』は、第二次大戦末期のフィリピン前線で極限状態に直面した人間を描く『野火』(14年)、幕末を舞台に生と暴力の本質に迫った『斬、』(18年)に続く、“戦争と人間”をテーマにした骨太の野心作です。

戦争孤児の少年(塚尾)を連れて旅に出る謎めいたテキ屋という物語のキーパーソンを演じたのは、森山未來。『モテキ』(11年)、『怒り』(16年)、『アンダードッグ』(20年)などで存在感を示す唯一無二の個性派俳優は、本作で鬼才・塚本と初タッグを組んだことでも注目されています。

日本公開に合わせて、森山がFan’s Voiceのインタビューに応じてくれました。

──『ほかげ』は、日本を代表するインディーズ監督である塚本晋也の成熟度が伺える、凄みのある作品ですが、森山さんは塚本作品に初出演とのこと。塚本監督との出会いはどんなものだったのですか?
塚本監督の映画は、もちろん以前からいろいろ観させていただいていました。最初にお会いしたのは、誰かのお葬式へ行く道すがらすれ違った時だったか。僕も塚本さんも『いだてん』(19年)というドラマに出演したのですが、(撮影)現場では会えませんでした。『シン・仮面ライダー』(23年)では、僕の父という設定だったのですが、その時も現場ではお会いしていません。という感じで、ニアミスはしていたけれど、お会いしたことはありませんでした。

──監督としての塚本さんの印象はどのようなものでしたか?
やはり『鉄男』(89年)が圧倒的でしたね。『KOTOKO』(12年)とかを観ても、日本のインディペンデント映画作りにおける良心、というような印象を抱いていました。

──『ほかげ』への出演の決め手となったのは?
塚本さんの映画にはどんな形でも携わりたいという気持ちが、まずありました。もちろん脚本も読みましたが、それ以前に、塚本さんからお話をいただいた段階でやるつもりでした。そもそも出演オファーを始め、塚本さんはすべてのやり取りを御本人が直接されるんです。通常なら、制作の方が連絡してきたりしますが、ほとんど誰も介入してこない。塚本さんに直で頼まれて、断るのは難しいですよね。

──本作を含めほとんどの作品において、塚本さんは監督だけでなく、脚本、撮影、編集、製作をご自身で手掛けていますね。ここまで徹底したインディペンデントな製作スタイルは、初めての経験ですか?
映画では初めてかもしれないですね。塚本さんは穏和で、柔軟性もあり、とても穏やかにコミュニケーションを取る人です。でも、『ほかげ』のように、熱く燃えているものは感じますし、映画にもそれは表れていると思います。

──脚本を読んだ感想はどんなものでしたか?
淡々としている印象を受けました。完成した映画ほぼその通りの印象でした。特に趣里さんを中心とした前半は、ほとんどが居酒屋の中で展開します。体を売り、子どもと出会い、といった様子が淡々と描かれます。その淡々とした感じは、脚本としては新鮮に感じました。

僕のパートは一転して、野外でのシーンが増えます。監督が脚本を起こしている段階で、どんなビジョンを描いていたのか、どういう画を描こうとしていたのか。監督自身が見たいものに対しての執着が、脚本からそのまま立ち上がっていく感じがしましたね。

──物語の前半は、趣里さんが演じた“女”を巡るストーリーで、後半は森山さんが演じたテキ屋と少年の、ある種のロードムービーのようなスタイルに転調しますね。
そうですね。(登場人物たちは)みんな戦争というものを経て、自分たちを取り巻く環境が劇的に変化しいく中で、何とか生きようとする。そのもがく姿というこの映画の根本的な部分は、全編変わらないと思いますが、風景は大きく変わりますよね。

そこで、僕が演じた男をどのように描くべきかは、塚本さんとよく話しました。あの男は、一見愚連隊のようにも見えます。いずれにしても、自分のことを語らないキャラクターなので、だからこそ彼のバックグランドがどうなっているのかを知るのは重要だった気がします。どこで負傷し、どのように退役して、戦時中および戦後の動乱を生き抜いたのかについては、いろいろと話しましたが、結局、はっきりとは限定しない形で進めることになりました。

──森山さんの演じた男が体現するものは、『野火』の延長線上にあるようにも思います。
僕自身は、あまりそれは考えていなかったですね。思想的なことではなく、僕自身は戦争に関して語る言葉を持っていないと思っています。この役を通じて、戦争体験、あるいは戦争というものを代弁するというような気概で臨んだ感覚はありません。

ただ、実際に戦争を経験した人たちがどんどん少なくなっていく中で──もちろん、日本においてこの80年間、戦争が起こらなかったことは幸せなことではありますが、一方で、世界的に見れば、戦争はどこかで起こり続けているし、日本にいてもその気配は感じるようになってきたという実感はあります。だから、それぞれの年代の方がこの映画を観たときに、どのように感じるのかは気になりますね。

──塚本監督は60代ですが、塚本さんの世代でさえ、戦争はリアルに体験していないわけですよね。塚本監督は、『ほかげ』の起点となったのは、監督が子どもの頃によく通っていた渋谷の裏路地の雰囲気に、怪し気でエネルギッシュな戦後の闇市の面影を感じ取ったことだとおっしゃっていました。森山さんは「戦争」に関連する何かしらの原体験はありますか?
特にはありません。この映画を観て、現在の戦争と何かしら紐づけるかどうかは、ご覧になった皆さんに任せたく思います。こちらから「戦争を意識して観てほしい」とは、僕は言いたくありません。もちろん、そこに主題はありますし、この物語の中にある歴史とか背景を想像しながら演じましたが、「これは戦争映画である」という感じで伝えたいとは思いません。塚本さんには、もしかすると僕とは全然違う考えがあるかもしれませんが。

──この作品に参加するにあたって、何が最も胸に響いたのでしょうか?
シンプルに、モノづくりやクリエイティビティですかね。塚本監督の世界観だったり、作品に係わることに、単純に興味を持ちました。そのクリエイションのプロセスや、どういう人間関係を構築して作品を作り上げているのかを、体験できることがとても大きかった。それが、僕にとっては第一ですね。塚本監督が持つ映画に対する眼差し、あるいはその強度というものに引っ張られて、物語が立ち上がっていくところがとても興味深かったです。

──ロードムービー的な展開になる中で、塚尾さんは旅の相棒となります。彼とは撮影現場において、どのように向かい合ったのですか?
桜雅くんは、クレバーな役者さんです。撮影当時、彼は小学1年生でしたが、そのやんちゃさを持ちつつ、ある種大人びていました。それまでにも撮影現場を経験していたからなのか、彼が持つ聡明さなのかわかりませんが、所謂子役によくある“媚びた芝居”が一切なく、監督や他のスタッフの要望にもきちんと応じられていました。それをとてもナチュラルにしていて、すごいなあと感心しました。

──『ほかげ』には拳銃が象徴的に登場します。子どもが拳銃を所持していることのある種の緊張感が、最初から最後まで貫かれています。森山さんが演じられた役は、ただ拳銃が欲しいだけなら、彼から奪えば良いだけですが、そうはせずに一緒に旅しますね。なぜなのでしょうか?
いろいろな可能性が考えられるかと思います。子どもが拳銃を持っているとは普通は思われないから、自分が持っているよりも安全だということもあるかもしれません。子どもを連れていること自体が、カモフラージュになる側面もあります。外から見れば、二人を親子だと思う人もいるでしょう。

また、この子どもが銃に対して執着を持っているということも関係しているかもしれません。戦争が終わり、リセットされた世の中で生きている人たち、それはこの子どもにもあてはまることです。そういった人に対しての想い、つまり子どもが銃を手放したくないという想いに対して、ある種のリスペクトを持っているということもあり得ると思います。

ただ、僕が演じた男に関しては、戦後、緊張の糸が切れた中で、空虚さや激情を自分でコントロールできなくなっているという側面もあると思います。なので、少年を道連れにしたことも、メリットといった確かな理由があったわけでもないかもしれません。

──この作品の魅力のひとつは、戦争の爪痕や傷跡を描きながらも、“生きる”ことに対すると人間の根源的なエネルギー、あるいは生命力を描いているところだと思いますが、いかがでしょうか?
人間は、どうしても生きることに意味を見出そうとしてしまう。戦争のように不条理に命が失われると、生きることに対する意味をより強く紐づけて考えることがあるだろうと思います。なので、戦争を描くことは、つまり、生きるということを描くことになり、逆説的に「生」を突き付けることになってしまうのでしょうね。

──非情な現実も描かれますが、それでも、塚本監督はやはり人間が好きなんだと感じました。根底に人間を信じているし、生に対して肯定的であることを感じました。塚本監督はデビュー以来、インディペンデントの映画作法を貫いています。今回お仕事をして、映画作家としてどこに魅力を感じましたか?
シンプルに言うと、“全部自分でやる”ということでしょうか。スタッフの中で、いわゆる映画というものでキャリアを積んできたプロフェッショナルの方は少なく、ほとんど公募で集められた方でした。経験はないけど、やる気はある。意図的にそういう方々を集めている気がしました。キャリアを積んだプロフェッショナルだと、たとえ塚本さんをリスペクトしているとしても、その技術や積み上げられた経験そのものが、塚本監督の世界観を作り上げるうえでノイズになるのかもしれないですよね。徹底して自分の中に湧き上がっていくものを突き詰めるために、そういうスタイルを選んでいるのかなと想像します。監督に訊いたこともないし、どんな答えが返ってくるのかわかりませんが、ともかくその執念は本当にすごいと思います。

Photography by Takahiro Idenoshita

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『ほかげ』(英題:Shadow of Fire)

出演:趣里、森山未來
監督:塚本晋也
製作:海獣シアター
2023年/日本/95分/ビスタ/5.1ch/カラー

日本公開:2023年11月25日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
配給:新日本映画社
公式サイト
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