Column

2023.09.16 9:00

【単独インタビュー】『ダンサー イン Paris』セドリック・クラピッシュ監督が描き出すダンサーの夢と実人生

  • Atsuko Tatsuta

ひとりの若き女性ダンサーの第二の人生を、青春映画の名手セドリック・クラピッシュが描いたセドリック・クラピッシュ監督『ダンサー イン Paris』が9月15日(金)に日本公開されました。

パリ・オペラ座バレエ団でエトワールを目指すエリーズ(マリオン・バルボー)。ところが「ラ・バヤデール」の公演中に恋人の裏切りを目撃して動揺し、怪我を負ってしまった彼女は、医師から踊れなくなる可能性を告げられます。10代でバレエを止め、女優という新しい夢を追いかける友人の「人生と一緒に夢も変えた」という言葉に胸を突かれたエリーズは、ブルターニュへと旅立ち、芸術を愛するオーナーが経営する瀟洒なレジデンスで、ホフェッシュ・シェクター率いるダンスカンパニーと出会います。独創的なコンテンポラリーダンスが生み出される過程を目撃し、やがて誘われるまま練習に参加したエリーズは、未知なるダンスを踊る喜びと新たな自分を発見していき──。

『猫が行方不明』(96年)や『PARIS』(08年)など“パリの日常”を描き出す作品や、『スパニッシュ・アパートメント』(02年)、『ロシアン・ドールズ』(05年)など青春群像劇の名手と謳われるフランスの人気監督セドリック・クラピッシュ。一方で、パリ・オペラ座のエトワールを追ったドキュメンタリー『オーレリ・デュポン 輝ける一瞬に』(10年)など、バレエに造形が深いことでも知られています。

夢に挫折した主人公のエリーズ役には、パリ・オペラ座の次世代を担うダンサーのマリオン・バルボー抜擢。さらに、コンテンポラリーダンス業界の鬼才ホフェッシュ・シェクターが本人役で出演しています。

ある意味、クラピッシュ監督の集大成ともいえる『ダンサー イン Paris』。日本公開を前に、クラピッシュ監督がオンラインインタビューに応じてくれました。

──もう30年以上に渡ってあなたの作品を拝観していまが、また新しいフレッシュな感覚の作品を観ることができて大変嬉しいです。
フレッシュとおっしゃるのは、理解できます。この作品は、ダンスを題材として扱っていることもあり、撮影方法も今までとは違っていますからね。

──どのように従来と撮影方法を変えたのですか?
ここ数作は、ドキュメンタリーとフィクションの融合について考えていました。『おかえり、ブルゴーニュへ』(17年)で既に実践していて、ワイナリーのブドウ畑のシーンはドキュメンタリーの手法で撮影し、物語部分はフィクション作品を撮る際の演出をして、融合させています。

今回は、コンテンポラリーダンスの稽古やリハーサルのシーンはドキュメンタリー的な手法で撮影しています。演出を加えず、彼らのリハーサル風景をカメラに収め、その素材をどう見せるかは、編集段階で考えました。つまりドキュメンタリーの部分と、しっかりと書かれたセリフによる物語の演出を、この映画では行き来するわけです。

──ストーリーにおいて、身体的な表現が大変効果的に使用されています。あなたは『オーレリ・デュポン 輝ける一瞬に』なども手掛け、バレエに対する造詣が深いことは存じ上げていますが、あなたが踊りに惹かれる理由は何でしょうか?また、本作ではクラシックバレエだけでなく、コンテンポラリーダンスも登場し、それぞれのダンスにおける身体表現の違いも、ストーリーに組み込まれています。今回、クラシックとコンテンポラリーダンスを対比するような形で引用した理由は?
実は、どちらかといえばコンテンポラリーダンスの方に、先にのめり込みました。むしろ、自分としては、まさかこれほどクラシックバレエを好きになるとは思ってもいませんでした。この2種類の“ボディランゲージ”が表現しようとしていることは、異なります。クラシックバレエは夢幻的で、完璧を目指しながら夢を形作る。一方で、コンテンポラリーダンスは完璧さよりもダンサーそのものの誠実さが重要で、もっとエネルギッシュで、どちらかというと動物的。この表現方法の違いが興味深い。そのため、これらのダンスを同じように撮影することはできませんでした。

──撮影方法は、どう違ったのですか?
クラシックバレエは、基本的にシンメトリーが重要です。動きにおいては、シンメトリックな一つの構図というか、コンポジションをとらないといけない。なので、必ずダンサーの全体像を見せる必要があります。例えばポアント、つまりつま先立ちのポジションの時に、足先だけを撮っても意味がありません。身体のほかの部分がどのようになっていて、つま先立ちの姿勢がとれているのかを見せる必要がります。身体の均衡がとれていることに、意味があるのです。

コンテンポラリーダンスは、先ほども言ったように、エネルギッシュだったり野生的な部分を掘り下げてくダンスなので、手だけ、あるいは顔だけを撮ったりできる。“完璧さ”ではないところに意味があるのです。

──映画中、実際にクラシックバレエとコンテンポラリーダンスの違いをセリフで言わせていますね。クラシックバレエは上方、つまり、空に向かう。夢に向かうとも言えるかもしれません。コンテンポラリーダンスはもっと重心が下と言いますか、地に足がついているものだというセリフがあります。
その通りですね。クラシックバレエにおけるポワントは、できるだけ高く、空気のようにできるだけ軽やかに、ということを目指しているわけです。逆に、コンテンポラリーダンスはほとんど裸足で踊ります。ペタペタと地に足をつけて踊ることも多く、まさに対照的です。

──対照的ということでいえば、この作品では「現実」と「夢」という切り口で人生を描いているとも言えます。これまでもあなたは若者の群像劇、青春映画を撮ってきたわけですが、この作品では若者にとっての現実の厳しさも描く一方で、夢の甘さや尊さも描いている。どちらかに偏ることなく、絶妙なバランスで混在することが人生なんだ、というメッセージを感じられて、とてもあなたらしい素晴らしい作品だと思いました。
そう言っていただけると、本当にとても嬉しいです。どうして私がそういったに若者たちに惹かれるかという理由について話すと……、パスカル・フェラン(監督)の『a.b.c.の可能性』(95年、原題『L’ ge des possibles』は、“可能性の年齢”の意)という作品を観たことはありますか?20歳ほどの若者たちを主人公にした青春映画ですが、20歳前後という時期は、職業についても恋についても、みんな夢を抱いていますよね。けれど、30歳くらいになると、だんだんと自分の進む道を決め込んでしまう。

でも私は、自分の夢や生き方を選びとる権利は、人は年齢に限らず持っていると思います。つまり、ひとつの夢に固執する必要もなく、夢は変わってもいいものなのだと思います。だから、私もあなたがおっしゃってくださったように、夢の部分と日常の厳しさ、それらが合わさったものが人生だと思っています。

──冒頭でエリーズが躍るのは「ラ・バヤデール」ですが、この演目を選んだ理由はなんですか?その後エリーズが、「なぜクラシックバレエの中の女性は裏切られたり悲しい目に遭ったりするのか」と不満気に言いますが、このセリフにあなたは賛同しているのでしょうか?
作品を作る際、私はジャーナリスティックにリサーチします。『おかえり、ブルゴーニュへ』の時は、ワイン醸造家たちに話を聞きました。今回はダンサー、特に女性ダンサーたちにさまざまな話を聞いたのですが、エリーズが言ってたようなことが結構聞こえてきました。クラシックバレエの演目ではいつも、女性の役は悲しかったり傷つけられたり、あるいは死んでしまったりする、と。確かにその通りです。「白鳥の湖」にしても「ラ・バヤデール」にしても、恋愛をしたとしてもハッピーエンドではない。女性の役は悲劇的な運命を辿るばかりです。私自身、なぜでそうなのだろう、ちょっと奇妙だなと疑問に思いますが、クラシックバレエにおいては、そうした女性のイメージが脈々と継承されている。

でも私はこの作品において、“男性らしさ”や“女性らしさ”とはなんだろうと追求してみました。実際、コンテンポラリーダンスではクラシックバレエと違い、女性性をあまり強調しません。ダンサーの数も男女はほとんど同じで、年齢もさまざま。歳を重ねても踊り続けられます。今回はダンスの身体表現を通して、ジェンダー的な問いかけもしてみたのです。

──エリーズとその父親アンリ(ドゥニ・ポダリデス)との関係も興味深かったですね。エリーズは、父親から「愛している」という言葉を聞いたことがない、と思っています。彼はすごく愛情深いのだと思いますが、それを言葉にできない。ジェネレーションの問題もあるかもしれませんが、男性はそう簡単に愛しているとは言わないものだという、固定概念に彼が縛られているということかもしれません。
その通りです。男性は愛情表現に関して控え目というか、なかなか口にしないものだという概念は、フランスも日本も同じだと思います。男性に比べて女性の方が、心理的な洞察力に長けているとも思います。どうしてそうなっているのか、私自身よくわかりませんが。日本映画の中にも、子どもになかなか愛情を表現できない父親をよく見かけます。私は、子どもも親に対して歩み寄り、話し、愛情表現をすることが必要だし、親も子どもが求めているものを理解しなければならないと思います。両方向の努力が必要なのです。

──この父と娘のストーリーをこの映画に入れ込もうと思ったのは、どういう理由からですか?
シナリオを書く前のリサーチで、女性ダンサーたちに話を聞いて回った時に、かなり多くの女性たちが「父親があまり自分のことを評価してくれない」「自分をちゃんと見てくれない」と愚痴をこぼしていました。私は、ダンサーとして成功することで父親に認めてもらうことが、彼女たちのモチベーションのひとつなのだと、とても強く感じ取りました。

──リサーチで聞いた生の声だったのですね。他にも、ダンサーたちから聞いたエピソードで反映したものはありますか?
たくさんありますよ。例えば、「チュチュを着て踊りながら、(同時に)フェミニストであることは難しい」っていうセリフがありますね。これは大きな意味のあるフレーズですが、これも私が実際に耳にしたダンサーの若い女性の言葉です。

──このセリフのあなたの解釈は?
クラシックバレエは、約300年前に王の娯楽として宮廷で発展していった芸術です。そこで描かれる女性のイメージは、美しく、従順で、名無しのオブジェである必要があった。今、私たちはそういった価値観を共有していません。従順でありたくないし、名無しのオブジェにはなりたくない。そう思いながらチュチュを身に着けて踊るのは、女性にとっては複雑なものです。

──本作には、コンテンポラリーダンス界の鬼才ホフェッシュ・シェクターさんが本人役で出演しているのも、見どころのひとつです。どのような経緯で出演されることになったのでしょう?
シェクターと私の関係は、共犯関係とも呼べるかもしれません。7年ほど前に、オペラ座に召喚された4人の現代振付家たちについてのドキュメンタリーを撮った時に彼のことを発見して、彼のダンスパフォーマンスを映画としてカメラに収めています。その時は、やはり世界的に注目されているコンテンポラリーダンスの振付師クリスタル・パイトらもいましたが、シェクターとはすぐにフィーリングが合うと気がつきました。その頃から、友人関係が育まれて、この作品でダンスを題材にしようと思い始めた時に、一緒に連帯してやってくれる相棒が欲しくてオファーしたところ、彼が快諾してくれたという経緯です。一緒に仕事ができて本当に嬉しかったし、幸せでした。

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『ダンサー イン Paris』(原題:En corps)

監督:セドリック・クラピッシュ
振付・音楽:ホフェッシュ・シェクター
出演:マリオン・バルボー、ホフェッシュ・シェクター、ドゥニ・ポダリデス、ミュリエル・ロバン、ピオ・マルマイ、フランソワ・シヴィル、メディ・バキ、スエリア・ヤクーブ
2022/フランス・ベルギー/フランス語・英語/日本語字幕:岩辺いずみ/118分/ビスタ/5.1ch/英題:Rise

日本公開:2023年9月15日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネ・リーブル池袋ほか全国順次公開
提供:ニューセレクト、セテラ・インターナショナル
配給:アルバトロス・フィルム、セテラ・インターナショナル
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ、UniFrance/French Film Season in Japan 2023
公式サイト
© 2022 / CE QUI ME MEUT MOTION PICTURE – STUDIOCANAL – FRANCE 2 CINEMA Photo : EMMANUELLE JACOBSON-ROQUES