Column

2023.07.24 7:00

【単独インタビュー】『サントメール ある被告』アリス・ディオップ監督が捉えた母性と狂気

  • Atsuko Tatsuta

※本記事には映画『サントメール ある被告』のネタバレが含まれます。

第79回ベネチア国際映画祭で審査員グランプリを受賞したアリス・ディオップ監督の『サントメール ある被告』が7月14日(金)に日本公開されました。

若き女性作家ラマ(カイジ・カガメ)は、ロランス・コリー(ガスラジー・マランダ)の裁判を傍聴するため、フランス北部の町サントメールを訪れる。セネガル出身のロランスは、生後15カ月になる娘を海辺に置き去りにし死に至らしめたとして、殺人罪に問われているのだ。完璧なフランス語を話し、教養もある知的なロランスは無罪を主張するが、彼女より30歳以上年上で、娘の父親であるデュモンテ(グザヴィエ・マリ)の証言とは食い違う。そんな中、ラマはロランスの母親と出会う──。

2015年にフランスで実際に起こったセネガル出身の女性ファビエンヌ・カブーの事件にインスパイアされた『サントメール ある被告』。監督を務めたセネガル系フランス人のアリス・ディオップは1979年に生まれ、パリのソルボンヌ大学で歴史と視覚社会学を学んだ後、ドキュメンタリーや短編でキャリアを積み、満を持して本作で長編監督デビュー。ベネチア国際映画祭で審査員大賞(銀獅子賞)とルイジ・デ・ラウレンティス賞(新人監督賞)を受賞し、さらにはアカデミー賞国際長編部門フランス代表に選出されるなど、今最も期待される新進監督です。

日本での公開に合わせて初来日を果たしたアリス・ディオップ監督に単独インタビューを敢行しました。

──『サントメール』は、私が2022年のベネチア国際映画祭で観た中で最も衝撃を受けた作品でした。素晴らしい作品が日本で公開されることになり、嬉しい限りです。この作品にあなたが取り組むきっかけとなったのは、ル・モンド(フランスの大手新聞)に掲載された1枚の写真だったそうですね。実際に起きた事件にインスパイアされたということですが、その事件のどこにあなたは興味を惹かれたのでしょうか?
ありがとうございます。実は、最初は直感でした。ファビエンヌ・カブーの事件をニュースで知った時、どうしてこの酷い事件に興味が湧くのか、私自身よくわかっていませんでした。私には子どももいましたし、母親が実子を殺すなんて、まったく理解できなかったのです。

その漠然とした興味の理由の答えを見出すためには、裁判を傍聴することが必要でした。そして、裁判を傍聴したことによって、私は自分の中のとても深いところで、(その理由が)母性と複雑な形で関連していることに気が付きました。でも、それは私だけではなかったと思います。裁判に出席したすべての女性が、同じように自分の中にも母性に関する複雑さを抱えていることに気づいたのだと思います。

──裁判をすべて傍聴されたのですね。その間、あなた自身の心境に変化はありましたか?ファビエンヌ・カブーのどのような部分があなたの心を捉えたのでしょうか?
はい、すべてを傍聴しました。その間絶えず、私の心は揺れ動いていました。すごく感動することもあれば、怒りを覚えることもありました。というのも、ファビエンヌは、冷静どころか冷淡にさえ見える時もあったからです。自分がやったことに対して罪悪感すら抱いていないようにも見えました。哀れな母親を演じているようにも見えることもありました。

確かに、この裁判は私にとって特殊なものでした。私は、絶対に何が起こったのか真実を知りたい、理解したいという思いに取り憑かれました。オブセッションとなり、頭から離れなかったのです。でもそれは私だけではなく、傍聴席にいたすべてのジャーナリストなどすべての女性が、彼女の行動を理解したいと切望していたと思います。なぜならば、そこに私たち女性は危うさを感じたから。彼女のことを知れば知るほど、自分の中にもある隠れていた何かが浮かび上がってくるというか。私は子どもをどうやって育ててきたのだろう?子どもをどうやって育てればよかったのだろう?そういう自問自答の渦に巻き込まれて、自分の中の一番深い、深層心理のようなところに埋もれてしまうかもしれないという危うさです。だからこそ私たちは皆、彼女自身や彼女の行動を理解したいと思いました。本来なら聞くのもおぞましい、酷い事件なのにも関わらず。

そういった感情を、あそこにいた女性たちと確かに共有していたと思います。ひと口に“母性”といいますが、母性は決して美しいものではないのだと思います。とても曖昧で、時として暴力的で過激でさえあるのです。

──そしてあなたは最終的に、彼女を理解できたのでしょうか?
映画を撮る前も、撮っている最中も、私にとって最も重要だったのは、彼女を理解することでした。映画が出来上がった時、上映会に彼女の弁護士が来てくれたのですが、上映後に涙を流して、「あなたはファビエンヌをちゃんと理解してくれた」と言ってくれました。それは私にとってとても重要なことでした。この作品に描かれている状況は、とても複雑です。言語面、倫理面など、あらゆる面で。でも私は、彼女を裁くのではなく、ひとりの人間として描きたいと思いました。だから私は、ただひたすら彼女の話を聴きました。それは、おそらく弁護人がファビエンヌに対して行ったことと同じだったのかもしれません。

実は、ファビエンヌは今年の1月に出所しています。彼女と弁護士、そして私の二人のプロデューサーたちは、今では友人関係です。ファビエンヌは刑務所の中で、この映画がとても反響が大きく、良い批評がたくさん出ていることも知っていました。出所してこの作品を実際に観た時、彼女は、映画の中で自分が尊厳を持って扱われていると感じたと言ってくれました。さらに、この映画がさまざまな社会問題を描いている点にも興味を持ってくれました。それは彼女にとっても大事なことですから。彼女には、そうした冷静な視点があります。そのことには大変感動させられます。

──当初ファビエンヌを冷たいとも感じたあなたが、彼女に共感するようになったきっかけは何でしょうか?
裁判を傍聴している時は、さまざまな瞬間で私は衝撃を受け、動揺しました。ただ、彼女の存在、彼女の物語は、私にとって何かしら響くことがあったのです。

ファビエンヌはまるでプロの話し手のように上手く話します。きちんと理解してもらおうと、一生懸命に美しい言葉で話します。当初は、あまりに上手過ぎて彼女の言葉に心打たれることはありませんでした。けれども、出産時の孤独について話した時は感情が溢れ出ていて、それは私に衝撃を与えました。

特に、彼女が子どもを殺害した状況を描写する時の話し方はとても演劇的というか、まるでマルグリット・デュラスの文章を読んでいるような感じでした。言葉の選び方と話し方、それは私にとって衝撃的で、動揺してしまったのです。私はこれをどう理解すればいいのか、と。

ただ、彼女がなぜかわからないけれど列車に乗ったという話は、神話的にも聞こえました。神話性は普遍的なもので、時空を越えます。それによって傍聴者も、自分ごとのように考えられるようになるのです。

──先ほど、あなたは「法廷にいたすべての女性は同じように感じたはず」とおっしゃいましたが、そこにいた男性はどうだったのでしょうか?
裁判を傍聴していた男性たちのリアクションは、あまり覚えていません。でも、この映画を観た男性のリアクションに、私はかなり驚きました。二人のプロデューサーがこの映画を観た最初の男性観客なのですが、普段はまったく冷静で感情を表に出さないのに、映画を観た後は、3時間も泣きながら街を彷徨わなければ心が落ち着かなかったというほど衝撃を受けていました。それを私は目の当たりにしました。

ワイルドバンチ(フランスの大手配給会社)のヴァンサン・マラヴァルも、雷に打たれたような衝撃を受けたと言っていました。でもそれは、自分の妻や母親を思ってそういう気持ちになったのではありません。本質的に女性が持っている狂気を、すべての母親が共有しているのだということに衝撃を受けたのです。男性はこの作品で、今まで知ることができなかったかなり深い女性性というものを発見し、経験するでしょう。私の親友の男性は、彼が9歳だった頃の母親のことを思い出して、トイレに入って大泣きをしていました。そうした男性たちの反応には驚きましたし、今もそういう感想はよく耳にします。

──主人公のラマには、あなた自身が投影されているといえますか?
まったく同一ではありませんが、ラマに私の一部が投影されているのは事実です。ラマは、この映画のための虚構のキャラクターです。そうした人物を登場させたのには、もちろん演出的な意図があります。この事件にはドキュメンタリーを150本ほど撮れるほどいろいろなテーマが内包されていると思いますが、フィクションで描くにあたり、私にとって最も興味深いテーマである“母性”にフォーカスしようと思いました。単なる法廷劇にはするつもりはありませんでした。実はこの事件を題材にしたTV番組が既につくられていましたが、それは私がとったアプローチとは全く異なる法廷劇です。

私は、自分がこの事件に対して共鳴したものをラマの中に反映させようと思いました。おそらく多くの観客の方は、ラマがいたからこそ、この物語に少しでも共鳴することができるのだと思います。

一方で、私が裁判を傍聴していた時期は(ラマのように)妊娠もしておらず、私は母を17歳の時に亡くしていますし、ラマとは境遇も生き方も違います。でも、彼女が求めているもの、問題提起していることなどは、とても共通しています。そして、ラマとロランスという二人が体現している母親なるもの、あるいは母性には、多くの人が共感してくれると思います。

──ロランスだけでなく、ラマがアフリカ系の女性であることは、あなたにとって大きな意味があったのですね?
はい、その通りです。この二人の主人公が黒人女性であることは意図的であり、その役割以上の意味があります。この二人の黒人女性を普遍的な存在、つまり“ネグリチュード”と呼ばれる“黒人の特質”に閉じ込められていない人々として描きたかった。フランスでは、例えば移民であるとか、何かしら“黒人女性らしい”役割を与えないと、映画、あるいはシナリオに黒人女性が登場できないという風潮がありますからね。

ロランスは知的な女性です。非常に複雑な、まさに文学の主人公として描かれるような人物だとも言えます。ラマもインテリで、(ラマのルーツである)アフリカ系作家の研究者ではなく、マルグリット・デュラスを研究するような教授としました。おそらく黒人女性がこんな風に描かれたことは、ヨーロッパ、とりわけフランス映画にはありませんでした。私にとって、今まで表象されることがなかったような黒人女性たちを映画に登場させ、普遍性を持たせることは、とても重要でした。この二人の女性の描き方は、私なりのポリティカルステートメントなのです。

もう少し付け加えさせてください。この作品はいろいろなレベルでの読解が可能ですからね。実は、移民問題という側面から見ても、女性移民に関してあまり語られてこなかったと思っています。例えばラマの母親は、ほとんど言葉にすることはありませんが、痛ましさを体現しています。移民の苦しみ、痛ましさ。そうした母親の経験は、娘に沈黙をもって伝承される。それは多くの場合、キッチンで行われるのです。

──移民の物語ということでいえば、この作品は、「理解できないもの」に対する不寛容、あるいは、それらを理解しようとする姿勢についても描かれていますね。ロランスを単なる“殺人者”として表面的に捉えるのではなく、複雑な人生や異なる文化を持つひとりの人間としてその言葉に耳を傾けると、さまざまなことが見えてきます。観客もあなたと同様に、ロランスを理解したいと思うようになります。そこで質問ですが、「叔母に呪術をかけられた」とロランスが主張するわけですが、これも元々ファビエンヌの言葉なのでしょうか?
“マラブタージュ”という呪術は、裁判記録にも登場します。ですが、ファビエンヌが本当にそれを信じていたためにマブラタージュに言及したのか、あるいはただの口実に使ったのか、本当のところは私たちにはわかりません。

非科学的で理論では説明できないものとしての呪術をこの作品に入れた理由は、まさに白人社会が、アフリカ系の黒人に持つ偏見や幻想を象徴しているように思ったからです。ファビエンヌ・カブーもロレンス・コリーも、白人たちがイメージするアフリカ系女性の行動に相反する。法廷で一番最初に彼女を尋問する予審判事は、“黒人だけれども”非常にに聡明で教養もあるファビエンヌがなぜこのような罪を犯したのか、理解ができません。そして彼女に、「ひょっとしてあなたの文化的背景が理由になっているのではないか」と言うわけです。ファビエンヌは「私は合理的な人間だ」と一旦は答えますが、休憩を挟んだ後の尋問では、呪術のせいにしています。つまり、予審の判事の決めつけや思い込みに彼女はつけ込んだのだと私は思っています。

──脚本には、これまでのあなたの作品に編集者として携わっているアムリタ・ダヴィドと、フランス文学界における重要な小説家のマリー・ンディアイも参加していますね。3人の女性でどのように脚本を練り上げていったのでしょうか?
はい、3人のタフな女性たちで脚本を執筆しました(笑)。まず、今回はありきたりなストーリーテリングにしたくなかった。私ひとりだといつもと同じような語り口になってしまうかも知れず、3人の共同脚本とすることで、今までとはまったく異なるものになることを期待しました。

いつも編集者として私の作品に関わっているアムリタは、脚本に携わったのは初めてです。マリーも一度くらい何かの作品の脚本にクレジットされたことはありますが、本格的に脚本を手掛けたことはありませんでした。私たちは従来のやり方にとらわれず、ディスカッションを重ねて、彫刻を作り上げるようにラマという女性像を構築し、脚本を練り上げていきました。女性としての苦しみ、母子関係の難しさ、自分たちの心の内面などを赤裸々に話し合いました。お互いがとても信頼をし合えているからこその、本音での話し合いでした。結果的に、マリーともすごく仲良くなりました。

そういう風に作り上げた虚構の女性ラマと、ファビエンヌという実在のモデルがいるロランス。実話と虚構をどうやって共鳴させるかということが、脚本の鍵でしたね。非常にイコノクラスム的なやり方だったと思います。

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『サントメール ある被告』(原題:Saint Omer)

監督:アリス・ディオップ
出演:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、ロバート・カンタレラ
2022/フランス/フランス語/123分/カラー/G/字幕:岩辺いずみ

日本公開:2023年7月14日(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開予定
配給:トランスフォーマー
公式サイト
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