Column

2023.06.02 16:00

【単独インタビュー】『Rodeo ロデオ』ローラ・キヴォロン × アントニア・ブルジが描き出す“現代の西部劇”における女性像

  • Atsuko Tatsuta

第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で注目されたローラ・キヴォロン監督の長編デビュー作『Rodeo ロデオ』が6月2日(金)より日本公開されます。

バイクに跨る為にこの世に生を受けたようなジュリア(ジュリー・ルドリュー)。短気で独立心の強い彼女は、ある夏の日、ヘルメットを装着せずにアクロバティックな技を操りながら公道を全速力で疾走する「クロスビトゥーム」のバイカーたちと出会います。ある事件をきっかけに、彼らが組織する秘密結社の一員となったジュリアは、超男性的な集団の中で自分の存在を証明しようと努力しますが、次第にエスカレートする彼らの要求に直面し、コミュニティでの自分の居場所に疑問を持ち始めますが──。

ローラ・キヴォロン監督の長編デビュー作『Rodeo ロデオ』は、2022年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に選出され、審査員長ヴァレリア・ゴリノ率いる審査員団の絶大な支持を受けて、本作のために特別に設けられた“審査員の心を射抜いた”という意味のクー・ド・クール・デュ・ジュリー賞を受賞。#MeToo運動以降に誕生した全く新たな女性映画の出現は、カンヌに集った映画関係者はもちろん、ジャーナリスト、観客たちに最大限の歓迎と共感を持って迎え入れられました。

昨年12月に開催された「フランス映画祭2022 横浜」で来日した監督・脚本のローラ・キヴォロンと、メインキャストのひとりオフェリーとして出演し共同脚本も手掛けているアントニア・ブルジが、Fan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。

アントニア・ブルジ、ローラ・キヴォロン

──フランス映画祭での上映を終えたばかりですが、観客の反応は如何でしたか?
ローラ・キヴォロン 非常に満足していただけたかと思います。観客からのQ&Aも行い、時間の都合上、1問しか答えられませんでしたが、若い男性の方から主人公のジェンダーアイデンティティについての鋭い質問を受けたことが印象的に残っています。

──本作はお二人の共同脚本ですが、コラボレーションに至った経緯から教えていただけますか?
キヴォロン 当初は私の内面的な部分を起点としてキャラクターを構築していましたが、脚本を書き進める中でさまざまな変更を加えていきました。主人公であるジュリアが自分を開放していくというストーリーですが、彼女が戦士のように戦う姿を描きたいと思いました。ジュリアの主観的な視点から見た世界に始まり、徐々に夢や幻覚のようなファンタジックな面を加えていきました。だから、本作にはアクション映画の側面だけでなく、ファンタジー的な面もあります。

初期の頃に、アントニアと一緒に執筆することになりました。私たちは恋人関係にあるので、もともとこの作品について毎日あれこれ話をしていました。脚本を書き進める中で、アントニアは灯台の光のような、道標となる存在でした。この物語は私の中にある非常に親密で個人的なものだったので、それを語るのは簡単なことではなく、不安もありました。でもそういう時にアントニアがそばにいて、安心感を与えてくれました。

アントニア・ブルジ 私は俳優ということもあり、これまであまり脚本に参加することはありませんでした。でも今回取り組んでみて、脚本を書くことは役者の仕事とも似ている作業だと気付きました。脚本が完成するまで5年かかりましたが、その間、私は政治に向き合ったり、本を読んだり学んだりしながら、内面的な変化を経験しました。そういった様々な変化を脚本に反映させることで、より豊かな内容にしていきました。

脚本を執筆していて特に面白かったのは、会話部分ですね。自分が演技する姿をイメージをしながら、できる限り無駄を削ぎ落とし、リズムを考えつつ会話を組み立てていくのはとても楽しかったです。

──脚本に5年もかけたのは、熟考しながら執筆したかったからでしょうか?
キヴォロン 時間を要した理由はいくつかあります。この私の長編デビュー作のプロジェクトが自分の中でスタートしたのは、2015〜16年頃でした。当時は映画学校フェミス(La Fémis)の生徒だったので、すぐに映画業界に飛び込んでプロジェクトを進めるというわけでもありませんでした。そして、自分自身を解放し、物語を紡いでいくという作業にも時間が掛かりました。スムーズにいかないことも多々ありましたが、アントニアが根気強く付き添ってくれました。それから、クロスビトゥームのバイカーたちとの信頼関係を築くのにも時間が必要でした。こうしたいくつもの理由で、結果的に5年も掛かってしまいました。意図して時間を掛けたわけではないですね(笑)。

──アントニアさんもクロスビトゥームのコミュニティに入って一緒に行動したのですか?
ブルジ 私がローラと出会ったのは6年前です。当時、ローラはすでにクロスビトゥームのライダーたちと出会っていて、魅了されていました。私も彼女が好きなものに接したいと思い、彼女がライダーの集まりに行くときに同伴し、彼らと友情を育むようになりました。本作の脚本を書いている最中にも、別の中編作品やビデオクリップを作ったりしながら、二人の生活の中にクロスビトゥームが日常的に入り込んできました。ライダーたちも、クロスビトゥームにかける情熱についてなど、たくさんのことを教えてくれました。彼らも徐々に変わっていったし、私たちもクロスビトゥームに対してさらに深い情熱を持つようになりました。

──アントニアさんはクロスビトゥームのどういった面に興味を持たれたのですか?
ブルジ 彼らの連帯感ですね。凄まじい情熱を持つ人々が集まり、強固な絆で結びついている。中には儀式的な一面もあります。もちろん彼らの(バイクの)テクニックやパフォーマンスにも魅了されました。そういったものが合わさり、一つの世界を形作っていることにとても惹かれました。

彼らの考え方にも感銘を受けましたね。クロスビトゥームをやっていることで彼らは差別や偏見に晒されていますが、そうした現実に向き合い、価値のあることをしている自分たちのことを認めて欲しいという想いを、多くの人に伝えたがっていました。

──オフェリーというキャラクターは、アントニアさんが演じることを想定して当て書きしたのでしょうか?
キヴォロン アントニアに女優として出演してもらいたいという思いは当初からありました。彼女のための役柄をこの作品の中に見出すために、ずっとオフェリーという人物像について考えていました。そして、ジュリア、オフェリー、ドミノという三者の関係を踏まえて、徐々にオフェリーのキャラクターが形成されていきました。

当初、オフェリーは他から孤立した存在として書いていましたが、アントニアを作品に出したいという強い気持ちもあり、最終的にとても重要な役柄になりました。あらゆる意味で強さを持った、密度の濃い人物に仕上がったと思います。採用しませんでしたが、実は最後にジュリアとオフェリーが一緒にコルシカに旅立つというハッピーエンドも考えていました。

──オフェリーは男性に支配されている女性ですが、アントニアさんはそんな彼女をどのように解釈されたのでしょうか?
ブルジ 確かにオフェリーという人物は男性の支配下に置かれ、家という牢獄に繋ぎ止められている女性です。一見するとステレオタイプな女性、母親像ですね。でも、女性的なものを体現する存在であると同時に、その置かれている環境を乗り越える力を持っている女性であることも示されます。そういう意味では、ステレオタイプな女性像・母親像を打ち砕く力を持つ女性だと私は解釈しています。

──家の外に出ようとしないオフェリーに、なぜ外に出ないのかとジュリアが尋ねると、「道路が近いから危ない」と答えますね。監獄に入れられているようなシチュエーションを自ら選んでいるとも見えます。このシーンにはどのような意味が込められているのでしょうか?
キヴォロン オフェリーはチャンスを前にしても、どうせ無理だろうという諦めの気持ちを持っている人物です。ドミノという強い男の支配下から抜け出すことを考えられなくなってしまっている。そこには、ヘテロセクシャル的とも言えるステレオタイプな関係性があります。決定権があるのは男、眼差しを向けるのも受けるのも男という。女性は男の視線に影響を受けざるを得ない存在という、典型的な現実があるのかもしれません。

また、経済的に自立していないことも自由に動けないことに繋がっています。“ドミノの女”という枠にはめられている。当初、カイス役を演じる予定だった知人が刑務所に収監されていたことがあり、ローラが面会に行ったところ、面会に来ているのは母親や姉妹、恋人など、女性だけでした。彼女らに話を聞いて、そこからさらにオフェリーの人物像を膨らませていきました。

ドミノを演じたセバスティアン(・シュローダー)とキリアンを演じたコーディ(・シュローダー)は親子なのですが、作品の準備中に二人の家族と一緒になることがあって、コーディの母親が、セバスティアンが刑務所にいた間どんな風に過ごしていたかを教えてくれました。マンションに住んでいたそうなのですが、幼い息子と二人きりで過ごしている間は、何かあったら大変だと窓を全部閉め切っていたそうです。息子には「お父さんが帰ってきたら窓を開けようね」と伝えて。その話も、オフェリーのエピソードとして組み込みました。

──キヴォロン監督は戦争映画やアクション映画がお好きだそうですね。それらはかつて男性監督が得意としていたテーマですが、昨今女性監督により再解釈され、新たな表現で生まれ変わっています。もともと男性が戦争やアクションに興味があるのは、自分の力を誇示しなければいけないという意識によるものという説もありますが、あなたは何故そのようなジャンルに興味を持たれているのでしょうか?
キヴォロン 男性が相手を屈服させるために使う常套手段としての“暴力”というテーマに興味がありました。もしかすると私の場合は逆に、男性から身を守るために暴力に頼ろうとする側面があるのかもしれません。戦争映画が好きな理由は、大抵の場合そのような作品は暴力や抑圧的なシステムを批判しているからです。例えば『フルメタル・ジャケット』(87年)や『ディア・ハンター』(78年)、それからキャスリン・ビグローの『ハート・ロッカー』(08年)など。

それらの作品の特徴は、主人公が暴力によりパラノイアのようになっていくことです。暴力とはそういうものだと示されるわけですね。『Rodeo ロデオ』でも同様です。内に暴力的な衝動を秘めた主人公が、最終的に暴力や怒りで身を焦がしていき、最後には燃え尽きてしまう。女性も暴力的な男性社会に同一化すると、暴力により破滅してしまう。本作では暴力が持つそんな危うさを描いています。

──撮影時、クラシカルな西部劇で使われるような機材選びをしつつ、ドキュメンタリー風の映像を目指したと伺いました。本作の撮影機材及び映像表現へのこだわりを教えていただけますか?
キヴォロン どのような撮影機材を使用するかによって、演出の仕方は変わってきます。本作を撮るにあたりイメージとして念頭にあったのが、西部劇でカウボーイとネイティブアメリカンの乗った馬が一斉に走り回るようなシーン。そのために、アスペクト比はシネマスコープ、レンズはアナモルフィックレンズという地平線がカーブして見えるものを採用しました。それを使うことでワイドショットに深みが出たり、陰影、凹凸がハッキリ出るようになります。使用したカメラはALEXA Mini。レンズの重量的に撮影が制限されることもありましたが、実際に西部劇で使われる機材を使いつつ、仕上がりとしては出来る限りドキュメンタリータッチの映像を目指しました。

撮影時は360°撮れるように、スタッフが映り込まないよう工夫をしましたね。照明に関しても、煩わしい光の演出から解放されたいという思いもあり、どのシーンも自然光で撮影しました。通常重いレンズを使うと固定ショットになりがちですが、幸いにも撮影監督が体を鍛えている人だったので、29日もの撮影期間を何とか乗り越えることができました。

──そのイメージされた西部劇というのは、どのような作品でしょう?
キヴォロン ジョン・フォードの『捜索者』(56年)や『リバティ・バランスを射った男』(62年)、アンソニー・マンの『ウィンチェスター銃’73』(50年)など。あとは『マッドマックス 怒りのデスロード』(15年)も。あの作品は現代における西部劇ですからね。

それから、語り口として西部劇の興味深いところは、よそ者の捉え方ですね。大抵、西部劇では二つのコミュニティが登場し、片側の視点から描かれます。基本的に白人ですが。彼らは、自分のコミュニティに属さない人物、例えばネイティブアメリカンやカウボーイなどといった、彼らの法を守らない人たちをどのように見るか。西部的のそういった視点が、社会学的にも道徳的にも、とても興味が惹かれます。

──ありがとうございました。

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『Rodeo ロデオ』(原題:Rodeo)

出演:ジュリー・ルドリュー、カイス ヤニス・ラフキ、アントニア・ブルジ、コーディ・シュローダー、ルイ・ソットン、ジュニア・コレイア、アハメッド・ハムデイ、ダブ・ンサマン、ムスタフ・ディアンカ、モハメド・ベッタアール、クリス・マコディ、ジャンニ・カイラ、クェンティン・アリジ、ブリス・ストラエイリ、セバスティアン・シュローダー
監督・脚本:ローラ・キヴォロン
共同脚本:アントニア・ブルジ

日本公開:2023年6月2日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、K’s cinema、アップリンク吉祥寺他全国順次公開
配給:リアリーライクフィルムズ + ムービー・アクト・プロジェクト
提供:リアリーライクフィルムズ
公式サイト
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