Column

2023.05.05 20:00

【単独インタビュー】『それでも私は生きていく』メルヴィル・プポー&パスカル・グレゴリーが語る女性監督とフランス映画界の今

  • Atsuko Tatsuta

第75回カンヌ国際映画祭でヨーロッパ・シネマ・レーベル賞を受賞したミア・ハンセン=ラブ監督の自伝的作品『それでも私は生きていく』が5月5日(金・祝)より日本公開されます。

パリの小さなアパートで8歳の娘と暮らすシングルマザーのサンドラ(レア・セドゥ)は、病で視力と記憶を失いつつある父ゲオルグ(パスカル・グレゴリー)の介護のかたわら、通訳としての仕事や子育てなどに追われる日々を送っていました。ある日、旧友のクレマン(メルヴィル・プポー)と偶然再会し、二人の関係は恋人に発展していきます。サンドラは病を患う最愛の父に対するやるせない思いと、新たな恋に対するときめきに揺れ──。

前作『ベルイマン島にて』を手掛けた後、当時病床にあった父親の病から得たインスピレーションを盛り込みながら脚本を執筆したというハンセン=ラブは、「私の周りで起きていることを、なんとか理解しようとしていました。悲しみと再生という、正反対の二つの感情がどのように同時に存在し、影響し合うのかを、この映画で表現したかったんです」と本作の起点について語っています。

レア・セドゥをイメージして当て書きされたというサンドラの、いまを生きるひとりの女性の等身大の姿を、ハンセン=ラブの定番ともいえる35ミリフィルムで詩的に描き出した『それでも私は生きていく』。哲学の教師であるが故に大事にしてきた“知識”や“言葉”が病により失っていく父親ゲオルグ役には、エリック・ロメール監督作品の常連としても知られる名優パスカル・グレゴリー。サンドラにとって希望の光のような存在として登場する恋人クレマンを演じるのは、『わたしはロランス』(12年)のメルヴィル・プポー。

昨年12月にフランス映画祭2022横浜で来日した、フランス映画界を代表する名優パスカル・グレゴリーとメルヴィル・プポーが、Fan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。

──『それでも私は生きていく』は、ミア・ハンセン=ラブ監督の父親との関係を反映させたとてもプライベートな作品ですが、お二人はどのような経緯で出演することになったのですか?
メルヴィル・プポー ミア・ハンセン=ラブ監督は、とても好きな監督です。彼女が今まで監督した映画もすべて好きですし、長い間、ぜひ一緒に仕事したいと思っていました。主演のレア・セドゥは20年以上前からの友人なのですが、彼女とも共演したいと思いましたし、しかも恋人役という設定にも惹かれました。脚本を読んだら、とてもよく書かれていて感動しました。ピュアで、人生についてひたむきに美しく語っていると思いました。脚本はロメール的な感じもしましたね。

──特にロメール的だと感じた部分は?
プポー ロメール作品は、登場人物が歩きながらでもずっと話を続けているのが特徴的ですよね。動きはすごく細かく決められていますが。それから映画に登場する道や建物の名前は実在のもの。つまり、映画なのだけれど映画のようではないというか、ファンタジーではない。なので、ハンセン=ラブ監督の作品も、リアリティを追求しているところなどはとてもロメール的だと思いました。それにロメールの常連俳優であるパスカル・グレゴリーにも出演を依頼していますしね。

──ミア・ハンセン=ラブ監督は、イングマール・ベルイマンからも影響を受けていますよね?
プポー はい。ミア・ハンセン=ラブは、ロメール監督とベルイマン監督から大きな影響を受けていますが、そこに自分なりのスタイルを付け加えて映画を作り上げていると思います。(ハンセン=ラブと)ロメールとの違いといえば、テーマの選び方がより悲観的と言いますか、個人的なテーマの選び方をしていると思います。映画の装飾とか美術とか、そういった美的な部分はロメール的です。それから、主人公のサンドラの髪形は、ベルイマン映画の常連であるビビ・アンデショーンという女優の髪形を彷彿とさせるものがあったりします。

──グレゴリーさんは、この作品へ出演するにあたっての最も大きなモチベーションは何だったのですか?そしてミア・ハンセン=ラブ監督の父親を反映した役を演じられていますが、監督とは、彼女の父親あるいは父親との体験について具体的な話をされたのですか?
パスカル・グレゴリー この役のオファーが来たとき、役者にとってこんなに演じて面白い役はないだろうと思いました。ゲオルグという人物は、本来の人生を生きられなくなるという現実に直面している人。ちょっと難しい役どころです。ミア・ハンセン=ラブ監督の現場ではセリフを完全に暗記し、厳密に一言一句、彼女の思い描く通りの世界を表現しなければなりません。アドリブは一切許されていませんでした。そうした経験が出来たことで、役者としてこの作品に携われてとても良かったと思っています。

実は、ミア・ハンセン=ラブの映画をあまり観たことがなかったのですが、この映画をきっかけに、彼女のことや彼女の映画についていろいろと知ることができました。そして、一緒に映画を作っていく中で、ロメール監督の作品とも類似点がすごく多いと感じました。もちろん、他の監督の影響も受けているとは思いますが、特にロメールとは共通点が多いですね。

──ゲオルグは実際にあなたがおっしゃったように、病によって知識や言葉が失われていくという非常に辛い現実に直面しています。近年では、アカデミー賞でアンソニー・ホプキンスが主演男優賞を受賞した『ファーザー』という作品で、認知症が実にリアルに描かれました。病や老いによってさまざまな機能が失われていく中で、人がどのように尊厳を持って生きられるのかというテーマについて描く映画も多くなったように思います。
グレゴリー そういったことは高齢になることで起こりますが、ミアの父親が病気になった時は私の年齢よりも若かったし、このゲオルグも、私の実際の年齢よりも若いという設定です。『ファーザー』の内容は聞いていたのですが、演じる前に影響を受けたくなかったので、あえて観ませんでした。今は観てみたいと思っていますけれどね。

役作りに関して言えば、ミアは病に冒されてからのお父さんとのやり取りを録音していて、そのテープを聞かせてくれました。それによって、この役柄をより深く理解することができたと思いますし、とても意味のあることでした。例えば映画の中で、ゲオルグが言葉を発するけれど意味がないような言葉だったり、矛盾していたり、一貫していないようなシーンがありますよね。また、“死にたい”と言うシーンもあります。これらのシーンは、実際のやり取りをかなり参考にしています。ゲオルグにそのような瞬間があることによって、周りの人間は彼を助けてあげたいという気持ちになったりするのです。また、そういったときに彼が発する言葉は、とても詩的で美しい。そして数少ない言葉が逆に、人々の共感を呼ぶのだと思いました。

──映画界ではジェンダーについて語られることがすごく増えてきました。今作でお二人は、女性から見た父親と女性から見た恋人をそれぞれ演じていらっしゃいますが、女性の視点から見た姿が描かれることによって、あなた方はそれぞれのキャラクターをどのように捉えたのでしょうか?女性ならではの視点はあると感じられましたか?
プポー 私は最近4つの作品に出演したのですが、その4つともが女性監督でした。たまたまのことですがね。ただ、男性監督と女性監督との違いはほとんどないと思います。よく聞かれることではありますが、例えばストーリー上の登場人物は女性ならではのチョイスもあるかもしれませんが、現場においては監督のビジョンさえはっきりしてさえいれば……

──でも、あなたが演じたクレマンという恋人は、女性から見た男性だなと私は感じました。
プポー そうですね。そういう意味では、彼はパーフェクト過ぎると思いました(笑)。クレマンは、知的な理系の仕事に就いています。恋に落ち、セクシーで、誠実で、約束は守るし、小さな子どもの世話もすごく好き。あらゆることがパーフェクト。女性から見た理想の男性像が描かれていますが、私個人としては、もう少しあやふやな、はっきりしないような人物の方が人間的には惹かれます(笑)。ただ、ミア・ハンセン=ラブは女性を安心させてくれるような存在を描きたかったので、クレマンがそんなパーフェクトな人になったのだと思います。

グレゴリー 先ほどの女性監督、男性監督の話で私の私見を述べさせていただきたいと思います。私の意見はメルヴィルとはちょっと違います。私は最近、3つの作品で女性監督と一緒に仕事をしましたが、やはり女性監督と男性監督では、基本的にはすごく違うと思っています。最近は女性監督が増えていますが、女性監督というのは、この映画監督という非常に難しい職業をすごく力強く、自信を持ってやっていらっしゃると思います。男性監督は、そもそも怠け者な気がします。女性のほうが確実に真面目に取り組み、力強く成熟している方が多いと思います。なので、撮影現場での要求も多く、質の高いものが望まれます。もしかすると女性はそういう風に生まれついているのではないかと私は思います。歴史上、今まで長いこと男性監督が支配していたフランス映画界で、女性たちはある意味虐げられていました。ここ最近、発言の場が増えて、映画監督も女性が増えているのは本当に喜ばしいことだと思います。監督をこなせる力は女性にも十分にあるのですから。

──お二人とも最近出演された作品が女性監督のものだというのは、嬉しい衝撃です。
プポー パスカルが今言ったことには、私も同意します。とても良い時代になってきていると思います。社会でいま何かが変わってきていると感じています。私には21歳の娘がいるのですが、彼女を見ていても、世界的にも世の中は変わり、女性たちが勇気をもって主張することができる時代になったと思います。女性が権力を握る時代が間もなく来るでしょう。

──2ヶ月ほど前、『あのこと』でベネチア国際映画祭の金獅子賞を受賞したオードレイ・ディヴァン監督にオンラインでインタビューした際、「ル・フィルム・フランセーズ」(フランスの業界誌)を手にとって、とても怒っていらっしゃいました。表紙が、「男性監督が自分たちの権利を守る」みたいな主張しているものでした。この騒動はあなた方もご存知ですよね?

プポー その件については、ちょっとどうかなと私も思いました。(表紙の撮影には)男性しか参加しておらず、それに対してTwitterなどでいろいろな意見がありました。私は個人的には彼らのやったことには賛同できませんが、誰にでも主張する権利があるという意味では、彼らが自らの意見を主張すること自体は良いと思います。新型コロナを経て、フランス映画界が復活して再び勢いが戻ってきたと主張するのは良いですよね。ただ、そこに男性しかいなかったのはどうかなと思います。

──あれはフランスではスキャンダルになったのですね?
プポー 一部ですがね。どこかで謝罪もあったような気がします。先ほどおっしゃったように、ベネチア映画祭やカンヌ映画祭でも女性監督が台頭してきていて、まさに女性監督がときめく時代がやって来ていると思います。非常に成功している人も多い。先ほど挙げられたオードレイ、それからアリス・ディオップ監督はベネチア映画祭で賞を獲っていますし、それからジュリア・デュクルノーはカンヌで受賞しています。一連の動きを見ても女性監督の時代が来ていると思います。

──女性監督の作品は、今までの男性社会へのアンチテーゼのようなものが多い気もします。例えばデュクルノーは、もともと男性監督が得意とするボディホラーを描いていますし、フランス映画祭で来日しているローラ・キヴォロン監督の『Rodeo ロデオ』は、アクロバティックなバイクレースを行う男社会に入り込む女性を描いています。これらは、自分たちの感性を描いているのか、あるいは今まで男性に支配されてきた映画界へのアンチテーゼという意味合いがあるのか。その傾向についてはどう思いますか?
グレゴリー
 フランスのみならず、映画界においていろいろなことが変わってきています。女性は社会において以前よりも主張ができ、尊重もされるようになり、トランスジェンダーも以前よりは社会的に受け入れられるようになってきています。ミア・ハンセン=ラブの映画は、どちらかというと女性の視点で作られた映画だとは思いますが、フランス映画界には、もともとさまざまな視点から、いろいろな性別の人がいろいろなインスピレーションを持って発表したものを受け入れる懐の深さがあります。それは生産的で良いことだと思います。

男性の監督による男性のみが出演する映画はフランスだけでなく海外でもある程度あると思いますが、女性監督による女性のみが出てくる映画はまだ少ないと思います。もちろん、1940年代、50年代のハリウッドでは、男性でもジョージ・キューカーは“女性映画”をたくさん撮ったりしていますが、そういうケースは少いですよね。

──ところで先日、ジャン=リュック・ゴダールが自ら命を絶つという大変ショッキングなニュースが流れました。映画界における一つの時代が終わったという感じもします。ゴダールの死、そして映画界の変化をどのように捉えていますか?
グレゴリー 今は世界的に“変化の時代”で、パラダイムが変わっています。そしてNetflixなどの配信サービスの台頭によりプラットフォームが作られていき、そして映画界でもそういった変化を余儀なくされています。私の時代は「作家主義の時代」というか、映画的な体験や冒険を大切にするような時代だったのですが、今はどちらかというと巨大な資本が動いて、すべてフォーマット化されたものが大量生産される。もちろん例外はあり、昔ながらの作り方をしているような人もいますが、そういった巨大な資本による時代の動きには、逆らうのは難しいかと思います。実際には体験せずに、バーチャルで済んでしまうようなこともあります。でも、時代の流れには逆らえませんね。

ゴダールについては、良い点と悪い点があります。ゴダールの映画界での活動は常にインパクトがありました。ゴダール以前のマルセル・カルネやジャン・ルノワールらの古い映画がまるで意味がないように捉えられるほど、ゴダールの登場は衝撃的でした。ゴダール以前と以後で、フランス映画界が全く違ったものになってしまった。それほど大きな変化が起きたのです。

──最後に、お二人が注目しているフランスの映画監督を教えてください。
プポー まず、ジュリア・デュクルノーですね。他にはない、面白く独特な映画を作っていますね。それから、ギャスパー・ノエ。今回(フランス映画祭で)来日予定だったのですが、急遽来られなくなってしまい、とても残念です。それから、フランス映画界では良い動きが始まっています。コロナ禍でステイホームを強いられていた人たちが、そのトラウマを抱えながらも、これから以前にも増して良い映画を作っていこうという前向きな動きが出てきています。これには希望が持てますね。

グレゴリー アラン・ギロディはとても面白いと思います。名前はすぐに出てきませんが、男性女性を問わず、今のフランス映画界では有望な監督がたくさん出てきていますよ。

──ありがとうございました。

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『それでも私は生きていく』(英題:One Fine Morning)

監督・脚本:ミア・ハンセン=ラブ
撮影:ドゥニ・ルノワール
編集:マリオン・モニエ
美術:ミラ・プレリ
出演:レア・セドゥ、パスカル・グレゴリー、メルヴィル・プポー、ニコール・ガルシア、カミーユ・ルバン・マルタン
2022年/フランス/112分/カラー/ビスタ/5.1ch/日本語字幕:手束紀子/原題:Un beau Matin/R15+

日本公開:2023年5月5日(金・祝)より 新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
配給:アンプラグド
公式サイト