Column

2022.10.25 19:00

第79回ベネチア国際映画祭が光を当てたドキュメンタリー映画の幅広さと奥深さ

  • Yuko Tanaka

2022年9月に開催された第79回ベネチア国際映画祭は、ドキュメンタリー映画『All the Beauty and the Bloodshed』が金獅子賞を受賞して幕を閉じた。同映画祭は2013年にもジャンフランコ・ロージ監督の『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』に最高賞を与え、フィクションとドキュメンタリーを区別することなく一つの作品をとして評価し続けている。

金獅子賞を受賞したローラ・ポイトラス監督『All the Beauty and the Bloodshed』

ドキュメンタリーと言ってもそれぞれの作品のスタイルは様々で、近年ではその幅がますます広がっている。フレデリック・ワイズマン監督のようにシネマ・ダイレクトの手法で事実をそのまま伝える作品もあれば、詳細なリサーチと関係者の証言から構成し、強いメッセージ性を押し出している作品もある。時にはプロパガンダになりうる危険性も孕んでいる。またアーカイブ映像を再構築することによって歴史を検証する作品もあれば、監督が独白する私日記のような親密性を持った、美しい映像の詩的な作品もある。

今年のベネチアではコンペティション部門以外にも有名監督の新作や若手監督の意欲的な作品が選出された。これらの作品は戦争や災害、麻薬、LGBTなど政治や社会の問題を直接的もしくは間接的に取り上げているが、そのスタイルは前述にあげたように様々であり、まさにドキュメンタリーの幅広さと奥深さを知る機会となった。

『Innocence』

以下、注目作品を紹介しよう。

『Freedom on Fire: Ukraine’s Fight for Freedom』

エフゲニー・アフィネフスキー監督(ウクライナ、イギリス、アメリカ/118分/アウト・オブ・コンペティション部門)

ソビエト連邦時代のタタール自治共和国(現在のタタールスタン共和国)出身のロシア系ユダヤ人であるエフゲニー・アフィネフスキー監督は、90年代前半にイスラエル国籍を取得し、現在はアメリカをベースに製作活動をしている。2015年に発表した『ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い』(Netflixにて配信中)では、2013年から2014年にかけてウクライナで起こった公民権運動ユーロマイダンを追ったが、今作では2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻下での市民の姿を取り上げている。

40人以上が撮影した映像を編集した今作は、オスカー女優のヘレン・ミレンがナレーションを担当。ウクライナ人女性の戦争ジャーナリストの目を通しながら、侵攻をきっかけに武器を取った人々やボランティア、医師、聖職者、アーティスト、そして一般市民の人々の姿を追い続けることによって、戦争という状態に置かれた人々の現実を伝えている。特にマリウポリの巨大な化学工場で男性たちが闘う中、女性や子どもたち、高齢者が息を潜めて隠れている様子は、その過酷さを浮き彫りにしている。この作品を観る観客たちは「もし自分の国で起きたら」「もし自分だったら」と問いかけずにはいられないだろう。

『The Kiev Trial』

セルゲイ・ロズニツァ監督(オランダ、ウクライナ/106分/アウト・オブ・コンペティション部門)

『国葬』、『粛清裁判』そして『バビ・ヤール』など、アーカイブ映像を再編集することによって、歴史を検証することをライフワークとするセルゲイ・ロズニツァ監督の最新作。ほとんどが未公開の3時間近くにわたるアーカイブ映像は、1946年1月にソ連で行われたナチスとその協力者の裁判で撮影されたものだ。被告人15人の陳述だけでなく、アウシュヴィッツやバビ・ヤールの生存者や目撃者の証言も組み込まれ、最後には処刑の様子を映し出して幕を閉じる。

あっさりと罪を認める被告人は、ハンナ・アーレントがアイヒマン裁判の記録で示した“悪の凡庸さ”を想起させ、残虐な暴力行為を証言する言葉は、この裁判を傍聴する人だけでなく、この作品を観る私たちの想像力までも刺激する。

ロシアによるウクライナ侵攻と抗戦は今も続き、罪のない一般市民が再び残忍な暴力にさらされている。暴力行為を実行した者だけではなく、命令を下した者への裁きが必要であると同時に、ウクライナを「ナチス」と呼ぶプーチン政権側が勝利をしてしまえば、どのような裁判がロシアからウクライナに対して行われてしまうのか、という危惧さえ覚えずにはいられない。ロズニツァ監督の言う「人間社会における法と正義のあり方」を問う、力強い作品となっている。

『Nuclear』

オリバー・ストーン監督(アメリカ/106分/アウト・オブ・コンペティション部門)

ドキュメンタリー作品に力を入れているオリバー・ストーン監督が今回のテーマに選んだのは、原子力の歴史とその再認識だ。気候変動問題を危惧するストーン監督は、アメリカの国際政治学者ジョシュア・ゴールドスティンの著作「A Bright Future: How Some Countries Have Solved Climate Change and the Rest Can Follow」をきっかけに今作の製作を決意。石炭や天然ガス、石油などの化石燃料から原子力への移行の過程や、現在のいくつかの国で行われている原子力からの脱却を紹介しながら、水力や風力と原子力を比較。核兵器と原子力を混同することを避けるべきだと説く監督は、危険性が少ないと同時に低コストで大量生産が可能な新しい小型原子炉の話を技術者たちから聞き、原子力エネルギーがクリーンエネルギーとして気候変動の危機を終わらせる解決策であると提唱している。

今作は上映後にSNS上で賛否両論を巻き起こしたが、オリバー・ストーン監督はこれまでにも論争を巻き起こす作品を発表しており、これも想定内のことだろう。

『In viaggio』

ジャンフランコ・ロージ監督(イタリア/80分/アウト・オブ・コンペティション部門)

『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』では大都市の周辺で暮らす人たち、『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』では危険を冒して海を渡る難民たち、そして『国境の夜想曲』では紛争やテロに苦しむ人たちの姿を捉えてきたロージ監督が、新作ではローマ教皇に焦点を当てたことに驚きを覚えるかもしれない。しかしロージ監督は、過去から現代において戦争、貧困、災害など様々な問題を抱えた土地を中心に9年間に37回の旅で53カ国を訪問したフランシスコ教皇の軌跡が、自身の作品にリンクしていると思ったことが今作の製作の出発点であったと語っている。

ジャンフランコ・ロージ監督 Photo by Andrea_Avezz / ASAC

500時間分の記録映像からの抜粋と自身が2回同行して撮影した映像を組み合わせた今作の興味深い点は、いわゆるテレビ的なアングルで映された映像よりも、法皇の背後から撮影された映像などを中心に構成し、教皇と彼を取り囲む人々との関わりが可視化されていることだ。恐ろしい出来事が起こった土地で祈りを捧げる庶民感覚を持った教皇と市民を同じフレームに収めることによって、世界の負の歴史を後世に伝える役目も果たす作品であった。

『Innocence』

ガイ・ダビディ監督(デンマーク、イスラエル、フィンランド、アイスランド/100分/オリゾンティ部門)

イスラエルでは特例を除き全ての国民が18歳で徴兵される制度があり、幼少時から兵役についての教育ビデオを見せ、実際に銃を扱う体験イベントを開催している。そして良心的兵役拒否をする場合は罰せられ、また兵役中に精神を病んでいく兵士たちも多くいるのが現実だ。

『壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び』の共同監督ガイ・ダビディが10年をかけて製作した今作では、兵役中に自殺してしまった若者たちの日記や手紙をナレーションとして使い、彼らの子ども時代から軍に入るまでの映像を重ね、さらに軍内部での新入りの兵士たちの訓練や、軍教育を受ける子どもたちを捉えた映像を組み合わせている。無邪気な子どもたちの姿や詩的な言葉と、非人間的な軍内部の状況の落差は激しく、この暴力を肯定する国のシステムにより子どもたちの純粋な心がいかに破壊され、個々のアイデンティティが奪われていくかを目の当たりにする。嫌がる子どもが泣きながら銃を発射させられるシーンには観る者の心を揺さぶられずにはいられない。

『Anhell69』

テオ・モントーヤ監督(コロンビア、ルーマニア、フランス、ドイツ/75分/批評家週間)

ベネチア映画祭の並行部門のひとつである批評家週間に出品され、審査員特別メンションなど3賞を獲得した今作は、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルの本拠地メデジンに住む若者たちにオマージュを捧げた作品だ。

この地で生まれ育ったテオ・モントーヤ監督は、トランスジェンダーやアーティストの若者たちをキャスティングし、B級ジャンル映画を製作することを構想する。しかしキャスティングした多くの若者がオーバードーズなど様々な理由で亡くなってしまい、企画は頓挫してしまう。この辛い過去を、当時のキャスティング映像と自身の想像上の葬儀を演出したシーンを重ね合わせて一つの作品にすることによって、喪の作業を試みていると言えよう。

カメラの前で自分について語るメデジンの若者たちは個性と魅力に溢れ、彼らが出演するはずだった作品を観ることができなくなってしまった無念を痛感せざるを得ない。今作のタイトルは主役を演じるはずだった青年が使っていたSNSのハンドルネームから取られている。

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© Lorenzo Mattoti per La Biennale di Venezia – Foto ASAC

第79回ベネチア国際映画祭

会期:2022年8月31日(水)〜9月10日(土)
開催地:イタリア・ヴェネチア
フェスティバル・ディレクター:アルベルト・バルベラ
© Asac – La Biennale di Venezia.