Column

2022.09.29 8:00

【単独インタビュー】『秘密の森の、その向こう』セリーヌ・シアマ監督が長年温めてきた企画をついに映画化した理由

  • Atsuko Tatsuta

『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督が8歳の少女を主人公に喪失と癒しを描く最新作『秘密の森の、その向こう』が9月23日(金・祝)に公開されました。

祖母を亡くした8歳のネリーは、両親と共に森の中に佇む祖母の家を訪れます。家を片付けながら、胸が締め付けられる思いに駆られた母はどこかへ出かけてしまい、父とともに残されたネリー。かつて母も遊んだ森を散策するうちに、自分と同じ年の、母と同じ“マリオン”と名乗る少女と出会います──。

前作『燃ゆる女の肖像』(19年)で、第72回カンヌ国際映画祭の脚本賞とクィアパルム賞を受賞し、フランスを代表する監督の仲間入りを果たしたセリーヌ・シアマ。期待の新作『秘密の森の、その向こう』は、8歳の少女を主人公に3世代の女性たちの理解・共感・連帯を描く、癒やしのドラマです。

デビュー作『水の中のつぼみ』から『燃える女の肖像』まで、数々の女たちの物語を紡いできたシアマ監督。その独自の世界観を深化させた本作は、第71回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門でワールドプレミアされて以来、さまざまな国際映画祭で絶賛を浴び、高い評価を受けています。

日本公開に際し、ノスタルジックかつ先進的な新たなる世界を開拓したセリーヌ・シアマ監督が、Fan’s Voiceのオンラインインタビューに応じてくれました。

──まずはシンプルな質問から始めたいと思いますが、“8歳の少女が、自分と同じ年だった頃の母親に出会う”というアイディアはどこから来たのでしょうか?
ある時に突然、イメージとしてふっと湧き出て来ました。いま私の後ろにある写真(※バーチャル背景に使用している写真)の森は、私が育った家の近くにあるのですが、その森の中に作られた小屋の前に、二人の8歳の女の子が立っているといった光景が思い浮かびました。ミステリアスでありながらインパクトがすごい強くて、女の子と、その子と同じ年齢の母親という設定にしたら面白いのではないかと、イメージが膨らんでいきました。

──あなたの子ども時代は、どのように投影されているのでしょうか?
この作品は、いろいろな点で私自身とリンクしています。例えば撮影は、私が育った街、つまり私に馴染みのある場所で行いました。実際に私は子どもの頃、この森で小屋を作って遊んでいました。映画に登場するよりもずっとみすぼらしい小屋でしたけどね。映画に登場する祖母の家は、スタジオに建てたセットですが、家の内装などは、私の二人の祖母の家からインスピレーションを受けて作りました。祖母のキャラクター像も、私の亡き祖母のイメージや人格が投影されています。祖母役の俳優が着用している衣装も、(私の)祖母のものや、祖母が着ていたものをイメージして作ったものです。このように、さまざまなところに、私の個人的な思い入れが散りばめられています。

ただ、自分の子ども時代の視点というよりも、大人になって自分の子ども時代を振り返った時に感じたことや理解したことを基にしていると言って良いですね。

それから、私の祖母たちは結構長生きをしてくれてました。私が40歳ぐらいになるまでみんな元気でしたので、大人になってから祖母たちのことをよりよく理解でき、関係性を深めていたので、そうした部分も多く反映されています。

──『燃ゆる女の肖像』では30歳前後の大人の女性たちが主人公でした。日本では最近公開されたあなたの長編2作目『トムボーイ』の主人公の10歳、今回の主人公の8歳という年齢にはどういう意味があるのでしょうか?
今までの私の映画には、子どもが何人も登場しています。それも、いろいろな年齢層の子どもたち。『燃ゆる女の肖像』では赤ちゃんも登場しました。私にとって8歳という年齢というのは、子ども時代のど真ん中というイメージです。その後は思春期に移行し、徐々に自立する年齢になっていきます。そういう意味で、8歳はまだ子どもっぽさもあり、私の中でちょうど良い年齢でした。

それからこの年齢は、子ども時代は一旦そこで終わるというような印象があり、これから変化していかなければならない運命を背負った年齢です。“変化を運命づけられている”年齢として、私は8歳が適切だと思いました。

また、演出的な意味からもぴったりだと思いました。その年頃の子というのは、観察力が非常に発達しています。好奇心だけではなく、上手くやりきるために周りを観察して理解しなければいけないという緊迫感も受け止めることができます。そうした子どもならではの鋭い視線を映画的に描くことも、面白いのではないかと考えました。

──8歳の少女ネリーとマリオンを演じたのは、ジョセフィーヌ&ガブリエル・サンスという双子の姉妹ですね。素晴らしいキャスティングだと思いますが、どのように彼女たちを見出したのですか?
キャスティングディレクターが数十人の子どもたちに会い、彼女たちを推薦してくれました。私が会ったのは、ジョセフィーヌとガブリエルだけです。

映画で彼女たちの佇まいをご覧になればお分かりいただけると思いますが、二人が私に向かって歩いてきた時にすぐに、“ああ、この子たちが良い”と感じました。二人は双子ですが、それぞれ個性が異なり、立ち振舞も違います。それでいて、二人の絆のような親密さも感じられます。この二人を一緒に見ると、それだけで美しいと感じました。

──舞台となっている森は、あなたが子どもの頃に遊んでいた森とのことでしたが、森というのはとても神秘的な場所のようにも感じられます。森と少女という関係は、あなたの中でどういう意味を持つのでしょうか?
私にとって森は、象徴的な空間というよりも、実践的な場所です。ある時は自由を感じる一方、ある時は、何か脅威を感じることもあります。それから森は、木の葉が落ちてまた芽吹くという自然の再生や変化が起きている場所という意味では、とても詩的にも感じられます。

確かに童話などの舞台によく使われているという点では、皆に共通して馴染みがある場所なので、そういう意味でも物語の場所として魅力的です。

──本作では、脚本と監督に加えて、衣装も担当されていますね。衣装のポイントはどこにあったのですか?
はい、今回は私が衣装も担当しました。他の作品でもですが今回は特に、脚本を書き進めると同時に、衣装の準備を行う必要がありました。なぜなら、演出の中で最大のポイントとなる、タイムトラベルをする話でありながら特定の時代設定を持たない話にしていくにはどうするかという問題を解決しなければならなかったからです。それは、衣装選びによるところが大きかったと思います。そこで、50年分相当のパリ郊外のたくさんの学校のクラス写真を見て研究し、子どもたちの服装の共通点は何だろうかと探っていきました。そうやって、1950年代に子ども時代を過ごした人も、2020年代の子どもも、自分と結びつけられるような世界観を作り上げました。

──ちなみに、この映画の最後で母は家族のもとに戻ってきますが、子どもの頃に自分の娘と出会っていたという記憶はあるのでしょうか?
それはどうでしょうか。私はそうは思いませんが。それよりも重要なのは、(ふたりが8歳という同じ年齢で出会った)その体験がこそが、彼女たちに大きなインパクトを与えているという点です。例えば、ネリーの態度は変わり、母親のことを“ママン”ではなく“マリオン”と名前で呼ぶようになっています。つまり、彼女たちの関係性には何らかの影響が出ていると言えますね。

映画が私たちの人生に影響を及ぼすことだってありますよね。本作を観て、ご自身の親との関係に何かしらの影響を受けることもあるのではないでしょうか。その方の親が存命でも、また亡くなっていたとしても。それと同じことが、この登場人物たちにも言えるのです。

──この作品はコロナ禍でお作りになった伺っていますが、今回のパンデミックがあなたのクリエーション、そしてこの作品に与えた影響とは?
コロナ禍はこの作品に非常に大きな影響を与えたと思います。まず、この作品のアイディアはかなり前から温めていたものなのですが、普遍的な題材だから作りたい時に作ればいいと、後回しにしてきました。でもコロナ禍になり、既に書いてあった最初のシーンを読み返した時に、祖母にお別れを言うシーンが意味深く感じられました。コロナ禍が始まった頃、老人ホームでは多数の死者が出て、家族にさよならも言えずに逝ったという状況がありましたからね。世界中で大勢がそうした体験に直面するという緊急事態を目の当たりにしたとき、今こそこの映画を作るべきだと思いました。

また、パンデミックにより映画館が閉鎖されてしまいました。なので、自分達の置かれたこの状況に関係すること、あるいは社会がどのように機能しているのか、再生や癒やしなど、色々な意味で今の自分たちを取り巻くことを作品にして、映画館が再開した時にぜひ公開したいと思い、すぐにこの作品に取りかかりました。

──あなたは女性の物語をずっと語り続けていますが、“女性の物語”を語ることに使命は感じていますか?また、ご自身ではフェミニストであるという自覚はありますか?
フェミニストの監督であるというのはおっしゃる通りで、自分でもそのように思っています。なので、これからもフェミニスト映画を作り続けていきますが、それはもちろん女性だけにフォーカスするという意味ではありません。例えば家父長制度の矛盾を描くとか、さまざまな切り口や視点から女性の物語を語っていきたいと思っています。

“フェミニスト”については、もちろんフェミニストである必要がない時代が来れば、フェミニストでいる必要はありません。それは理想です。でも、今の社会状況を見ると、まだまだずっと私はフェミニストであり続けなければならないというのが現実です。

──『燃ゆる女の肖像』でクィアパルム賞も受賞されたあなたは、レズビアンであることを公言なさっていますね。LGBTQコミュニティからの支持も高く、その希望的な存在となっている点については、どのように受け止めていますか?
LGBTQのコミュニティに私の仕事が支持され、応援されることを非常に心強く感じています。LGBTQコミュニティは今どんどん拡大していて、さまざまな国、さまざまな文化で広がりを見せています。広がれば広がるほど、私は心地良く感じます。これまで、そして今も苦難に満ちているコミュニティなので、私は自分の作品を通じてその皆さんにユートピアを示したり、何かしら心強さや勇気を与えるとか、そういったことができれば嬉しいです。

──日本ではこの春にジャック・オディアールの『パリ13区』が公開されました。あなたは、共同脚本で携わっていらっしゃいましたね。一見“マッチョ”に見えるオディアールのような男性監督とコラボして素晴らしい作品を作り出すことも、とても希望に満ちた意義のあることのように思いますが、今後も他の男性監督との共作は続けたいとお考えですか?
オディアール監督の『パリ13区』に参加したのは6年ほど前のことでしたが、最近では、他の監督の作品に脚本家という立場で参加することはしていません。脚本を書く仕事はもちろん好きですし、そういったコラボレーションは機会があればまたやりたいですが、今は監督としてやりたいことがいろいろあるので、具体的な予定はありません。

©GUILLAUME COLLET/SIPA/amanaimages

──今世界では、女性監督の活躍の場を増やそうという運動が起こっています。実際に、女性監督に道は開かれつつあると思いますか?
確かに状況は変わってきていると感じています。政治的な意志でそのように変えていこうという業界の姿勢を感じますし、映画祭などでの女性の扱いも、以前は少し軽んじられていたのが、男性と対等に扱われるようになってきたという実感があります。マーケットにおいても、女性監督の作品はあまり重要視されていなかったのが、今では女性監督の作品の売買も盛んになってきました。プラットフォームとしてはいろいろな機会が増えてきているとは思います。政治的な意図とマーケットの意志、両者が関係して変化してきているのだと思います。こうした傾向や変化にはまだ不確定な要素が多いですが、その考えが根付き、存続していくであろうことは確かなので、私も嬉しく思っております。

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『秘密の森の、その向こう』(原題:Petite Maman)

監督・脚本/セリーヌ・シアマ
撮影/クレア・マトン
出演/ジョセフィーヌ・サンス、ガブリエル・サンス、ニナ・ミュリス、マルゴ・アバスカル
2021/フランス/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/73分/字幕翻訳:横井和子/G

日本公開/2022年9月23日(金・祝)ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
提供/カルチュア・エンタテインメント、ギャガ
配給/ギャガ
公式サイト
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