【単独インタビュー】『プアン/友だちと呼ばせて』バズ・プーンピリヤ監督が挑んだ“最も個人的な”青春映画
- Atsuko Tatsuta
タイの気鋭バズ・プーンピリヤ監督 × ウォン・カーウァイ製作総指揮の話題作『プアン/友だちと呼ばせて』が日本公開されました。
ニューヨークでバーを経営する青年ボス(トー・タナポップ)の元に、何年も前にタイに戻り、疎遠になっていた友人ウード(アイス・ナッタラット)から「死ぬ前に頼みたいことがる」と連絡が来ます。バンコクに駆けつけたボスに、白血病で余命宣告を受けたことを告白したウードは、「元カノたちに返したいものがあるから、ドライバーとして付き合って欲しい」とボスに頼みます。ウードの亡き父の形見であるBMWに乗り込んだ二人は、ウードのニューヨーク時代の恋人アリス(プローイ・ホーワン)がダンス教室を開いているコラートへと向かいますが──。
本国タイのみならず、アジア各国で大ヒットした『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(17年)で脚光を浴びたバズ・プーンピリヤ監督(※公開時の表記はナタウット・プーンピリヤ)。その才能に惚れ込んだ香港の巨匠ウォン・カーウァイが製作を買って出て、実現したのが『プアン/友だちと呼ばせて』です。サンダンス映画祭のワールドシネマドラマティック部門でワールドプレミアされ、クリエイティブ・ビジョン審査員特別賞を受賞、タイでも大ヒットを遂げました。
最新作の日本公開に合わせて4年ぶりの来日を果たしたバズ・プーンピリヤ監督が、Fan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。
──『プアン/友だちと呼ばせて』は、ウォン・カーウァイからのアプローチで始まったプロジェクトだと聞いていますが、どのような経緯だったのですか?
ある日、彼のスタッフから電話がかかってきて、香港に来ないかと誘われました。それで、香港に飛んでウォン・カーウァイさんにお会いしたら、『バッド・ジーニアス』をとても褒めてくださり、「私がプロデュースするから、一緒にプロジェクトをやらないか」と言われました。彼がほとんど言い終わる前に、「ぜひやりたい」と返事していました。このように、一緒に仕事するということが突然決まったのですが、実際のところ、私にとっては“一緒に映画を作る”というより、映画学校に入って、映画について学び直したような気持ちでした。
──『バッド・ジーニアス』は、ウォン・カーウァイ監督のテイストとまったく違いますが、どのような部分を気に入られたのでしょうか?あなたは彼との間に共通点を感じますか?
誘ってくれた理由は聞いていません。『バッド・ジーニアス』を観て気に入ってくださったということなので、何かを感じてくれたのかもしれませんが、私自身も、「一体どこを気に入って一緒のプロジェクトに誘ったのかな」と思っていましたから(笑)。最初は、共通点もまったく感じませんでした。ただ、結果的に長い時間をかけて知り合ったことで、ウォンさんは私の中にあるものを引き出して、プロジェクトに反映させてくれたと思います。それは、私もこれまで見たことのない自分の姿でした。
──例えばどんなところですか?
ウォンさんからは、「個人的なことを語る映画にしよう」と言われたのですが、私は、そんな試みをしたことがないし、第一、私自身のことなんて面白いとは思えませんでした。でもウォンさんは、私が感じたことや考えを適切な語り口で観客に示せれば、興味深い映画になるはずだと言ってくれました。
──脚本に反映する“個人的な話”は、どのように選んだのですか?
まず、自分のことをじっくりと振り返りました。例えば、過去に私が周囲の人にしてしまったことです。脚本を書くために、久々に過去に関わった人たちとも会い、いろいろな話もしました。今回のプロジェクトでは“人間らしさ”を深堀りしたいと思ったのですが、おかげで、映画は複雑なレイヤーを成したと思います。
──いろいろな人に会って過去を振り返ることは、あなたにとって心地良いことでしたか?それとも痛みを伴うことだったのでしょうか?
心地良くは全くなかったですね。自分が過去にしたことや、関わった人のことを改めて思い返すと、我ながら酷いことをしたと思うことばかりでした。なのでこの映画は、自分の人生における傷を多くの人に知らしめることになっているかもしれません。その傷は、他の人を傷つけた傷でもあるし、他の人から受けた傷でもあります。この映画を作るプロセスを通じては、学ぶことも多く、人間的に少しは成長できたのかなとも思います。
──この映画を撮ったことはセラピーになったと言えますか?
変化があったことは確かですが、気持ちが楽になったとか、傷が癒されたということはまったくないですね。人間というのは、後悔の気持ちを抱えて生きていくもの。今回の経験で、自分や周囲の人々の人生がより良くなるとなることを願うばかりです。
──ウードは最後までボスから完全に許しを得ることはありませんが、この苦い結末にした理由は?
実際の人生において、“許しを得る”とか“傷が癒される”というのは、そんなに起こるものではありませんからね。過去に何かあった人と、たった1度や2度会ったくらいでは、何も解決しません。そんなに簡単ではなく、ただ受け入れるしかないんです。
──ボスに関して、母親との確執というサイドストーリーがありますが、親子関係についてのストーリーを入れたのにはどのような理由があったのですか?
ボスのキャラクターをより真実味のあるものにしたかったからです。男性にとっての母親との関係は、その後に出会う女性との関係に大きく影響していると思っています。正しいかどうかはわかりませんがね。ボスは真実の愛を信じていません。それは、一番身近にいる愛されるべき人から愛されていないからです。
──この作品のメインのテーマに入る前に、ウードの別れた4人の女性との再会が描かれます。さまざまな女性像を前半で見せるというアイディアはどこから来たのでしょうか?それぞれの女性とのエピソードは、撮影の仕方も違いますね?
それは私個人の体験に由来しています。それぞれにモデルもいます。つまりこの作品は、今後の人生においてもう話すことはないであろう人たちへの手紙のようなものでもあります。今まででいちばんお金を使って“書いた”手紙と言えるでしょう。
撮影の仕方を変えたのは、それぞれを尊重したいという気持ちからです。それぞれキャラクターも違いますし、思い出も違います。撮影監督だけではなく、アートディレクターや衣装さんとも、それぞれのキャラクターが持つ世界観や雰囲気、ルックス、カラースキームなどを詳細に話し合いました。
──今作のポスターを見た日本のファンには、ウォン・カーウァイ監督の『ブエノスアイレス』のようなストーリーだと誤解した人もいるように思いますが、これは意図的なミスリードだったのでしょうか?
ポスターは私ではなく他のデザイナーが作ったので、私の意図したものではありません。メイキングを見ながら、キービジュアルを選んだのだと思います。ポスターをデザインした方がそれを意図したかどうかはわかりませんが、実は私も、このポスターを観て、そういう誤解は生まれるかもしれないと思いました。でも、理由はなんでもいいので、映画を観に来てくれれば良いと思います。
──ちなみに、ウォン・カーウァイ作品の中で最もこの映画に影響を与えているのは?
どれか1本というより、映画のフィーリングやコンセプトが影響を受けていると思います。私とウォンさんは、例えば愛についての視点が似ていたりすると思います。愛とは立体的なもので、探求すべき興味深いものであるという考え方は同じでした。
──映画の中で印象的に使われているモチーフとして、バー、そしてカクテルがありますが、あなたにとってバーとはどんな場所なのですか?映画で登場するユニークなオリジナルカクテルは、どのように考案したのですか?
私はいつの頃からか、バーに通ってお酒を楽しむようになっていました。バーで映画のことを考えたり、脚本を書いたりします。周囲の人から「そんなにバーに通うのなら、自分でお店を開けばいいのでは?」と言われて、バーをオープンしたのですが、たまたまそれがこのプロジェクトが始まった頃だったので、自然とバーのことを脚本に入れ込みました。カクテルのレシピはすべて新しく開発したレシピで、カクテルの名前は私が脚本に書き込んでいたものです。レシピは、タイ人のバーテンダーのロナポーン・カニヴィチャポーンさんが脚本を読んで、彼なりにキャラクターを解釈して作ってくれました。世界的なカクテルの大会で優勝した有名なバーテンダーです。
──あなたのバーで働いてる方ですか?
いいえ、ギャラが高すぎて彼を雇うことはできませんよ!
──アイテムといえば、カセットテープもあると思います。カセットテープのA面B面を二人の男性主人公の人生のモチーフに使うというアイディアはどこから生まれたのですか?あなたは年齢的に、カセットテープの世代でしたか?
タイではおそらく90年代までカセットが使われていましたから、私の子ども時代、つまり、80年代にはカセットはあり、馴染みのあるものでした。特別な理由や意味があったわけではありませんが、とても良い印象を持っていたことは確かですね。なので、感覚的に選んだというところでしょうか。このストーリーを考えた時に、車の中で音楽を流すのをカセットにするか、CDにするか、USBドライブにするとかという選択肢はあったと思いますが、なぜかわからないけれど、カセットを選んでいきました。
──エンディングに流れるオリジナル曲にはメッセージが込められていますが、それ以外は、エルトン・ジョン、ザ・ローリング・ストーンズ、フランク・シナトラといった懐かしい曲が多いですね。
選曲に関しては、私の個人的な好みですね。私の年齢にしては確かに少し古いかもしれませんが、両親が聴いていたので、子どもの頃から私も耳にしていた曲ばかりです。おそらく、よい思い出があったから選んだのだと思います。ウードの父親のキャラクターに合う、ユニークさを出したいと思いました。
──曲だけでなく、ヴィンテージのBMWを登場させたりと、映画全体をノスタルジックなトーンが貫いていますね。
それも、私がノスタルジックな雰囲気が好きだからというシンプルな理由です。それと、思い出についての話だからということもあります。
──登場するタイの街ですが、パタヤやチェンマイなども観光客にも人気の街にも関わらず、一見わからないような場所が選ばれていたように思います。これは意図的ですか?
はい。タイでもニューヨークでも、有名な場所が出てくる映画には私自身飽きていたので、人が見逃していた場所をいかに魅力的に見せるかが、今回のチャレンジだと思っていました。なので、あえて有名ではない場所を選びました。ロケーションチームがそうした場所を頑張って探してくれたので、とても感謝しています。
──この作品はサンダンス映画祭でプレミア上映され、タイでもヒットしました。この好反応をどのように受け止めていますか?
この映画のいろいろなシーンは、それぞれの味も見かけも違うカクテルのようなもの、と位置づけました。なので、カクテルを飲む人の感想がそれぞれ違うように、映画のフィードバックも違うのだと思います。お酒を呑む場合も、歳を重ねるに連れて、自分の人生経験によって、呑み方が変わっていくということです。歳をとったらウイスキーをロックで呑むのが楽しいと思えるかもしれません。この映画の特別なところは、映画を観て、それぞれがいろいろな感じ方をしてもらえるところだと思います。その点では成功していると思います。
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『プアン/友だちと呼ばせて』(原題:One for the Road)
NYでバーを経営するボスのもとに、タイで暮らすウードから数年ぶりに電話が入る。白血病で余命宣告を受けたので、最期の頼みを聞いてほしいというのだ。タイに駆けつけたボスが頼まれたのは、元恋人たちを訪ねる旅の運転手。カーステレオから流れる思い出の曲が、二人がまだ親友だった頃の記憶を呼びさます。忘れられなかった恋への心残りに決着をつけたウードを、ボスがオリジナルカクテルで祝い、旅を仕上げるはずだった。だが、ウードがボスの過去も未来も書き換える〈ある秘密〉を打ち明ける──。
監督/バズ・プーンピリヤ
製作総指揮/ウォン・カーウァイ
脚本/バズ・プーンピリヤ、ノタポン・ブンプラコープ、ブァンソイ・アックソーンサワーン
出演/トー・タナポップ、アイス・ナッタラット、プローイ・ホーワン、ヌン・シラパン、ヴィオーレット・ウォーティア、オークベープ・チュティモン
タイ/2021年/カラー/シネスコ/5.1chデジタル/129分/字幕翻訳:アンゼたかし/監修:高杉美和
日本公開/2022年8月5日(金)新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、渋谷シネクイント他 全国順次公開
配給/ギャガ
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