Column

2022.05.13 9:00

【単独インタビュー】『流浪の月』撮影監督ホン・ギョンピョが語る妥協なしの制作現場の真実

  • Atsuko Tatsuta

本屋大賞を受賞した凪良ゆうの傑作小説を名匠・李相日監督が映画化した『流浪の月』が5月13日(金)より全国ロードショーされます。

雨の夕方の公園で、びしょ濡れの10歳の家内更紗に傘をさしかけてくれたのは、19歳の大学生・佐伯文(松坂桃李)。両親と離別以来一緒に住んでいる伯母の家に帰りたくない更紗は、部屋に入れてくれた文のもとで、そのまま2か月を過ごすことに。ところが、ほどなく文は更紗の誘拐罪で逮捕されてしまいます。それから15年後、“傷物にされた被害女児”とその“加害者”という烙印を背負ったまま、更紗(広瀬すず)と文は再会しますが、更紗のそばには婚約者の亮(横浜流星)がいて、文のかたわらにもひとりの女性・谷(多部未華子)が寄り添っており──。

周囲からは決して理解されない二人が見出した一筋の光を、繊細にして力強い語り口で描き出した李相日監督。『フラガール』『悪人』『怒り』など、計り知れない人間という存在の深淵を力強く描き続ける名匠が、本作で撮影監督として白羽の矢を立てたのが、韓国映画界の至宝ホン・ギョンピョです。

第92回米国アカデミー賞で最優秀賞作品賞ほか4冠に輝いた『パラサイト 半地下の家族』(20年)、第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出された『バーニング 劇場版』(18年)をはじめ、『母なる証明』(09年)、『哭声/コクソン』(16年)といった名作を次々と手がけ、ポン・ジュノ、イ・チャンドン、ナ・ホンジンといった巨匠たちやハリウッドからの指名が後を絶たないホン。公開待機作には、是枝裕和監督初の韓国映画『ベイビー・ブローカー』(22年)も控えています。

『流浪の月』公開に際し、日本でも知名度が高まりつつあるホン・ギョンピョ撮影監督が、オンラインでインタビューに応じてくれました。

ホン・ギョンピョ撮影監督

──李相日監督とはポン・ジュノ監督の『パラサイト』の撮影現場で最初にお会いになったそうですね。その後、ポン・ジュノ監督を通してオファーがあり、『流浪の月』に参加することになったとお聞きしています。何があなたの心を動かしたのですか?
李監督の作品は以前から観ていて、とても好きな監督でした。特に『怒り』が好きでした。『怒り』には、従来の日本映画とは少し違う、ある種の力強さがありました。私と似た感性を感じました。物語にも惹かれましたが、光の使い方も良くて、李監督といつか一緒に仕事が出来たらいいなと漠然と考えていました。

『パラサイト』のリビングのシーンを撮影している時に李監督がいらっしゃってお会いしていて、一昨年になってポン・ジュノ監督から電話があり、すぐにやりましょうという話になりました。李監督からはすぐに小説「流浪の月」の翻訳を受け取ったのですが、実は物語を読む前から、李監督とは面白そうだから仕事をしたいと思っていました。

──李監督にお会いした印象はどんなものでしたか?
彼が作る映画の印象とはまったく違って、とてもソフトで穏やかな印象でした。ただ、その外見に騙されてしまっていたのか、現場ではとても厳しい側面のある監督でした(笑)。

──監督が脚本のラストのシークエンスを書き上げたのは、ホンさんが日本に着いてからで、撮影の1ヶ月前くらいだったそうですね。また、クライマックスの文の告白シーンを実際に撮った時に印象深かったことを教えてください。
撮影がコロナで中断したこともあり、撮休になった時期にホテルで李監督が手直しをして、脚本の最終版を書き上げました。それを受け取り読んだ時に、ようやくこれで完成形となったと確信しました。李監督が、長編小説を基に映画的に脚本を書いていったわけですが、その脚色の仕方が素晴らしいと思いました。映像にしたらとても美しくなるだろうなと想像できました。

文の告白シーンは、苦労しながら作り上げた、私の中でも思い入れのあるシーンです。とにかく、リハーサルを何度も繰り返しました。文の全身のショットを、シルエット的に撮りたくて。大きな窓と文の身体のシルエットをあの場所で撮りたいというアイデアは、脚本を読んだ時からあったのですが、どの時間帯に撮るのかが重要でした。当初、あのシーンは夜に撮影しようと考えていましたが、実際に現場に行ってみたら、昼に撮った方が良いと思い始めました。ぼやけた薄暗い青い光が漂っているような、そんなイメージで撮りたいと思いました。夜より昼の方が、時間の制約がなく撮影できますしね。李監督にもそう提案しました。俳優の演技も素晴らしく、(松坂桃李の)集中力のある芝居をあのシーンで見ることができて、良いシーンになりました。

李相日監督、ホン・ギョンピョ撮影監督

──撮影現場では、李監督と議論を重ねられていたそうですね。
とにかく李監督とは会話を重ねました。そのシーンの核心とは何なのか、毎回じっくり話し合いました。俳優を撮るアングルやクローズアップにすべきかどうか、撮影する時間帯、光の使い方、カメラの動線、使用するレンズなど。まずは私の考えを李監督に伝え、李監督がそれを聞いて、フィードバックが返ってきます。そういう会話を重ねながら詰めていったのですが、言葉で上手く伝わらないときには、直接カメラを覗いてもらったりもしました。もしかすると、日本のスタッフの中には、もどかしく感じていた方もいたかもしれません。現場ではいつも韓国語で李監督と会話をしていたので。

──意見の対立もありましたか?
はい、意見が一致しないことも多くありました。ロケ現場でリハーサルを見た後に、話し合って詳細を決めていきました。事前に調整を重ねていたので、実際に(本番の撮影)現場で対立したということはありませんが。意見が食い違った時は、どちらかの意見を採用するということではなく、接点を探していくといった感じです。お互いの意見を主張して、お互いに歩み寄ってまとめていきました。

──韓国のクルーを連れて来られたということですが、何人くらい同行されたのですか?
フォーカスマンも含めて、韓国から一緒に来た撮影スタッフは4人です。韓国では撮影部は5、6人で構成することが多いのですが、今回は、これまで私と3作品で一緒に仕事をしている、気心の知れた経験豊富なクルーを連れてきました。今回の撮影は時間があまりなく、スピードも重要でしたから。

──隣国ですが、日本と韓国の映画界では制作のシステムはかなり違うと思います。今回、日本で日本のスタッフと仕事をして、その違いをどう感じましたか?
一番の大きな違いを挙げれば、韓国には現場編集があるということ。日本では、現場編集をしませんね。日本のスタッフの方々には機動力があり、少人数のチームでとても機敏に動きます。これは短い期間で撮影するためには、とても重要なことですね。しかも勤勉で、不平不満をもらさない。韓国のスタッフからは、気に入らないことがあったりすると、不満の声がすぐあがりますが、そういうことは今回は一切ありませんでした。

ロケーションや撮影環境に関しては制約が多く、大変な部分がありますが、日本の自然の風景の素晴らしさには驚かされました。

──機材についてお聞きしたいのですが、いつも使うカメラ等はあるのですか?今回は、どのような基準で機材を選びましたか?
特にいつも使っているという機材はありませんが、デジタルになってからは、ARRIのALEXAを気に入って、よく使っています。ALEXAが最もフィルムに近い映像を作り出せますからね。再現力が最もフィルムに近いという言い方もできます。

レンズは、作品ごとにテストをして使っています。脚本をまず読んで、監督の個性を考えながら、新しいレンズでテストします。

今回の作品では、最近私が撮った『ただ悪より救いたまえ』(20年)などここ2作で使ったものと同じカメラとレンズを使っています。ARRIのALEXA LFというカメラと、シグネチャープライムレンズです。この作品の色彩やコントラストや画角が、このカメラとレンズによく合うと思いました。このレンズはシャープなところが気に入っているのですが、李監督はクローズアップで感情を表現するシーンが多くあり、その際にこのレンズがとても有効だと思います。狭い空間で撮る時も、ワイドで撮っているのにレンズの歪みなく空間を表現することができます。実際に日本で簡単なテストをして李監督も同意してくれたので、使用しました。

──韓国映画と日本映画では、同じアジアでも画の“濃さ”に違いがあるように感じますが、それは何が違うのでしょうか。街自体でしょうか、光でしょうか?
いろいろ違いはあると思いますが、今回実際に撮ってみて、まず韓国の光と日本の光に違いを感じました。画面の構成に関しても、ロケ撮影をしてみると、建物の“線”に違いがあると思いました。日本の建築は、マンションや建造物など垂直な建物が多いので、(街の)風景も垂直と水平が整然としている印象が強い。韓国ではそれを感じません。言葉で言い表すのはとても難しいのですが。実は、日本映画に対して構図そのものが少し硬い、硬質だという印象を持っていたので、私としては今回はそれを打破することを心がけながら撮っていました。

──「光が違う」とは、どう違うのですか?
日本の光の方が少し強いですね。日本の方が空気が澄んでいるからだと思います。韓国はPM2.5の影響か、空気がクリアではないので、光が少し弱いような気がします。

また、夕暮れの日が沈む瞬間、日本では日が沈む場所とその反対側の風景のどちらもが鮮明に見えますが、韓国だと、太陽の光がない反対側は真っ暗にも見えたりします。

それから日本は、雲がとても低くて多いような気がします。湿度とも関係しているのかもしれません。湿度の高い空気感が良いですね。韓国は乾燥していて、日本のように低い位置に多くの雲が見られることはありません。撮影監督にとっては、日本は韓国よりもはるかに魅力的です。

──ホンさんは、ポン・ジュノ、イ・チャンドン、ナ・ホンジンという韓国を代表する素晴らしい監督たちと仕事をされていますね。とても個性的な監督たちばかりですが、それぞれの個別の流儀に対して、どのように対応しているんでしょうか?
映画監督たちとの仕事は恋愛に似ているような気がします。相手によって自分が変わったりしますし、接し方も変わったりします。でも、どうやってそれを使い分けているのかは、自分自身でも把握しているわけではありません。

その3人の監督は特に個性が強い監督です。ポン・ジュノ監督は、性格がとても良く、人を包み込むようなリーダーシップがあり、紳士的です。さらに徹底して準備することによって、自分の引き出したいものを引き出し、映画の完成度を高めていく完璧主義者でもあります。

ナ・ホンジン監督は、イ・チャンドン監督やポン・ジュノ監督と比べると年齢が若いこともあり、覇気がありますね。彼も徹底して準備をする人ですが、一方で、映画に対する“欲”が強いので、時には強引に引っ張っていくというやり方で、現場を進めることもあります。

完璧な映画を撮りたいというのはどの監督も同じといえば同じですが、イ・チャンドン監督は、そういった意識を持ちながらも、ゆったりと大きく構えている監督です。現場でも落ち着きをもって、現場を引っ張っていくという印象があります。それぞれ監督の個性は、現場の雰囲気に反映されますね。ナ・ホンジン監督の現場はとても厳格な雰囲気がありますが、イ・チャンドン監督は柔らかい雰囲気の中で、自分の欲しいものを引き出していく、という感じです。

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『流浪の月』

原作/凪良ゆう「流浪の月」(東京創元社刊)
出演/広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子 ほか
監督・脚本/李相日
撮影監督/ホン・ギョンピョ
製作総指揮/宇野康秀
製作幹事/UNO-FILMS(製作第一弾)
共同製作/ギャガ、UNITED PRODUCTIONS

日本公開/2022年5月13日(金)全国ロードショー
配給/ギャガ
©2022「流浪の月」製作委員会