【単独インタビュー】『ハッチング-孵化-』ハンナ・ベルイホルム監督が卵から孵化させた“それ”の正体
- Atsuko Tatsuta
2022年1月に開催されたサンダンス映画祭を震撼させた北欧イノセントホラー『ハッチング-孵化-』が、早くも4月15日(金)に日本公開されました。
12歳の少女ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)はフィンランドのとある郊外の街で、母(ソフィア・ヘイッキラ)と父(ヤニ・ヴォラネン)、弟と一緒に、モデルハウスのような素敵な家で暮らしていました。幸せに満ちた家族の日々を動画で発信することに喜びを見出す母の大きな夢を背負って、体操選手として初の大会に向けて練習に励むティンヤでしたが、ある日、森で瀕死の黒い鳥の傍らにあった卵を持ち帰り、家族に内緒で温め始めます。日に日に大きくなる卵を、ティンヤはぬいぐるみのお腹の中に隠しますが、やがて卵の“孵化”が始まり──。
メガホンをとったのは、フィンランドのハンナ・ベルイホルム。短編『Puppet Master』が世界的な映画祭で高い評価を受け、本作で長編デビューを果たした新鋭です。2022年の第38回サンダンス映画祭ミッドナイト部門でプレミア上映された後、フランスのジャンル映画に特化した第29回ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭でグランプリを受賞した本作は、『ぼくのエリ 200歳の少女』(08年)、『ボーダー 二つの世界』(18年)など独創的なホラー映画を輩出してきた北欧ホラーの新たなる傑作として注目を浴びています。
日本公開を前に、ベルイホルム監督がフィンランドからオンラインでインタビューに応じてくれました。
──初監督作品とは思えない素晴らしい作品でした。母娘の関係にフォーカスした点がとても興味深いですが、このテーマに惹かれた理由は?
2014年にとあるイベントで、脚本家のイリヤ・ラウチと出会い、この作品の元となるアイディアを聞きました。“少年が卵から自分の悪い分身(ドッペルゲンガー)を孵化させる”というものだったのですが、とても面白いと思いました。私はすぐに、少年を女性にしてはどうかと提案しました。私は以前から女性に関する物語を語りたいと思っていて、そうした映画は残念ながら少ないですからね。それから私たちは一緒に脚本を書き始めたのですが、“母と娘”というテーマは、書いているうちに、ストーリーと共に徐々に立ち上がってきました。“なにかを孵化させる”というモチーフを掘り下げていったら、母親と娘という関係に自然に辿り着いた、という感じですね。
──卵から孵化する“ドッペルゲンガー”は、主人公ティンヤの、母親が望むような完璧な娘ではない、本当の自分の姿を見せることへの恐れのメタファーともいえると思います。女性は男性よりも、例えば、化粧やファッションなどでルックスをいつも完璧にしていなければならない、あるいは良い人として振る舞わなければならないといったプレッシャーを、社会から強いられていると思いますか?
まったくその通りです。まさにそのことを今回の作品で掘り下げようと思いました。ティンヤは母親の期待に応えようと一生懸命になるわけですが、実際、社会という大きなスケールで考えても、同様のことが起きています。男性に比べて女性は、成功するためにより頑張らなければいけないところがあると思いますし、素敵に振る舞い常に笑顔でいなければならないけど、笑い過ぎてもいけないというような、模範的な女性らしさを押し付けられているとも思います。それは言葉で直接的に表現されることもあれば、暗黙のプレッシャーとなっている時もあります。私は、このような社会における女性の状態を、この映画全体のスタイルに反映させたいと思いました。
この作品のルックスは、薔薇のモチーフやパステルカラーなど、ラブリーでフェミニンできちんとしていて、ある意味で完璧に作り上げられています。コントロールされ過ぎていて、息が詰まるほどに。もちろん、こうしたラブリーなものが悪いと言っているわけではありません。薔薇やパステルカラーは私も好きですから。ここで描いているのは、“それしか許されていない”世界です。醜かったり、乱雑だったり、アグレッシブなものは許されない。そういうところから、モンスターが生まれてしまったんです。
──主人公ティンヤだけでなく、母親の設定がとても興味深いですね。ティンヤを追い詰めてしまう一方で、彼女自身がそういった社会の“被害者”とも言えます。インターネットを通じてみんなが羨むであろう素敵で理想的なライフスタイルをアピールし続け、愛人もつくり、一見、自分の思い通りの人生を歩んでいるように見えますが、彼女こそ、完璧であらねばならないという脅迫観念にとらわれているようにも見えます。これは現代において多くの人が陥ってしまう罠でもあるように思えます。
まさにそう思いますね。その部分に気がついてくださってとても嬉しいです。物語的には、彼女は悪役なので、観客は彼女を嫌いになるかもしれません。ですが彼女は、とても哀しい存在でもあります。娘に完璧さを求めて理想を押し付けているけれど、彼女もまた、世の中の理想的な家庭という基準に従って、自分の完璧な生活をSNSで発信しています。その根底にあるのは、愛を求める気持ちです。愛を求めて愛人を作るし、インスタグラムなどのSNSで匿名のフォロワーに対しても、“いいね!”というある種の愛を求めてしまうわけです。
この母親には過去に何かあり、何らかの理由で愛することができないキャラクターといえるでしょう。だから、幸せや愛を求め続けて、完璧な自分を世界を世界に向けてアピールし続けています。でも、そういうことは多かれ少なかれ、みんながやっていることですよね。自分を誰かに肯定してもらいたいという承認欲求は誰にでもあるものです。
──この母親と娘のキャラクターを構築する上で、心理的な裏付けをするため、なにかリサーチなどはされたのでしょうか?
脚本を開発している時に、精神科医にお会いして、彼が診ている摂食障害の患者の話を具体的に聞きました。母親と娘の関係性についても、意見を聞きました。この物語における母親の行動は行き過ぎているか、それとも信憑性があるかを知りたくて。信憑性があると彼は答えてくれました。母親が自分の娘を所有物のように扱ったり、まるで親友のようにふるまい、本来娘に聞かせるようなことではない話を打ち明けたりするのは、よくあることだそうです。度を超えて娘に依存したり、自分の夢を娘に押し付けたりする母親ですね。一方で、娘はそういう母親の期待に答えようと頑張り、それが摂食障害の原因となる。そういう状況を何度も見たことがあるとおっしゃっていました。
私たちはこの映画で、母のせいで若い女性たちが摂食障害に陥っていると提言したいわけではありませんが、医師がそういうケースが多いとおっしゃっていたのは興味深かったですね。
──あなたが“女性の物語”を語りたかったとおっしゃったように、このストーリーの中で、ティンヤの父親、弟、母親の愛人などの男性のキャラクターは、女性キャラクターに比べると明らかに影が薄くなっています。彼らの人物像はどのように作り上げていったのでしょうか?
キャラクター作りは母と娘から始めて、その後に、父親をどうするか考えました。父親は、母親が好きな生き方ができるようにサポートする立場だという設定から練り上げました。彼もまた、母親とは違った意味で体面を取り繕っている人です。彼の場合は、本当の気持ちを隠すことで“生き延びている”人物です。
大人たちの中で唯一ティンヤの心の痛みに気がつくのが、母親の恋人のテロです。“母親の愛人”というと、通常はあまり良いイメージはありませんが、彼は結構良い人です。そこが意外性があって良いと思いました。彼以外の大人たちは、最後の最後までティンヤの痛みに気づこうとしません。直視することを避けて、逃げてばかりいるんです。責任感のある大人がまったくいないことが、この少女の孤独を深めていくともいえます。
──冒頭、黒い鳥のシーンがありますね。窓から飛び込んできて、それを母親が無惨にも殺そうとするこのシーンを加えた理由は?また日本では、黒い鳥、つまりカラスは不吉とされてきましたが、この黒い鳥はなにかを意味するのでしょうか?
黒い鳥が飛び込んでくるシーンは、完璧に見える生活が、いかに簡単に壊れるものであるのかのメタファー的シーンです。冒頭で映画全体の物語を、小さなスケールで象徴的に見せました。部屋の中にある素敵なガラス器や装飾品が無惨に壊れていきますが、それらを壊した鳥を母親は殺そうとします。そこで私たちは、この母親は完璧にコントロールされた秩序ある世界に何かが介入することを許さないのだと悟るわけです。
フィンランドでも黒い鳥を不吉の象徴として捉える傾向はありますが、今回の黒い鳥の種類はあえて明らかにしないようにしています。(映画に登場する)歌の中の鳥とはまた違う、不明瞭なものとして描いています。
──卵から孵化するクリーチャーが大変素晴らしく出来ていました。『プロメテウス』などを手掛けたグスタフ・ホーゲンが制作されたそうですが、どのような経緯で依頼したのですか?
孵化したクリーチャーのルックスに関しては、フィンランドの素晴らしいコンセプトデザイナーの2人と話をするところから始めました。カラスや鳥の造形を見せて、体が痩せている少女のようなルックスにしたいと話しました。母親が娘に求めているものと真逆なものにしようとも思いました。母親は完璧な体操選手の身体をティンヤに求めていますが、クリーチャーは手足のサイズが違うし、造形もいびつなところがあるし、ぬるぬるしていたりもして。極端に細いのは、摂食障害とも関連付けています。また、私はちょっと匂うような、怒っているティーンエイジャーというイメージも伝えました。親に対して怒りをぶつけるけれど、同時に親の愛も渇望しているような10代の子どもです。
このクリーチャーは、邪悪の塊というわけではありません。目はとても大きいですが、それはある種の子どもらしさや無垢さを表現するためでした。また、これらのクリーチャーは、CGといったデジタルで作るのではなく、もっと実像としての存在感を出すために、(遠隔で操作できる)アニマトロニックで作りたいと思いました。そこで、アニマトロニックでベストのデザイナーをグーグルで検索したら、グスタフ・ホーゲンの名前が出てきました。彼は、『スター・ウォーズ』シリーズ(『フォースの覚醒』(15年)『最後のジェダイ』(17年)『スカイウォーカーの夜明け』(19年))や『ジュラシック・ワールド』(15年)、『プロメテウス』(12年)などを手掛けている人ですが、連絡してみたら、意外にもすんなり彼のチームで引受けてくれることになりました。
──「ちょっと匂う」とおっしゃいましたが、この映画の中ではところどころで、匂いについて言及する場面がありますね。
10代の特徴のひとつとして、ちょっと汗をかいたりして匂うというのが、私のイメージです。クリーチャーには、そういう10代の少女の身体的な特徴を反映させたく思っていました。また、血やぬめりなどについては、女性であることを意識させる表現です。ティンヤの母親は、娘の女性的な部分というか、娘の成長から目をそらしたいという潜在的な意識があると思ったので、母親の視点を反映させています。
──この作品を観たとき、ヨルゴス・ランティモスの『籠の中の乙女』や、クリーチャーの扱いについてはギレルモ・デル・トロの世界を彷彿とさせましたが、あなたが影響を受けた映画作家はいますか?
脚本を書いて世界観を構築している時は、むしろ他の作品から直接的な影響を受けたくないと思い、考えないようにしました。でも、いざ撮るとなった時には、いろんな映画を観ましたね。特にデヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』や『ザ・ブルード/怒りのメタファー』などに影響を受けたと思います。クリーチャーや恐ろしい造形物は、実際にそこに存在する“プラティカルエフェクト”で表現していますね。生々しく醜く、洗練されすぎていない表現がとても気に入っていました。
──クローネンバーグはボディホラーの巨匠ですが、あなたのこの作品やジュリア・デュクルノーの『TITANE/チタン』を観ると、ボディホラーはまさに女性監督に向いているジャンルだと確信しました。
興味深い考えですね!そうですね、そう思いますよ。その理由を具体的には説明できませんが、ただ、女性は子どもを産みますし、生理もあるし、赤ちゃんに母乳をあげるし、成長期にはドラスティックな身体的変化があります。なので女性監督にとって、ボディホラーは自然な表現なのかもしれません。私は、自分のことをホラー、あるいはボディホラーの作家だとは思っていませんが、恐怖という感情にはとても興味があります。なので、自然とホラーやボディホラーの要素が私のストーリーテリングの中に入ってくるのだと思います。
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『ハッチング-孵化-』(英題:Hatching)
北欧フィンランド。12歳の少女ティンヤは、完璧で幸せな自身の家族の動画を世界へ発信することに夢中な母親を喜ばすために全てを我慢し自分を抑え、体操の大会優勝を目指す日々を送っていた。ある夜、ティンヤは森で奇妙な卵を見つける。家族に秘密にしながら、その卵を自分のベッドで温めるティンヤ。やがて卵は大きくなりはじめ、遂には孵化する。卵から生まれた‘それ’は、幸福な家族の仮面を剥ぎ取っていく…。
監督/ハンナ・ベルイホルム
出演/シーリ・ソラリンナ ソフィア・ヘイッキラ ヤニ・ヴォラネン レイノ・ノルディン
2022年/フィンランド/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/91分/字幕翻訳:中沢志乃/PG12/原題:Pahanhautoja
日本公開/2022年4月15日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ他にて全国順次ロードショー
配給/ギャガ
公式サイト
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