【単独インタビュー】タイの鬼才アピチャッポン・ウィーラセタクンとの記憶と夢を巡る対話
- Atsuko Tatsuta
『ブンミおじさんの森』(10年)でカンヌ国際映画祭の最高賞をタイ人監督として初受賞したことでも知られる気鋭アピチャッポン・ウィーラセタクン。映画監督として高い評価を受けている彼の表現活動は、映像インスタレーションや写真、パフォーマンスなどの現代アートにも及び、唯一無二の映像作家としての立ち位置を確立しています。
母国・タイのコーンケン大学で建築学士号を取得後、アメリカに留学し、美術・映画製作を学んだ彼は、2000年に初の長編映画『真昼の不思議な物体』を発表後、『ブリスフリー・ユアーズ』(02年)でカンヌの「ある視点」部門でグランプリを受賞、『トロピカル・マラディ』(04年)で同映画祭コンペティション部門の審査員賞を受賞、『世紀の光』(06年)はベネチア国際映画祭のコンペティション部門に選出されるなど、作品ごとに国際映画祭で高い評価を得ています。
ティルダ・スウィントンを主演に迎え、南米コロンビアを舞台にした最新作『MEMORIA メモリア』は、監督が初めてタイ国外で制作した野心作。自身が経験した「頭内爆発音症候群」から着想を経た、記憶の旅路が描かれます。第74回カンヌ国際映画祭コンペティションで審査員賞を受賞した本作は、第94回アカデミー賞国際長編映画賞のコロンビア代表にも選出されました。
『MEMORIA メモリア』の日本公開に合わせて、同作の構想を練るためにコロンビアを旅した際に同行した、友人で俳優のコナー・ジェサップの監督によるドキュメンタリー『A.W.アピチャッポンの素顔』(18年)もアンコール上映。2本の映画作品が上映されるこの時期に来日したアピチャッポン・ウィーラセタクン監督が、Fan’s Voiceの単独インタビューに応じてくれました。
──今回の来日の主な目的は何ですか?
多摩美でのワークショップに参加するためです。“メモリー・ワークショップ”と呼んでいますが、10人の学生と去年始めた実験的なワークショップです。今年は2年目ですね。私が自由に授業の内容を作れる集中ワークショップで、去年はオンラインで行いましたが、今年はオンラインで開始して、また日本に入国できるようになったので、すぐにビザの申請をしました。昨日終わったばかりですが、素晴らしかったです。
──日本では、長編最新作『MEMORIA メモリア』が公開されたばかりです。そして、その撮影に先立ち脚本を書くためにあなたがコロンビアを旅した時のドキュメンタリー『A.W.アピチャッポンの素顔』も限定公開されました。まず、この旅についてお聞かせいただけますでしょうか?
監督のコナー・ジェサップは、私と同じように映画好きだったため、以前から知り合いでした。ある時、彼は私の仕事の仕方をもっと理解したいということで、「クライテリオン・コレクション」にドキュメンタリーを作ることを提案しました。そして彼は、私がコロンビアを旅しながら脚本や構想を練っているところに、訪ねてきたのです。太平洋沿岸のチョコという場所だったのですが、そこから彼は記録を開始したのです。
──コナーさんは俳優でもありますよね。どのように出会ったのですか?
私はいつもトロント映画祭で作品を上映しているのですが、コナーはトロント在住です。彼は大衆的な映画にも出演していますが、アート映画や実験映画もたくさん観ています。実際に私よりもずっと映画の知識もあります。だから彼は私の作品のことも知っていて、それがきっかけでトロント映画祭ともつながりました。彼が撮った短編映画を私に見せたいとメールをくれたりもしました。
──このドキュメンタリーの中で、あなたはいわゆる俗世間とは距離を置いていて、外界と繋がるために俗っぽいサッカーの話をしたりすると言っていましたね。ご自分が住んでる世界と、エンターテインメントの俗っぽい世界とは、どのように行き来しているのでしょうか。
ああ、いい質問ですね。というのも、私はスポーツに興味がないんです。ですから、そのサッカーについての引用は私の言葉ではなく、私が共感しているフランス人の男性から聞いたものです。彼は人とサッカーについての考えを話してくれました。私は、スポーツといえば競争のために人々を分断させるものと考えています。それだけのもの。私にとっては、たわいもない冗談のようなものでもあります。いずれにせよ、同じ世界でのことですけれど。
──あなたの独特の世界というものが確実にあると思います。それを映像で表現する舞台は、今まではタイ、しかもあなたが育ったタイの東北部だったわけです。今回はなぜ、タイを離れたのでしょうか?そして、タイ以外で撮影する初めての場所としてコロンビアを選んだ理由は?
単に、映画を作りたいと思う原動力、ということだと思います。私はいつも、自分が幼い子どもや少年のように感じます。少年の頃は、アマゾンの森や異なる世界について好奇心が旺盛ですからね。でも、実際に映画を作り始めると、それが実際は異なる世界ではないことがわかります。私の映画は人間の本質や感情について語っているので、それほど違いはないのだと思います。同じことと違うことについて言えるのはそれだけですね。
──タイから離れたかった理由をもう少しお聞きしたいのですが、タイには何があって、何がなかったのでしょうか?
そうですね。タイではこの数年間、大きな政治的緊張がありました。軍が国を掌握していました。見かけ上は民主的な政府を設立しましたが、私にはそう見えません。だから若者たちの蜂起が続いているのだと思います。それは私にとっては、自分のキャリアや人生を見直し、挑戦する機会となりました。国が“新たな章”を迎えたように、私が“新たな章”を迎えるための刺激が存在するのか。私にとっての“新たな章”は、国の外にあると思います。
──『MEMORIA メモリア』は、私が去年のカンヌで観た中でも最も興味深い作品でした。一方で、他の批評家の中には、あなたがタイを離れて別の場所で撮ったことで、あなたのオリジナリティが少し損なわれたと感じた方もいたようです。カンヌでのリアクションを、あなたはどのように受け止めましたか?
ああ、気にしないですね。どうでもいいことです(笑)。(批評は)いくつか読みましたが、本当に、全く気にしません。気にしていたら、次の作品を作ることができません。他人の意見ではなく、自分の作品にこそ正直であることが全てですから。
──実際にタイを出て撮ったことで、映像作家として新たに発見したことは?
そうですね、映画は“生きている”のだということに気付きました。この“子ども”は成長し、人々の想像の中で独自の解釈が生まれ、もはや自分の映画ではなくなります。とても美しいことです。それがネガティブでもポジティブでも、関係ありません。
──なるほど。コロンビアもタイと同じように、野生の森があります。あなたは今作でも、それまでタイで森やジャングルを撮ったように、その自然を大変美しく切り取っていたと思います。自然、そしてその土地に根付く超常現象──私たちは超常現象と呼びますが、あなたが何と呼ぶのかはわかりませんが──あの主人公の頭の中に響いてくる声のような音は、あなたが患った「頭内爆発音症候群」から来ているそうですが、コロンビアという土地とはどのように関係するのでしょうか?
混ざり合ったものだと思います。あの“音”は、かなり前から私の頭の中で鳴り続けていたので、作品に取り入れようとしました。でも、この映画はとても有機的に生まれたもので、多くのシーンはコロンビアでの経験から来ています。ただ、根底にあるのは、ある種の孤独について。私がずっと描きたいと思っていたことですが、孤独の苦しみです。でも、そのおかげで幸せになることもあります。しばらくすると孤独に慣れて、すべてが実は繋がっていることに気づき、独りでもとても充実していると感じられます。
──超常現象、あるいは幽霊や精霊といったものはあなたの作品に欠かせないものですが、それもあなたの体験から来ているのですよね?
そうですね。だからこそ、そのことについての映画を作ったのだと思います。例えば、“ブンミおじさん”に会って、前世の記録について多くの人々にインタビューをすることになりました。その中には、前世を覚えている人もいました。私自身には、そんな経験はありませんでしたけれどね。でも、彼らには私に嘘をつく理由もありません。なので、彼らから前世の話を聞くことは、私にとって“近似体験”のようなものでした。でも、個人的にはこれらのことはまったく信じていません。どう言えばいいのか…、人間の想像力と欲望の問題だと思います。存在するかどうかはわかりませんが、自分自身で確かめるしかありませんよね?だから私は、それを確かめるのに時間を費やすわけでもなく、人間の状態や記憶の問題として見ていました。
──カンヌでティルダ・スウィントンさんが、あなたと長い友情があり、結果としてこの作品に出ることになったとお話されていました。ティルダとの出会いはどのようなものだったのですか?
実際にいつ会ったのか、もはや覚えていません。彼女はいつも、2014年に『トロピカル・マラディ』が上映されたときの話をしますけれどね。彼女はその作品を観て、私に話しかけてくれました。タイで一緒に映画祭を企画したこともあります。その後もずっと、一緒に会っては何かを作りたいねと話していました。
──なぜ今回、主演をお願いしようと思ったのですか?
実際のところ、彼女は何にでもなれると思います。私が出会った中で最も“強い”女性の一人です。彼女はとてもオープンで、“強さ”とはオープンであることを意味し、彼女には恐れがありません。私がこの作品の話をしたら、彼女は「OK、とにかくやってみよう」と言ってくれました。ジェシカというキャラクターを書いた時は、ティルダのことを考えたわけではなく、この架空のキャラクターが持つ孤独というアイディアに合わせて変身できる女性のことを考えました。
──今回のプロジェクトで、ティルダから影響を受けた点はありますか?つまり、作品の作り方に変化はありましたか?
ないと思います。私の場合、映画の撮影においてもそれ以外でも、いわゆるプロと一緒に仕事をすることはほとんどありません。タイで撮った映画は友人と一緒に作り、彼らが物語に影響を与えることもあります。彼らの生活をもとに書いたりしていて、実際に彼らは自分の名前で出演しています。一方、ティルダは、まったく別の人物を演じています。その“変身”を目にするのは魔法のような瞬間でした。歩き方も何もかもが、ティルダとは違うのです。でも、それが彼女と仕事をする素晴らしさです。例えば“ボゴタの水”といったアイディアを体現する方法を、一緒に話し合いました。
撮影していない時の彼女はとても若々しくて、15歳くらいだと言いたいです。パーティーが好きで、踊るのも好きで、でも薬物には一切手を出しません。ただ子どものようにパーティーを楽しむ姿は、とてもインスピレーションを与えてくれます。「フィルム100巻ごとにパーティーね」とか言って、定期的にパーティーが催されるようにして。それで私たちのチームは家族のようになりました。それに彼女は、誰に対しても自分らしく振る舞います。彼女のそんな一面は予想していませんでした。
──主人公の頭の中で響いてる音は、実際には何の音なのでしょうか?
以前にもこの“音”を使ったことがあります。横浜で行った「フィーバー・ルーム」というショー。ご覧になったかどうかはわかりませんが、そこで既に登場した音です。私の症状を“音”に変換しようとした初めて作品でした。そしてもちろん『MEMORIA メモリア』では、少し調整して使いました。でも撮影中は、それを使うかどうか分かりませんでした。ティルダに向かってそっと囁くように「バン」と言いました。本当に静かに「バン」。それを聞いた彼女が、自分なりの想像で反応してくれました。
──コロンビアでの撮影にあたり、どのようにロケ地を選んだのでしょうか?タイでの作品と同様に、ジャングルのような森が映し出されていますね。
私がコロンビアに行った目的といえば、その環境を吸収し、人々の話を聞いて、ただそこで過ごすためでした。たくさんの時間を旅に費やしました。そして物語が形成され始めると、私は…ほとんどは自分の体験から書きましたが、病院の部屋のように、存在しないところもあります。ピハオは、私が想像した景色が見える窓がある部屋を探していて見つけた土地です。いくつもの街を車で走り回り、その場所が見つかるまで探索しました。
──私があなたに最初にお会いした20年前、あなたはドキュメンタリー作家でした。今は、フィクション映画も撮り、アート作品にも精力的に取り組んでいらっしゃいます。表現者として、これらはどのように区別しているのでしょうか?
そうしたジャンルは、私にとってそれほど違いはありません。アートと映画は最終的には、“会場”が異なるのかもしれません。映画館と美術館というように。でも、その基礎にあるもの、つまり感情の起源は同じだと思います。単に機会が異なるだけ。時にはアート作品の依頼があったりもしますが、いつもとても自由に作品を作っています。
──作品のテーマはプロジェクトごとに決めるのですか?財団などからオファーされてアート作品を作ることもありますよね。
作品を作るきっかけは、いろいろな要素が混ざり合っています。でも、私にアプローチしてくる方たちは、私がどんなものを作っている人物なのか理解しています。テーマといったものも、多くの場合はほとんどないか、もしあったとしてもとてもやりやすい、すでに私が取り組んでいることようなものばかりです。これだけ自由にできるのは、ただ運が良いのかもしれませんね。
──12年前に『ブンミおじさんの森』でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞されました。審査員長のティム・バートンがあなたに賞を授与したわけですが、いわゆる映画の殿堂と言われる最高峰の映画祭で最高賞を獲得したことによって、あなたのフィルムメイキングにはどのような影響があったのでしょう?
何と言うか……私に平穏を与えてくれました。カンヌでの受賞はフィルムメイカーにとって心情的に大きな存在でしょうが、私にとっては車の激しい衝突事故のようなものです。こうした事故は突然起き、その後はとても冷静になるでしょう?そんな感じです。後になって、(パルムドールを受賞したことは)実際にはそれほど特別なものではないことが分かります。上手く説明できませんが、結婚のようなものでしょうか。何か特別なものだと思っていたけれど、実際にはとても普通のこと。私はただそんな風に感じました。そして、ひとりのフィルムメイカーとして私なりの平穏を与えてくれました。
──その後も映画祭に出品し続けていらっしゃいますが、映画祭で上映することはあなたにとってどのような意味があるでしょうか?
とても重要です。なぜなら、映画が大スクリーンで上映される数少ない機会の一つだから。最近は配信が全盛となっていますが、私の映画は配信用に作られていません。昨年は、「オンラインでも上映しなければならない」と言ってくる映画祭があったので、出品を断りました。
──配信では作品を観てもらいたくないのですね。
私たちは映画館で映画を観て育ちました。今とは違います。今も魔法のようなものですが、一緒に暗闇の中で観るのは、別の魔法です。映画を作るときはサウンドデザインやその他の要素、(自身のスマートフォンを指して)ここからは得られないすべてのことが重要となります。私の映画は特に物語だけで成り立っているわけではないですからね。
──やはり映画体験は劇場でないとできない?
その通りです。私も家にスクリーニングルームを作りましたが、そこで映画を観ても、その作品のインパクトを完全には感じられません。映画を観る時には、周りに人がいて、会話をしなくてもその人たちが感じていることを感じ、一緒に感じるという集合的な体験も重要だと思います。
──タイではあなたの作品は劇場で上映されるのですね?
『MEMORIA メモリア』については、上映されます。
──タイでも配信では観せないのですか?
今のところそうです。数年後には配信されてしまうかもしれませんが。かなり抵抗しています。
──タイのいわゆる映画産業というのは、エンターテインメント作品が中心かと思いますが、あなたは今のタイの映画業界の中で、どのような立場にいらっしゃるのでしょうか?
タイの映画業界は、他の国と大して変わらないと思います。おそらく日本とも。フランス映画についてのとある動画を見たことがあるのですが、フランス映画は私的なアート作品のように思われがちですが、実際にはコメディやドラマに満ちていて、本当に娯楽性の高い映画が多い。つまり、他と同じということ。もちろんタイにもインディペンデント映画もありますが、小さな国ですし、タイ語なので、本当に限られています。
──映画を作る時は、観客のことは考えず、自分が満足するものを作ることができれば十分と考えていますか?
はい、まったくその通りです。映画作りとは、アートの創造です。カンヌは多くのことを教えてくれました。人々がブーイングしては、途中で退席しますからね。どの作品でも、全員を満足させることはできませんよね?この人が好きなものは別の人が嫌いかもしれない。そんなことに意味はありません。
──ちなみに、あなたのクルーは何人ぐらいで、どのように一緒に仕事をするのでしょうか?
撮影監督であるタイ人のサヨムプー・ムックディプロームと、編集者のリー・チャータメーティクンとは、できる限り一緒に仕事をします。音響はアクリットチャラァーム・カラヤナミット、それから清水宏一という現在は東京に住んでいる日本人もいます。彼らはそれぞれの分野で非常に熟練しています。私は自分が何を望んでいるかは分かりますが、技術的に細かいことは分かりません。でも彼らは、私が言葉で言わなくても理解してくれるところがあり、本当に共同作業になっています。
──といいますと、毎回あなたが最初に脚本を書いた段階でもうチームを集めて、そこから彼らに技術的なものは任せてしまう?
はい、その通りです。
──そのチームはいつ頃から確立されたのですか?
良い質問ですね。本当に自然な流れで、過去10年間くらい、一緒に成長してきました。
──『ブンミおじさんの森』の頃ですか?
その前からでしたね。一緒に成長してきたので、具体的な時点を言うのは難しいですが。技術も変化していますし、編集用のワークステーションや音響のソフトウェアもそうです。私たちはデジタルからフィルムへ、そしてまたデジタルへと、ずっと一緒にやってきましたら。
──監督によっては、全てを自分でコントロールしないと気に入らないという人もいます。あなたの場合はどうでしょうか?
私はかなり細部にこだわる方です。でも、多くの選択肢が必要です。撮影中でも、上手くいかなかったものはどんどんカットします。『MEMORIA メモリア』の時はとても興味深く、どこで特定の小道具が手に入るかや、実際に衣装をどのように着るのかなど、私には分からないことがたくさんありました。それは必然的に私からコントロールを奪い、代わりに私は脚本やティルダとの時間に集中することができました。
──例えばアルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』はファミリードラマでありながらも、最先端の技術を使ってテクノロジーを使って撮られています。あなたの場合は、テクノロジーに関してはどれくらい意識的なのでしょうか?
私たちはこの映画では35mmフィルムを使用しました。実際のところ、それは自分たちを厳しく律するためのものでもあります。フィルムが回っているとき、クルーは非常に集中します。それもテクノロジーの一部ですよね?それから、男(エルナン)が長い間寝ているように見せるためにはどうしたらいいかなどを皆で話し合って考えたりもしましたが、テクノロジーはとりわけ大きな要素ではありません。
──あなたの作品によく登場するアイテムとして、ベッドがあります。部屋が映り、ベッドがある。それはある意味病院に見えるときもあるし、ただの個室に見えるときもあります。『MEMORIA メモリア』でもベッドが度々登場しますが、あなたにとってベッドはイマジネーションの世界への入口なのでしょうか?
明確にはわからないのですが、「眠り」というアイディアに結びついているのだと思います。つまりベッドは、どこかへ行くための乗り物のようなもの。私が多くの旅行をするという事実もあります。毎回ホテルでは、ベッドの写真を撮っています。
──ではあなたの中では、眠りは夢や幻想に結び付いてくるのでしょうか?眠ること、夢見ることは、あなたにとってどれくらい大事なものなのですか?
確かにそうです。私は夢に非常に興味があり、夢日記をつけています。ここ数年、映画を観るのをほとんどやめました。なぜなら、自分の夢だけで十分だと感じるから。夢は自分自身の中にある物語から来ているのでしょうが、全く予想外の形で現れます。映画は、夢と非常に密接に関連していると思います。映画館へ行くと、私たちはまるでゾンビのようになり、ただ受け入れます。映画を観る行為は、夢を見ることに似ています。科学的にも、私たちが夢を見る必要があるのは、脳の解毒や記憶の再分類などのためだと言われています。映画も同じで、何かを具現化したり、特定の出来事に向き合ったりして、私たちの進化に備えるためだと思います。ですから、私たちが映画を観に行く理由や夢を見る理由、眠る理由には非常に似ていて、本当に生物学的な理由があると思います。
──その夢日記はどのようにつけているのですか?
たくさん記録していますよ。夢は主に外国で見ることが多いですね。おそらくあなたの夢と同じように、私の夢もあちこちへ飛んでいます。でも、(手元のスマートフォンを指して)ここにあるアプリで同期して記録しています。時々、覚えていることを絵に描くこともあります。
──映画はある意味で記憶装置とも言えるわけですけれども、今回のタイトルはまさに『MEMORIA メモリア』です。映像で全てを記録することは、あなたにとってなにを意味するのでしょうか?
記憶はとても有害になり得るものだと思います。記憶は執着であり、過去に関するものであり、実際には記憶が必要ないこともあります。運転の仕方とかそういった学びのことではなく、感情的な記憶について。時にはそれが非常に有害となるので、自分自身に問いかけます。なぜ映画を作るのか。なぜアートに取り組むのか。おそらくまだその執着があるからこそ、私は作り続けているのだと思います。作ることで、覚えていなくてもいいようになってほしいのではないか。映画作りでは別の世界を創造するわけですが、それは別の種類の記憶になります。完全にそうなるわけでもありませんが、特定の記憶や感情を反映した別の種類の記憶に表現することで、忘れてしまいたい。
──このドキュメンタリーの中でも、タイ政治に対する批判的なことが出てきましたけれども、例えば『トロピカル・マラディ』でも兵士が出て来ます。『MEMORIA メモリア』でも歴史の暗部に対する批評的なまなざしも感じられます。アーティストとして、あるいはフィルムメイカーとして、どれくらいの政治的であるべき、あるいは政治から離れるべきだと思いますか?
そうでしたか、よく覚えていません(笑)。私が記憶したいことや記録したいことは、政治とは関係ありません。
──つまり政治から離れるべきだと?
いいえ、どうでもいいことです。問題によってはそういう時もありますが、今回は距離を置かずに、政治的であるべきだと思います。
──あなたの取り組んでいる次の作品はどのようなものになりますか?
ひとつは、睡眠と夢についての続き。もうひとつは、“映画の死”について、というより“映画の変革”についてのVR体験。ヘッドセットを装着する20分ほどのVRパフォーマンスです。20分だったか40分だったか、技術的なことを忘れてしまいましたが、VRでは目の疲労のため時間に限界がありますからね。10月に開催されるあいちトリエンナーレに向けて取り組んでいます。
Photography by Kisshomaru Shimamura
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『A.W.アピチャッポンの素顔』(原題:A.W. A Portrait of Apichatpong Weerasethakul)
監督/コナー・ジェサップ
出演/アピチャッポン・ウィーラセタクン、コナー・ジェサップ
2018年/カナダ/カラー/DCP/47分/英語・日本語字幕
2022年3月15日(火)公開
配給/トモ・スズキ・ジャパン
公式サイト
© 2022 by Tomo Suzuki Japan. Ltd.
『MEMORIA メモリア』(原題:Memoria)
監督・脚本/アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演/ティルダ・スウィントン、エルキン・ディアス、ジャンヌ・バリバール
2021/コロンビア、タイ、フランス、ドイツ、メキシコ、カタール/カラー/英語、スペイン語/136分
日本公開/2022年3月4日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他にてロードショー
配給/ファインフィルムズ
©Kick the Machine Films, Burning, Anna Sanders Films, Match Factory Productions, ZDF/Arte and Piano, 2021.