Column

2021.12.20 21:00

【単独インタビュー】『世界で一番美しい少年』クリスティアン・ペトリ監督

  • Atsuko Tatsuta

名作『ベニスに死す』のタジオ役で一世風靡したビョルン・アンドレセンの波乱に富んだ半生に迫る衝撃的なドキュメンタリー『世界で一番美しい少年』が12月17日(金)に日本公開されました。

イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見い出され、『ベニスに死す』(71年)でダーク・ボガード演じる老作曲家を魅了する貴族の少年タジオ役を演じ、一夜にして世界的スターとなったビョルン・アンドレセン。あれから50年、国際的な表舞台からはすっかり姿を消してしまっていた彼は、北欧を舞台にしたアリ・アスターのヒット作『ミッドサマー』(19年)で再びスクリーンに登場しました。

一大センセーションを巻き起こしたスウェーデン出身の少年は、その後、どんな人生を歩んできたのか。栄光と苦悩、家族の秘密──これまで語られなかった物語の扉が開かれ、かつて人生が破壊されるほど傷ついた少年は、時を経て、人生の真実を探す旅に出ました。

2021年のサンダンス国際映画祭でワールドプレミアされ脚光を浴びた『世界で一番美しい少年』の監督を務めたのは、作家、ジャーナリストとしても活躍するスウェーデン出身のクリスティアン・ペトリとクリスティーナ・リンドストロム。ビョルンの友人でもある二人だからこそ描き出せた感動のドキュメンタリーの制作の裏側を、クリスティアン・ペトリ監督に伺いしました。

クリスティアン・ペトリ監督

──ビョルン・アンドレセンの人生をなぜ今映画化することになったのですか?
スウェーデンではクリスティーナ(※共同監督を務め、私生活でもパートナーであるクリスティーナ・リンドストロム)や私の世代ならば、ビョルン・アンドレセンの名前はみんな知っています。当時、彼が世界的にスターになった事をエキサイティングな出来事として見ていましたからね。けれどその後、彼は表舞台から姿を消してしまい、忘れられていました。でも、2006年頃、私とクリスティーナが監督したTVシリーズにビョルンが出演したことをきっかけに、友人になりました。英題は『Book of the Worlds』という、子ども向けのファンタジーで、ビョルンは子どもたちを脅かすヴィランのような役で出ていました。

ある日、クリスティーナと3人で夕食をとりながら、『ベニスに死す』に関わった際の背景や、その体験の彼にとっての意味などについて深く話したことがありました。それがとても良い会話だったので、家に戻ってからクリスティーナと一緒に、ぜひビョルンのドキュメンタリーを作ろうということになりました。ビョルンにもすぐに相談し、どんな映画にするのか、フォーマットはどうするかなどをみんなで話し合った後、最終的にビョルンが出演を承諾してくれました。

『ベニスに死す』1971 © Warner Bros. All Rights Reserved.

──ドキュメンタリーを撮り始める前から、親しい関係だったのですね。
そうなんです。それから、なぜ撮りたかったかということについて付け加えると、私たちはビョルンのストーリーに、ひとりの人生という枠を超えた、とても大きなものを感じました。彼の名声やその後の失意、彼の人生に訪れた悲劇を聞くと、まるでギリシャ文学の主人公の物語を聞いているような気持ちになりました。彼のストーリーを通して、現代人に重要なメッセージを届けられると思いました。

──発案から完成までにはかなり時間がかかっていますが、どのような制作プロセスを経たのですか?
撮影に5年、編集に1年かかりました。ただこの作品に限っては、時間があることがとても重要でした。フィクション映画と異なりドキュメンタリー作品は制作費もそれほどあるわけではなく、唯一のアドバンテージは、時間があることでした。「正しい瞬間」を待つことができますからね。今回難しかったのは、この作品がビョルンの過去の傷に触れる内容になることだったので、過去や自分の気持ちについて彼自身が語る気持ちになるのを待つ必要がありました。彼のアパートの中にカメラを入れてもらえるようになるまでに1年かかり、母親や息子のことを話してくれるまでにさらに数年かかりました。また、膨大な記録映像や資料も、映画を作りながら発見していったという側面もあります。いろいろ取材を進めていく中で、亡くなった母親が残したメッセージの録音やスーパー8で撮られた映像が見つかったり、ヴィスコンティと一緒にカンヌ国際映画祭に出席した時の映像も、映画制作を開始してから3年目に見つかりました。

このように、時間があったおかげで今回の制作のプロセスはとても豊かなものになったと思います。あまりに素材が素晴らしいので、何本も作品が作れるような気がしました。日本への旅だけでも映画になるねと話していたくらいです。もちろん、素材が豊かな分、編集作業が大変でしたけれどね。

──ビョルンがヴィスコンティとの出会いにより『ベニスに死す』に出演したことは、傍目からは幸運に恵まれたように見え、裏側には悲劇があったことは多くの映画ファンは知りませんでした。この事実についてあなたはどう感じていますか?ビョルン自身は周りの人々の理解がなかったことに苦しんでいたのでしょうか。
『ベニスに死す』がもたらしたものについては、彼自身も時間とともに感じ方が変わったてきていると思います。確実に言えるのは、映画をイタリアで撮影していた時点では、彼はその体験を十分楽しんでいたということです。つまり、撮影自体には問題はありませんでした。彼の人生に大きな影響を与えたのは、その後に起こったことです。

ヴィスコンティという世界的な巨匠に“世界一美しい少年”と宣言されたことによって、彼は名声を得て、グラマラスな体験しましたが、その嵐の中で彼は自分自身を見失ってしまいました。まだ15か16歳という若さで、しかも彼の面倒を見る大人が周りにいなかったので、彼はその状況に上手く対応することができませんでした。そして、名声にまつわる事柄が彼にとってネガティブな経験になってしまいました。

あの映画は、彼に良いことと悪いこと、両方をもたらしました。コインの裏表のように。このことは彼もよく理解していますよ。これまで彼は、「『ベニスに死す』という映画は、自分の人生を滅ぼした」という言い方をしてきましたが、つい数週間前に彼と話したときは、「『ベニスに死す』はシヴァ神のようなもの。私を創り出してくれたが、破壊もした」と話していました。彼はとてもユーモアのある人なんですよ。

──ここ20年、30年で価値観も大きく変わりました。ルッキイズムや子役の虐待・搾取など、かつては問題視されなかったものが、今では問題として認識されるようになりました。あなたの世代は、その変化を時代とともに経験してきているので、以前の状況もご存知だと思いますが、ビョルンの現在のガールフレンドがそうであるように、ビョルンが当時、周囲の大人たちによって守られなかったことに、衝撃や怒りを感じる人も多いと思います。
確かに価値観は変化したように見えます。メディアはインターネットの登場によって変化したように感じるけれど、それは表面的なもので、名声を巡るメカニズム的なものはほとんど変わっていないように思います。もちろん、名声を得る機会やタイミングなどはネットの普及によって変わっているかもしれませんが、以前と同じように危険なものです。今でも多くの若者や子どもたちが、映画や音楽で成功を夢見ています。一夜にして有名になることに憧れを抱いているでしょう。でもその代償もあるし、何よりもとても危険なものであることを認識しなければいけないと思います。ビョルンは、若くして得る名声とは、“死に至るほど危険だ”と言っています。彼の人生はある意味その教訓である、と。

──『ミッドサマー』でビョルン・アンドレセンの名前を知った方もいるかと思いますが、このドキュメンタリーにも『ミッドサマー』の撮影シーンが登場しますね。
アリ・アスターが許可してくれたおかげで、1週間『ミッドサマー』の撮影現場に入って、ビョルンを撮ることができました。アリは、彼が“世界で一番美しい少年”であることを承知の上で、あの老人役にキャスティングしたのですが、もしかするとビョルンに“崖から飛び降りる老人”を演じさせたのは、何かメタファーだったのかもしれないと私は思っています。あくまで私の推測ですが。

──先ほど、このドキュメンタリーの素材は豊富だったので、日本のパートだけでも映画に成り得たかも知れないとおっしゃっていましたね。1970年代当時、日本は特にビョルン・アンドレセンの人気が高かった国です。でも、その熱狂が実は彼を傷つけていたかもしれないと心配している日本人もいると思いますが、日本での撮影を彼はどのように受け止めていたのでしょうか。
当時も、それから今も、ビョルンは日本を大好きだと思いますよ。10代で来日した時は、CM撮影や写真撮影、レコーディングなど仕事ばかりで、非現実的な体験だったと言っていました。なので当時から、ゆっくりと滞在してきちんと日本を見たいと思っていました。今回、ドキュメンタリーの撮影のために日本行きを提案したら、とても喜んでくれました。私たちの日本での撮影も、彼にとっては素晴らしい経験になったと思います。彼が会いたいと言っていた人たち全員に会えましたしね。

──ビョルンの半生を通して、現代人へのメッセージを届けたいとおっしゃった意味を教えてください。
ビョルンに起こったことは、今も十分起こりうるということです。子役俳優への虐待や搾取は昔も今もあります。音楽業界や映画業界でも、急に名声を得たばかりに、未成年がネガティブな体験をしているという例はたくさん見てきました。夢見ることは良いことですが、何を夢見るのかをしっかり見極めなければいけないし、注意深く夢を見ることが大事なのです。

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『世界で一番美しい少年』(原題:The Most Beautiful Boy in the World)

“世界で一番美しい少年”と称賛され、一大センセーションを巻き起こした少年がいた。巨匠ルキノ・ヴィスコンティに見出され、映画『ベニスに死す』(71年)に出演したビョルン・アンドレセン。だが彼の瞳には、憂いと怖れ、生い立ちの秘密が隠されていた…。そして50年後。伝説のアイコンは、『ミッドサマー』(19年)の老人ダン役となって私達の前に現れ、その驚愕の変貌ぶりは話題となる。彼の人生に何があったのか。今、ビョルンは、熱狂の“あの頃”に訪れた東京、パリ、ベニスへ向かう。それは、ノスタルジックにして残酷な、自らの栄光と破滅の軌跡をたどる旅──。

監督/クリスティーナ・リンドストロム、クリスティアン・ペトリ
出演/ビョルン・アンドレセン、池田理代子、酒井政利 ほか
スウェーデン/英語・スウェーデン語・仏語・日本語・伊後/2021/シネスコ/5.1chデジタル/98分/字幕翻訳:松浦美奈/映倫:G

日本公開/2021年12月17日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ他全国順次公開
配給/ギャガ
公式サイト
© Mantaray Film AB, Sveriges Television AB, ZDF/ARTE, Jonas Gardell Produktion, 2021