Column

2021.10.30 9:00

【単独インタビュー】『空白』『ヒメアノ~ル』吉田恵輔監督が闇に光を探す理由

  • Atsuko Tatsuta

最新作『空白』の大ヒットが記憶に新しい吉田恵輔監督。10月30日(土)〜11月8日(月)開催の第34回東京国際映画祭では、Nippon Cinema Now部門において「人間の心理をえぐる鬼才 吉田恵輔」と銘打たれた特集上映が組まれ、『空白』『ヒメアノ~ル』『BLUE/ブルー』が上映されます。

『BLUE/ブルー』©2021 『BLUE/ブルー』製作委員会

“人間の心理を描く鬼才”の異名をとる吉田監督は、1975年に生まれ、東京ビジュアルアーツ在学中から自主映画を制作。塚本晋也監督の作品では照明を担当し、監督デビュー作『なま夏』(06年)は、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭ファンタスティク・オフシアター・コンペティション部門でグランプリを獲得。2008年には自らが執筆した小説「純喫茶磯辺」を映画化、『さんかく』(10年)では新藤兼人賞2010年度銀賞を受賞。近年では、『ヒメアノ~ル』(16年)、『犬猿』(18年)、『愛しのアイリーン』(18年)、『BLUE/ブルー』(21年)と、精力的に作品を発表し続けています。

日本が誇る実力派監督として東京国際映画祭で紹介されるにあたり、吉田恵輔監督にそのキャリアを振り返っていただきました。(※吉田恵輔の「吉」は“つちよし”が正式表記)

吉田恵輔監督

──最新作『空白』も素晴らしい作品でした。監督の最高傑作という声も多く聞かれますが、ご自身では集大成という意味もあったのでしょうか。
集大成というより、“逃げずに撮った”感じがあります。キャリア的にも40歳を超えたし、“俺もちょっとは大人になった”という作品だと思います。ずっと学生の延長上のようなつもりで映画を撮ってきましたが──今もそうありたいんですが、『空白』で11本目。まだ学生ノリではいけないなと思いました。でも1本撮っておけば、次はまた学生ノリに戻してもいいでしょ(笑)。

──キャリアにおける転機になった作品だと?
公開したばかりですが、そうですね。『ヒメアノ〜ル』や『空白』は確実に分岐点となった作品だと思います。自分の身の回りにあることを描いたのが『ヒメアノ~ル』。それまでは、オタク文化とかアイドルとか、自分が経験したことのないものに憧れて、作品を作ってきましたが、逆に自分が得意なバイオレンスに舵をとったという分岐点になりました。“いちおうデキる人なんだぞ”と見せつけておこうと思って(笑)。それで俺の期待値を上げて、また落としてやろうという計画のもとに(笑)。それから、本来俺の“武器”でもある笑いを封印しようとしたのが『空白』。笑いは、照れ隠しというか、逃げでもあったんです。大事なシーンのときにおちゃらけてみせたら、誤魔化せるというか。でも『空白』ではそれを排除して、きちんとテーマに向き合ってみようと思いました。

『空白』©2021 『空白』製作委員会

──『空白』は、ひとつの交通事故を巡る人間模様を描いていますが、加害者と被害者の遺族だけでなく、間接的に関わった人々の苦しみをとことん描いています。スターサンズの河村光庸プロデューサーと組んだことで、ご自身のリミッターを外せた部分はありましたか?
意外にも河村さんがいちばん何も言いませんね。俺を好いてくれているみたいで(笑)。俺が書いた脚本を渡して「これやるよ」と言っただけです。それに今は、合わないプロデューサーと仕事をすることはまずありませんし。プロデューサーの意見を最も聞くところは、キャスティングですね。お金を出してくれているから、観客動員にも繋がるキャスティングでは俺も意見を通しにくく、古田新太さん主演で通してくれるのは、スターサンズくらいかもしれませんね。

──古田さんは人気俳優ではありますけどね。
完成した『空白』を観た後だと、“この役は古田新太さんで良かった”となるけれど、企画の段階で古田さんの名前を出すと、多くのプロデューサーがそれはリスキーだと反応すると思いますよ。いつも主役を張っている人でないと、と。その思い込みがよくないと思いますがね。映画は、脚本など総合的なものの組み合わせでヒットしたりするわけで、いつも主役をやる俳優しか主役になれないのなら、そもそもどうやって主役になるんだと思ってしまいます。河村さんは、そのあたりの固定観念にはとらわれていませんね。

──今回の特集上映のオファーを受けた時は、どのように感じましたか?
率直なところ、“俺じゃないだろう?”と思いました(笑)。

──多くの映画関係者は当然と思っているのではないでしょうか。吉田監督は実績もありますし、11作品を撮り終えたところで、区切りとしても特集上映をして世界に紹介するにちょうど良いタイミングというか。
ライターさんなどは皆さんそう言ってくださるんですが、雑誌のベストテンとか映画賞に入ることはほとんどなく。そもそも映画祭の道を通ってきていないので、特集上映に選ばれることがどういうことかすらよくわかっていないまま、引き受けました。映画祭が選んでくれているので、プログラミングもお任せです。

──海外のジャーナリストからも取材も受けられていましたね。
海外のジャーナリストは、映画の本質的なところやテーマについて聞いてくれて、それは良いですね。俳優のプライベートに迫る質問とかはしないし。でも、俺が英語を話せればいいのだけど、通訳を通すと上手く話せず、俺が言っていることが無茶苦茶失礼に変換されているんだろうなという感じがプンプンする時もあります。だからQ&Aで怒り出された時もありますよ。

『空白』©2021 『空白』製作委員会

──吉田監督は、人間の心理を描くことに長けており、特に社会的弱者に寄り添った映画をお撮りになっていますね。
自分が負け犬だからね。20代後半に、精神的に追い詰められていた時期がありました。写真を見せてあげたいくらいですが、実家に住みながら、面白い脚本が書けず、それは漫画やゲームがあるからだと思って片付けたり捨てたりして、そのうちにエスカレートして、壁紙があるから書けない、コンセントがあるから書けない、終いには光があるから書けないんだと言って、黒いスプレーで(光源を)潰したりして、真っ暗で何もない部屋で半年間体育座りしていました。そして、そこから出て陽の光を浴びたら、壁に100個くらい「壁」と書いてあって、自分でもびっくりしました。結局その闇の時期には1行も書けなかったし、そうやって映画を作っても、アマチュアの映画祭で1次審査も通過しませんでした。

──下積みが長かったという思いがあるのですね。
長かったですね。

──その闇を脱したきっかけはあるのですか?
1回諦めようと思ったところから、どうでも良くなった感じがありますね。俺が喜ぶ映画を作られればいいや、って。プロデューサーや観客ではなく、自分が満足できるものを作りたいだけ。それが“売り物”にもなっているから、今が存在しているだけ。それがズレたら、終わりかもしれません。

『ヒメアノ~ル』©古谷実・講談社/2016「ヒメアノ~ル」製作委員会

──『ヒメアノ~ル』にしても『空白』にしても、一旦は主人公をドン底まで突き落とし、深淵にまで踏み込むその潔さに毎回驚かされます。
意地悪をしたいのではなく、愛を見たいんです。光を見たい。そういう優しいものを見たいと思っています。でも俺には、そういうものは、相当酷い目に遭った先にしか見えてきません。俺の感覚が麻痺してしまっているのかもしれないけど、ちょっとのことで希望は感じません。本当に、手足ももがれて、もがき苦しんでいる中に見つけた玉っころみたいなものを光と呼ぶという感覚になってしまっているから、どうやっていじめようかと永遠に考える性格になってしまったんですよね。

──『空白』では、万引きをした女性を追いかけ、その結果女性が交通事故死したことで、スーパーの店長を徹底的に追い詰めていますね。吉田監督の視点では、世の中はあれ程までに人を追い詰めるものだということでしょうか。
あんなものじゃないと思いますね。もっと酷い話は現実には山ほどあります。本当に起きている事を完全に再現したら、「やりすぎだ」「嘘くさい」と言われるような事件が世の中には多い。最近の事件も、滅茶苦茶でしょ。3歳の子どもに死ぬまで熱湯をかけたなんて、映画にしたら「そんな男と普通付き合わないでしょ」とレビューに書かれますよ。でも、実際には起きていて、この世の中、現実の方がヤバい人たちがいます。

──そういう現実を吉田監督は凝視するわけですよね。残酷な現実から目をそらす人も多いし、目に入りすらしない人もいますから。
見ているというより、自分も鈍感になっているところもあって、そういう現実を見ていない自分に対してゾッとするから、自分を戒めるために作っている感じがあります。俺は色んな物事が見える想像力のある優しい人間では決してないので、そうなれたら良いなという自分の希望で作っています。他の人間がどう生きているか知らないから、比べようもないですがね。俺は、実生活では割とドラマチックな経験ばかりしているし、断然キツイと思います。映画で書く脚本はあくまでもフィクションだから、まだいいですが。

──フィルモグラフィーの中で、自分自身を最も素直に反映されている作品は?
どれだろう…それぞれ自分自身を何らかの形では表現している気はします。『BLUE/ブルー』だって、(松山ケンイチ演じる主人公の)瓜田が何も言わず、本質的なことを見せないのは、俺もそういうタイプの性格だから。俺は明るく飄々としているだけで、あんなに優しくはないですが。どこか人前で“演じている”ところがあるのは、みんなそうなのではないかと思います。

『BLUE/ブルー』©2021 『BLUE/ブルー』製作委員会

──“闇堕ち”した20代後半の後に、再び落ち込んだことはあったのですか?
ありますよ。『さんかく』で初めて賞をいただいて、とても嬉しかったのだけど、それから3年間で11本脚本を書いて、全部流れたんです。12本目を書けと言われた時、気付いたらハサミを持って、ここ(頭)をガスっと切っていて、地肌が見えてしまって。何か、今すぐ取り返しのつかないことをしなければと思ってしまったのでしょうね。その部分が禿げてしまって、「取り返しがつかない!」となって、髪を剃ってスキンヘッドになりました。

──その時の闇からはどのように抜け出したのですか?
ちょうど3.11の頃だったんです。世の中が、俺が髪を切り落としたからどうだというレベルではないほどの状況になり、落ち込んでいる場合ではないという気持ちに自然とさせられました。

──脚本のテーマなどに変化はありましたか?
ありませんね。むしろ、変えたくないと思いました。今回のコロナ禍でも、「コロナ前と後で作家性って変わるよね」「どう変わるか」といった話を多くの人がしますが、みんながそんなことを言ったら、同じようなものが出来上がってしまうと思います。

──ボツになった企画と実現した企画の差はどこにあると思いますか?
やっぱり、オリジナルだけが残りました。原作モノもやろうとしたこともありましたが、それは結局は“俺のモノ”ではありません。『ばしゃ馬さんとビッグマウス』は4社くらいがやると言って流れましたが、自分の企画だから5社目、6社目に持っていくことができました。でも原作モノだと、権利を持っている会社があるので、俺が書いた脚本が流れたら、それで終わりになってしまいます。

──吉田監督でも4社、5社に打診しなければならないんですね。
そりゃそうですよ。だから、どこかの社長が変わったら、“誰?どんな人?”とか、映画会社が今どのくらい儲かっているかとか、そんなことばっかり気になってしまって。映画の良い設定を考えるよりも、どこが俺にお金を出してくれるのかと(笑)。俺はプロデューサーの方が向いているのでしょうね(笑)。

『ヒメアノ~ル』©古谷実・講談社/2016「ヒメアノ~ル」製作委員会

──これだけコンスタントに撮れているのは、吉田監督に対する期待値が高い証ともいえますよね。
今は3人くらいのプロデューサーとしか仕事をしていないんですよ。一緒に仕事がしやすくて、企画突破力のあるプロデューサーが3人くらいいれば、なんとか回していけています。河村さんもよくしてくれているし。でも俺ももう、やりたいものがポンポン出て来るわけでもなく、枯渇していて、井戸を掘って出てくるものをペロペロ舐めているという感じです。

──自分の中に溜まっていたものは、一通り吐き出してしまったということですか?
いろいろ吐き出してしまったのと、飽きっぽいので同じことはしたくなく。だから、ずっと続けていた寅さんシリーズとかは凄いと思いますよ。

──吉田監督の弱者に向き合うという視点はブレないですよね。
別に弱者をテーマにしなくてもいいのだけど、俺は単純に、人の考え方が変わる瞬間だったり、人同士の関係性における距離感が変わる瞬間が見たい。物語を書く時も、“次は嫉妬をテーマにしよう”とか、設定よりも感情を大事にしています。自分の中で“次は自己顕示欲をテーマにしよう”と考えたら、それなら自己顕示欲をいちばん面白く撮れる設定とはなんだろうと逆算して考えていく感じですね。

──逸脱している人や振れ幅が大きい人がお好きなのですか?
普段からそういう人に興味を惹かれますね。電車で大きな声を出している人とか見ると、近寄りたくなっちゃいます。俺は『ヒメアノ~ル』の前くらいまでは、近所でヤバい人だと評判だったんです。ベランダに出て「吉田です!」って叫んで、バンと戸を閉めるというクセがあるので、近所の人が怖がっていました。そうしたらある時、新聞に俺の記事が載って、映画監督だと近所の人たちが知って、あのいつも騒いでいるのはアーティスト行為なのだと納得してくれたみたいです。「あっ、また騒いでるけど、いま生み出しているんだな」と勝手に思ってくれて(笑)。今は、近所のおばさんたちもお菓子とか梨とかくれたりと、みんな優しくしてくれていますよ。

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第34回東京国際映画祭

開催期間:2021年10月30日(土)~11月8日(月)
会場:日比谷・有楽町・銀座地区
公式サイト